凱風館日乗

第22回 番外編 バリ島ふらふら日記 前編

2014.02.24更新

 皆さん、こんにちは。内田樹です。

 凱風館日乗更新を怠ってすみません(忙しかったんです)。
 でも、今日から再開します。バリ島に4泊のバカンスにでかけることになったからです(いま機内で書いてます)。
 同行してくださるのは小田嶋隆さんご夫妻、光嶋裕介、はるちゃんご夫妻(彼らは新婚旅行も兼ねております)。現地で田川ともちゃんとゼミの卒業生の福田さんとそのご母堂が合流予定で、総勢8人の「内田家社員旅行」です。
 
 バリ島での僕の仕事は「昼寝」です。
 朝ご飯食べて二度寝、昼ご飯食べて三度寝、スコールが来たら部屋に戻って四度寝。夜はバリ風マッサージしてもらって五度寝。あいまにピニャコラーダを飲み、冷たいビールを飲み、免税店で買い込んだオールドパーを飲むのであります。
 
 とはいえ、「何か書いていないと生きていけない」宿命的な「書き助」体質ですから、昼寝の合間にはやむなく「日記」を書いたり、原稿を書いたり、ゲラをリタッチしたりするのであります。僕のブログを読んだことのあるかたはご存知かもしれませんが、僕のブログ日記がいちばん充実しているのは、「ブザンソンにいるとき」と「バリ島にいるとき」であります。ブザンソンというのは大学のフランス語研修の付き添い教員という仕事で、学生たちを登録させて、学校に送り込んでしまうと、あとは一回だけ語学学校のディレクターと「よこめし」をするだけで、他に仕事はないのであります。その2週間、ホテルの一室にこもって、ひたすら原稿を書いておりました。『映画の構造分析』も『街場のアメリカ論』も『街場の中国論』もブザンソンのホテルで書き上げました(夕方になるとフランス人のブルーノ君がホテルまで迎えにきてくれるので、一緒にジムに行って、2時間ほど合気道の稽古をして、それから街でご飯を食べて、ビールを飲むというまことにシンプルな生活でした)。

 生活がシンプルだと、複雑なことを考えられる。これはほんとうのことです。
 生活が忙しくなると、変数が増え過ぎて、それを処理するために使える「方程式」はその分だけ単純になる。生活上の変数が少ないと、暇なので、ひとつことを見るときもいろいろな角度から眺め、いろいろな文脈に置き換え、いろいろな解釈を施すので(そうでもしないと時間がつぶせないから)、脳内で走っている方程式はかなり複雑なものになります。ほんとに。
 有名な話ですけれど、ケーニヒスベルクで教えていた頃、イマニュエル・カントは毎日同じ時刻に同じルートで散歩していたそうです(カントの散歩道にある家の人たちは、カントが通るのを見て、家の時計の時刻を合わせていたそうです)。
 外界からの入力をできるだけ減らして、変数を最小まで切り詰めると、脳内で走らせることのできる方程式の複雑さは最大化します。カントはきっとそのことの有効性を経験的に知っていたのでしょう。
「変数を減らして、その代わりに方程式を複雑にする」というのはこのところ僕がずっと工夫している武道稽古上の術理ですけれど、同じ原理は知性の働きにも適用できるような気がします。
 ともあれ、たまには外界からの入力を最小化して、演算システムを複雑化する手だてを講じておかないと、だんだんものごとへの対応の仕方がオートマティックになってくるような気がするので、こうやって定期的に「バカンス」に赴くのであります。

 今回のバリ旅行、はじめての光嶋夫妻は観光におでかけするみたいです。
 僕ももう一度ケチャは見たいけれど、あとはどこにも行く気がしないです。
 僕が一番好きなのはスコールの後、空を雲がすごい勢いで流れてゆき、西の方が明るくなってくる時間帯です。ホテルの部屋のベランダに立っていると、さきほどまでの「車軸を流すような驟雨」が止まると同時に、耳を聾せんばかりの「蛙の鳴き声」と「鳥の鳴き声(ブルース・リーの「怪鳥音」のような)でバリの大気が満たされます。
 生物たちが熱帯雨林の中でざわざわと繁殖している、ということがフィジカルに伝わってきます。都市に暮らしているとなかなか味わうことのできない感懐です。
バリでは、小田嶋さんと僕がたぶん「どこにもでかけないで昼寝する派」の双璧となるでありましょう(女性はエステとか買い物とかお好きですからね)。
 光嶋くんには「バリ島はじめてなんですけど、何か予習してゆくための本とかありますか?」と訊かれたので、バリと言えば『エマニュエル夫人』と『バリ島珍道中』でしょうとご案内しておきました。ボブ・ホープとビング・クロスビーの『バリ島珍道中』は1950年代のハリウッドの「オリエンタリズム」の逸品です。なにしろ、ドロシー・ラムーアがバリの娘を演じるんですから(『八十日間世界一周』でシャーリー・マクレーンが東洋の娘を演じていたのと曲は同じです)。

