本屋さんの遊び方

本屋さんの遊び方善行堂さん

「古本屋は、"本の宇宙"。明治・大正・昭和に生まれた本が、今日も新たな読み手との出会いを待っている」

古書店をそう評したのは、京都は銀閣寺門前のほどちかくに店を構える「古書善行堂」の店主・山本善行(やまもと・よしゆき)さんだ。

山本さんは、1956(昭和31)年生まれの御年54歳。10代の終わりから古本の世界に目覚め、かれこれ40年近く古書店を巡る日々を送っている。「古本ソムリエ」の異名を持ち、古本に関する著書や雑誌の連載記事も数多い。

ここ10年ほどは、関西発・本と本屋さんを愛する人のためのリトルプレス『sumus』(スムース)の代表を務めている。『sumus 13号』(2010年2月刊)の「まるごと一冊晶文社特集」は、出版と書店の周辺にいる人々の話題となった。

その山本さんが、2009(平成21)年7月に、満を持して「古書善行堂」を開店させた。だが山本さんは、古書人生のほとんどを、「買い手」として歩んできた。かつて、自著のなかでこうもつづっている(『関西赤貧古本道』2004年2月刊)。

「私の場合、本は売る程あっても、しかも毎日古本屋に通っていても、古本屋になりたいとは思わない。買う方と売る方、同じ本を扱うのだけれど、警察と泥棒ほどちがうのではないか。どちらが泥棒かはよくわからないが。
私は、まだまだ、買うほうが楽しく、買う側にいたいと思っている」

この言葉から5年半、山本さんが「売り手」になるまでにどんな心境の変化があったのか?「そもそもなぜ古本なのか?」ということとも気になって仕方がない。

実は、山本さんにお話を伺いたいと思ったきっかけは、今年はじめの「本屋さんと私」のコーナーにある。夏葉社・島田潤一郎さんの取材のなかで、「古書善行堂」と山本さんが、夏葉社2冊目の『昔日の客』(関口良雄著)が生まれるきっかけになったというはなしを聞いてのことだった。そのことについても、詳しく伺ってみたい。

なお、今回京都の本屋さんにお邪魔したのは、ミシマ社京都支社設立を記念してのこと。「本屋さんの遊び方 京都編」と銘打って、「古書善行堂」「ガケ書房」「恵文社 一乗寺店」に話を聞いた。

「本屋さんの遊び方 京都編」書店分布の図。青:古書善行堂、赤:ガケ書房、緑:恵文社 一乗寺店。より大きな地図で表示


古書善行堂
ホームページ:http://www.hat.hi-ho.ne.jp/zenkoh/
ネットショップ:http://zenkohdo.shop-pro.jp/
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/zenkoh/

(聞き手・文:萱原正嗣)

第20回 京都編・古書善行堂 山本善行さんに聞きました――果てしなく、無限に広がる古本の世界

2011.04.11更新

夏葉社との出会い

―― 本日はよろしくお願いします。今年のはじめに、夏葉社・島田さんに取材をさせていただきまして、そこで「善行堂」と山本さんが、あの素晴らしい『昔日の客』復刊のきっかけになったということを伺いました。まずは、そのときのことからお聞かせください。

山本こちらこそよろしくお願いします。

島田さんとの出会いは印象的でした。島田さんが来るという連絡をくれたのは、詩人の金子彰子さんという方でした。善行堂で金子さんの詩集を置いている関係で、ご縁がありました(『二月十四日』(龜鳴屋))。あるとき、メールが届いたんです。

「夏葉社という出版社をひとりでされている島田さんという方が京都に営業に来ます。そちらにもご挨拶に伺うと思うのでよろしくお願いします」というような内容でした。
なんでも、ツイッターで島田さんと知り合ったということでした。こちらは、ツイッターの世界があまりよくわからない上に、そのときは夏葉社のこともよく知りませんでした。「営業に来るっていうことは本を置かせてほしいっていうことかな」と思いつつも、まずは話を聞かせてもらうしかないと思っていました。

