ハタラク計画、スタート前

出版社で20年間、主に編集のお仕事をされ、編集長もつとめられらた河田さん。「自分がやりたいことを実現するには、出版社をつくることなのかもしれない。いや、いや、出版社なんてつくれるのか私に?」わからないことだらけのなか、今年3月に会社を辞められ、出版社立ち上げへの一歩を踏み出されています。そんな河田さんの、リアルタイム起業ドキュメンタリー、ご一緒にワクワクドキドキしながらお楽しみください。(編集部)

Story1. 「会社、辞めます! そして・・・」

2013.06.21更新

 2013年が開けてまもなく、小学校の同窓会が久々に開かれることになった。卒業して約30年・・・、30!? ウソだ、ウソだ、そんな年数たってるわけない。計算をし直す。でも自分の今の年齢から小学校卒業時の12才を何度引き算しても、30という数字は変わらない。やっぱりウソではなかった。マジびっくり。

 おもむろに鏡で自分の顔をジーっと見たりして。「まだ大丈夫だよね、私の顔?」「おばさんには見えないよね?」「輪郭ぼやけてないよね?」「シミ、年齢のわりに少ないよね?」 普段は恐ろしいほど自分への評価が低いのに、鏡のなかの私に向かって必死に高評価しようとしている自分がいた。意外と私はタフでワルだった。

 そんなこんなで同窓会に出席してみれば、見た目に多少変化をきたした同級生たちに再会した瞬間、小学校時代に一気にワープしていた。自分が大事にしていることは何がなんでも大事にしていた、大人になった自分はきっとキラキラしている!とまったく疑っていなかった無邪気な小学生の私にもどっていた。

 会の中盤、小学校の卒業記念に録音した自分たちの将来の夢を語ったレコードが流された。あの当時にレコードをつくってくれるなんて、かなりシャレた学校だったと思う。6年1組から出席番号順に録音された30年前のみんなの声は、はにかみと純粋さとちょっとした照れがふくまれていて、たまらなかった。

 そしてレコードは6年3組だった私のクラスの順番になった。当時は、男の子はお医者さんかパイロット、女の子はスチュワーデスが人気の職業だったことがみんなの語る将来の夢からわかり、さて私は・・・

「カワダミキ。将来の夢はマスコミ関係の仕事に就くことです。
特にテレビ局のアナウンサーになりたいです」

わぉ。

 その当時、レコードを録音する前日、なんて話そうかものすごく考えたことを覚えている。ものごころついたころからテレビが大好きで、テレビに出ている芸能人が大好きで、でも芸能人になりたいと思えるほどのモチベーションはなくて、ならば芸能人に会える仕事はなんだ、ということでアナウンサー!

 なかでも憧れは、NHKの加賀美幸子アナウンサーだった。私の父は、なぜかNHKのアナウンサーをフルネームで覚えるのが特技だった。しかも卒業した学校や、どこの地方局にいたかなどの経歴までも熟知し、子どもながらにも父の非凡な才能には一目おいていた。ちなみに父の特技は今でも健在だ。そんな父の影響もあってか、加賀美さんのかっこよさは別格にうつったのだろう。

 同窓会が、まさか自分の原点をみるような時間になるとは思ってもみなかった。テレビ局のアナウンサーという夢はかなわなかったものの、マスコミの世界で編集者として道を歩いてこられたのも、子どものころに夢を抱けたことに尽きるのかもしれない。

 遅ればせならば、私は出版社に勤務する編集者、正しくいえば、だった。今年の4月30日で20年間お世話になった出版社を退職した。
 「テレビ」への憧れが「人への興味」に変わり、それが人の「発する言葉、書く文字」へと変化し・・・なんて書くとかっこいいが、バブルが弾けた直後の就職活動はかなり厳しかった。本音を言えば、今は亡き逸見正孝さんのマネージャーになりたかった。男性のフリーアナウンサーが出始めたころで、テレビを通して見る逸見さんの人柄が大好きだった。

 だから「この人をサポートできたら楽しいだろうなー」そんな思いから、マネージャーを志願し、逸見さんに手紙を書いた。そして数週間後、直筆のお葉書をいただき、現在は採用してない旨の内容にショックを受けたものの、逸見さんの優しさが溢れるお葉書が本当に本当にうれしく、感激したことを覚えている。

 その後、どうしても一般企業への就職にときめくことができず、元来のミーハー精神も手伝って、なんとか都内の出版社に就職を果たした。当時、トレンディードラマが全盛で、その中で創刊したばかりのHanako編集部を舞台にした『オイシーのが好き』という華やかな編集者生活のドラマがあった。それをイメージして入社したのだが、意外と地味で縁の下の力持ちの仕事であることを、入社して数日で思い知らされた。

 しかし出会う人、訪れる場所、国、企画を考えること、撮影すること、原稿を書くこと・・・どれもこれもが楽しくて、ワクワクして、どんどん編集の仕事の面白さに魅了され、あっという間に時間は流れていった。

 それから20年近くたった昨年の2月末、思い切り張っていた糸が突然切れてしまったかのように、会社に行けなくなった。それにはたくさんの原因があった。自分でも感じていたのに、気づいていないふりをして、どんどん感情や気持ちにフタをして、ついに押さえこむフタがなくなって爆発してしまった、そんな感じ。簡単に言ってしまえば、あんなに楽しかった編集の仕事が全然楽しくなくなっていた。このころのことは、また機会があったらお話しますね。
 
 そして会社を休んで1年以上がたった今年3月、悩んで悩んで悩み疲れるくらい悩んで、そして考えて考えて考え倒して、ようやく出した結論が

「会社を辞めよう」。

 「自分がやりたいことを実現するには、出版社をつくることなのかもしれない。
 いや、いや、出版社なんてつくれるのか私に? 
 いったい出版社ってどうやってつくるの?
 編集はひととおりのことはわかるけど、営業や経理、取次店とのかかわり、なんにも知らないじゃん!! 」と、頭の中はグルグルになった。

 私がやりたいことはなんなのか、なぜ出版社なのか、最初の一歩を踏み出しているのか、いないのか。そんな素直な気持ちを、ご縁をいただいたミシマ社のサイトに書かせてもらいながら、皆さんに読んでもらいながら、私も整理し進んでいきたい。

と、たくさんはしょったところもありますが、とにかくこれが今の私。はたして出版社への道は険しいのか、否か!? 正真正銘のドキュメントをお楽しみください!!

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河田実紀(かわだ・みき)

大学卒業後、出版社に入社。主に雑誌の編集に携わる。2011年、女性雑誌の編集長に就任。2013年独立。

大好きな編集の仕事を軸に、今の時代だからこそできる出版の力を見出そうと、「一度きりの自分の人生、楽しんで生きる!」と決め、一歩を踏み出す。

月に一度トークイベント「おとな塾」を開催中

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