ヘンテコ医学史漂流記

第12回 基本戦略は「己を知る」こと

2015.12.16更新

 前々回に「傷寒論」という書物についてお話しました。これは漢方(特に江戸時代以降に発達した日本の漢方)に多大な影響を与えた、いわゆるバイブルのような本なのですが、どのような内容かというと、題名の如く、「傷寒」という病気の治し方についてまとめられたものです。
 著者の張仲景(ちょうちゅうけい)という人物は、当時の地方政府の長官で、自分の担当していた地域で流行した「傷寒」という病から人々を救うため、"緊急対策ガイドライン"を作ったのですが、それが2000年近くも伝えられているというわけです。

「傷寒」は致死率の高い熱病で...と前々回に述べたのですが、"「傷寒」は現代でいうところの何々病に当たる"という説明の仕方自体が、ある種の先入観で歪められ、誤解を招きかねないものなのかもしれません。

「傷寒」をその字の通り読むと、「寒さに傷(いた)む」つまり「からだが寒さに傷つく」ということです。からだにダメージを与えるのは寒さだけではなく、暑さであったり、湿気であったり、あるいは乾燥もそうです。ですから、「傷暑」は熱中症のような状態、「傷湿」は天気の悪い日に頭痛や関節が痛むような状態、「傷燥」は皮膚や粘膜が乾燥して痛くなってくるような状態、と解釈できます。
 そうすると、「傷某」という単語は、果たして現代の我々が考える"病気"なのか? という疑問が湧いてきます。"病気"といえば、なにかはっきりした原因があって、それが体のなかで色々な症状を生じさせるメカニズムがあり、それに対する治療があって、原因を除去する対策である予防というものまでがセットになった概念です。

 ところが「傷某」は、"何某によってからだの第一防衛ラインが破られた状態"というのが字義通りの意味であって、それ以上の意味はないはずです。何某の中でもとりわけ「寒さ」にやられると、ひどい場合には致死性の熱病になってしまうことがある、ということであって、「傷寒」自体が何らかの致死性の熱病である、というのは正確ではない表現です。

 張仲景が活躍した時代は顕微鏡もレントゲンもなかった時代ですから、「病気の原因が何かを突き止める」ということは大きな制約がありました。そこで、病原体の研究よりも病原体を迎え撃つからだの状態のほうに研究の軸足を置いたのは、自然の流れでしょう。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という有名な孫子の言葉がありますが、「敵を知る」を大きく発達させたのが西洋近代医学であるとすれば、漢方は「己を知る」ことが基本戦略になっています。

 従来の「黄帝内経」などを中心とする中国医学では、体のなかを支配する5つの大きなシステム(「五臓」)や、からだの隅々に生命エネルギーを運ぶネットワーク(「経絡」)を論じて、それらが失調することにより病気になると説明してきたのですが、張仲景の理論の新しさは、病気が「防衛ラインを破って侵入してくる」というコンセプトを持ち込んだ点にあるかもしれません。これが感染症をはじめとする「外からやってくる病気」の治療を大きく進歩させることになりました。

 外からやってきた病原体を排除するため、からだは熱を出したり、くしゃみや咳を出したり、涙や鼻水の洪水など、様々な抵抗反応を示します。それで病気が治ってしまえばよいのですが、病原体が居座った場合、からだは次第に消耗して、抵抗反応も弱っていきます。
 張仲景は、抵抗反応が強い「陽」の時期と、抵抗反応が弱ってくる「陰」の時期の二つに大別し、さらに「陽」の時期を太陽・陽明・少陽の3つに、陰の時期を太陰・少陰・厥陰の3つの病期に分け、それぞれについて診断治療を記載しました。

「太陽」というと、お日様のことを連想してしまいますが、これはもちろんお日様のことではなく「陽の始まり」という意味です。「太」の字には、一番目、とか、物事の始まり、という意味があり、「太郎」という名前は長男のことですし、「太古の昔」なんて表現もあります。同じように「太陰」も「陰の始まり」という意味です。
 陽の始まりは、ちょうど風邪のような症状です。寒いところで薄着をしていると「風邪をひくよ!」なんて注意されますが、この"風邪"こそ、東洋医学が発明した概念です。昔の人は「風」が病気のもとを運んでくると考えました。いまの西洋医学も、空気感染や飛沫感染という考え方があるので、あながち非科学的ともいえませんね。この「風」によって運ばれる悪いもの(「邪」)が、「風邪(うじゃ)」であり、「風」にあたって具合が悪くなったのを「風に中(あた)る」つまり「中風」と名づけました。

 いまでは「中風」は、"ちゅうぶ"と読まれて、脳梗塞後の手足のまひや、リウマチのような四肢の関節炎のことを指すことが多いのですが、もとはインフルエンザのような呼吸器感染症の意味だったのです。恐らく、インフルエンザのような病気で高熱が出ると、節々が痛くなることがあるので、時代が下るにつれ「中風」が手足の病気に拡大解釈されていったのだろうと思います。

 2000年近くものあいだ、一つのテキストを使っていると、使われている単語の意味まで時代ごとに変わっているのがわかります。
 たかだか150年ぐらいの歴史しかない近代医学の文脈では考えられないようなヘンテコなことですが、昔はヘンテコな意味で単語が使われていた、ということだけでなく、単語を使う人々の意識が変わっていった、ということも考えてみる必要があると思います。
 そして、本当にヘンテコなのは、自分たちの時代かも知れない、ということも...

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

バックナンバー