それから間もない定休日のことです。金子さんからまたメールが届きました。「島田さんが今日そちらを訪ねたようですが、定休日でご挨拶ができずに残念がっていました」という内容でした。せっかく来てくれたので申し訳なく思いましたが、とはいえどうしようもありませんでした。
翌日も、そのことが気になっていました。どんな人なのかと想像していたら、島田さんがまた訪ねてきてくれました。

この商売は、店に一歩入ってもらうところから始まります。店のなかで棚を見てもらって、本を手にとってもらう。それがこの商売のすべての始まりにして大きな喜びです。
店に一度来てくれるだけでも嬉しいのに、島田さんはわざわざ二度も足を運んでくれた。それがまず印象的でした。

話を聞いてみたら、私が大好きなマラマッドの『レンブラントの帽子』を復刊で出すというので、ますます嬉しくなってしまいました。
それは、単に好きだからという以上の理由があります。『レンブラントの帽子』は40年くらい前に出た本で、古書店でもそうしょっちゅうお目にかかれるわけではありません。あっても値が高くついてしまいます。なので、お客さんにすすめたくともすすめられない。
その本を出してくれるなんて、信じられない思いでした。

さらにじっくり話を聞いてみると、島田さんの心意気にも胸を打たれました。「この本と心中してもいい」という思いがひしひしと伝わってきて、「なにがなんでも応援したらなあかん」と思いました。
作品が素晴らしいのはわかっていました。売る自信もあったので、最初にいきなり30冊入荷しました。彼もきっと驚いたと思います。実績のない出版社で、営業まわりをしても1店舗2、3冊というのがいいところだったはずですから・・・。これまでに50冊くらい、読み手に届けることができました。多くの人がこの本との出会うきっかけをつくってくれた島田さんに感謝の思いでいっぱいです。

『昔日の客』ができるまで

―― 『昔日の客』復刊の経緯についてもお聞かせください。

山本『レンブラントの帽子』がきっかけで、島田さんとはよく電話で話すようになりました。「こんな本を出してほしいなぁ」「こんな面白い本があるから読んでみたら?」という話を私がしては、島田さんが熱心に聞いてくれる。そんなやりとりが続いていました。
あるとき、「古書店の店主が書いた素晴らしいエッセイがある」という話をしました。それが『昔日の客』です。

この本は、著者の関口さんの「人への愛」「本への愛」が溢れていて、本当に素晴らしい本です。私も何度読んだかわかりません。昔から古書店にもあまり出回らず、値が張る本でした。若いころは手に入れることができずに、友人から借りて読んでいました。借りては読み、返してはまた借りて読む。友人から「何回借りんねん」「いい加減買えや」と言われるほど、何度も何度も借りて読みました。それだけに、この本を手に入れられたときの喜びはひとしおでした。

私は、いまは古本屋の新米で、変わり種なのかもしれませんが、『昔日の客』は大先輩が残してくれた宝だと思って、いまもバイブルとして大切に読んでいます。

―― 私も読ませていただきましたが、本当に感激しました。感激したポイントはいろいろありますが、何より日本語の美しさが印象的でした。

山本心がこもった、ユーモアのある温かい文章です。深い愛情がなければ、あれだけの文章はかけません。

それだけ素晴らしい本があるということを島田さんに伝えて、「読んでみたら?」とすすめたんです。でも、この本は、当時の古書相場で15,000円くらいしましたし、そもそも古書店にも滅多に出回りません。これも、お客さんにすすめたくてもすすめられない本のひとつです。島田さんにはぜひ読んでほしいと思いましたが、ものがないから贈ろうにも贈れない。もどかしい思いをしていました。

―― 15,000円ですか・・・。

山本島田さんから聞いた話では、「あちこち古書店を探しまわっても見つからない。ついには国会図書館にまで足を運んで、ようやく『昔日の客』と巡り会えた」ということでした。

それを聞いて、胸が熱くなりました。たとえすぐに手に入る本でも、すすめた本を読んでくれたら嬉しいのに、そこまでかけずりまわって探してくれるなんて・・・。自分のひとことでそこまでしてくれたというのが、心が通いあったようで本当に嬉しかったです。

