ヘンテコ医学史漂流記

第3回 牛頭人身、偉大な神様

2014.12.03更新

 先日、湯島聖堂で恒例の行事になっている「神農祭」という小さな神事に参加してきました。「神農」は古代中国を統治したといわれる神様の一人で、読んで字の如く神の農、つまり農業の神様です。毎年、穀物の収穫を感謝する新嘗祭(11月23日)の時期に合わせ、湯島聖堂のそばにある祠を開けて、神主さんが祝詞を唱えます。
 大変お天気にも恵まれたせいか、用意された二、三十の席はたちまちいっぱいになり、100人ぐらい立ち見が出る大盛況でした。
 東京のど真ん中に、そんなに農業従事者がいるのか? と思われたかもしれませんが、いえいえ、集まったのは薬剤師や製薬企業の関係者と、われわれ漢方医です。

 実はこの神農さまは、人類に農業を教えただけでなく、「この草は毒だよ」とか「あの木の皮はこういう事に役立つよ」といった、植物全般の知識を教えた偉大な神様です。年に一度だけ御開帳になる、祠の中のお姿を見てみますと、右手に鞭を持ち、左手には草を、そして頭には角が生えています。

 言い伝えによると、神農さまは、頭は牛で、首から下は人間というミノタウロスのような風体で、右手の鞭で草や木の枝をへし折っては、口にくわえてどのような薬効があるかを自分で人体実験(牛体実験?)をしていたそうです。もちろん有毒植物もそのなかにはあったわけで、一日70回も中毒になっていたのですが、とても体は丈夫で140年以上も生きて、でもやっぱり最後は毒に当たって死んだといわれます。

 こんな怪物は実在するわけない、どうせイイカゲンな伝説に過ぎんだろう...と思っていましたが、私は先年、高知工科大学の渡邊高志教授という方にお会いしたとき、その見方を覆されました。
 渡邊先生は、世界中を飛び回って新種の植物を探し出し、新しい薬の開発につながる薬効成分を抽出するという、通称「プラントハンター」と呼ばれる研究者です。なんと先生の研究手法は、道端の草木を折っては、その匂いを確かめて、口に入れるのです。それで「味をたしかめるとね、大体どんな病気に効きそうかわかるんです...」とおっしゃいます。
 渡邊先生は、植物に含まれる有効成分を分析し、自分の味覚と照らし合わせる作業を長年にわたり繰り返した経験から、味わうとどういう分子構造の物質が入っているか、大体の見当がつくのだそうです。さすがに、危なそうな植物の知識はお持ちなので、1日70回も中毒されることはないですが、先生はまるで現代の「神農さま」のようです。

 さて、神農さまは「神農本草経」という書物を遺しました。怪物が書物なんか書けるかよ! と思われるかもしれませんが、残っているんだからしょうがない...きっと、文字が無かったような大昔の時代にも渡邊先生のような研究者が何人もいて、口伝えに知識が蓄積したものが書きのこされたのでしょう。成立年代は、中国最初の統一王朝となった秦時代(紀元前8世紀~3世紀)とも言われますが、はっきりしたことはわかっていません。

 この「神農本草経」こそ、東洋医学の最古の文献の一つであり、生薬学・薬物学のバイブルとされている書物です。
 今を遡ること二千年も三千年も前の書物で、印刷技術はおろか「紙」すらなかった時代のものですから、現代に伝わっている形の物は、書き写しの書き写しの、そのまた書き写しの...何十回もいろんな人の手で書きうつされたものです。その間に、写し間違いや書き間違い、ページの順番間違いや落丁の類もたくさんたくさんあったことでしょう。そのようなシロモノが、それでもなお、東洋医学のバイブルとして大切にされているのは、それなりのわけがあります。
 それは「神農本草経」というテキストが、ただの劣化コピーではなく、長い歴史のなかで、誤ったところは修正され、不足な部分は書き加えられ、不要な部分は省かれて、現代に生きるわれわれに手渡されているからです。神農さまという超人的存在が書いたから、というよりは、数千年にわたる多くの学者・研究家たちの知恵の結晶だから、尊重されるのです。

 西洋医学を始めとする現代的なものの考え方では、だれが初めてこのことを記載しますから、「この教科書は牛頭人身の神様が書きました」だなんて、とんでもなくヘンテコなことです。また、だれにこの著作の責任と権利があるか、ということを明確にすることを重んじ、勝手に引用したり書き換えたりうると、「剽窃」「捏造」などと言われて厳しく断罪されますが、東洋医学ではその辺もおおらかです。
 後世の学者たちは、まるで自分が思いついたかのように昔の文献を丸写しにして、自分の見解を勝手に書き加えていたりするんですが、いろんな人が丸写しにすればするほど「ああ、この文章は重要なんだな」と判りますし、オリジナルの書物がすべて失われて「引用」だけが生き残る、なんてこともあります。
 とにかく、われわれの業界では「どんな人物が書いたか」ということではなく、「どれほど長い歴史を生き残ってきたか」でテキストの重要性・信頼性を測っているようなことがあります。これも見ようによっては、ヘンテコリンな考え方かもしれません。

 ちなみに、神農さまは初めて「市場」を設けて、人々に商いの仕方を教えた、とも言われています。そのため、縁日やお祭りの夜店を経営する人たちや、そういった場所を取りしきる任侠道の方々にも崇敬されました。神農さまは、ヤクザからヤクザイシまで、幅広い信仰を集める、とてつもなく懐の広い神様ですから、自分の書いたものにチマチマと著作権を申し立てるようなことはなさらないでしょうね。

 次回は、「神農本草経」の具体的な中身に入っていこうと思います。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

バックナンバー