月刊 越尾比屋人

明治時代。日本が国を開き、海のかなたに広がる世界が意識されはじめると、誰も行ったことも、聞いたこともなかった異国の名に漢字があてられた。「越尾比屋」もそのひとつだ。そのどこかぎこちない当て字にも、未知の大陸に思いを馳せた時代が透けてみえる。
 さて、21世紀の日本。アフリカは、ぼくらにとってどれだけ身近になったのか。グローバル化だ、第三の開国だ、と叫ばれるなか、エチオピアは、いまだ「越尾比屋」のままなのかもしれない。
 たぶん、それはアフリカだけではない。とかく異国のことは、なんだかよくわからない「他者」でありつづけている。自分にとっても、「エチオピア」はアフリカの遠い異文化を想起させる「記号」に過ぎなかった。それが15年くらい通いつづけるうちに、いつからか抽象的な他者ではなく、いろんな人の顔や匂いが浮かぶ生身の存在になっていた。

 今回の連載では、いままで私が出会ったエチオピアの人びとのことを書いてみようと思う。あの国はどうだとか、~人はこうだとか、つい自分たちとはまったく違う記号のように語ってしまう。そこにぼくらと同じ血の通った、いろんな感情をもって生きている人がいる。むしろ国とは、そうした生身の人間の集まりでしかない。
 そんなあたりまえのことを書こうと思う。

第6回 ディノとヤスィン(中編)

2013.09.18更新


 畑の出作り小屋につく。
 ヤスィンと再会の挨拶を交わして、小屋のなかに入る。
 ディノは外に立ったまま、ヤスィンと目を合わそうともしない。

「話って何のこと?」私からディノに声をかける。
 ディノは小屋の外におかれた倒木に腰かけて、こちらをのぞく。
「去年、買った牛のことだよ。あれからいろいろ大変だったんだ・・・」

 嫌な予感はしていた。
 村に来てから誰も牛のことに触れなかった。牛の姿も見なかった。

 話を聞くと、私が購入した牛はとても気性が荒く、なかなか村の放牧群になじまなかった。放牧の群れに預けると、何度も逃げ出して、コーヒーの森に姿を消した。アッバ・オリをはじめ、みんなで夜まで探し回る日が続いたという。

「だから、あの牛はオレが売り払ったんだ」ヤスィンが口を開く。
「最後にいなくなってしまったら、何も残らないだろう。それよりは売ってしまったほうがいいと思ったんだ」

「そのお金をオレはまだ一銭ももらっていない。おかしいだろ?」
 ディノが声を荒げる。
「いったい、あの牛は誰にあげたんだ?」

 牛のお金をめぐって、ふたりはずっと険悪な関係にあった。それでも牛を買った当人が不在では、決着のつけようがない。ふたりは、じっと私が村に来るのを待っていたのだ。

 私は戸惑った。答え方によっては問題をこじらせてしまう。私は揺れ動く気持ちを押さえて、できるだけきっぱりと言った。
「あの牛はアッバ・オリのために買った。だからディノやヤスィンにあげたわけじゃない。売ったお金の使い途は、アッバ・オリが決めることだ」

 お金の一部は、すでにヤスィンがアッバ・オリの家の改修費用に使っていた。正気に戻ってからは、ヤスィンが両親の家計を支えていた。ディノはそれに口出しできるほどの負担をしていなかった。

「わかった・・・。それならそれでもいい」
 ディノはそれ以上、何も言わずに立ち上がった。表情には悔しさが浮かぶ。

 ディノは前年に結婚して、最近、子どもが生まれたばかりだった。彼には家族を支える責任があった。子どもの服なども買わなければならなかった。実家で出産した妻を迎えるために中途半端なままだった新居にも手を入れる必要があった。牛を売ったお金は喉から手が出るほど欲しかったに違いない。

 その気持ちを思うと胸が痛んだ。責任は私にあった。与える相手をあいまいにした贈り物が混乱を招くのは当然だった。私は失敗ばかりしていた。

 ヤスィンが牛を売却したとはいえ、彼は代金の大半を回収できずにいた。引っ込み思案で交渉下手の彼は何度も牛を売った農園職員の男性を訪ねては、空手で戻ってきた。

 出産を終えて新居に来るはずのディノの奥さんは、なかなか戻ってこなかった。彼女は街で暮らしたこともあり、艶っぽくて垢抜けていた。村にはあまりいないタイプの女性だった。すでに異なる男性とのあいだに2人の娘がいて、実家の両親が育てていた。

 産後40日で夫の家に戻るのが慣例だった。だが、彼女はそれを過ぎてもディノの家に戻る様子がない。そのうち彼女の母親が離婚をほのめかすようになった。

「乱暴者で土地も財産もないディノとの結婚には、そもそも反対だった。あの家に娘を戻すつもりはない」
 そう言っていたようだ。でも理由は別にありそうだった。

 その家族には娘しかいなかった。ディノとのあいだに生まれた男の子は、家の跡取りになる大事な孫だった。結局、離婚が成立して、その子も彼女の実家で育てられることになった。ディノにそっくりの男の子だった。