島田さんは、読んだら読んだで動きが早かった。すぐに「本を出したい」と電話がかかってきました。私としては、まさかそんな展開になるとも思っていなかったので、嬉しくもあり驚きでもありました。一方で、どれだけ広く受け入れられるかはちょっと心配でもありました。古書好きには間違いなく受け入れられると思っていましたが、古書店店主が書いたエッセイは、特殊な本であることには違いないので・・・。

結果的に、多くの人に受け入れられることになって、本当によかったと思っています。心に響く本を出せばちゃんと届くということを島田さんが証明してくれました。
それにしても、この本を普通の人がすぐに手に入れられるようにしてくれて、本当にありがたいと思っています。著者の奥さん、息子さんにも喜んでいただいて、忘れられない大切な思い出になっています。

善行堂ができるまで

―― 山本さんは「古本ソムリエ」として、長く古本を「買う」側にいらっしゃいましたが、そこから「売る」側に転じて、「善行堂」を開こうと思われたのは、どういう心境の変化があったのでしょうか? これまでの古本人生を振り返る形で、善行堂をつくる経緯についてお聞かせください。

本屋さんの遊び方 善行堂さん

山本さんの口を衝いて出るのは本の話ばかり。そのときの幸せそうな表情といったら、見ているこちらが羨ましくなるほどでした。

山本どこからはなしをするかですが・・・、かれこれ25年くらい、東大阪で塾を営みながら、毎日古書店を巡る生活を送っていました。塾は夕方から授業が始まるので、それまでは思う存分古書店をまわれるし、本を読む時間もたっぷりあります。それができるから塾の仕事を選んだ、という側面もあります。

―― 毎日古書店に行かれていたんですか?

山本毎日です。京都から東大阪まで2時間くらいかけて通っていましたが、途中であちこちの古書店に寄り道して、両手に本をたくさん抱えて塾に着く。そんな生活でした。もちろん、塾が休みの日は通勤しませんが、そのときは家の近くの京都の古書店に通っていました。

次第に、本についての文章も書くようになりました。『sumus』という雑誌を本好きと一緒につくって出したり、『関西赤貧古本道』(新潮新書)という本を出したり・・・。
そのうち、自分が選んだ本を売るようにもなりました。この店の近くにある「ガケ書房」で、本を売らせてもらえるようになったのが最初のきっかけです。

―― ガケ書房さん、この後取材に伺います。そちらの「貸し棚」のサービスですよね?その第一号が山本さんだという情報を耳にしましたが・・・。

 * 貸し棚:棚を間貸しするガケ書房独特のサービス。詳しくはこちらを参照。

山本そうなんです。「貸し棚」の第一号です。
私の家はここから近くて、ガケ書房ができたときは気になって、開店間もないころにお店にいきました(2004年2月開店)。それまでは、本を売るよりも買う方がいいと思っていましたが、ガケ書房を訪ねたら、本を売るのも面白そうだと思えてきました。はじめてガケ書房に行ったその日に、「ここで自分の蔵書を売らせてほしい」と、店長の山下さんに頼んでみたら、向こうも面白がってその場で了承してくれました。
それから、ガケ書房との付き合いが始まりました。

2005(平成17)年には、ガケ書房がコーディネータになって、かつての京都河原町阪急(*)で本のフェアをやることになっていました。山下さんから「山本さんの本だけでフェアをしませんか?」と誘いを受けました。そのときに何かキャッチフレーズがいるだろうということで「古本ソムリエの世界」というフェアの名前になりました。

 * 京都四条河原町にあった阪急百貨店。2010年8月に34年の歴史に幕をおろし閉店。

―― 「古本ソムリエ」の名はそこから・・・。

山本そうなんです。そんなこんなで、買う楽しみ、読む楽しみだけではなくて、売る楽しみも覚えていくわけです。自分がいいと思った本を買ってくれるのが嬉しくてたまりませんでした。
一方で、塾の仕事もいろいろな事情があってたたむことになりました。それで、塾を閉めるんだったら古本屋をやろうか、と思うに到ったわけです。

―― 開店まではすんなりことが運んだのでしょうか?

