凱風館日乗

第16回 凱風館日乗(9/12)

2013.09.15更新

9月12日

 一昨日、東京で朝日新聞の取材を受けました。
 五輪招致が決定しても、「さっぱりうれしくない」という感想を持った人たちにインタビューして、その真意を聞くという趣向の記事です。
 1時間ほどお話ししました。記事は次のとおり。

「内田樹・神戸女学院大名誉教授(62)は『商業化の進んだ最近の五輪が嫌いで、招致も同じだった』という。1964年東京五輪では、閉会式で選手たちが国籍に関係なく腕を組み、手を振りあった光景が胸に残る。『世界は仲良くできるんだと感動を覚えた』
 街頭で隣国を声高にののしる姿が珍しくない今の東京。『本来、五輪は排外主義と相いれない。偏狭なナショナリズムを乗り越え、国民が成熟する機会になるなら開催の意味もある』」

 悪いけど、この程度のコメントとるためにわざわざ人を1時間拘束するのって、あまりに非効率的というか無意味ではないかと思います。
 それに僕が「他の人は言わないと思うけれど」とあえて強調して述べたこと(それを言わないと取材された甲斐がないです)は、ここには一言も採録されていません。
 僕が言った中で「誰でも言いそうなこと」だけが拾われている。
 誰でも言えることをわざわざ僕に言わせることで、朝日新聞は何を言いたいのか、僕にはよくわかりません。

 「招致反対とかいっても、せいぜいこの程度のことしか考えていないんだよ」ということをアナウンスすれば、読者の常識的な反応は「じゃあ、こいつらの書くことなんか、読む必要ないよな」ということになるでしょう(僕ならそう考えます)。
 そう思われては困る。

 僕が取材で強調したことは二点です(どちらもコメントには採録されませんでした)
 一つは1964年の東京五輪の歴史的文脈。
 一つは五輪の招致成功の最大の理由について誰も言及しないこと。
 1964年の東京五輪のときの「空気」はその時代にいてその空気を吸った人間しか覚えていません。その人間たちの記憶ももう曖昧でしょう。
 でも、僕は覚えている。

 1950年代60年代日本社会に取り憑いていた最も悪質な不安、それは「核戦争の切迫」でした。
 アイロニカルなキューブリックの『博士の異常な愛情』(64年)より記録映画のように淡々としたスタンリー・クレイマーの『渚にて』(59年)の方がその時代の気分をよく伝えていると思います。
 1960年時点で、人類が愚かしい殲滅戦によって滅びるリスクは今の人が想像できないくらいに高いものでした。

 実際に、1962年10月のキューバ危機のとき、米ソは核戦争直前まで行ったのです。
 日本人はこの核戦争について、それを制御するいかなる手段も持ちませんでした。
 にもかかわらず、アメリカの軍事的属国である限り第三次世界大戦が始まったときに、まっさきにソ連軍、中国軍、北朝鮮軍の軍事的標的となることだけは確実だった。
 60年安保のときの市民運動のうねりは「米ソ核戦争に巻き込まれて原爆で殺されるのは厭だ」という生理的恐怖に駆動されていたのです。

 キューバ危機が去って、日本人にとっての核戦争の恐怖がいささかやわらいだ頃に東京オリンピックは開催されました。
 僕にとってもっとも感動的だったのは閉会式です。
 それは僕たち日本の子供がリアルタイムでオリンピックというものを「見た」最初の経験でした(それ以前、メルボルンとローマのオリンピックは日本選手が出る競技だけを僕はラジオ放送で聞いていたのです)

 すべての国の選手たちが列を離れ、国籍も人種も宗教も超えて、それぞれに肩を抱き合い、腕を組んで、歌い踊っている姿をテレビで見たときに、「核戦争はもうないかもしれない」という安堵感がふいにこみ上げてきました。
 国同士は争っているかもしれない。けれども、アスリートたちはこうやって国境を越えて、友愛のみぶりを交わし会っているじゃないか。

 古代オリンピックのときも争っていたギリシャの都市国家はその期間だけは休戦をしました。
 近代オリンピックでも1916年のベルリン、1940年の東京、1944年のロンドンは開催されませんでした。
 オリンピックが開催されているという事実そのものが「世界を巻き込むような大戦争は、さしあたり今は起きていない」ことを意味していたのです。