『エマニュエル夫人』は1970年代のバリ島がかなりドキュメンタリータッチで描かれています。ケチャが映画の画面に登場したのは、これが世界最初ではなかったでしょうか(ヤコペッティも撮ってないんじゃないかな。ケチャは「わりと最近成立した伝統芸能」らしいですから)。
 もう『エマニュエル』の時代から40年の歳月が経ち、シルヴィア・クリステルもなくなりましたしね(合掌)。
 光嶋くんに「『エマニュエル夫人』て、はるちゃんと一緒に見ても平気な映画ですか?」と訊かれたので「ダメです。ひとりでこっそり見てね」とお伝えしておきました。
 でも、旅に出る前にそんな暇あったかな。彼も昼寝が必要なんですけどね。
 さて、飛行機はそろそろ飛行時間5時間を超え、フィリピンを過ぎ、バリ島デンパサール空港に近づいてまいりました。

 2月18日(火曜日)
 バリ二日目。初日の夜は、ホテルの中のLagoonaという浜辺のレストランで海鮮料理(のようなもの)を頂きました。インドネシア料理は中華料理とタイ料理とポリネシア料理をまぜあわせたようなものなのですが、どことなく「日本の大衆食堂の味」がします。
 前回に来たときに、お寺詣りに行ったのですが、お寺の前にずらっと屋台が並んでいて、竹串に肉を刺したものを炙っておりました。醤油が炭火に落ちて焦げる匂いが本邦における焼き鳥とまったく同じで、「焼き鳥」というのはインドネシア料理が日本に伝播したものではないかという感を強くしたのであります。
 僕は燻製のMarlinとTunaのサラダと、Surf and Turf (「波と芝生」とはローストした海老とビーフステーキのこと)、バリハイビールとバリワイン(Two Islandsという銘柄)を頂きました。
 雨期ですので、観光客はまばらです。たぶんホテルの稼働率は2割くらいじゃないんですかね(ここは500室ほどあるずいぶん大きなホテルですが、プールもレストランも、ホテル内のどの施設もがらがらです)。

 Ayodya Resort というホテルで、昔最初に来たときはバリ・ヒルトンでした。その後今の名前になりました。ホテルとしてはかなり古いものですから、ランクはそれほど高くないはずですが、とにかく無意味に広くて、何に使うかわからないスペースがそこらじゅうにあり、奇々怪々なヒンドウーの神像彫刻で埋め尽くされているところが気に入っています。一度だけ違うホテルに泊まったことがありましたが、そこは海から遠くて、シャトルバスで海岸まで行くというのがめんどうで、ここに戻ってきました。このホテルはプライベートビーチ付きなんです。
 ランクが微妙なので、富裕層は泊まりませんし、バックパッカーも泊まりません。つまり、世界各国の「中産階級ど真ん中」の皆さんが「ちょっと贅沢してみるかね」くらいの気分で泊まるところなのです。ということは、定点観測していると、各国の「中産階級事情」がよくわかるということです。
 以前はオーストラリア人と日本人が客層の中心でした。ホテル内で最大の席数をもつのが日本料理レストランであることからも日本人宿泊客の多さがしのばれます。
 バブル崩壊後に日本人が激減し、代わって中国人観光客が激増してきました。
 中国人たちがマジョリティを占める時期がかなり長く続きましたが、彼らはとにかく声が大きい、従業員に対していささか横柄、館内規則のようなものを顧慮しない傾向があり、数は多いけれど、あまり上客とは見なされていなかったようです。
「日本語のできるコンシェルジュ」が常駐していた時期はありましたが(もういません)、「中国語ができるコンシェルジュ」が配置されていたのはみたことがありませんし、中華料理レストランも作られなかったことから推しても、中国人の「ニューリッチ(のちょっと下のほう)」の人たちは客層としてはあまり歓迎されていなかったように思われます。個人の感想ですけど。
 その後、ロシア人と韓国人が日本人に代わってこのホテルの主役となりつつあります。
ロシアの30代くらいの若夫婦とかカップルが前回も今回も「最大派閥」です。ロシアでは中産階級の形成が若い世代から進行しているように見受けられます。
 リゾートの選択は実際に所得がいくらであるということより、どのような「セルフイメージ」を持っているかで決定されます。「セルフイメージ」と宿泊先のグレードが一致すれば値段にかかわらず滞在は快適ですし、ずれると代価が高くても安くても、あまり居心地がよくありません。
 バブルの頃、クアラルンプールの五つ星ホテルに泊まったことがありました。為替レートのせいで、値段はずいぶん安かったのですが、僕の格好(アロハにゴムゾーリ)がホテルの客層とかなりずれていたために、居心地はあまりよくありませんでした。そういうものですよね。
 Ayodya Resort内を僕は昨日「やばとん」Tシャツで歩いておりましたけれど、ふだん家でごろごろしているときに着ている服で歩けるホテルは快適です。
 
