凱風館日乗

第15回 凱風館日乗(8/26、8/28、9/4)

2013.09.05更新

 8月26日(月)

 一度始めたことはなかなか止めないので、年間行事がどんどん増えるウチダです。
 今日も8月最終週恒例の「城崎温泉麻雀」に来ております。

 これは2005年に始まった行事で、すでに9回目(すうさんたちはもっと前から浜松の先生たちで城崎に通っていたのにぼくが途中から参加させて頂いたのです)。
 第一回の様子はブログに書いてあります。

 9年前の記述なのですが、今年とやっていることがまったく同じであることを知っていささか愕然としております。9年前もやっぱり出石でそば食べて(そのときは14皿、今年は10皿どまり。さすがに胃袋はしっかり加齢しております)、御所の湯に浸かって、帰りにかき氷食べて、かき氷機で削るかき氷は粒子が細かくて美味しいよねというオノちゃんの解説を聞いて、宿に戻って麻雀。
最初の半荘で抜け番を引いたので、寝転んで凱風館日乗を記しております。

 今年の参加者はすうさん、オノちゃん、よっしい、そしてかんきちくん。メンバーも毎年ほぼ同じ。部屋も同じ。既視感が強すぎて、いったい今日が何年なのかわからなくなります。
 話題もいっしょ。オノちゃんとよっしいが僕の本を取り出して、「ウチダ先生、サインをお願いします」と言われて、毎年「オノちゃん、下の名前、なんだっけ?」と訊くのもいっしょ。「中曾根康弘の康弘です」「ああ、そうだった。そうだった・・・で、よっしいの下の名前は」「こくふくのこくに、ふつうのひこです。」「あ、克彦ね、そうだった。そうだった」同じ会話を繰り返すこと9回目。

 この記憶障害はわりと選択的なものらしく、かんきちくんによれば、過去最高の失認は高橋佳三さんのご令室で、四回目に会ったときもぼくは「はじめまして」と挨拶したそうです。どうしてなんだろう。すてきな女性なんですけどね。

 このような記憶障害の症例でもっとも劇的なのは元同僚のワルモノ先生の話。
 ワルモノ先生は電車で通勤途上、車内で女子学生に話しかけられたことがありました。「おお、KCの学生で、私の授業を受講しているので、顔を知っているのだな」と思って、にこやかに受け答えをしました。そのまま門戸厄神で電車を降りても話し続け、岡田山を上りながらも話し続け、ダッドレー館まで話し続け、研究室の前まで話し続けるに及んでさすがに若干困惑して、「あの、悪いけど、これから研究室でゼミがあるから、ここで失礼」と学生と別れようとしたら、学生はさらに困惑顔で「先生、私、ゼミ生なんですけど・・・」

 8月28日(水)

 昨日公表された全国学力テストの都道府県別平均正答率。上位と下位の固定化・二極化が顕著であるとの報道です。
 上位には秋田、福井、石川、青森、富山、山形、岐阜。とくに秋田と福井がきわだっています。この数値はどうも「都道府県別県民幸福度」と相関があるように思えます。

 ご存じの通り、さまざまな機関が行っている幸福度ランキングで、上位は福井、富山、石川の三県がだいたい独占してきております。鳥取、佐賀、熊本、長野、島根など人口の少ない県も幸福度が高い。大都市はそれに比べると評価が低く、2011年の法政大学の坂本教授の調査結果によりますと、愛知が21位、東京38位、福岡39位、京都42位、兵庫45位、大阪が堂々の最下位でした。

 調査は、出生率、有業率、平均寿命など40の指標から国民の「幸福度」を数値化してみたものです。もちろんぼくも人間の幸福が厳密に数値的に表示されるとは思いませんが、それでも人間の幸福を「金の多寡」だけで判定しようとする社会の風潮に対する異議申し立てとして十分な意義があると思っています。

 この幸福度ランキングで上位を独占する福井、富山、石川の北陸三県が学力テストでも上位を占めています。そして、幸福度下位の都道府県は学力テストでもやはり下位に低迷している。
毎日新聞が大きく取り上げているのは大阪の下位定着でした。

 教育基本条例による上意下達システムの徹底や民間人校長の登用や英語教育やグローバル人材育成など大胆な「教育改革」を断行した橋下府知事(現市長)の5年にわたる教育行政の成果は数値的には「学力最下位層に定着」というかたちで示されました。
 この結果を教育改革を主導してきた橋下市長はどう評価するのかと思っていたら、「学力向上を含めて決定権と責任を負うのは教育委員会だ」という他責的なコメントひとつでおしまいだけでした。

