「働くからだ」のつくり方

第4回「座わること」って難しい!

2017.04.28更新

 わたしのリハビリに話を戻しましょう。
 手術から1週間後、看護師さんに付き添ってもらって、車椅子で病院内のコンビニに行ったときは、ほんとうに感激しました。
 自分の意志で好きな物を選べる楽しさ! 
 事故に遭ってから18日のあいだ、病室からほとんど出ることもなく、出たとしても、看護師さんに車椅子を押されて、リハビリ室や検査室との往復をするだけ。そんな日々を過ごしていたので、たかがコンビニ(しかも病院の中の)での買い物にも心が躍りました。
大げさに思えるかもしれませんが、その解放感はたとえようもなくて......。

 続いて、病棟にあるコインランドリーで洗濯。車椅子に座ったままでは手が届かない部分もあり、付き添いの方に手伝ってもらったのですが、自分としては達成感がありました。そうしたひとつひとつがリハビリの一環。自立した生活を取り戻すためのプロセスです。
 その頃には、歩行器を使ってそろりそろりと歩く練習もしていたのですが、リハビリ室を離れて、そのまま建物の外に出たときのうれしさといったら!
 久しぶりに吸った外の空気の清々しさ、頬をなでる風の心地良さ。
 ただ、敷地内に植えられた木々が色付き、葉を落としはじめていたことには、軽いショックを受けました。病院の中で過ごしているうちに、季節が移り変わっていたのです。

 次に目標としたのは、働くことです。
 入院中にもかかわらず働くというのは、突飛な発想かもしれません。ですが、折れそうになる心を支えるためにも、できる範囲で仕事をすることは、自分にとってプラスになると考えたのです。
 幸いにも、ものを書くという仕事は、オフィスに出勤する必要もなく、場所も選ばない。両手は問題なく動かせるので、座ることさえできれば執筆できると踏んだのですが、最大の難関は「座ること」でした。
 車椅子に長時間座っていることが難しいのです。
 回復には上体を起こすことが肝心ということで、「なるべく長く車椅子に座っていてくださいね」と言われていたものの、わずか数分でお尻が痛くなってしまう。寝たきりが長く続いていたため、からだを支える筋肉が衰え、姿勢が安定しないのです。
 立てないのはわかっているけれど、座ることさえできないのかと、ほんとうにがっかりしました。

 せめて食事をしているあいだだけでも車椅子に座るようにしよう、そのうちに慣れて、ちゃんと座れるようになるだろう。そう考えたのですが、それほど甘いものではありませんでした。
 からだをうまく支えられず、腰がズルズルと前に滑り、前かがみになってしまう。その状態から、座り直すのもひと苦労。あまりにもつらいので、ひざ掛けを畳んで座面に敷いたり、丸めて腰のあたりに入れてみたりしましたが、たいした効果はありません。
 あとになって教えてもらったことですが、実は、「上手に座る」ためには、かなりの体力が必要なのです。

 そこで車椅子はやめて、ベッドを起こし、さらに背中にクッションを入れるなどして、キーボードを打てるようにしたのですが、その姿勢にも無理があるため、長いあいだ座っていることはできなくて......。
 さらに困ったのは、極度の貧血と低血圧の影響か、原稿を書けるほど頭が回らないのです。10分くらいしか集中が続かず、「もう少し体力が回復するまではダメだなあ」と、さすがのわたしもあきらめるしかありませんでした。

 実のところ、わたしが車椅子にうまく座れなかったのは、車椅子のほうにも問題があったようです。
 病室で使っていたのは、いわゆる〝標準型〟の車椅子です。
 日本でもっとも普及しているモデルですが、なんと1945年にアメリカで開発された古いもの。当時のアメリカ人の体型(平均身長約175センチ)に合わせているため、日本人には大きすぎるだけでなく、椅子としての機能も低い。だから、良い姿勢を保つことが難しいのです。

 それを教えてくれたのは、シーティングエンジニアとして、40年前から「正しく座ることの大切さ」を訴えてきた光野有次さんです。
 「標準型の車椅子は椅子の部分が非常にお粗末で、車輪をとればキャンプの椅子と大差がない。じっと座っていると健康な人でもあぶら汗が出てくる。30分、いや15分だって我慢できませんよ」
 車椅子を使ったことのない人は、「身体の弱ったお年寄りや病気の人が長く座るものだから、座り心地も良いはず」と思っているかもしれません。ですが、それは大間違い。欧米では70年代に使われなくなった旧式モデルが、いまだに日本では量産されているのです。

 以前、取材で光野さんにお会いしたとき、こうした車椅子事情を知り、「これはおかしい。高齢化社会の盲点だ」と記事にもしました。でもそれは事故に遭う6年ほど前のこと。オフィスの椅子などはどんどん進化しているのだから、さすがに車椅子も変わっているだろう――そう思っていたのです。
 なので、病室に用意された車椅子を見たときは、正直、目を疑いました。それでも、最初は楽観していたのです。昭和初期生まれの高齢者には大きすぎる(2012年の統計では、80歳以上の平均身長は、男性が約160センチ、女性が約145センチ)としても、長身で高齢者ほど身体機能が低下していないわたしなら、まだマシではないか、と。
 ところが、実際に座ってみると、前述のようにやはり耐えられない。シートの部分は布ではなく合成皮革で、一見すると高級そうに見えますが、構造は同じなので座位の保持が難しいことに変わりはありません。

 光野さんに言わせれば、日本における車椅子は、人間を移動させるための台車。押す人にとって使いやすい道具、という位置付けなのだそうです。
 「欧米では、40年前に乗る(座る)人が主役になったのに、日本ではなかなか意識が変わらない。介護施設では、フレームに布を張っただけの〝台車〟が、お年寄りの椅子代わりになっているのです」

 この問題の背景にあるのは、「日本に椅子文化が育っていないこと」だと光野さんは指摘します。
 「土の床にベッドや椅子を置いて生活してきた西洋文化に対して、日本ではきれいな床の上に履物を脱いで上がり、そこに座って暮らしてきた。日本の家庭で椅子が使われるようになったのは、高度成長期に団地がつくられ、ダイニングに置くダイニング・セットが普及してから。日本人が椅子と出会って50年程度しか経っていないので、椅子がどれだけの力を持っているか、皆さん、わかっていないんですよ」

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かじやま すみこ

ノンフィクション作家。神戸大学卒業。テレビ局制作部勤務を経て、渡米。ニューヨーク大学大学院で修士号取得。アーティストや企業経営者の人物ルポのほか、女性の生き方・働き方、ソーシャルビジネスなど幅広いテーマを追いかける。書評家や放送作家としても活動中。
2014年秋、交通事故に遭ってから、からだについて深く考えるように。歩くこと、座ること、車椅子の座り心地……。見過ごされがちな、だけど大事なあれこれを掘り下げる日々。
主著に『紀州のエジソンの女房』(中央公論新社)、『そこに音楽があった 楽都仙台と東日本大震災』(文藝春秋)、『トップ・プロデューサーの仕事術』(日経ビジネス人文庫)、『35歳までに知っておきたい最幸の働き方』(ディスカヴァー21)など。

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