ハタラク計画、スタート前

Story10. まずは、ひとりで

2014.02.04更新

「なんか冴えていないなー」
「気持ちがすっきりしていないなー」
「勘が鈍っているなー」
 そんなふうに感じるときはありませんか。

 別に体調が悪いわけでもないのに、なんともいえないどよ~んとした、曇った感じ。自分でしか感じえない状態。そうなるには、もちろん理由があります。しかもそれは自分にしかわからない。その理由を人のせいにしたり、なかったことにしたり、忘れたふりをしてみても、すっかり消えてなくなることはありません。一瞬消えたかに思っても、それがちょっとずつちょっとずつ積もっていき、何かの拍子にまた同じような、どよ~んとした気持ちになったり、前以上に重たい気持ちになったり。そんな感じになること、ありませんか?
 
 私がそんな気持ちになるときは、そうなる原因の出来事が必ず起こります。出来事はすべて人との関係性で起こります。出来事の大小や内容に右往左往して、「私は悪くない、あの人が悪いんだ」とか、「まさかあんなひどい人とは思っていなかった。だまされた」とか、もの凄い怒りとか悲しみの自分の感情に振り回され、結果、どよ~んとした、いや~な気持ちが生まれています。

 ご多分に漏れず、私もそんなことはしょっちゅうでした。あえて「でした」と書いたのは、そんな重い気持ちになったときこそ、そこに自分自身が持っているクセが隠れていることを少しずつ感じはじめ、以前ほど重たい気持ちの期間が長引かなくなったからです。
 以前は起こった出来事の内容に目を向けていましたが、その出来事をとおして自分の持っている弱さや意固地さ、自信のなさ・・・などのクセに気づき、「そうか、私ってそういう部分を持っているんだ」と腑に落ちると、重たい気持ちが数日、短いと翌日にはスッキリするようになりました(以前は何日も、何か月も抱えていることもしばしば)。

 たとえば以前は、「自信が持てない私はダメだ、だから直さなくてはいけない」と思って、自信が持てない自分を責め、『自信をつけるための〇〇』というような本を読んだりと、必死でした。
 今は、「私は自信がないんだな。でも自信がないからこそ、いろいろなことを慎重に対処できたのかもしれない。そのお蔭で丁寧に人と接することを学べ、大切な出会いも得た。自信がない私もなんか愛おしいなー」と。
 クセを悪者にして直そうとしたり、違う自分になろうとしたり。そうではなくて、ただただそんなクセを持っている自分を客観的に見つめ、受け止めるだけでいいんだと気づいたら、スッキリしている自分がいました。
 
 なんて簡単に書いたものの、これは自分ひとりでは到底できず、ある人との出会いがきっかけで、"自分と向き合うこと"がどんなことなのかが腑に落ちたからです。もちろんまだまだその過程ではありますが・・・・・・きっと人生はこの繰り返しなのだろうなと、漠然と感じています。
 
 しかし"自分と向き合うこと"は、苦しいこと、苦しいこと。向き合うべきクセが深くて濃いほど、その苦しさは倍増していきます。でもうれしいことに、似たもの同志は集まると言われるように、こんな気持ちを素直に話せる友だちや仲間がいてくれる今の状況は、とても幸せです。大切にしているものが同じ人たちと、各人の状態や思いを共有したり、シェアできることが、こんなにも温かさや幸福感を味わえるとは思ってもみませんでした。

 などと達観したかのような文章。全然違います!!
 この原稿にも以前書かせていただいたように、私と仕事(会社)を「一緒にやりませんか」と声をかけてくれた仲間(仮にAさん)がいました。もちろん嬉しかったですし、勇気も出ました。そしてだんだんと時間をかけ、話を重ねていくうちに、
「あれ?」「ん、ちょっと私の思いと違う?」
そんな気持ちがむくむく芽を出してきました。その度に、今にして思えば私の弱さというか、いい人に見られたい願望の表れなのでしょう。
「ま、いいか。気にしないようにしよう」「しょうがないよね。そういうものだよね。私の中で消化すれば何とかなるさ」
 そんなふうに自分の気持ちにフタをし、流していたら、来たのです! あの重くてどよ~んとした気持ちが生まれてきたのです!
 
「Aさんと一緒にやろうと一度は思ったのだから、それを自分の思いで断ることはダメなこと。話し合えばわかり合える」そう思い、勇気を出して話しました。Aさんも理解してくれて、これでスッキリかと思いきや、それでも気持ちがスッキリしない。どよ~んとしている自分がいる。
 何日も悶々としていると、不思議なことが起こりました。私の状況や思いなど知るはずもない人たちが、私がそのときに抱えていた、どよ~んとした気持ちの原因であるクセを気づかせるような言葉をかけてくれたのです。また、本や電車の中の広告、テレビで流れるフレーズからもヒントになるような言葉が耳に目に入ってきました。

「自分に素直になることが、自分を大切にするっていうことだよね」

「新しいことに真剣に踏み出すときこそ、"ま、いいか"や"しょうがない"という気持ちを持ったまま動くと、自分も相手もつらくなるよね」

「自分では考えているつもりでもグルグル悩んでいるだけ。自分の思いのままに動くと、次にするべきことや、想像もしない展開が生まれてくるもの。動くだけだよね」

「失敗は悪いことじゃない。失敗は成功への過程で、失敗は後悔するのではなく反省し、次に生かせばいいだけ」

 これらの言葉に背中を押され、年末、もう一度Aさんと話をし、私の思いを聞いてもらいました。それは私のわがままで自分勝手な言い分です。でもここで言わないと、伝えないと、自分自身にウソをつくことになり、愛おしいと思える自分を傷つけることになると。
そして私の深底から出した結論は、ひとりでスタートを切るというものでした。
 この結論にAさんにはとても嫌なつらい思いをさせてしまいました。私が簡単に「一緒にやるのもいいね」と言ったことからの流れで、Aさんには本当に申し訳ないことをしてしまったと反省しきりです。
 ただ、起業をする、出版社をつくりたいという自分のすべてをかけた思いを実現させるには、我慢はいらないと強く感じました。だからどうしても譲れない、通したいという一心で決めました。

「ひとりでスタートを切る」と決めた年末。そして実現させるべく「動く!」と決めた年始。悩んでいる時間があったら、それを解決するために具体的に動く! その策を持っているであろう人に会ったり、意見をいただいたり。そして感じたままに動いて、またそこで考えて動いて、その繰り返し。すると自分の想像なんてまったく及ばない、もの凄い展開が待っていることに驚きました。だから一生懸命自分では考えているつもりでも、しれてるなーと。

 仲間がほしい、編集部のような横のつながりのチームで本をつくりたい、その思いは変わりません。同じ会社で社員同志=チームの仲間、それが編集部と思っていましたが、外にも仲間は大勢いて、その仲間とつくれる編集部もある、そう感じはじめている自分に気づきました。

 動いて、感じて、また動いて。シンプルだけどとても大変なこと。できるか、できないかではなくて、やるか、やらないかだけ。感じて動くと書いて"感動"、わかる気がしてきました。


 ハタラク計画、スタート前。いよいよスタートラインに立ったのかもしれません。


お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

河田実紀(かわだ・みき)

大学卒業後、出版社に入社。主に雑誌の編集に携わる。2011年、女性雑誌の編集長に就任。2013年独立。

大好きな編集の仕事を軸に、今の時代だからこそできる出版の力を見出そうと、「一度きりの自分の人生、楽しんで生きる!」と決め、一歩を踏み出す。

月に一度トークイベント「おとな塾」を開催中

バックナンバー