月刊 越尾比屋人

第14回 アンバル(後編)

2014.05.14更新

 2013年11月4日。サウジアラビア政府が不法移民の一斉取り締まりを開始した。逃走しようとしたエチオピア人男性が警察に殺害されたというニュースも伝わる。

 近年、サウジ国内では、市民のあいだに12パーセントにのぼる高い失業率への不満が募っていた。約2900万人の総人口のうち外国人労働者の数が900万人に達するともいわれ、不法移民の取り締まりを求める声も大きくなっていた。

 首都リヤドの移民の多い地区では、警察の強制捜査に反発する暴動も起きた。暴徒化した集団が道路をバリケードで封鎖し、地元の若者との衝突にまで発展した。

 2013年7月までの1年間で、エチオピアからは16万人もの女性がサウジアラビアに働きに出ている。アンバルも、そしてヤスィンの妻のアバイネシも、そのひとりだ。

 アンバルは、最初に仲介業者と契約していた家から逃げ出し、不法滞在のまま別の仕事についていた。仲介業者を通すより高い給料を手にすることができるが、当然、取り締まりの対象だった。

 11月半ばまでに多くの不法滞在のエチオピア人が拘留され、送還される手続きが始められていた。アンバルはどうしているだろうか。何度か彼女の携帯に電話をかけたが、つながらなかった。

 12月に入り、私はエチオピア北部の調査地に入っていた。ある日、知らない番号から電話がかかってきた。アンバルだった。

「もしもし、元気にしてる? アンバルよ。2週間前に村に帰ったの」
「え? アンバル? 大丈夫だったの? ニュースをみて、心配してたよ」
「全然、大丈夫よ。こっちにはいつ来るの?」
「これからしばらく調査に入るから、2月かな。かならず行くから」
「待ってるわ。この番号は私の携帯だから。また電話するわね」

 アンバルの声は前と変わらず明るかった。オマーンで5カ月、サウジアラビアで1年半あまりを過ごし、その口ぶりにはどこか自信があふれていた。

 2014年2月。アッバ・オリたちの村をふたたび訪れた。荷物を置いて、ディノの家でくつろいでいると、外でアンバルの声がする。

「え?アンバル?」
都会の若者が切るようなTシャツを着てあらわれたアンバルは、頬がふっくらしてすっかり若返っていた。最初は誰だかわからなかった。
「すっかり見違えたね・・・」
「これでも、帰ってきてからだいぶ痩せたのよ」
「でも、あの混乱のなかで、大丈夫だったの?」
「ひどかったわ。たくさんのエチオピア人が保護を求めて大使館に殺到したから、公園のような所で隔離されてたの。ほら、これはそのときに撮った動画よ」

 彼女がサウジでも使っていたノキアのスマートフォンには、エチオピアの女性たちがフェンスに囲まれた芝生の上に毛布などを敷いて収容されている様子が写っていた。
 
 女性たちは拳で扉をたたき、抗議の声を上げていた。しばらくするとエチオピア大使館の人が来て、静まるように説得する。女性たちは、口々に「早くここから出して、国へ帰せ」と叫ぶ。映像には当時の緊迫した瞬間が活写されていた。

 アンバルの携帯には、サウジ滞在中にエチオピア人の友人たちと撮った写真や動画も入っていた。なかにはジーンズを履いて、おしゃれなキャップをかぶったアンバルが、ピースしながら写っている写真もあった。彼女があぐらをかいて座っている足元には、缶ビールが置かれていた。

 彼女がヒップホップの音楽に合わせて腰を振りながら踊っている動画もあった。村からほとんど出たこともなかった素朴なアンバルからは想像もできない姿だった。正直、少し当惑した。アンバルにも問いただせなかった。

 アンバルが帰った後、アッバ・オリやディノと食事を取りながら、アンバルのことを訊ねてみた。

「なんだか、すっかり見違えてしまったね。アンバルは・・・」
笑い話のつもりで軽い気持ちで訊いた私に、ディノは真剣な表情で答えた。
「おれたちはアンバルに怒っているんだ。アッバ・オリも、オレも、最初に契約した家を出て不法滞在になってはだめだって、何度も忠告したんだけど、彼女は言うことを聞かなかった」

