凱風館日乗

第19回 凱風館日乗(11月末から12月半ば)

2013.12.25更新

 月一更新では「日乗」の看板に偽りあり、ですね。すみません。間を空けてしまって。
 でも、とにかくさまざまなる締め切りに追われて、ゆっくりと日常茶飯のことをゆるゆると記述するような暇がなかったのであります。
 なにしろ、特定秘密保護法案がありましたからね。
衆院委員会での強行採決の後、11月25日に佐藤学先生が呼びかけて「特定秘密保護法案に反対する学者の会」が発足しました。
 最初は発起人として20名程度の学者を予定していたそうですが、ノーベル賞受賞者2名を含んだ31名が集まりました。
 あとになって佐藤先生が「発起人を集めて、アピールは出したけれど、メディアはたぶん注目しないだろうから、それ以上の広がりは正直言って期待していなかった」とぽろりと述べておられましたけれど、実際、この「学者の会」のアピールへの反応は当初の予想をはるかに超えたものでした。

 僕がツイッターに「アピールに賛同してくれる方は僕に連絡してください」と書いたのが11月27日。ちょうどその日に観世能楽堂で『能はこんなに面白い!』の出版記念イベントがあって、お家元や松岡心平先生や来てくれた光嶋裕介くんと打ち上げに出て、ワインでほろ酔い機嫌でホテルに戻って来ました。寝る前に「そうだ、さっきの呼びかけに2、3人でも反応あったかな」とメールをチェックしたら、とんでもないことになっていました。
 一晩で僕のところに来ただけで250人。その一人一人に「ご賛同ありがとうございます」というお礼の返信を書いて、氏名・職名・専門領域を自分のブログの「賛同してくださった方」欄に入力するだけで3時間以上かかりました。
 翌日の記者会見の段階で、発起人の他に賛同者が304名。そのあとも増え続け、結局12月5日の「学者の会」の第二回の記者会見のときには2000人を超えておりました。今日(12月22日)の段階で、学者の会のHPを見ると、現段階では5000人を少し超えたところです。約3週間で、国内外から5000人の学者・研究者がこの法律に対する明確な反対の意思表示をしてくれたことになります。
 佐藤さんによると、これほど短期間のうちに、政治的なアピールについて学者たちが賛同の声を上げてくれたのは、もしかすると60年安保以来ではないかということでした。
 それほど例外的なできごとだったのです。
 それだけこの法律の採決公布に至る政府の手法に対する市民の怒りと不安が高かったということを意味していると思います。

 僕のところにも「学者ではない、一市民だけれど、いったいこの憤りと懸念をどうやって表現したらよいのでしょう」という問い合わせが何通も来ました。
 学者の会の前にも各地の弁護士会や法律家たちの学会が法案に対して明確な反対の姿勢を示していました。学者の会と前後して、坂本龍一さんや後藤正文くんやアルテスの鈴木茂くんたちが「表現人の会」を立ち上げ、高畑勲さんや降旗康男さん宮崎駿さんや山田洋次さんや吉永小百合さんが「映画人の会」を立ち上げました。表現人の会は数日間で15000人の賛同者を集めました。
 その後、坂本龍一さんから三つの会を連携させて、より広がりのある市民運動につなげたらどうかという提案を頂きました。佐藤先生と相談して、その方向でいま準備をしているところです。そういう市民の会ができれば、職域で反対運動を組織することができない市民の人たちの思いを受け止めることもできるようになると思います。
 そういう緊急事態だったわけです。

 特定秘密保護法やその前の国家安全保障会議関連法案や、いま準備中の共謀罪や、一連の法整備が急ピッチで進められています。それはいったいどういうかたちの政体の変更をめざすものなのか、その分析やこれからの政治プロセスの予測などについて寄稿依頼や取材が相次いでおりましたせいで、のんびり「日乗」を回顧している余裕がなかったのであります。
 以上「忙しかったこと」の理由でした。

 とはいえ、こういう話を書いたあとに、ついては「庭の寒椿がどうした」「根深汁がどうした」というような身辺雑記に移るわけにもゆきません。頭の方が「天下国家を論じる慨世モード」になったままですからね。
 というわけで、今日はそのままの「慨世モード」で、「いったいこれから日本はどうなってしまうのか」その見通しについて少し書いておきたいと思います。