本屋さんの遊び方 善行堂さん

あと数カ月で2歳になる「善行堂」。この辺りは、山本さんにとって古書の思い出が詰まった場所。「そんな場所で店を開けるなんて感慨深い」と山本さんは言葉を漏らす。

山本最終的に決断するまでには時間がかかりました。周りからは「ネットで始めたら?」とも言われましたし、「本を手放せるのか?」とも言われました。
私もネットでもいいと思った時期もありましたが、最終的には、自分が集めてきた大切な本を、ネットでは手放せないと思いました。いまはネット販売も始めていますが、全体からすればごく一部です。自分はネットで買うのに身勝手だとは思いますが・・・。

いろいろ考えた結果、店に来てくれた人に手渡しする形なら、大事な本も手放せると思いまいした。実店舗を出すことに決めて、自分を追い込む意味で2009(平成21)年3月に塾を閉めました。

塾を閉めてからもまた大変でした。2、3カ月くらい場所が決まらなくて・・・。しかも、そんな状況なのに、気がついたら古本屋に足を運んでしまう始末でした。家族の手前もあるので毎日物件探しに出ていましたが、「やらなあかんことがあるのに古本屋に行ってしまう自分」との戦いの日々でもありました。

古本なのはなぜですか?

―― そもそも山本さんは、どうして古本の世界にはまっていかれたんでしょうか?

本屋さんの遊び方 善行堂さん

書棚を整理する山本さん。書棚から本の世界がどこまでも広がります。「本の宇宙」を統べる山本さんは、さしずめ「本の神様」というところかもしれません。

山本実は、いまも昔も、古本でなければダメということは一切ありません。本が好きなんです。いまも新刊書店にもよく行きます。
古書店と新刊書店と両方あるなかで、古書店の魅力は、やっぱり安いということです。「古書店は高い本しかない」と思っている人が多いようですが、元値より高くなるような本は、ごく一部です。いい本を安く買えるのが古書店の最大の魅力です。

それと、新刊書店にはない本が、それこそ山のように置いてあります。新刊書店に置いてあるのは、ここ数年に出版された売れ筋の本ですが、古書店では、古くは明治・大正・昭和に出版された素晴らしい本と出会うことができます。古書店は、本の世界がどこまでも無限に広がる「本の宇宙」だと思っています。

―― 本の世界に入っていかれたきっかけは何だったのでしょうか?

山本昔から収集癖があって、高校生のころには、参考書を集めるのに躍起になっていました。ちょっとやっては新しいのを買い、勉強机に参考書が並んでいくのを楽しんでいました。友達に新しい参考書を自慢するのも楽しみのひとつでした。

そうやって集めた国語の参考書で遊んでいたある日、ふと、ひとつの文章が目に止まりました。小林秀雄の「無情といふこと」です。それから気になって、国語の問題文を調べたら、いい文章が多いんです。小林秀雄のほかにも、中野重治しかり、大岡昇平しかり。

問題文の続きが読みたくなって、新刊書店に本を買いにいくようになりました。当時はまだ学生でお金がないので、買うのはもっぱら文庫本です。文庫本が一冊一冊机の上に並んでいくのが美しいと思えましたし、読んだ満足感もあって、本の世界にどんどんのめりこんでいきました。

本の世界は、こちらがのめり込めばのめり込むほど、どんどん広がっていきました。一冊読むと、そこから派生して何冊もの本が読みたくなります。そうこうしているうちに、いくら文庫本とはいえ、小遣いだけでは続かなくなってきました。文庫になっていない本が多いということもわかってきました。とにかくたくさん読みたい、そのために少しでも安く買いたいと思うようになりました。

高校の同級生に、岡崎武志という古本ライターがいます。高校時代に本の話をしたことはなかったんですが、彼が本を読んでいるということは知っていました。大学に入ってから、読んだ本のことを誰かに言いたくて仕方がなくなって、彼に手紙を出しました。いま思えば、本を愛する者どうしのラブレターみたいなものです。私が2枚書いたら5~6枚返事をくれました。住んでいるところは決して離れていないのに、奇妙な文通が始まりました。

