「働くからだ」のつくり方

第2回 突然、寝たきりになりました

2017.03.31更新

 前回もふれたように、2014年秋、わたしは「働くからだ」を失いました。
 取材先の仙台で狭い道を歩いていたとき、うしろから来たクルマ(大きめのバンでした)にはねられたのです。
 骨折による痛みや手術自体もたいへんでしたが、当初は精神的なショックも大きくて......。「なんでわたしが?」「どうしてこんな目に?」という口惜しさもさることながら、「自由にからだを動かせない」ことに耐え難い苦痛を感じたのです。それに比べれば、骨折の痛みなどたいしたことではないと思うほどに。

 予想外の出来事で、立つことも、座ることも、そしてもちろん歩くこともできなくなった、あの日......。
 当時のメモを辿りながら、わたしの体験を少し振り返ってみたいと思います。

 仙台から東京の病院に移ったこともあって、手術を受けたのは事故から10日後でした。術前は骨折した部分を動かしてはいけないため、2週間くらいは完全に寝たきりの状態に。上半身を起こすことも、寝返りを打つこともできず、ず~っと天井を向いたまま。仰向けでベッドに縛り付けられているのも同然で、意識はしっかりしているのに自分では何ひとつできません。
 トイレに行けない。人の手を借りなければ着替えもできない。
 大きな手術をされた方などはご存じだと思いますが、この状態が長く続くことは心理的にけっこうつらい。人間の尊厳が傷つけられる感覚です。
 介護が必要になったお年寄りは、こんなにもやるせない思いをしていたのか――その半年前に他界したわたしの母が、病床で「情けない、情けない......」と言っていた意味が、心の底から理解できました。

 何の苦もなくできていた動作が、突然できなくなる。
 自分の意志で行動する自由をいきなり奪われる。
 想像以上の、その苦しさを知ったからこそ、「もとの状態に戻ってみせる!」という強い想いが生まれました。「負けてたまるか」という意地が、リハビリの原動力になったのです。

 のちに指摘されたことですが、わたしの場合、加齢や病気でゆるやかに機能が落ちるのではなく、事故によって急激な変化が起きたため、心身が受けた衝撃がことのほか大きかったようです。突然のことに、脳やからだがパニックを起こしていたのでしょう。
 動揺が大きかったとはいえ、昼間は落ち込むヒマもないほど忙しいのです。病室にやって来る警察や保険会社の人に対応したり、さまざまな書類に(もちろん寝たままで)サインをしたり......。事故の被害者が、これほど事務処理に忙殺されるとは知りませんでした。

 そうやって気丈にふるまっていても、夜中になると、とてつもない不安に襲われます。
寄る辺のないフリーランスのモノ書き稼業。「働くからだ」を失うということは、仕事も収入も失うことに等しい。「これからわたしはどうなるのだろう」「このまま歩けなくなったらどうしよう」と、眠れない夜が続いたのです。

 手術の前には、担当医の先生に頼んで、「人工股関節」の実物も見せてもらいました。といっても、わたしのからだに入る予定のものではなく、ほかの人が使っていた"お古"。誰かの体内にあったものを(新しいものと置き換えるために)取り出したものだそうです。
 大腿骨にはめ込むステム部分はチタン合金製。思ったよりも大きくて、持ってみるとずしりと重い。骨盤のくぼみにチタンのカップをはめ込み、ビスで固定。ステムの先に付いた球状の骨頭部分をそこに組み合わせて、股関節を構成するというのです(注・各部の材質が異なる人工関節もあります)。こんなものがからだに入って、自分の関節と置き換わるのだと思うと、何やらぞっとします。サイボークにでもなるような気分です。

 手術は無事に成功したものの、出血量も多く、しばらくはフラフラでした。麻酔が醒めたとき、執刀した先生が、「ほら、これが折れた骨だよ」と取り出した骨を見せてくれたのですが、吐き気や腰痛もひどく、じっくり見るどころではなくて......。回復室では猛烈に気分が悪くなり、あまりの苦しさに「このまま死ぬんじゃないか」と思ったほどです。当日は朝8時半に病室を出て、戻ったのが午後2時過ぎ。回復室にいた時間が長かったのです。
 夜通し苦しみましたが、リハビリは待ったなし。翌日の午後、担当医や看護師の方々にぐるっと囲まれて、「立って!立って!」と促されることに。「昨日の今日なのに、そんなの無理......」と思いながらも、渾身の力でベッドの柵につかまりました。生まれたばかりの小鹿よろしく、柵を頼りに、ヨロヨロしながら立ち上がったものの、久しぶりの垂直姿勢に強烈な立ちくらみが......。わずか数秒でベッドに倒れ込んだのです。
 手術をしたほうの足にはほとんど体重をかけていないとはいえ、一瞬でも「立った」ということが重要らしく、「今日はこれで十分」と先生方も安堵の表情です。手術2日後から、理学療法士さんとのリハビリがはじまりましたが、ほんの少し動いただけで脈拍数が急激に上がり、めまいがして。道のりは遠いと実感しました。

 看護師さんの手を借りつつ、ベッドから車椅子、車椅子から便座や椅子へと、なんとか移れるようになると、トイレに行ったり、(座ったまま)シャワーを浴びたりできるようになりました。2週間ぶりのシャワー。「やっと人間らしくなったぞ~」と、ほんとうにうれしくて。
 ここで大活躍したのが腕の筋力です。寝たきりが長く続いたせいで、骨折していない左足の筋力もガクンと落ちています。左足だけでは到底からだを支えられないため、両腕の力が重要になるのです。
 病院のベッドに取り付けられた柵の役割も、はじめてわかりました。ベッドから立ち上がるときも、車椅子に移るときも、この柵が非常に役に立つ。いやはや、ベッドの柵がこんなにもありがたいものだったとは!
 以前は「これは何のため? 掛け布団がずり落ちないためかな」なんて、呑気な想像をしていましたが、とんでもない思い違いでした。(昔、入院したときは柵のお世話になる必要がなかったのです)
 入院当初、「柵は右側にしますか。それとも左? 位置は?」などと看護師さんに聞かれて、きょとんとしていたのですが、実際に使うようになって、付ける位置が違えば、使い勝手も大きく変わることも実感しました。

 柵の使い方や体重移動のコツをつかむと、車椅子移乗の動作もだんだんスムーズになってきます。手伝ってくれる看護師さんが、「すごい!若いってすばらしい!」と喜んでくれるのが照れくさくて。「若い」という言葉には苦笑するしかないのですが、病棟では、わたしでも若い部類に入るのだそうです。高齢の患者さんだと腕力がないので、こうはいかないのだとか。高齢者のリハビリはもっともっとたいへんなのだな、と考えさせられたのです。

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かじやま すみこ

ノンフィクション作家。神戸大学卒業。テレビ局制作部勤務を経て、渡米。ニューヨーク大学大学院で修士号取得。アーティストや企業経営者の人物ルポのほか、女性の生き方・働き方、ソーシャルビジネスなど幅広いテーマを追いかける。書評家や放送作家としても活動中。
2014年秋、交通事故に遭ってから、からだについて深く考えるように。歩くこと、座ること、車椅子の座り心地……。見過ごされがちな、だけど大事なあれこれを掘り下げる日々。
主著に『紀州のエジソンの女房』(中央公論新社)、『そこに音楽があった 楽都仙台と東日本大震災』(文藝春秋)、『トップ・プロデューサーの仕事術』(日経ビジネス人文庫)、『35歳までに知っておきたい最幸の働き方』(ディスカヴァー21)など。

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