 僕が必要だと思っているのは、かなり短期的な未来予測ですけれども、「日中の軍事衝突はほんとうにありうるか?」「起きた場合に、どういう展開になるか?」というシミュレーションです。
 不吉な予測ではありますけれど、僕はこういう「そういうことが起きてほしくないこと」については、どういう条件が整ったら起きてしまうのかについて冷静に考えておくことは必要だろうと思っています。こうなって、ああなって、そうなったら、戦争になる、ということがわかれば、「こうなった」段階で、それを阻止する手立てを考えることができますから。
 とにかく、戦後68年で、日本が今ほど戦争に接近したことはかつてありません。これは本当です。隣国との外交関係が緊張したことは何度もありましたけれど、内閣総理大臣が「本気で戦争をしたがっている人間」であったことは戦後一度もありません。安倍晋三は日本人が戦後はじめてまみえた「戦争する気のある首相」です。
 そして、悪いことに、それと同時に、中国は日中国交回復以来40年で対日感情がもっとも悪化しており、かつ軍事的拡張主義が露骨になってきています。
 東シナ海の両岸で「戦争してもいいか」と思っている人々が国政の決定権を握っている。
 こんなリスキーな事態を戦後の日本人は一度も経験したことがありません。
 にもかかわらず、メディアはぼんやりと都知事のスキャンダルやスポーツニュースや芸能ネタを流している。
 全然危機感がありません。
 このメディアにも知識人にも「全然危機感がない」ということに僕はつよい危機感をおぼえるのです。

 たしかにこの68年間日本は一度も戦争をしませんでした。外国の軍隊に国境を侵犯されたこともないし、逆に外国人を日本の軍人が殺傷したこともありませんでした。
 ですから、どこの国にも「日本人に近親者や友人を殺された。オレは日本人を絶対許さない」というようなルサンチマンに領された「テロリスト予備軍」が存在しません。  
 もちろん、日本企業のせいでビジネスで損失を蒙ったとか、環境を破壊されたとかいう人はいるでしょうけれど、「日本政府の下した政策によって殺された同胞」の恨みを果たさずにはいない、というほどに激しい憎しみの感情を持つ人はどこにもいません。
 これは平和憲法が日本人にもたらした「見えざる資産」です。
 豊かな森林や美味しい水や治安のよさと同じく、日本人にとって「ふつうにそこにあるので、そのありがたみがあまり実感されないもの」の一つです。

 よく「日本人は水と安全はただだと思っている」と言って鼻を鳴らすタイプの論客がいますが、こういう人たちが「日本の安全は平和憲法の贈り物なんだから、もっとありがたがるように」というふうに話を続けたことを僕は見たことがありません。彼らはそう言ったあとに「だから、米軍基地を受け入れなければいけないのだ」とか「だから、アメリカのやる戦争にもっと積極的にコミットして、日本をさらに安全にせねばならないのだ」というような倒錯的な結論に世論を誘導しようとします。
 もちろん日本の安全はただではありません。でも、それをもたらした最大の理由は憲法九条の存在です。
 日本が「仮想敵国」に対して十分な防衛力を備えていないというのは事実かもしれません。でも、だからと言って、その脆弱な防衛力につけこんで、中国や北朝鮮が日本に侵入し、軍事的に支配しようとしたときに、その行為を支持する国は国際社会に存在しないはずです。
「国際紛争の解決の手段としての武力による威嚇と武力の行使を放棄した国」に武力侵攻した国には、どう言い繕うおうとも、倫理的な大義名分がないからです。
 それが侵略国にとって個別的自衛権の発動であると言い張るなら、「日本を先制攻撃しなければ、我が国が日本に攻撃されていた」ということ嘘でも証明してみせなければなりません。でも、憲法九条が「効いている」国に対して、「日本は武力侵略の意図があった」という言いがかりをつけることは絶対に不可能です。
 日本は憲法九条によって、周辺のどの国も「個別的自衛権の発動」という言い分を封印してきました。この「普通の国」に対する「普通じゃない国」の倫理的優位性が日本の安全を担保してきたということを改憲派の人たちは決して認めません。
 彼らは憲法があるせいで十分な国防体制が整備されないという言い方をします。でも、その主張に根拠があると本気で思っているなら、「憲法があるせいで、国境線を侵犯された、領土を奪われた、自国民が殺された」という実例を挙げるのが筋でしょう。それが示されれば「なるほど、九条のせいでこんなに大きな実害が出ているのか」ということがわかります。でも、もちろんそんな実例は存在しません。
 彼らはせいぜい「湾岸戦争のときに、地上部隊を出さなかったせいで、世界の笑い者になった」というような「おはなし」をするだけです。でも、これも眉つばものです。一体、誰がどこで、どういう理由で日本を「笑い者」にしたのか、その事実をはっきりさせましょう。

