ハタラク計画、スタート前

出版社で20年間、主に編集のお仕事をされ、編集長もつとめられらた河田さん。「自分がやりたいことを実現するには、出版社をつくることなのかもしれない。いや、いや、出版社なんてつくれるのか私に?」わからないことだらけのなか、今年3月に会社を辞められ、出版社立ち上げへの一歩を踏み出されています。そんな河田さんの、リアルタイム起業ドキュメンタリー、ご一緒にワクワクドキドキしながらお楽しみください。(編集部)

Story2. 「明日はずっと続くと思っていた」

2013.07.02更新

 2011年から今に至るまで、世の中で起こったこと、経験したこと、感じたこと、決めたことは、私にとっては大きいことばかりだった。東北の大震災が起こったことも、編集長になったことも、休職したことも、会社を辞めたことも、そして新しい一歩を踏み出したことも、どれもがあまりにも大きかった。といっても、渦中にいるときは何がなんだかわからなくて、自分の感情に振り回され、それに疲れていたけれど。

 思いグセというか、考えグセというか、私はつい、考えてもしょうがないことを考えてしまう。これは"先へ先へと考え、展開を組み立てる"、そんな雑誌編集者の職業病のように思っていた。「あれをしたらこうなって、こうするとああなるから、それを回避するためにこうして・・・・・・」、常にこんな感じで、頭の中はグルグル、気持ちはアフアフ。しかし2011年から起こった大きな出来事のすべては、自分の考えなど及ばない、想像をはるかにを超えるものばかりだった。だからこそ、先を考えることに苦しく虚しくなっていたのかもしれない。


 ちょっと話は変わって、学生時代のことに少し触れる。
 私の高校の修学旅行は、白馬山登山だった。なかなか質実剛健な高校だ。修学旅行のクライマックス、山頂に到着したときのこと、副担任の英語の教師が言った。

 「今は山に来ているんだ、山を見なさい。今、山にいることを感じなさい」

 友人と私は「何を言っているんだか。山に来ているんだから、山を見ているに決まっているじゃんねー」と、サラっと教師の言葉を流し、その時はやっていたアイドルや、他愛もない話を続けた。と、いうのもこの教師、普段から英語教師らしからぬ哲学的、精神的言動が多く、多感な十代の学生には面倒くさく映っていた。だから「フィロソフィー」なんてあだ名をつけて、陰で呼んでいた。
しかしなぜか、この教師の言葉がずっとずっと私の奥深くに残っていた。「どんな意味なんだろうな。先生は何を言いたかったのかな」と。

 教師の言葉の真意を、社会人になってからも無意識に探していたように思う。そして2011年以降のさまざまな出来事を通して、気づいたら私なりに腑に落ちていた。

「今を生きる。今、できることをする」
先生は、それを私たちに伝えたかったのはなかったのかと。

 確かに、周囲でも世間でも「今を生きなさい、今を感じなさい」という言葉が飛び交っている。"今"この瞬間に自分は存在しているのに、先々のことに考えを巡らせては悩み、過去のことを振り返っては反省し、悔やみ・・・・・・"今"の自分に意識が向いていない。
 頭の中でどんなにあれやこれやシュミレーションしても、浮かんでくることは、これから起こそうと思っている行動を否定するものばかり。不安を募らせるものばかり。そうなると体は動かない。躊躇する。「ま、いいか」で終わる。しかし、自分の芯の部分では「本当にいいのかな」と、モヤモヤしたものが残る。それを無視して、気づかないふりをしていたら、私は体と心が悲鳴を上げた。それが「もう誤魔化せないよ。そろそろ自分に素直に生きてみようよ」というサインだった。

 こんな「ま、いいか」の気持ちは誰もが持っているだろう。それは、いつまでも明日が続くと思っているからかもしれない。特に働き盛りと言われている世代で、健康な人であれば当然のこと。私もそのひとりだった。いつか命が尽きることは知識としてわかっていても、他人事のように思っていた。だから「ま、いいか」を繰り返し、とにかく"今"の自分の本意にフタをしていた。

 私が休職し始めたころと、休職中に、ふたりの編集者の先輩が亡くなった。新人の頃にいろいろ指導してもらい、面倒を見てもらった先輩たちだった。まだ40代、50代という若さだった。この出来事は、私の気持ちをさらに大きく揺るがした。先輩たちがもっともっと生きたかったであろう明日という日を、私は当たり前のように過ごしていいのかなと。先輩たちが、もっともっとしたかったであろうことを、私にはできる今があるのに、それをしなくていいのかなと。

 高校の先生の言葉も、ふたりの先輩のことも、今の私が一歩を踏み出す原動力になっている。そしてひとつずつの出来事はバラバラのように思えても、実は全部がつながっているように感じる。だから"今"の私がいるかなと。

 なーんて、ちょっと真面目で固いことを語ってしまったけど、
 「今を精一杯生きようぜ!」
 「目の前にあることを全力でやろうぜ!」
 「考えずに感じたら動こうぜ! 動けばそこで何かが起こるから、そしたらまた動けばいいさ!」
 これが今の私の心境。

 そしてその心境どおり、感じたことがあったら、何も考えず動いてみたら・・・・・・思わぬことが次々起こった。「出版社をつくりたい」という思いを、話したいなという人に話したら、素晴らしいアドバイスをもらうことができ、会社設立に向けて、力を貸してもらえることになった。

 また、自分がつくりたい出版社への思いをある人に語ったら、会社のロゴやHPを作らせてほしいと言ってくれた。
 「こんな本がつくりたい」という思いをある人たちに語ったら、次から次へと興味深い面白い材料を提供してもらうことができ、ぐんぐん編集の意欲が沸いてきた。
 「こんなことを、やりたいな」と思ったことをある人たちに話したら、いくつかのプロジェクトが始まることになった。このミシマガジンもそう。また、人と人をつなげるトークイベントも始まることになった。どれもが編集という軸を通して私がやりたいことばかり。

 出版社をつくるという目標に向けて、できることをやっている今、不安とか心配が沸く暇もないくらい楽しい。もちろん、「えっ!?」というようなことも起こるけれど、そこにずーっと縛られることはなくなった。

 人生に限りがあるとわかっていても、限りがないように過ごしているのは、本当にもったいない。先にこの世を去った人たちのためにも精一杯生きて行こうと、決心できたことは何よりうれしい。

 この先、何が起こるかわからないけれど、それをワクワクしながら、楽しみに待とう。そのためには今できることを思う存分するだけ。自分らしく生きることは意外とシンプルなことかもしれない。

 なんて今になっては言えるけれど、自分らしく生きるための一歩を踏み出すには壮絶な苦しみがあることも実感している。だからこそ、これから踏み出そうとしている皆さんに、格好つけずに赤裸々になんでも話したいし、届けたい。それを、私がつくりたい出版社の根底に流れるものにしたいんだ! ということを今、書きながら気づきました(笑)。

Story2. 「明日はずっと続くと思っていた」

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河田実紀(かわだ・みき)

大学卒業後、出版社に入社。主に雑誌の編集に携わる。2011年、女性雑誌の編集長に就任。2013年独立。

大好きな編集の仕事を軸に、今の時代だからこそできる出版の力を見出そうと、「一度きりの自分の人生、楽しんで生きる!」と決め、一歩を踏み出す。

月に一度トークイベント「おとな塾」を開催中

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