そのうちに、岡崎と一緒に古書店巡りをするようになりました。とにかくたくさん買いたかったので、安さを追求してあちこち歩きまわりました。「1,000円あったら一冊50円の本が何冊買えるか」という勘定です。そうやって古書店をまわっていると、どこが安いか鼻が利くようになってきます。「ミステリーならここ、文芸書ならあそこ」といったように、ジャンルごとに安い店も違うということもわかってきました。

「古本ソムリエ」の「本屋さんの遊び方」

―― 1円の違いで自転車をこぎ回す大阪のおばちゃんみたいですね。山本さんご自身は、古書店でどんな風に遊ばれていたんですか?

山本私にとっては、本を安く手に入れるのが何よりの楽しみです。
そういう意味で、一番楽しめるのは、古書店が一同に介する「古本まつり」です。お店だと、だいたい店頭に出ている「均一台」が私の持ち場です。100円とか300円とか、金額はお店によってまちまちですが、そのお店の雰囲気と馴染まない本や、長い間売れなかったような本が並んでいます。

お店の側は、ときどきわざと掘り出し物を混ぜてくれていて、「これが本当に100円でいいの?」という本に出くわすこともあります。実際、1万円の値がついてもおかしくない本を100円で手に入れたことも何度かあります。私はあちこちの店の「均一台」で粘りに粘ってお宝を探り当ててきたので、古本仲間からは「ゴッドハンド」という呼び名も頂戴しています。もちろん、そんな宝物に出くわすのは数千冊に一冊ぐらいですが、だからこそお宝を探し出す楽しみがあります。

この本の世界は、知れば知るほど深まっていきます。読めば読むほど、知らなかった本の存在を知るようになります。そうすると、本を見る目も肥えていき、お宝に巡りあう機会も増える。どんどん楽しくなっていくんです

ですが、いつもいつも掘り出し物に巡りあえるわけではありません。それでも私は、書店に行ったからには買いたい性分で、「題が面白い」とか「本のつくりが面白い」とか「紙の手触りがいい」とか「奥付の検印紙」がいいとか、買うための方法をいろいろ考えています。

―― 実際、どれぐらいの量を買われるんでしょうか?

山本月に200冊や300冊はゆうに超えます。もちろん全部は読めませんが、買うのが好きで、読めたらなおしあわせだと思っています。買わなかった本は読めませんから。
いまは古本屋をやっていますが、休みの日も書店に行っています。書店巡りの回数はさすがに減りましたが、ほしい本は増える一方ですし、買う量はむしろ増えていると思います。商売にしても、本への愛は変わりません。これには自分でも驚いています。

―― それだけのペースで本が増えていくと、保管場所はどうされているのでしょうか?

山本文字通り、本の重みで家が傾くかどうかの瀬戸際です。我が家は子ども2人の家族4人暮らしですが、テーブルの下にもこたつの下にも本があふれていて、テレビも一部が本で見えなくなっています。「店をやるにあたって反対はなかったのか?」とよく聞かれますが、家がそんな状況だったので、家族からはむしろ歓迎されました。「家から本なくなるの?」って。

善行堂の遊び方

―― 善行堂では、来た人にどんな風に「遊んで」ほしいですか?

本屋さんの遊び方 善行堂さん

山本さんがいま一押しの本がこれ。『いまそかりし昔』。京都の小さな出版社「りいぶる・とふん」からの発行で、平塚雷鳥のお孫さんたる故・築添正生(つきぞえ・まさみ)さんの手になるエッセイです。表紙の圧倒的な存在感に目を奪われていたところ、山本さんからの「これいいんですよ」のひとことで購入しました。飾らない語りが不思議と心にしみてきます。一般流通には載っていないので、「出会った」ときが買いどきです。

山本とにかく、本と「出会って」ほしいと思います。探している本ではない本と出会ってほしいと思っています。
インターネットが普及して、探している本を見つけるのは実に簡単になりました。そういう本は、ネットで買えばいいと思います。私もネットでも買います。

