ヘンテコ医学史漂流記

第14回 さあ、漢文の勉強だ!

2016.03.25更新

 前々回より、漢方のバイブル、『傷寒論』の紹介をしていますが、傷寒論は2000年近くも前の中国の文献ですから、当然のことながら、原文は漢文/古典中国語で書かれています。
 たとえばこんな具合に...

「太陽之為病、脈浮、頭項強痛、而悪寒」

 我々のような、医学部を卒業した医者は、英語の文献を読むのには慣れていますが、漢文の知識は高校の授業でちょっとかじったぐらい、という人がほとんどです。医学部の大学入試でも、漢文の知識は問われない、というところも多いでしょう。さぁ、漢方の勉強だ、これを読んで! と『傷寒論』を手渡されても、立ち往生してしまいます。

 日本語は中国語の圧倒的な影響を受けて育まれた言語です。奈良時代までは日本語はすべて漢字のみで表記され、平安時代になって生み出されたひらがなも、漢字の崩し字がもとになっています。そのため、古典中国語は漢字の順番を少し変えて、送り仮名を付け加えると、日本語として意味が通る文章に変身します。

「太陽の病為る、脈が浮き、頭や項が強ばり痛み、而して悪寒する」

 こう読むとかなりわかりやすくなります。でも、順番を変えずに「太陽の為め病」とか、「太陽之れ為す病」などと読んでしまうと、意味がわからない文章になってしまいます。

 どういう順番で読むか、どういう送り仮名を付けて読むかは、われわれの先輩である医学者・漢学者が遺してくれた研究を基に、だいたい決まっているものがあります。


 これは「標字訂注傷寒論」と題された江戸時代(1848年)の書物の一ページです(早稲田大学図書館所蔵)。著者は小原蘭峡という人ですが、厳密に言うと、張仲景が書いた傷寒論に小原蘭峡が注釈をつけた本です。
 2行目を見てください。「太陽」の「太」と「陽」の間に短い棒線があるのにお気づきになられたでしょうか?これは英語のハイフンと同じで、「太陽」を一つの単語として読むことを示しています。だから「太陽」を「太い陽」とか「太だ陽」という風には読まない、ということになります。
 そして、陽の右下に「ノ」とカタカナが振ってありますから、「太陽の」ですけれど、次の漢字「之」は「の」または「これ」と読むので、「之」は「の」と読むのだ、ということがわかります。

 次の漢字「為」の下には「レ」とか「ル」とか書いてありますが、漢字の左下の記号は読む順番を示し、右下のカタカナは送り仮名です。
 まず左下の「レ」ですが、これは返り点と言って、その次の漢字を先に読むことを示す記号です。すなわち「病→為」の順番に読め、ということです。次に、右下の「ル」は送り仮名で、「為」は「為す」と読むのではなく「為る」と読むことが分かります。ここまでで、「太陽の病たる」と読めるわけです。

 そして「脈浮」「頭項」「強痛」はハイフンが打ってありますから、そのまま続けて読みます。そして「痛」の右下にカタカナの「メ」のような送り仮名が振ってあります。「痛め」と読んでしまいそうになるのですが、慣用的なルールで「メ」は「して」と読むことがあります。
 「め」と読むか「して」と読むか迷うところですが、次の漢字「而」がヒントを与えてくれます。「而」は単独では「しこうして」と読みますが、前の漢字とくっ付いて、「××して」と読むこともあります。論語の有名な一節「学而時習之(学びて時に之れを習う)」にも「而」が出てきますね。
 よって、「メ」は、次に「而」がくることから、「して」と読むのだろう、ということになります。たしかに「痛め」と読んでしまうと「強痛」を一つの熟語として読めなくなってしまうので、やはり「強痛して」のほうがつじつまが合います。

 以上より、小原蘭峡の説に従うと

「太陽之為病、脈浮、頭項強痛、而悪寒」

 は

「太陽の病たる、脈浮、頭項強痛して、悪寒す。」

 と読むべきだ、ということになります。「太陽の病為る、脈が浮き、頭や項が強ばり痛み、而して悪寒する」という読み方とは少し異なりますね。どちらの読み方でも意味が通れば構わないのでしょうが、いちおう、小原さんのような読み方が定説として通っています。

 このあいだ、二松学舎大学の町泉寿郎教授に教えていただいたのですが、論語の有名な一節「朋有り、遠方より来る。また楽しからずや」は、昔は「朋、遠方より来たれる有り。また楽しからずや。」と読むのが一般的だったんだそうです。たしかに、「遠方より来たれる有り」のほうが、「わざわざ遠くから来てくれたんだよ、嬉しいじゃないか」というニュアンスがより伝わるように私には思います。それにしてもこんな有名な一節でも、時代により読み方が変わるとは驚きです。

 さて、送り仮名の記載には、カタカナ以外にも、省略して点で書き記したものもあるそうです。

 この図は、「ヲコト点」という送り仮名のシステムを示した図です。たとえば、漢字の右上に小さい点が付けてあると、送り仮名の「を」を付けて読む、左上に点が付けてあれば「に」を付けて読むのです。先ほどの『傷寒論』の一節「強痛して、悪寒す。」にヲコト点を付けると、こうなります。

 先日、日本最古の国産医学教科書である「医心方」の勉強会に参加したのですが、一つのテキストに複数の学者が「ヲコト点」を書き込んでいて、解読するのが大変だ、という話を聞きました。
 それぞれの学者が自分の学説を基に、漢文テキストの独自の「読み方」主張するので、「ヲコト点」の振り方も微妙に違います。そこで、他と混同されないよう、ある学者は朱色で、ある学者は濃い黒で、またある学者は薄墨で...というふうに、工夫して書きこんではいるのですが、私のような素人に言わせれば、数百年前の墨のにじみか、紙の汚れにしか見えません。しかも、「ヲ」と「コト」の点の位置なんか、かなり微妙です。
 これを丹念に追いかけている研究者の執念には頭が下がるのですが、ヘンテコといえばヘンテコですよねぇ......。

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津田篤太郎(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。

子どものころ、人間の模型図の腸のかたちが巨大迷路に似ていることに興味を持ち、解剖図を眺めるのが好きになる。

現在、聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長。西洋医学と漢方の双方を生かす医療をめざしている。

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