月刊 越尾比屋人

第8回 村の様子

2013.11.11更新

 2013年10月。1年2カ月ぶりに村を訪ねる。
 今年の雨期は雨が多く、例年なら雨が止み始める10月に入っても、首都のアジスや調査地のあるジンマ地方では、ほぼ毎日のように雨が降り続いていた。

 ジンマのマーケットで、男性たちには長靴を、女性たちにはスカーフを買う。雨期に村を訪れるとき、長靴は必須アイテムだ。雨が降ると、村中の道も屋敷のなかもぬかるんで泥だらけになる。牛を放牧する平原も水浸しになってしまう。

 日本で買った防水加工のトレッキングシューズなど何の役にも立たない。村を訪れる前に、ジンマで膝下まであるゴム長靴を買うのが毎年の恒例だ。

 今年は、ジンマでミニバス(乗り合いタクシー)のハイエースを借上げ、50キロほど離れた村に向かう。途中までは舗装道路なのでスムーズに進む。それでも雨が多かったせいで、所々アスファルトが波打っている。

 幹線道路から未舗装の道路に入る。幸い昨夜は雨も降らず、朝から晴れていたので、道は乾いていると楽観していた。ところが大きな水たまりがいくつもあった。

 ひとつめはなんとか通過できた。しばらく進むと、ここ2年ほどで村と町とを往復しはじめたインド製の三輪タクシーが、ぬかるみにはまって身動きがとれなくなっている。運転手と乗客が泥まみれになりながら車体を押したり、引いたりしている。

 そこに村で有数の金持ちのアブドが運転するピックアップ(後部が荷台になった車両)が後ろからやってくる。荷台には町から帰る村人がたくさん乗っていた。

 私が最初に間借りしていた長屋の大家の姿もある。ひさしぶりの再会だった。こちらに気づくと、驚いた顔をして手を降る。髪には白髪が混じり、だいぶ老けたようだ。私が長屋を離れてしばらくして、奥さんが幼い一人息子を残して亡くなったと聞いた。

 私も窓から顔を出し、手を振る。この道に慣れているピックアップは、泥にはまった三輪タクシーの横を器用にすり抜けていく。

 三輪タクシーが泥から抜け出す。次は私たちがゆっくりと車を進める。と、後輪がスタック。タイヤが空回りする。通りがかった顔見知りの村人にも手伝ってもらい、車をいったん水たまりから後ろに押し出そうとする。

 が、今度は車輪が横に滑って道路脇のぬかるみにはまりそうになる。前方のバンパーにロープをつけ、近所の子どもにも手伝ってもらいながら、引き上げる。30分ほど泥と格闘してやっと抜け出す。私も上着やズボンが泥だらけになった。

 これ以上、この車で村に向かうのは無理だ。運転手に「もう戻ったほうがいい」と告げて、荷物を下ろす。困惑していた運転手の顔に一瞬、安堵の表情が浮かぶ。

 幸運にも、そこに昨年、村で唯一の三輪タクシー屋をはじめたサラがやってきた。
「オー、ミスター・ケイ! こんなところで何やってるの?」
「見ての通りだよ。車が泥にはまって・・・」
「荷物はこっちに載せろ。オレが村まで連れて行ってやる」

 ミニバスを見送り、三輪タクシーで村を目指す。サラの運転する小さなタイヤの三輪タクシーは、ときどき横滑りしながらも、泥道をもろともせず、村までの道を疾走する。

「俺たちでも泥の道に困らされているのに、ミニバスで来るなんて無謀だよ」
 サラが意気揚々とエンジンを吹かしながら言った。

 雨期に村に向かうときはいつも苦労する。だが10月にここまで道の状態が悪いとは想像していなかった。

 やっとの思いで村に到着。いつもの製粉所の前で、待ちわびた様子のディノが迎えてくれる。荷 物をかついでもらい、アッバ・オリの家に向かう。
 と、雨が降りはじめる。車は帰して正解だった。

 ンママがコーヒーを煎れてくれる。オマーンから帰国したばかりのラザもいる。ディノの奥さんだ。 鮮やかな色の服を着て、手首にはブレスレットをはめ、腕時計もつけている。

 素朴な田舎娘という感じだったラザが見違えている。コーヒーを飲みながらも、何かと「オマーンではね・・・」と自慢げに話しはじめる。帰国して2カ月あまり。みんなラザの話にいろいろと論評を加えながら、耳を傾けている。

 彼女のオマーンの雇い主は、とても良心的な家族だった。彼女はまったく嫌な思いをすることなく、2年間の勤めを終えて帰国できた(正確には「一時帰国」と偽って帰ってきたのだが)。

「ラザが外国から帰ってくるから、家をきれいにしておかないと」
 去年、ディノはよくそう言っていた。ラザからの送金で、ディノはあたらしい木製のソファーセットをそろえ、新築の家の外壁も内装もきれいに3色のペンキで塗って、彼女の帰りを待っていた。

 ディノは、ラザが帰国した直後に町の写真館で撮った記念写真を大事そうに見せてくれた。ラザがしている腕時計も、ディノがプレゼントしたものだった。

 話を聞くと、ラザの不在中、ディノは寂しくて仕方がなかったようだ。最後は食事も喉を通らず、夜も眠れないほどだった。電話で何度もラザに早く帰ってこいと催促し続けた(このあたりの話は、いまショートフィルム「帰ってきたラザ」で編集中。YouTubeにアップ予定)。
 こうして村には妻の帰りを待ちわびている男たちがたくさんいる。