 アッバ・オリもうなずきながら繰り返した。
「そう。我慢して最初の家にいるべきだった。すっかり不良になってしまった」
 そばで聞いていたンママだけは、きっぱりと彼女のことを擁護した。
「アンバルは、まったく変わっていない。不良なんかじゃないわ」

 じつはアンバルは、再び海外に行きたいと言っていた。それを止めていたのは、母親のンママだった。ンママにとってひとり娘のアンバルは、唯一の心の支えでもあった。

 アンバルは、出稼ぎのお金で建て替えたトタン屋根の家で、サンブサ(レンズ豆の揚げ物)を作って売る商売を始めていた。私は毎朝カメラをもって彼女の家を訪ねた。彼女にサウジ滞在中の話を聞いて、撮影した(「アンバルとアブド」(仮題)を編集中)。

「また海外に行きたいの?」
「もちろん行きたいわ。村にいても何もすることがないし、こうやってサンブサを売る商売をはじめたの。たいした儲けにはならないわ。でもじっとしていられないの」

 海外では、働けばそれだけお金を稼ぐことができた。でも、村で家事をして家族のために働いても、一銭にもならない。一度、自立した生き方を経験してしまったアンバルにとって、農民の妻として生きていく生活は耐えられないようだった。

 夫のアブドは、アンバルが作るサンブサを食べに来た客にシャイ(紅茶)を出して、お金を受けとる役をしていた。アンバルからあれこれ指示を受けているアブドの姿は、以前とはまるで立場が逆転したかのようだ。

 私はアブドにも訊いた。
「アンバルは、また海外に行きたいって言ってるけど、どう思う?」
「自分はもう十分だと思っている。こうやってあたらしい家も建ったし、台所だってトタン屋根にしたし。もうこれ以上、望むことなんてないよ。そう思わないか?」
 アブドは、大きな目を見開いて人の良さそうな笑顔を浮かべながら言った。

「でも、アンバルはまだ稼ぎたいって思っているんだよね?」
「それで、ずっとケンカしているんだ。この前も年長者にあいだに入ってもらって、もう海外に行くなんて言うな、って説得してもらったんだよ。でも、ちょっとしたら、やっぱり行きたい、って言って・・・」

 ふたりの会話はアンバルにも聞こえているはずだった。彼女のほうを振り返ると、彼女は不機嫌そうに顔を横に背けていた。あんなに仲がよかったアンバルとアブドの夫婦関係も、ぎくしゃくしているようだった。

 変わってしまったふたりの様子を目のあたりにして、複雑な気持ちになった。サウジのアパートの一室で友人たちと自由を満喫していたアンバルの姿も頭から離れなかった。

 アンバルにとっても、ずっと村にいれば、よき妻として、母として、家族を養い、夫や家族のために働くことがあるべき姿だと考えていたはずだ。

 でも、彼女は海外に出て、それとは違う生き方があることを知ってしまった。もう時計の針は戻せないのだろう。

 村を離れる日の朝。もう一度、アンバルの家を訪ねた。
「次、夏に来るときには、まだ村にいるよね?」
私はサンブサを揚げているアンバルに訊いた。
「たぶんいると思う。ンママが許してくれないの。あんたが海外に行ったら、私は死んでしまうわよ、だって。そんなこと言われて、母親をひとり残して行けないわ」
 その言葉を聞いて、私は少しほっとした。

 エチオピアの農村部から、多くの女性たちが中東諸国に働きに出るようになって、すでに6〜7年がたつ。2度、3度と海外に渡航する女性も増えてきた。彼女たちがもたらすお金で、村にはきれいなトタン屋根の家が何軒も建った。

 でも、女性たちの出稼ぎはけっして「経済的」な変化だけをもたらしているわけではない。家族のあり方、女性としての生き方、夫婦の関係、そんな彼らの生活の根底にあった「価値」に変化をもたらしている。

 村の人びとの生に何が起きるのか。それを理解することは、たぶんぼくらがどんな世界に生きているのか、生きてきたのか、この世界の成り立ちを知ることにつながる。

 それにしてもアンバルとアブドは、うまくやっているだろうか。心配の種は尽きない。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアや中東都市部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。

『平日開店ミシマガジン』では「<構築>人類学入門」、KYOTO的では「エチオピア的」を連載した。

立教大学社会学部松村研究室

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