ヘンテコ医学史漂流記

第13回 シンプルだからいい

2016.02.08更新

 私が学生時代、漢方に興味を持って、インターネットで漢方の手ほどきをしてくれそうなところを探してみると、富山医科薬科大学(現・富山大学医学部)で数週間の研修を受け付けていることが分かりました。夏休みを利用して富山に出かけようと決めて、さっそく申し込みをすると、『傷寒論』をテキストとして使用しますから用意をしておいてください、と返事がきました。
 八千円もする『傷寒論解説』という本を、大枚はたいて手に入れましたが、ページをめくってみて、戸惑ったというか、がっかりしたというか、かなり衝撃を受けたことを覚えています。

 冒頭の一行がこれです。
「太陽之為病、脈浮、頭項強痛、而悪寒」

 前回お話した「太陽病」がどんな病気か、ということが書いてあるのですが"太陽の病とは、脈が浮いていて、頭やうなじのあたりがこわばって痛くて、ゾクゾクと寒気がする"
え? たったそれだけ?

 当時、医学生だった私は、授業や試験勉強のときはいつもクラスメートの教科書を借りたり、横目で眺めていました。医学部の教科書はあまりにも大きくてあまりにも重くて...それに、試験問題は授業で配られるシラバスから出るから大丈夫...というわけで、教科書を持ち歩かなかったのです。教科書に載っている病気の説明と言えば、病気の原因と経過、診断・治療とその予後(患者さんがその後どうなっていくか)、予防や疫学(病気の地理的分布や統計学的データ)、歴史に至るまで、詳細を極めています。
 しかも、各種の臓器別に、何十もの病気がズラズラと列挙されるわけですから、教科書も分厚くなるわけです。

 ところが、「傷寒論」だと、病気の説明がたったの一行、ということが少なくありません。
 太陽病のほかにも、
「陽明之為病、胃家実是也」
(陽明の病は、胃の働きが強い人にみられる)
「少陽之為病、口苦、咽乾、目眩也」
(少陽の病とは、口が苦くなり、のどが乾き、めまいがするものをいう)
「少陰之為病、脈微細、但欲寝也」
(少陰の病とは、脈が細くて触れにくく、ただただ横になりたがる。)
 こんな感じです。

 「傷寒論」で面食らうのは、漢文で書かれている、ということもありますが、それ以上に、「書き方があまりにシンプルすぎる」という点です。たしかに、「傷寒論」ができた2000年前の中国には、顕微鏡も血液検査もレントゲンも一切なかったわけですから、情報量が少ないのは当然なのですが、「傷寒論」以前に成立した「黄帝内経」は五臓の働きやその失調により起こってくる病気について、かなり詳しく書かれています。

 ですから、大昔で医者も"原始的"だったから書けなかった、ということではなく、省略されて、わざと短くシンプルにまとめられたスタイルだ、ということになります。たしかに、地方の行政長官だった張仲景が、「傷寒」という流行り病に対して、緊急的に作ったマニュアルだったと考えるならば、その簡潔な記載にも納得がいきます。

 それにしても、こんなに慌てて作ったような薄っぺらいマニュアルが、その後2000年にわたり受け継がれて、特に日本においてはバイブルのように扱われ、現代でも漢方を学ぶ際の最重要テキストの一つとして位置付けられている、というのはどういったわけでしょうか?

 病原体が外から入ってくると、細菌であれウィルスであれ、からだは全力で追い出そうとします。目の中に入ってきたものは涙で、鼻から入ってきたものは鼻水やくしゃみで、口や胃の方へ入ってくるものは唾液や嘔吐で体の外へ駆逐されます。それでも体のなかに潜り込んで、組織を傷つけながら増殖してくるものに対しては、からだは「炎症」というものを起こして対抗します。「炎症」とは、からだの一部が赤く腫れて、痛み、熱を持つ現象のことです。これも、病原体の種類を問わず、ある程度一定して起こるからだの防衛反応です。

 現代医学は、からだの症状を細かく見ていって、症状の出方やタイミングのわずかな違いを手掛かりに、検査を進めて、何が病気の原因かを明らかにします。そして細菌には抗生物質、ウィルスには抗ウィルス薬...といった具合に、各病原体に直接働きかけるような治療を行います。

 一方、漢方医学は、病原体の種類の違いはさておいて、からだが今どうやって病原体を追い出そうとしているのかを読み取って、このからだの防衛反応をどうしたら最適にアシストできるか、を目的に治療を組み立てます。『傷寒論』は緊急対応マニュアルですから、「からだがこうなったら、こうすればよい」「こういう症状を呈したら、この薬が良い」という項目が並んでいます。どうしてこんな症状が出るのか、何がこの症状を起こさせているのか、といった病理、病気の理屈の側面は大胆に省略されています。

 このような省略が、病気の種類やメカニズムの違いを超えて、「傷寒」以外の色々な病気の治療に応用されていく結果を生み出しました。私は、「傷寒論」がシンプルすぎることに戸惑ったのですが、シンプルだったからこそ"漢方のバイブル"になりえたのです。

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津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

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