 今年、村では家政婦として中東に出稼ぎに出た女性たちの帰国ラッシュだった。

 エチオピア人の不法滞在が社会問題化するなど、中東諸国でも受け入れ姿勢に変化が出ている。密入国したエチオピア人が人身売買の対象になっていることが報道されたり、エチオピア人の家政婦が虐待を受ける動画がアップされてネットで非難の声があがるなど、国際問題化しつつあることも影響しているかもしれない。

 ついにというべきか、アラブ人との子どもを妊娠して帰国する女性も出てきた。いずれも村ですでに結婚していた女性だが、最初の妊娠だったケースもあった。村で生まれた子どもは家族の一員として育てられているようだ。

 女性が海外の出稼ぎから帰ってくると、たくさんの村人が帰国を祝うために、その家を訪問する。村の女性たちは「無事の帰国、おめでとう」と言って、キスを交わし、あちらの生活の様子などをたずねる。

 男性たちはチャットを手に訪れ、女性そっちのけで、彼女の父親を囲んで世間話に花を咲かせる。1カ月ほど来客が絶えず、帰国直後の女性はゆっくり寝る暇もないそうだ。

 私も何人かに会いに行った。暑さに耐えられず体調を崩して痩せ細って帰ってくる女性もいた。第三国を経由して密入国した直後に捕まってすぐに強制送還になった女性もいた。母親が病気になり、みずから警察に出頭して帰国してきた女性もいた。

 多くの女性がまだ稼ぎが足りないと、再出国を目指して動き始めていた。
「これまでは家族のために送金してきたから、今度は自分のために稼ぐの」
 女性たちはそう口をそろえる。

 稼いだお金の大半は、両親の家の新築にあてられることが多い。家がきれいになっても、それで豊かな生活が送れるわけではない。結局、女性たちはさらなる稼ぎを求めて再び海外に出ることになる。

「もう村の生活には戻れない。ここには何もすることがないし、退屈で仕方がない」
 帰国してしばらくたった若い女性たちはそんな思いを抱いている。既婚女性のなかには帰国後に離婚して、再び海外に出るために町で働きはじめる女性もいる。ラザのように村の女に戻るケースは少数派かもしれない。

「オマーンの仕事はとっても楽だったわ。昼食のあと2時間は昼寝よ。あっちでは全部ガスで調理できたけど、村では薪拾いからしないといけないしね・・・」
 ラザはそう言いながらも、以前と変らずマイペースな感じで楽しそうに過ごしていた。

 帰国した女性のなかには出稼ぎ先でFacebookのアカウントをつくっている者もいた。
「住み込み先で夜ひとりで過ごすでしょ。フェスブックはいい気晴らしになるの。簡単にみんなと連絡がとれるし。村から海外に出た他の子たちもみんなやってるわよ」

 1週間前にアブダビから帰国した女性は、そう言っていた。彼女のアカウントを見ると、4000人以上の「友人」が登録されていた。彼女はきれいにお化粧をし、おしゃれな服で着飾ったプロフィール写真を何度も更新していた。

 近年、ヨーロッパ諸国でも、アフリカからの不法移民の増加が社会問題となっている。イタリアの沿岸部では、密入国者を満載した船が沈没して多数の死者が出る悲劇が繰り返されている。メディアでは、アフリカ諸国の社会情勢の悪化や貧困がその原因として語られることが多い。

 だが、根底にあるのは「希望の限界」の拡張だ。
 エチオピアでも、海外への出稼ぎが多いのは貧困地域とは限らない。むしろジンマ地方のように、コーヒーなど換金作物の栽培から現金収入が得られる地域に多くみられる。村のなかでも、ほんとうに貧しい世帯は婦女子を海外に出す資金すら用意できない。

 ここよりももっとよい何かを手にできる世界があちら側にあるに違いない。
 ほんの数年のあいだに、若い女性たちが思い描ける選択肢は格段に増えた。村の農民男性との結婚生活は「憧れ」から「絶望」へとまったく意味を変えてしまった。
 でも何度海外に出ても、その「何か」を手にできる保証はない。

 そこには「こちら」と「あちら」を際限なく比べて、「いま・ここ」の希望を減殺する比較の罠がある。こうして「いつか・どこか」の希望へと駆りたてられていく。

 ラザの「オマーンではね・・・」という話を、近所の10代の女の子が目を輝かせながら聞いている。その横で、ディノがまたひとつため息をつく。

 もう後戻りはできないのかもしれない。
 ましてや「いま・ここ」にとどまれと言えるわけもない。私たち自身が「あちら側」の世界の住人として彼らの希望の限界を拡張してきたのだから。

 その「あちら側」の世界では、さらなる「あちら側」に向かうのか、「いま・ここ」に生きるべき道を見いだすのか、混迷のさなかにある。
 そんなことを村の女性たちは知るよしもない。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアや中東都市部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。

『平日開店ミシマガジン』では「<構築>人類学入門」、KYOTO的では「エチオピア的」を連載した。

立教大学社会学部松村研究室

バックナンバー