そうではなくて、散歩の途中でぶらっと入って、知らない作家の本や、直感でもなんでもいいから、文庫本や詩集を手にとってみてほしいと思います。その本をポケットやカバンに忍ばせて、鴨川のほとりまで散歩して、川の流れを感じながら本を読むなんていうのは、最高の遊びだと思います。

「自分では選べない」という人がいれば、ちょっとヒントを与えてもらえれば、いろいろな本をおすすめできます。最近でも、「ここのところどうにも気が重い。元気が出るような本はないか?」という電話がかかってきて、後日お店に来られた際にあれこれお見せする、というようなことがありました。

その人自身のことや、これまでに買ってくれた本、好きな本がわかれば、いろいろな視点からおすすめできます。その人が好きそうな系列から何冊か選んで、一方で、こんな本は読んだことがないやろうという本を何冊か選んで・・・。それで、後日「よかったよ」って言ってもらえたら、これほど嬉しいことはありません。

本屋さんの遊び方 善行堂さん

山本さんの「本への愛」の根底にも、関口さん同様、深くて大きい「人への愛」が感じられます。こんな「ソムリエ」が近くにいれば、きっと人生が豊かになるはずです。

きっかけは何でもいいんです。「文学は縁がなかったけれど挑戦してみたい」とか「旅行が好き」とか「汽車が好き」とか「絵が好き」とか、何かヒントをもらえれば、そこから話をして広げていくこともできます。ワインのソムリエが、その日のその人の気分や料理にあわせてワインを選ぶように、私は本を選びたいと思っています。

なので、善行堂に来てくれた人は、ぜひ私に話しかけてほしいと思っています。それで、こちらが教わることも多いですし、お客さんとの会話を通じて、古本屋は育っていくものだと思っていますから。

―― まさしく「古本ソムリエ」のおもてなしですね。

山本この店は、「セレクトショップ」と形容されることもありますが、決して自分が好きな本だけを置いているわけではありません。お客さんから教わった本や、お客さんが求めている本で、棚がどんどん変わっていくんです。この店に来たことがきっかけで、お客さんの本の世界も広がってくれたら嬉しいですが、ここに来ていただくことで、私の世界も、店の世界も広がっていくんです。

善行堂の世界~本の選び方と棚のつくり方~

―― 本の選び方や棚のつくり方についても伺わせてください。先ほどのお話だと、蔵書から本を選ばれているとのことですよね? 家が傾くほどの膨大な蔵書のなかから、棚に並べる本をどうやって選ばれているのでしょうか?

山本はじめは、何万冊とある蔵書のなかから、自分が読んで人にすすめられる本を中心に棚をつくりました。そのうちに買い取りがあって大量に本が入ってきて、その中からいい本を選んで並べる流れができてきています。

私自身が小説やエッセイが好きなので、棚に並ぶのは文芸書が中心になります。店の雰囲気には馴染みにくいけれども、どう見てもよさそうな本は、店の前の「均一台」に出して、その本を求めている人に安く買ってもらえるようにしています。ちなみに、うちの「均一台」は100円から300円です。

―― 棚のつくり方はいかがでしょうか?

本屋さんの遊び方善行堂さん

何が飛び出すかわからない書棚。いろんな本が、今日もあなたとの出会いを待っています。

山本はじめは、わざとバラバラに並べていました。落語の本の横に哲学書を置くようなことをして、「こんな本もある、あんな本もある」と、本を「発見」しながら、棚の多様性を楽しんでもらおうという狙いです。

ジャンルがはっきり分かれていると、見る方は安心してしまって、自分に関係ない棚は飛ばしてしまいます。それだと、意外性のある「出会い」は生まれません。
私はそういう「出会い」や「発見」が大好きですし、そうやって古書店を巡ってきたので、この店でもそうやって棚をつくっていました。

ただ、書店に来る人には、選ぶのがじゃまくさい人も結構な割合でいるということがわかってきました。パッと決めてパッと帰りたい人もいる。そういう人のために、最近は、いくらかはジャンルを分けるようにしています。映画の本、絵の本、落語の本といったような具合です。

それでもやはり、はじめのころのテイストは残しています。自分のイメージを残しつつ、店に来てくれる人の気持ちも汲める範囲で汲んでいます。日々試行錯誤です。そうやって店は変わっていくし、店ならではの雰囲気が出来上がっていくものだと思っています。

―― お店を始められて2年弱ですが、ここまでの道のりを、ご自身でどうご覧になっていますか?