 ディノは表面的にはさほど落ち込んでないように見えた。むしろ、なんとか金を稼ごうと焦っているようだった。ほどなくして、彼は私に相談を持ちかけてきた。

「村の表通りに部屋を借りようと思っている。そこにスーク(キヨスク)を開いて商売を始めてみたいんだ。どう思う?」
 ディノの言うことは唐突だった。
「商売? そんなことできるの?」
「大丈夫。きっとうまくいく。もうすぐラマダンが始まる。そしたらサムサ(レンズ豆の揚げ物)を売るよ。この村では誰もちゃんとサムサの作り方を知らないからな」

 勝算があるとは思えなかった。ディノの性格が商売に向いているとも思えなかった。それでも彼が生き生きと商店の構想を語るのを否定できなかった。牛の一件でディノに後ろめたい気持ちもあった。結局、私が少しばかり出資して商店を始めることになった。

 ディノは、町からタバコや線香、食用油、石鹸などをひと通り買い揃えて、小さな商店を開いた。農業以外の生業を内側からみるという意味でも、彼の試みは興味深かった。私は彼に店の出納帳をつけるように頼んで、ノートを渡した。

 しかし彼は記録を付けていなかった。その必要性も感じていないようだった。
「商売するのに、収支もわからなくて大丈夫なの? 利益はちゃんと出てる?」
「大丈夫。面倒なんだよ。記録を付けたところで、利益が上がるわけじゃないだろう」
 私の心配をよそに、彼はいたって楽観的だった。

 ディノがラマダンに作りはじめたサムサは、大きくてたしかにおいしかった。でも材料費と売る値段が釣り合っているのか、彼が把握しているようにはみえなかった。

 1年後、村を訪れると、彼の店は閉め切られていた。
「お店、やめたの?」
「毎月の家賃が高すぎて話にならない。あれじゃあ商売をやる意味がない」
 彼の家には、しばらく店の在庫の石鹸などが積まれていた。

 ディノは村の女性と再婚していた。ラザという田舎育ちの純朴そうな女性だった。彼は、農民が摘んだコーヒーの買い取りを仲介する仕事を始めていた。

 エチオピアの農村部は深刻な土地不足に陥っている。若い世代で農業だけで食べていける世帯はわずかしかいない。多くの若者が小作農として細々と農業を続けるかたわら、農業以外の商売に活路を見いだそうとしていた。

 ヤスィンもアバイネシというキリスト教徒の女性と再婚した。すらっと背の高い綺麗な女性だった。小作として畑を耕していた地主の娘でもあった。アバイネシの父親はすでに亡くなっていて、年老いた母親が土地を管理していた。2人の娘しかおらず、いずれふたりが土地を相続すると思われていた。

 しかし、母親のアスナクがアバイネシの姉にだけ土地を相続させると言いはじめて争いになる。アバイネシは、自分には土地を相続する権利があると主張した。

 じつは2人の娘とアスナクは血がつながっていなかった。アスナクには子どもできなかった。アバイネシは、父親とアスナクの妹とのあいだに生まれた子だった。アバイネシの姉は、その女性の連れ子で、ともに父親に実の娘のように育てられた。アバイネシは、父親と血のつながりのある自分がすべての土地を相続すべきだと言い張った。

 土地相続をめぐる争いは、村の裁判に持ち込まれ、年長者の調停でも解決しなかった。アスナクは最後まで意志を曲げなかった。ところが突然、アスナクが原因不明の病で亡くなってしまう。結局、土地は姉妹で等分することになった。姉家族も母親の死に神秘的な力が働いたと怖れたのだ。

 ヤスィンは、妻名義の土地ながら、畑の土地に加えてコーヒー林も手にして意気揚々としていた。荒れていたコーヒー林の下草を刈り、コーヒーの苗を植えた。この地域ではめずらしい米の栽培も始めた。これまで以上に彼は農作業に精を出すようになった。

「まだこれからだよ。数年後にはコーヒーの苗が育って、実がなり始める。家の周りにはピーナッツやトマトを作るつもりだ。下の空き地にはもっとユーカリの植林を増やす。家を建てるときに使えるし、高く売れるからね」

 アバイネシがムスリムに改宗してまでヤスィンを夫に選んだ理由がわかった気がした。賢明で働き者の彼の努力で、毎年、多くの収穫を得られるようになった。収穫期には、たくさんの穀物袋がアッバ・オリの屋敷に運び込まれた。

 ヤスィンはあくまで堅実だった。そして自信に満ちていた。
「子どもの頃、両親が考えもなく作物を人に分け与えたりして苦しんだ。もうああはなりたくない。みんなちゃんと後先のことを考えないからいけないんだ」

 家族の将来は安泰に思えた。ヤスィンに十分な収入があれば、アッバ・オリ夫婦も支えを得られる。ディノだって間接的にせよ恩恵を受けられるはずだ。そう考えていた。
 でも、今度は私の見通しが甘すぎた。

 2003年の調査を最後に私は博論の執筆を始め、3年ほどエチオピアに行けなかった。
 その間、アッバ・オリたち家族は厳しい試練に直面していた。

(つづく)

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアや中東都市部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。

『平日開店ミシマガジン』では「<構築>人類学入門」、KYOTO的では「エチオピア的」を連載した。

立教大学社会学部松村研究室

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