ヘンテコ医学史漂流記

第7回 中国医学は「こじつけ」から始まる

2015.04.10更新

 先日、ネットでこんな記事を目にしました。
「韓国人の火病急増、サラリーマン90%が病む...その原因は?」2015年01月28日 (中央日報日本語版)

 "火病"って? やけどのこと? ...いいえ違います。この記事によると、サラリーマンが職場ストレスで心身に様々な問題を抱えていることを「火病」と呼んでいるようです。
 私も"火病"は初耳で、同僚のとても優秀な韓国人医師にきいてみました。しばらく彼は首を傾げていましたが、「あっ、ファッビョンか! 漢字でそう書くのですね! 今まで気づかなかった...」と言い出しました。

 彼の解説によると、"火病(화병)"は韓国の人ならだれでも知っている単語で、鬱屈したイライラ感情が爆発して周囲と衝突したり、それがもとで体調を崩したりすることなんだそうです。日本語では、ちょっと古い表現ですけど「ヒステリー」「おヒス」がそれにあたるでしょうし、もっと今風にいえば「キレる」という状態でしょうか...
 小さいころからハングル文字中心の教育を受け、漢字にあまり馴染まなかった若い同僚は気がつかなかったかもしれませんが、私は彼の解説を聞いて"ファッビョン"が中国医学の伝統を色濃く残した単語であることに感心しました。
「火」を含め、さまざまな自然現象になぞらえて人体の生理や病理を理解する試みは、遠く「黄帝内経」の時代にさかのぼります。

 また前回に引き続いて、黄帝さまとドクター岐伯にご登場願いましょう。(陰陽応象大論より)

黄帝「古い時代の聖人は、人体を論理立てて理解するために、五臓六腑に分けて、経絡という体のエネルギーの通り道を、世界の構造と照応させた。一年の四季や一日の昼夜の移り変わりにはすべて法則性があり、外界の変化と体内の反応のあいだには、みな対応関係があると考えていたようだが、本当に信ずるに足りる説なんだろうか?」

岐伯「わが国の東の方角は風が吹き渡り、風は木を育てます。木は腐ると酸を生じ、酸は体内に入って肝臓を養います。
 南の方角は暑い地方で、熱は火を生じます。火はものを焦がして苦味を生じ、苦味は体内に入ると心臓を養います。
 中央の地域は湿気が多く、湿気は腐敗作用でものを土に還します。土は穀物を実らせてデンプン質や糖質になり、それら甘い物は体内に入ると脾臓を養います。
 西の方角は乾燥した砂漠で、砂漠の大地には鉱物が眠っています。鉱物は辛味を生じ、体 内に入ると肺臓を養います。
北の方角は寒く、寒さで霜が降り水を生じます。水は大地の塩分を溶かし込んで塩を結晶し、塩味(鹹味)は体内で腎臓を養います」

 岐伯のこたえは、現代の私たちにとっては、とても耳慣れない、ヘンテコリンなことを言っているように聞こえます。これから医学の入門編を始めます、と授業をするとしたら、たいてい人体模型を使ったり、顕微鏡をみて細かい構造を見せたり、というような光景を想像する人が多いでしょうが、岐伯はなんと、地理の話から始めて、風とか温度とか湿気とか、気象の話にもっていって、木だとか火だとか土だとか、材料工学のような話題を経由して医学に入っていくのです。
 黄帝さまも、この話のわかりにくさは薄々聞き知っていたらしく、「本当に信じられるの?」なんていう聞き方をしています。でも、わざわざこんな質問を岐伯に尋ねたのは、これがその後の数千年の長きにわたる中国医学の根幹をなす、重要な思想を明らかにするためです。

 中国医学は、人体を虫眼鏡や顕微鏡で細密に見ていって、その観察結果を積み上げて、だんだんに大きなスケールのものを理解する、という方法論を取りませんでした。岐伯の活躍したのはいまから数千年も昔のことで、顕微鏡はおろか、虫眼鏡だってあったかどうかわからない時代です。人体を細かく観察することはどだい無理なはなしだったわけです。
 では、どうしたかというと、風だとか雲だとか星だとか、大きなものを観察して、それをだんだん人間のスケールに落としていったのです。このとき、細かい違いにこだわってはいけません。一見、関係がなさそうなものにも共通点を見いだすような、発想の柔軟さが必要です。もっと言えば、なるだけ物事をぼんやり見る、漠然と見る、そしてイメージで捉えることが不可欠になってきます。

 たとえば、かまどに木を入れると火が燃え上がり、木が育つと土が痩せて植物が育ちにくくなる、という現象を見て、昔の人は、「肝臓が活発になると心臓も活発になる」「肝臓が活発になると脾臓が弱る」ということを連想したのです。
 肝臓は中国医学で感情を司る臓器とされ、肝臓が活発になっているのはひどくイライラしている状態を反映します。イライラすると心臓は動悸し、胃腸の具合は悪くなって脾が弱る、すなわちヒヨワになるのです。

 なんだか"こじつけ"みたいな説明ですが、中国医学の偉大な伝統は、この"こじつけ"から始まって脈々と受け継がれていきます。それが証拠に、感情的になって「火」のようになった病的状態をファッビョン、火病という単語で言い表すことが、韓国ではいまなおごく一般的に広まっています。
 一方、日本では、自然現象をそのまま病名として使う習慣がほとんど根つかず、「ヒステリー(ギリシャ語で"子宮"の意味)」とか、臓器の名前や解剖学用語のほうが一般の人々に馴染んでいます。興味深い違いですが、このことについてはまた後ほど考えてみたいと思います。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

バックナンバー