 自治体の首長が教育目標を設定し、教育委員の事実上の任免権も有する「教育の政治主導」が大阪の教育基本条例の骨子だったはずですが、どうやらこのコメントを読むと「教育の政治主導」というのは、「教育内容についての決定を教育委員会に丸投げする権利を大胆に行使する」ということだったようです。

 首長が教委に向かって教育目標の設定として「学力を上げろ」と命じる。教委はそれを物質化すべく全力を尽くす。それでも、学力が上がらなかった場合、「学力を上げろ」という目標設定をした首長には瑕疵がなく、責任はあげて目標実現に失敗した下僚たちの無能力たちに帰す、と。
なるほど。

 首長は「正しい政策目標」を掲げるだけでよく、それを実現するのは行政官たちである。
 なるほど。それが「政治主導」ということでしたか。
 もうこの人物についてコメントする気力がなくなってきました。

 9月4日(水)

 五輪開催都市決定のためのIOC総会を前にして、政府の原子力災害対策本部(本部長安倍首相)が福島第一原発で続いている汚染水事故対策として、国費470億円を投入という報道。
投入の意図は「2020年夏季五輪の東京招致への影響などを懸念し、対策を急いだため」だそうです。

 話の筋目が違う、と誰でも思うでしょう。
 IOC総会は3日後に開会されます。その前にばたばたと汚染水処理に小うるさいことを言う財務省を「蚊帳の外」に叩き出して、官邸主導で予算をつけたわけです。

 これは誰が考えても「原発対策、まじめにやってます」という対外的なアピール以外のなにものでもありません。「やる気」があるなら、とっくの昔に着手しているはずです。汚染水の海洋流出がわかったのは7月、点検でタンク300トンからの汚染水漏れが発覚したのが8月。すでに6月時点で東電は海側の観測井戸からで高濃度の放射性物質を発見していたのに、汚染水が海洋に流出したためだと認めたのは1ヶ月後でした。遅れた理由は「社内でデータが埋もれていた」ため(毎日新聞、9月4日)。

 こんな会社に原発処理を委ねることができないというのは、もう国民的な総意だと思います。それをここまで引っ張ってきたのは、国が本気で取り組んでいるという姿勢をあまりアピールすると「政府が前面に出なければならないほど原発事故処理は困難になっている」ということがわかってしまう。それでは五輪招致に支障が出るのではないか。官邸にそう考えた人がいたわけです。政府がやる気がないという怠慢な態度そのものが「原発の安全性」と「事故処理の順調な推移」を国際社会にアピールできるんですから。東電におっつけて、ほっときましょうよ、と。

 ところが8月の高濃度汚染水漏れは世界中のメディアに報じられてしまいました。海外メディアは汚染水漏れの事情を詳しく報道し、「東電には原発事故処理能力がないのではないかという疑惑」を率直に表しました。

 これを承けて官邸ははじめて慌てだした。
 東電の原発処理能力について不安になったのではありません(東電に処理能力も責任感もないことを官邸はとっくに知っていました)。「こんなことが海外で大きく報道されたら五輪招致に悪影響が出る」ことを懸念したのです。それで慌てて予備費から予算をつけた。IOC総会開幕3日前に。もしかすると、これで招致に成功したら、この470億円を「五輪招致経費」に付け替えることでも考えているんじゃないですか。

 世界中の人がこれを見て「なんて『せこい』政府なんだ・・・」と絶句しただろうと思います。でも、IOC委員たちというのも、申し訳ないけれど、それほど政治的見識が高いわけじゃない。東京に決まってしまう可能性もあります。
 僕がむしろ心配しているのは、開催地が東京に決まったその後のことです。

 五輪はあと7年後です。その間に福島第一で何が起きるか、誰にも予測できません。
 今の様子では、まだまだ「深刻な事故」が続出する可能性が高い。
 そして、おそらくそのときには政府もJOCも「五輪招致がもう決まっているのだから、いまさらそんな情報は出せない」ということで、これを隠蔽したり、被害を過小評価する可能性が高い。

 それがまた海外メディアに報道され、「開催国から被曝リスクについて信頼性のあるデータが提出されないのなら、参加したくない」という声が各国選手団から出てきくる可能性がある。
 まさか一度決めた招致を撤回するということはないでしょうけれど、さきの北京五輪のように、各国選手団は競技当日に飛行機で来日、競技終了後すぐに帰ってしまうから選手村はがらがら。観光客もさっぱり来ない。五輪による経済浮揚策は画餅に帰しました・・・というのは蓋然性の高い未来図です。
 五輪招致に5000億円だか投じるそうですけれど、そんな金があったら廃炉と被災者支援に全額出したらどうか、というのが日本国民の多くの偽らざる気持ちではないでしょうか。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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