 ともあれ、日本の中産階級が崩壊し始め、中国、韓国、ロシアで中産階級が(以前よりは)分厚い層を形成しつつある、というのが本ホテルにおける過去15年間の経年変化から推察された結論であります。このまま全世界で階層の二極化が進行すると、こういう「微妙な位置にあるリゾートホテル」は生き延びるのがたいへんそうです。階層二極化に異議申し立てする意味でも、僕としてはバリ島社員旅行を断固継続する決意であります。
 
 朝ご飯を小田嶋さんご夫妻とおしゃべりしながら頂き、ウブドに観光にゆく光嶋夫妻を送り出してから、部屋にもどってプチ仕事。それからプールに出て、青空の下でごろごろ二度寝。
 雨期のバリ島は毎日スコールがあって、その前後だけ晴れるのですが、この日は一日快晴。おかげで真っ赤に日焼けしてしまいました。
 お昼まで誰とも会わず、プールサイドのレストランでビーフバーガーとビンタンビール(美味しい〜)。
 お腹いっぱいになってごろごろしていたら、小田嶋夫妻が買い物から戻ってきました。
 三人で並んでよしなしごとをおしゃべりしながら、ピニャコラーダ。そこにビーチから戻って来たともちゃんも加わって、Tatooとピアスがどのように日常生活に支障を来すものであるかについてともちゃんからお話をうかがいました(須磨海岸ではTatooのある人は遊泳禁止なんですって。ひどいですね)。ピアスは温泉に入ると変色したり過熱したりするし、スキー場では冷え過ぎて耳たぶがちぎれそうになるとか。おしゃれもたいへんです。
お昼のビールとピニャコラーダが効いてきたので、みなさんにお別れして、部屋に戻り、シャワーを浴びてお昼寝。

 夕方目覚めてプチ仕事。
 時間になったので、小田嶋さんご夫妻といっしょにBali Collectionまでシャトルバスに乗って出動。前にも行ったことのあるPaonというレストランで、「ナシゴレン卵のせ」(前の日に中田考先生がTwitterに「これから頂きます」と写真を載せていたので、それに欲望を刺激され)をBali Hai BeerとHotten Wine(赤)のCarafe と一緒に頂きました。
 ナシゴレンって、ほんとうに「場末の大衆食堂で食べる焼き飯」の味がして、しみじみ美味しいです。この味覚はまぎれもなく同一食文化圏のものだと思います。
 日本人でバリ島に移住する方がけっこう多いのは、気候や人心もあるのでしょうけれど、料理の味の「なつかしさ」も関係あると思いますね。
 お腹いっぱいになってホテルに帰着。免税店で買ったOld Parr をちびちび舐めながら、ベランダでぼんやり。10:00にはもう眠くなって、江藤淳の『閉ざされた言語空間』を読みながら就寝。

 今回旅のお供に持って来た本は読みさしのR・H・ロービア『マッカーシズム』のほかに江藤淳と埴谷雄高『政治論集』。
 先日晶文社の安藤さんから「吉本隆明全集刊行記念のシンポジウムで吉本の政治思想に関連して、『これは読んでおくと吉本理解に資すると思われる書籍』をいくつかご推薦ください」と頼まれて、5冊挙げたうちの二冊です。
 僕が吉本隆明を読んでいたときに同時期に読んでいた本はもうほとんどが絶版になっていました(村上一郎とか平岡正明とか谷川雁とか)。かろうじて埴谷雄高の政治論が文庫化されておりました。『永久革命者の悲哀』をバリ島のプールサイドで読んだらどんな感じになるかな・・・という興味で持ってきました。
 期せずして、『マッカーシズム』と『閉ざされた言語空間』と『政治論集』は1940〜50年代の日米の政治「言語」を主題的に扱ったものでした(無意識に選んだのでしょうか)。
 旅のお供のiPodで聴いているのは大瀧詠一さんの「アメリカン・ポップス伝」。これまた1950年代のアメリカのポップス事情を詳細に論じたものでした。
どうやら今の僕の潜在的な関心は「1950年代の日本とアメリカ」に向っているようです。
 たしかにここから話を始めないと、21世紀における「日米同盟」のありかたについての原理的考察はできませんからね。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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