 たしかに日本は湾岸戦争のあとに「世界の笑い者」になりました。これはほんとうです。でも、それは地上部隊を派遣しなかったからではありません。
 クウェート議会が戦後発表した「感謝決議」の中に日本の名前がなかったからです。なぜなかったのか?それは日本が供出した軍費90億ドル(当時のレートで1兆2000億円)のうち、クウェートに渡ったのはわずか6億3千万円であり、あとの99.95%はアメリカが持っていったからです。クウェート政府にしてみたら、「日本はクウェートにではなくアメリカに感謝されるために軍費を供出したのであるから、日本に感謝決議をするのはアメリカ議会の仕事であって、クウェート議会の仕事ではない」と考えたのでしょう。僕はこの判断は合理的だと思います。
 日本はクウェート支援のつもりで出した金をアメリカにもっていかれて、クウェートからもアメリカからも「ありがとう」の言葉ももらえなかった。その外交的無能が「世界の笑い者」になった。この経緯についてほおかむりしておいて、「九条のせいで、世界の笑い者になった」というのは話の筋目が違います。
 こういう連中が戦争をしたがっている。戦争さえすれば、アメリカに信頼され、国際社会から敬意が集まり、隣国からも一目置かれると本気で思っている。そのために法整備を急いでいるのです。

 国家安全保障会議というのは名前はそれらしいですけれど、要するにかつての「統帥権」を制御する機関です。
 統帥権というのはご存じの通り、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部長、教育総監ら「軍機軍令を専一的に扱う人々」、かの「帷幄上奏権」者たちが事実上独占していました。 一般の国民はいったいこの人たちが何ものであって、どういう基準で選出され、どういう主義や思想の持ち主で、どのような権限を持っているのか、何も知りませんでした。でも、彼らの方が実際には選挙で選ばれた総理大臣や国会議員よりも権力位階の上位にいた。彼らの行動を掣肘しようとすることは「統帥権干犯」として退けられました。
 国家安全保障会議というのは、現代風の「帷幄上奏権者」たちのことです。彼らが統帥権をコントロールする。かつて形式上は、統帥の大権をもつ天皇が彼らの上にいました。今はもういません。総理大臣はかつてはこのメンバーに加われませんでしたが、今は加われる。それが違いです。
 軍事的衝突がどこかで起きたら、通常の統治システムは停止します。戦争に関するすべての情報は「国家の安全保障にかかわる特定秘密」ですから、一切公開されない。僕たちはいったい日本に何が起きているのか、それから後は「大本営発表」を聴く以外に知る術がない。
 そうなったらもう政府の暴走を制御することは制度上は不可能になります。でも、そうなる可能性はあると僕は思っています。この可能性を過小評価すべきではない。
もちろん、メディア知識人の多くは、僕の考えを「誇大妄想」だとせせら笑うことでしょう。それはしかたがない。
 でも、戦争のリスクを過大評価して、その結果何も起らなくても、僕が失うのは「ウチダはバカだ」という僕の判断力への評価だけです。それは「戦争なんか起きるわけないよ」とのんきに構えていたときに万一戦争が始まってしまったときに失うものとはスケールが違います。
 そういう点で僕は非常に合理的な人間です。僕の知的威信がゴミ箱に捨てられるリスクは、日本の安全と平和が失われるリスクとはトレードオフしようがない。そんなのは当たり前のことです。

 これから後、「もしかするとほんとうに安倍晋三は戦争を始める気でいるのかもしれない」と予測している何人かの人たちとそれについての研究本を緊急出版する計画を立てています。この原稿を書いている段階では、高橋源一郎、平川克美、小田嶋隆、町山智浩、鷲田清一、想田和弘、中野晃一のみなさんが寄稿に同意してくれました。
 これから日本はどうなるんでしょう。ほんとうに心配です。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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