月刊 越尾比屋人

第19回 タータック(前編)

2014.10.16更新

 タータックには、ずいぶんと世話になってきた。村に入る前からの友人なので、一番長い付き合いかもしれない。

 大学の友人2人と初めてエチオピアを訪れた1998年。1カ月ほど首都のアジスにいた後、私たちは日本人研究者のつてを頼り、コーヒー栽培で有名なアガロの町に滞在していた。部屋を借りた大家さんには、ベイビーという名の孫がいた。タータックはそのベイビーの友人だった。よくふたりで私たちの部屋を訪ねてきた。

 当時、タータックは16歳くらいだった。好青年のスポーツマンといった感じで、いつもさわやかな笑顔を浮かべていた。借りていた部屋の裏庭には、手作りのダンベルが置いてあり、よくベイビーと一緒に筋トレをしていた。タータックは、400メートルを57秒で走ると言っていた。

 アガロに来て数日たった6月7日、大家さんに孫娘の誕生会に招かれた。円形の大きなエチオピアのパンである「ダボ」に包丁を入れ、切り分けて食べる。独特の酸味があって、ぼそぼそしている。

 テレビでは、3年前にエチオピアから独立したばかりのエリトリアをエチオピア軍が空爆したニュースを伝えていた。部屋に戻り、短波ラジオで日本の国際放送を聴く。日本人3人が米軍機でエリトリアを脱出したという。

 自分のいる国が隣国と戦争状態になる。想像もしなかった事態だ。しかし、アガロの町は平穏そのもので、何も実感はわかなかった。私たちは、その晩、お土産にもらったトウモロコシをゆで、日本からもってきた田楽味噌をつけて味わった。朧月が美しい夜だった。

 2週間ほどがたち、アガロにも少しずつ戦争の影が忍び寄ってきた。いつも行く朝食屋を出ると、外に1台の大きなトラックが止まっていた。荷台に若者たちが乗り込み、周りをその家族や親戚が取り囲んでいる。荷台の男がマイクを手に大声で何やら演説している。出征する志願兵が戦地に移送されるところだった。

 町に向かうミニバスに乗ると、よく銃をもった初老の男性たちと乗り合わせた。志願するのは、若者だけではなく、内戦を経験した元兵士の姿もあった。テレビでは、連日のように戦争遂行のために義援金を寄付する人びとや兵士のために炊き出しをする女性たちが映し出された。

 6月30日。私は朝からタータックにアガロ周辺の町や村のことを訊ねていた。定期市の日やアクセス方法など、彼は床に広げた地図を指さしながら、必要な情報を丁寧に根気強く教えてくれた。聞き取りのあと、私はアガロから車で1時間くらいの小さな町の周辺に行ってみることにした。当時、毎日のように、調査する村を探していろんな場所を訪ね歩いていた。

 コーヒー林や放牧地などを歩いて見てまわり、出会った村人に話を聞く。広大な放牧地を望む小高い丘の上で、木陰に座って休む。牧草の緑がきらきらと輝いていた。私のあとをついてきた子どもたちに話かける。まだ言葉がうまくできないので、大人より子どものほうが話しやすかった。

 丘を下って大通りに出て、ちょうど走ってきたアガロ行きのミニバスに飛び乗る。カフェでコーヒーを1杯飲んで部屋に戻ると、玄関先でみんながタータックを囲んで浮かない顔をしている。
「どうしたの? みんなそろって」
少し間があいたあと、友人のSがこわばった表情でつぶやくように言った。
「タータックが明日、戦争に行くって言うんだ・・・」
「えっ、どういうこと?」 
「・・・」

 タータックは、ぎこちない笑みを浮かべたまま黙っていた。信じられなかった。遠くで起きているはずの「戦争」が、ふいに自分たちの身に迫ってきた。

「ちょっと街まで散歩に行こう」
 重苦しい空気を嫌がるように、タータックが口を開いた。私たちは、黙々といつものように街中の通りを歩いた。

 「このままアガロにいても仕事はない。兵士になれば、月々たくさんの給料がもらえて、両親や弟たちのために仕送りもできる」
 タータックは、そう説明した。

 それは間違っている。タータックにそう言いたかった。でも、アムハラ語でうまく説明できなかった。貧しい家族のために、という彼の思いを頭ごなしに否定するのも、無責任な気がした。悔しくて涙が出た。ただ、タータックの手を握りしめた。

 部屋に戻り、テラスのベンチに腰掛ける。涙が止まらず、顔をあげることができない。
「大丈夫だよ。そんな心配しないで・・・」
 タータックは、いつものさわやかな笑顔を残して、ベイビーと一緒に帰っていった。

 しばらく部屋のマットの上に転がり、目をつぶった。これが現実なのか。彼と過ごした楽しい時間のほうが幻想なのかもしれない。「調査」とかいって、自分はいったいここで何をしているんだ・・・。いろんな思いがぐるぐると頭の中で渦を巻いた。ふと自分の荷物から日本の御守りをとりだし、100ブル紙幣を入れた。こんなことしかできない自分が情けなかった。

 夜10時半ごろ、ベイビーが走ってきて、扉を叩いた。
「俺だよ。扉を開けてくれる?」
 彼がこんな遅い時間に来るのはめずらしかった。 
「タータックの家に親戚が集まって、話し合いをしてたんだ・・・」
「それで、どうなったの?」
 ベイビーは、はずむ息を整えてから、ゆっくりと話しはじめた。

(後編につづく)

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアや中東都市部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。

『平日開店ミシマガジン』では「<構築>人類学入門」、KYOTO的では「エチオピア的」を連載した。

立教大学社会学部松村研究室

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