ヘンテコ医学史漂流記

第6回 なかったほうが幸せ?

2015.03.17更新

 さて、牛頭人身の指導者、神農さまの次に登場する中国神話時代の王様は、黄帝(こうてい)という名の人物です。"ユンケル黄帝液"という栄養ドリンクでその名をご存知の人も多いでしょう。神農さまとならぶ中国医学の始祖なので、それにあやかったネーミングなのではなのでしょう。
 彼は、宮廷につかえていた侍医の岐伯に、医学についての疑問をいろいろ尋ねて、それに対する岐伯の答えを記録し、「黄帝内経(こうていだいけい)」という問答集をこしらえました。

 冒頭ではこんなやり取りがされています(上古天真編第一)。

黄帝「大昔の人はみな100歳を超えても元気でピンピンしていたのに、最近の人は50歳ぐらいで老け込んでしまう。これは時代の問題なのか、それとも人間の問題なのか...」
岐伯「大昔の人は、自然の法則に逆らわず養生を守り、食べ過ぎたり飲み過ぎたりせず、生活リズムをちゃんとして、疲れをためないように毎日を過ごしました。そのおかげで心身ともに健康でみな天寿を全うし100歳ぐらいまで生きたのです。
 今の人はそうではありません。酒を飲んででたらめな生活を送り、酔ったまま寝室でセックスしたりして体力を消耗します。健康の大切さに無関心で、心の平安を保とうとせず、一時の快楽に溺れて身体は悲鳴をあげています。昼夜逆転なんかいつものことです。だから50そこそこで老け込むのです」

 どうです? これが中国四千年の医学史の始まりです。四千年前というよりは現代ストレス社会の話じゃないの? という感じがしませんか?
 だいたい、黄帝がいう「大昔の人」って何時代のひとなんでしょうか? 神農さんの時代でしょうか?

 またこんなやり取りも出てきます(移精変気論)。

黄帝「昔の病気治療といったら、まじないで十分治ったそうだが、今の治療は、毒薬を使った内科療法や、鍼灸を使った外科療法があるけれど、治ったり治らなかったりだ。どういうわけなのか?」
岐伯「昔の人々は自然の中で暮らし、寒いときは体を動かして暖を取り、暑いときは日陰でしのいでいました。恨みごとや心配ごとが無く、出世欲やしがらみも無くてあっさりした生き方でした。病気も悪くなりようがなくて薬も鍼も必要なかったんです。今は違います。心配事や過労で心身が弱っているところへ、季節の変化を無視したような生活をするのでしょっちゅう風邪はひくし、大体こじれます。軽い病気もだんだん重くなり、下手をすれば命にかかわります。これではまじないで追いつきません...」

 黄帝は「毒薬」と言っていることからして、もうこの時代には、神農さまに教えてもらった生薬の数々はすでに一通り使って、いろいろ治療してみた結果、副作用の問題にも頭を悩ましていただろうことが、見て取れます。
 医療はそもそも、100%安全というものではなく、ある程度の危険を冒して病人の命を救う行為です。100%安全な行為で助かるような病人には、そもそも医療なんか必要ないのです。効果や効能がきちんと備わっている医療には、必ず副作用や有害なことが付きまといます。医療は黄帝の時代から、宿命的に矛盾を孕んでいる行為であることを指摘されていたのです。

 私の医学史の師匠である小曾戸洋先生は、ある講演で黄帝の事蹟について触れ、
「黄帝は、『内経』だけでなく、文字・音階・重さや長さ単位・衣服、そして貨幣をも発明したといわれます。でも、黄帝は、ほんとうに人間をしあわせにしたのでしょうか?」
と言って、財布からお札を取り出し、
「たとえばこのお札ですが、こういうものは無かったほうが人間は幸せに暮らせたかもしれませんね...」
とおっしゃってニヤリとされました。
 私はそれを見て、あぁ、薬なんか無かったほうが人間は幸せだったのかも...という考えが浮かんだのですが、その瞬間、私は自分が何の職業に就いているのか完全に忘れていました...

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津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

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