「働くからだ」のつくり方

第5回 杖の使い方、知っていますか?

2017.05.12更新

 歩行器につかまって恐る恐る歩けるようになると、退院後のことを考えるようになりました。

 主治医の先生よれば、「自宅で日常生活をすることがリハビリになる」とのこと。退院後、この病院に通院してリハビリを続けることはできないそうです。
とはいえ、このまま自宅に戻るのは不安がいっぱい。思うようにからだを動かせないのに、今までのように家事ができるとは思えない。脱臼のリスクもあるし、無理をしてコケてしまったら、それこそたいへんです。

 そこで、リハビリを専門に行う「回復期リハビリテーション病院」への転院を希望しました。どうせなら徹底的にリハビリをして、もとのからだにできるだけ近づけたい。歩き方などにヘンなクセが残ってしまうのも避けたかったのです。

 選んだ病院は、大阪にある千里リハビリテーション病院です。
 東京暮しが長くなったものの、大阪生まれ、大阪育ちのわたしにとって、やはり大阪は特別な場所。実家もあるし、友だちもたくさんいる。からだも心も弱っているときだからこそ、ふるさとに戻るのもいいかと考えたのです。
 
 それに、この病院の評判は以前から知っていました。思わぬ難病を患った友人が、ここで手厚いケアを受けたと聞き、脳卒中で入院していた母親のリハビリ先の候補として考えたほど。残念ながら母親は入院中に肺炎にかかり、リハビリに移る前に帰らぬ人となったのですが、まさかその半年後、自分にリハビリが必要になるとは......。
  
 問題は先方に受け入れてもらえるかどうか。常に入院待ちの人がいるという人気の病院だけに心配しましたが、幸いにも入院できることになりました。空きがあったのも何かの縁。「リハビリ入院をしなさい」という天からのメッセージだと解釈することにしたのです。

 これでひと安心、と言いたいところですが、退院するまでに、新幹線で大阪まで行けるくらいの状態になっていなければなりません。
 杖を使って歩く練習もはじめていたものの、足元はなんとも覚束ない。抜鈎(縫合に使ったステイプラーの針を抜くこと)したばかりの傷口は生々しいし、脚を曲げようとすると筋肉に痛みが出て......。主治医の先生は「大丈夫だろう」と言ってくれましたが、退院までの1週間でどれだけ歩けるようになるのか、その頃は見当もつきませんでした。

 リハビリで最初に使った杖は「ロフストランド杖」というものです。前腕を支える部分が付いているので、とても安定感があります。(骨折して使う杖というと、松葉杖を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、わたしのリハビリでは使いませんでした)
 それに比べて一本杖はかなり頼りない感じ。でも、退院してから使うのは一本杖なので、折りたためるタイプのものをネットで探して、スマホから購入しました。杖のことなど、今まで真剣に考えたこともなかったので、日々学ぶことばかりです。

 翌日には病室に届き、便利な時代になったものだと感心しきり。よく見かけるものよりしゃれた色だし、かなり安く買えたので、看護師さんたちにも、「ネット通販で買ったんです」と思わず自慢してしまいました。「病室から注文して、杖を買った人ははじめてじゃないかしら」と言われ、ますます図に乗って......。病棟で噂が広まったのか、「ネットで杖を買われたんですって?」と話しかけてくれる人もいたほど。
 まあ、そんなおしゃべりしか楽しみがないと知っているので、みなさんが温かく接してくれたのでしょう。

 自分が杖を使うようになったせいか、今、街を歩くときも、杖をついている人にすぐ目が行きます。

 杖を使っている人はほんとうに多い。高齢化が進むにつれ、これからはもっと増えることは間違いありません。
 先日、100円ショップで杖を見つけて、「まさか!」と仰天しました。さすがに100円ではありませんでしたが、わたしの自慢話がかすむほど格安なことは間違いない。これぞ超高齢化社会の証!? 100円ショップで売られるくらい、杖が一般的なものになったということでしょう。

 でも、よくよく観察していると、杖の使い方を間違っている人がけっこういるのです。
杖は問題のある(痛みのある)ほうの脚と反対側の手で持つのが基本。杖の長さも、自分のからだに合わせて調節しなければうまく歩けませんし、杖の握り方、つき方にもコツがある。
 わたしの場合は、リハビリのときに理学療法士さんと一緒に繰り返し練習したので、使い方のコツをなんとなくつかめたように思います。習得するまでには時間がかかりましたし、しばらく使わないと、「あれっ、これでよかったっけ?」と不安になる。簡単なようで、それくらい難しいのです。

 ですが、使い方を習う機会がないままに、自己流で杖を使っている人もたくさんいらっしゃるのでしょう。「使用者の7割は杖の正しい使い方を知らない」なんて説も。間違った使い方をしていると転倒のリスクもあるのですから、これは案外、深刻な問題かもしれません。
 今後は、地域の健康教室などで、ロコモ対策としての杖の使い方の講習も、広く行われるべきだと思います。

 そして迎えた退院の日。
 わたしの旅立ちを祝うかのように、秋晴れの空にひときわ美しく映える富士山。「最高のお天気の日に退院ですね」と、看護師の皆さんが口々に声をかけてくれて......。

 ここで3週間。仙台の救急病院を合わせると4週間の入院生活。つらく苦しい日々でしたが、病棟の方々にはよくしてもらったので、去りがたいような複雑な心境に。
見送られて病院を出たときは、いろんな思いがないまぜになり、胸がいっぱいになったのです。

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かじやま すみこ

ノンフィクション作家。神戸大学卒業。テレビ局制作部勤務を経て、渡米。ニューヨーク大学大学院で修士号取得。アーティストや企業経営者の人物ルポのほか、女性の生き方・働き方、ソーシャルビジネスなど幅広いテーマを追いかける。書評家や放送作家としても活動中。
2014年秋、交通事故に遭ってから、からだについて深く考えるように。歩くこと、座ること、車椅子の座り心地……。見過ごされがちな、だけど大事なあれこれを掘り下げる日々。
主著に『紀州のエジソンの女房』(中央公論新社)、『そこに音楽があった 楽都仙台と東日本大震災』(文藝春秋)、『トップ・プロデューサーの仕事術』(日経ビジネス人文庫)、『35歳までに知っておきたい最幸の働き方』(ディスカヴァー21)など。

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