 オリンピックは「平和の祭典」であるというフレーズを今の人たちはただの空疎なレトリックだと聞き流しているでしょう。でも、その言葉が十分に持ち重りのする意味を持ったときもあったのです。
 実際にオリンピックがとにもかくにも「平和の祭典」らしきものであった時代(48年のヘルシンキ、52年ロンドン、56年メルボルン、60年ローマ、64年東京、68年メキシコシティまで)僕はオリンピックに対してひそやかな敬意を抱いた少年でした。

 でも、その敬意は以後最後にしだいに希薄化し、80年代なかばに消え去りました。
 72年のミュンヘンの「黒い九月」事件でオリンピックは流血の惨状になりました。次の76年のモントリオールはテロの恐怖の中で開催され、南アのアパルトヘイトへの抗議でアフリカ諸国がボイコットしました。80年のモスクワはアフガン侵攻への抗議で米日中はじめ50カ国がボイコットし、84年のロサンゼルス大会はそれに対する報復で東側諸国がボイコットしました。

 そうやってオリンピックは政争の具となりました。
 もはや「平和の祭典」ではなく、単なる国家意思の宣伝の場になったオリンピックに対して、僕はすっかり興味を失ってしまいました。
 過去20年でテレビでオリンピックを見たのは、シドニーの女子マラソンだけです(これは家にいた人が「テレビつけてよ」と言ったため)。

 アトランタも、バルセロナも、アテネも、北京も、ロンドンも、僕は新聞を開いてオリンピックが始まったことを知り、しばらくして新聞を開いてオリンピックが終わったことを知りました。
 でも、それはクールな無関心のゆえではなく、64年の子供らしい浮揚感からの深く長い墜落感の効果なのです。

 もう一つ、東京が開催都市に選ばれた大きな理由をメディアは報じていません。
 それは「テロのリスクが低い」ということです。
 イスタンブールもマドリッドも最大の問題はセキュリティです。
 イスタンブールは反政府運動が過激化していて、今後それをどこまで制御できるか見通しが立ちません。スペインは2004年のマドリッド列車テロの記憶がまだ鮮やかです。

 政府が海外での戦争にコミットし、国境を越えて派兵し、人を殺したり、あるいは国内での政府批判を許さず、反体制運動を暴力的に抑圧している場合、そのような国で開催される五輪はテロの標的になる確率が高い。
 これは当然のことです。
 そして、2013年段階の日本は、たしかにテロの標的になるリスクについては、先進国で最も安全な国です。
 安全な国であるというのが東京を開催都市に選択するときの大きな要因であったことは間違いありません。

 でも、そのことは誇るべき「見えざる資産」であるとは誰も言わない。
 それを言うと、安倍政府がめざしている「改憲による九条改定」「解釈改憲による集団的自衛件の行使」による「アメリカの軍事行動への直接的なコミット」という政治的方向がその資産を目減りさせるものであることが誰の目にもわかるからです。

 日本を安全な国にしているのは、平和憲法による68年にわたる海外での軍事行動の自己抑制だからです。
 これは国際社会でも国内でも、異議のある人はいないはずです。
 戦争をしなかったから、これほど平和で安全なのである。戦争を一度始めたら、もうこれほど平和でも安全でもありえない。

 平和憲法を廃絶して、「戦争ができる国」になりたいというのが安倍首相の夢です。
 でもそれは、「日本はもうそれほど安全な国ではない」という代価を支払うことなしには実現できない夢なのです。
 ですから、招致賛成派の人々は、奇妙なことに、招致成功の第一の理由として挙げるべき「日本が世界で最も安全な国だからだ」という言葉を意識的に抑制しています。
 その言葉を口にしてしまうと、原発処理政策だけでなく、改憲や集団的自衛権発動まで含めて、安倍政権がその手足を縛られることになるとわかっているからです。

 僕は「戦争と平和」という論点から五輪をめぐる人々の浮かれ騒ぎに「水を差した」つもりでしたが、その真意があのコメントでは伝わりそうもなかったので、ここに書き留めておくことにします。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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