ヘンテコ医学史漂流記

第1回 医学はヘンテコだらけ

2014.10.08更新

 世の中で、お金が余っていて、好きなことをして暮らせる人以外は、だいたい勤め人なんでしょうが、勤め人ともなると、誰しも一回ぐらいは、「いったい何のためにこんなことをやらされているのか?」と疑問に思ったことがあると思うんです。

 私は医師なので、ちょっとフツーのサラリーマンとは違うかもしれませんが、それでもやっぱり「何のためにこんなことしてるんだっけ?」と思うことがあります。
 皆さんならどうするでしょうか? 誰かに相談するでしょうか?
「センパイ、なんでこんなことやんなきゃなんないんでしょうかネ...?」
 こんな質問に、スパッと答えてくれるセンパイがいたりすると、ちょっと尊敬してしまうかもしれません。

 うちの業種は、恐らくすべての職業の中でも、最も古くからあるもののひとつです。ということは、センパイの数も、ものすごく多いわけです。そのセンパイの話を聞いてみると、昔も今も大事にしてきたこと、昔は大事だったけど、いまはあまり顧みられないこと、昔は存在すら気づかれなかったけど、今はとても大切にされていること、などいろいろとあることがわかります。

 私は、いろんなご縁があって、漢方という昔のスタイルの医学と、現代医学ど真ん中の、免疫の病気を診る医学の両方を勉強している医師でして、しょっちゅうセンパイにアドバイスを求めています。それは、いま、同じ職場で働いている先生はもちろんのこと、江戸時代の先生や、遠く2000年以上もまえの先生(神様?)であったりもするんです。
 そうすると、昔はヘンテコだったけど、いまはごく普通のこととして行われていること、とか、昔は普通にやっていたけど、今の常識ではヘンテコだとしか言いようのないこと、というのが、たくさんあることに気づきました。

 よく考えたら、普段の医者の仕事だって、いきなり初対面の人に「服を脱げ」と言ってみたり、排泄物に興味を持ってみたり、ヘンテコなことだらけなんですが、それが怪しまれたり、法律で取り締まられたりしないで、世の中に通用するのは、医者のやることに対してある程度の信頼があるからです。
 仕事に対して信頼してもらえる、というのはとても大事なことです。仕事のやりやすさに直結しますし、お給料にも影響します。信頼してもらうにはどうしたらいいかというと、――もちろん毎日の仕事をキッチリすることが大事ですが――ひとつの方法として、「私たちは昔からこうやっているのですよ」「素晴らしいセンパイ方がたくさんいたのですよ」「私たちはセンパイを超えられるように、今も努力していますよ」とアピールする、というのがあります。

 これはすなわち、歴史を語る、ということにほかなりません。歴史、というと、「イイクニ作ろう鎌倉幕府」みたいに、年代を覚えて、いろんな武将や政治家の名前を暗記して、テストされる...なんてことを連想されるかもしれませんが、じつは、歴史とは「自分たちはこんなだ」とアピールする手段であったり、「あなたたちはそうだったんだね」と知るための道具であったりします。
 そういうことを意識するようになると、みなさんは、歴史を覚えさせられる側から、歴史を書くほうへ、歴史を紡ぐ側に変わっていくのです。


 私に医学の歴史を手ほどきしてくださった、小曾戸洋先生(日本医史学会理事長)は、ことあるごとに「医史学会は、日本医学会の第1分科会だから。日本の医学のトップだからね」と強調されます。
 医学に携わる者が集まって、いろいろな学会を組織していますが、日本では、4年に1回の総会を開く日本医学会の下に、日本内科学会や日本外科学会、日本小児科学会など、たくさんの「分科会」が存在します。その分科会には序列がついていて、栄えある第1分科会が、並みいる大規模な学会を凌いで、日本医史学会なのです。そして、第2分科会が日本解剖学会、第3分科会が日本生化学会...と続きます。ちなみに、内科学会は第17分科会、外科学会は第24分科会、小児科学会は第18分科会です。

 小曾戸先生がおっしゃるように、ほんとうに医史学は「医学のトップ」だから、分科会の筆頭になったのでしょうか? 日本医学会に直接電話して聞いてみたところ、「医学図書館の分類に従って順番を決めた」というお返事でした。
 図書館に行くと、本の背表紙に「491.65」などと分類を示すラベルが張りつけられています。これは日本十進分類法(NDC)というルールに従って、割り得られた番号です。400番台が自然科学、491~498が医学各論で、491.6は病理学、つまり顕微鏡で人間のからだにおこる病気のしくみを細かく調べる学問です。さらに細かくわかれていて、491.65は「がん」についての書籍であることを示しています。
 この分類を調べてみたら、490.9が医学史にあたります。そして、491.1が解剖学、491.3が生化学でした(491.2が飛んでいますが、これは発生学、つまり、一個の受精卵がどうやって人間の形にまで育っていくか、を調べる学問です。日本発生生物学会、と言う学会はありますが、日本医学会の傘下ではありません)。
 一方、アメリカの分類法(米国国立医学図書館分類法:NLMC)では、分類は番号順ではなくABC順で、医学史は「WZ」で一番最後に来ます。しかも、1913年より以前の図書に関しては、「19世紀分類表」という別枠の扱いになっています。

 このことから、日本の図書の分類は、医学を、東洋の伝統医学の時代から連綿と続く、数千年の長さを持っているものととらえていて、日本医学会も、それに従っている、ということがわかります。それに比べれば、西洋近代科学の始まりは、ガリレオの「地動説」やニュートンの「万有引力の法則」から数えても四、五百年、近代医学の始まりは19世紀中盤ぐらいですから200年足らず、というところです。ですから、アメリカの図書分類では、100年以上前の医学と、今の医学はもはや別モノだ、というぐらいに考えているということですね。
 たしかに、医学で注目を浴びる話題といえば、iPS細胞研究でのノーベル賞に代表されるように、「最新」の医学や「最先端」の技術ばかりですが、学問の信用が「最新」「最先端」で得られるかと言うと、そうともかぎりません。「STAP細胞」の騒動は、「最新」「最先端」が、ひょっとしたらヘンテコかもしれないという疑惑の念を、人々に抱かせました。

 こう考えると、医学の歴史、医史学を分類の最初に持ってくる、という日本式の考え方は、医学の「信用」について、科学的根拠よりも歴史的根拠に重きを置いている、と言えるのではないでしょうか?
「ここ100年ぐらいは科学的に正しくなってきたので信用してください」と言うより、「われわれ医に携わる者は数千年の長きにわたり、誠実に人々に尽くしてきたから、信用してください」と言うほうが迫力がある、というわけですね。

 とはいっても、医学の始まりの時代、数千年前は、本当にちゃんとやっていたのでしょうか? 何かヘンテコリンなことはやっていなかったでしょうか?
 次回は「医学はどこから始まったか?」のお話から、見ていきたいと思います。

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津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

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