月刊 越尾比屋人

第18回 ウバンチ(後編)

2014.09.18更新

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 ウバンチはこちらに向き直ると、思い切った表情で言った。
「それはね・・・彼がスケベだからよ、そうスケベなの!」

 まだよく理解できない私に、隣にいたヤスィンがじれったそうに言葉を足した。
「一緒に寝ようと言われたんだよ!」

 それを聞いたウバンチは大きく口を開けて、からからと笑った。
「ハハハ・・・そう。私がいやだって拒絶したのよ」

 17歳の少女にとっては、恐ろしい体験だったはずだ。でもウバンチは、もう気持ちの整理をつけているようだった。

「雇い主から何度も迫られて、それを断ったら、殺すぞと脅されたわ」
「男性の奥さんは、助けてくれなかったの?」
「奥さんは夫と何かあったら殺すわよって感じで、二度と夫に近づくなって怒鳴られた。近づいてなんてないのに・・・。もうどうしようもないでしょ? それで家を飛び出したの」

 家を飛び出したウバンチは、すぐに警察に捕まる。イエメンに移送され、6日間収容されたあと、エチオピアに強制送還になった。
「飛行機には強制送還のエチオピア人が25人いた。精神的におかしくなった人は、椅子に縛りつけられていた。遺体も80体あったわ。機内に棺が置かれていたのよ」
 現実には生きて帰れない女性も多いのだ。

 私は質問を続けた。「帰国してから、どうしようと思ってた?」
「家族のもとに帰ろうとは思わなかったわ。たくさん借金させて海外に行ったのに、病気になって帰ってきて・・・。家族にあわせる顔がないわ。アジスにいるでしょ。路上で寝ている人。そうなってもいいと思ってた」

 結局、彼女は精神を病んだジンマ出身の少女の家族に連れられて、村に戻ってきた。ウバンチの母親は、彼女が村に戻ってきたときの様子を語った。
「彼女は遺体みたいに人に担がれて村に帰ってきたのよ。あっちに行ってから、一度も電話すらなかったし、彼女の声を聞くこともなかった」
「帰国するときに、連絡があったの?」
「病気で帰国してから、そのジンマの少女の兄から電話があった。ウバンチはひとりで歩くこともできないって。家に帰る前に死んでしまうかもしれないと言ってて、心配したわ」

 まだ帰国して数カ月しかたっていないのに、ウバンチは他人事みたいな顔をして聞いている。体調はすっかりよくなり、もう先のことを考えていた。
「じつは、また海外で働くための手続きをしてきたの」
「え? どういうこと?」 
「ビザの申請をして、つい1週間前にアジスから戻ってきたところよ」
「はぁ・・・また行くの?」
「そうよ」
 ウバンチは、あっけらかんと答えると、いたずらっぽく笑った。

 あれから5年半ほどがたつ。この夏、エチオピアに行く前に、中東の都市で働いているウバンチのもとを訪ねた。2012年3月に会って以来だ。

 彼女が約束の場所に指定したのは、一軒のエチオピア・レストランだった。10時半には開店すると聞いていたが、店は閉まったまま。朝から気温がどんどん上がっていた。最高気温は40度をこえる。ビルの谷間の日陰で待つが、汗がしたたり落ちる。11時前にやって来たエチオピア人の店員に頼んで、中に入れてもらう。

「お願い、座るだけでいいから開けてくれる?」
 中東の町で中国人みたいな男から、いきなりエチオピアの言葉で話しかけられて、店員は不審に思っただろう。戸惑いながらも、扉を開けてくれた。

 クーラーのきいた室内のテレビには、エチオピアの国営放送が流れていた。ウバンチの携帯に何度か電話するが、つながらない。そのまま1時間が過ぎた。彼女は来ないのだろうか。不安がよぎる。

 12時が過ぎて電話が鳴った。ウバンチだ。
「電話出られなくて、ごめんね。いったん仕事先の家に行ってたの。いまから向かう」

 20分ほどしてあらわれた彼女は、同じ村出身の女の子と一緒だった。ひとりで来るのが嫌だったのかもしれない。彼女の昼休みを待っていたようだ。

 前回会ったとき、ウバンチはしっかりとメイクをして、都会の若者らしいおしゃれな服を着ていた。今回は、化粧っ気もなく、落ち着いた恰好をしている。少し痩せたようだ。

「不法滞在だから、いつ捕まるかわからないの。外国人と一緒にいたら、不審がられるでしょ。街中に私服警官がたくさんいるから油断できないの。この先のスーパーにも私服警官がいて監視しているのよ。でも、ここなら大丈夫」

 彼女は、仲介業者を介した仕事を辞め、不法滞在になる直接契約で働いていた。そのほうが稼ぎがよかった。ただ、いつ捕まって強制送還になってもおかしくなかった。5年以上も、無事に過ごせたこと自体が幸運だった。

「いつエチオピアに帰るの?」
そう問う私に、ウバンチは困ったような顔をして答えた。
「神のみぞ知るってところかな。まぁ、捕まるまでは、ここで働いて稼ぐわ」
「帰国したら、何をするの?」
「そうね。職業学校とかに行くことも考えている。それがだめなら、ブティックだとか、お店を開くわ。いずれにしても、お金がいる。だから、できるかぎり稼いでおきたいの」

 エチオピアのインジェラ料理をつまみ、食後にコーヒーを飲んで、2時間近く話をした。平日の昼間で、他に客はいなかった。店を出ると、ウバンチは「タクシーを呼んであげる」とさっさと歩いていく。ちょうど客を乗せて走ってきたタクシーを止め、運転手にアラビア語で行き先を告げた。

「バス停は、すぐその先だからね。元気でね。両親の写真、忘れずにFacebookで送ってね」
 次に会えるのは、いつになるだろうか。そのとき、彼女はどこで何をしているのか。

 翌日、私はエチオピア行きの飛行機に乗った。タラップを上がると、ひとりのエチオピア人女性がCAに制止されている。パスポートを見せるよう言われても、耳が聞こえず、言葉も話せないようだった。一緒にオマーンから来たという女の子が懸命にアムハラ語で話しかけるが、女性は身体をよじって抵抗するばかりだった。パニックになった彼女は奇声を発し、足を踏みならした。やがて空港警察が来て、彼女を連行していった。

 飛行機がアジスの空港に着陸すると、出稼ぎ帰りの女性たちは歓声をあげ、一斉に拍手した。出口に向かう彼女たちは、みな浮き浮きした晴れがましい顔をしていた。

 ウバンチの「幸運」も、無事に帰国できた女性たちの「喜び」も、多くの「不運」や「哀しみ」と紙一重の差なのかもしれない。多くの弱き者たちがリスクの高い選択肢に人生を賭ける。この世界は、その勇気ある無数の小さな「賭け」に支えられているのかもしれない。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアや中東都市部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。

『平日開店ミシマガジン』では「<構築>人類学入門」、KYOTO的では「エチオピア的」を連載した。

立教大学社会学部松村研究室

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