山本商売になっても本への愛は変わらないどころか、むしろ増しているのには驚いています。「仕事にすると情熱が冷める」という話はよく聞きますが、少なくとも私の場合は逆の現象が起きています。

―― 経営の方は順調でしょうか?

山本経営はギリギリです。というか、借金もしているのでマイナスは出ていますが、何とかやってこられています。その辺りはのんきというか、いいように考えるようにしています。この商売は定年があるわけでもなく、長く続けることができます。70歳になっても80歳になっても元気であれば続けられます。その年でも元気そうでしょ? きっと銀行も、「この人は80歳まで元気そうだ」と思ってお金を貸してくれたんだと思います。

無責任な発言かもしれませんが、私は、もっといろいろな人に古本屋をやってほしいと思っています。続けるための条件は、人によってまちまちですが、やり方次第で何とかなると思います。生活するのにいくら必要か、ということもあるし、店を借りる必要があるか、人を雇うかどうか、でも必要な売上は変わってきます。私の場合はひとりで経営していますが、家賃は発生しています。妻も子どももいるので、それなりの稼ぎは必要です。まだマイナスを脱していないので、偉そうなことはいえないかもしれませんが、それでもこの間、なんとかなっています。

古本好きの人は、いろいろな古書店に行くのを楽しみにしています。それは、店ごとに独自の雰囲気があるからです。なので、古書店が増えればそれだけ楽しめる場所も増えます。いろんな人が、どんどん古書店をつくってほしいと思います。

「古本ソムリエ」いまむかし

―― 山本さんは、ずっと京都ですか?

山本私は大阪生まれの大阪育ちです。大学5回生(*)のときに、わざわざ京都に下宿しました。それも、卒業できたのに、もうちょっと本を読む生活をしたくて、わざわざ1年留年したんです。いま思えば、留年といい、下宿といい、親がよく許してくれたなと思います。京都に来たのは、一人暮らしをしてみたかったのがひとつと、私はジャズも好きなんですが、京都にはジャズ喫茶が多かったことが理由です。

大学を卒業しても就職しないで、5、6年アルバイトをしながらふらふらしていました。生活はギリギリでしたが、古本屋に行けて、本が読めて、ジャズ喫茶に行ければそれで十分でした。毎日同じ服でも同じ食事でも平気でした。岡崎とふたりで一緒にアルバイトに行って、帰りに古本屋に寄って帰ってこないということもありました。ふたりでハミガキやシャンプーの店頭販売をしていたのが懐かしいです。

 * 5回生:関西では、「1年生」「2年生」と言わずに、「1回生」「2回生」と表現する。「5回生」は「5年生」のこと。

―― 30年くらい前の話ですよね。元祖フリーターですね。

山本店を開くまでやっていた塾も、最初はアルバイトで始めたんです。友達が大阪で個人塾を始めて、「手伝ってくれないか」と頼まれたのがきっかけでした。「大阪の古本屋に行けるからいいや」というなんとも安易な理由で引き受けました。

そうしたら、塾を始めた友人が、2、3年したら急に塾をやめるって言い出したんです。「これからはシュタイナー教育や。塾なんてやっても意味がない」って。私はシュタイナー教育に明るくないので、いまもって意味がわかりませんが、「生徒もいるし、急にやめるわけにはいかん」と思って、塾を引き継ぐことにしました。それが確か30歳ぐらいのことです。いまにしても思うと、何とも成り行きまかせの青春時代でした。

―― そこから、「塾と古本の日々」が始まるわけですね。

山本本について語り合える、岡崎という友人がそばにいたことが大きかったと思います。ふたりで語り合って、必死になって著作を探していた作家が世間で認められるようになってきたのも嬉しく思っています。美術エッセイストの洲之内徹(すのうち・とおる)や、小説家の野呂邦暢(のろ・くにのぶ)は、雑誌まで血眼になって探していましたが、近年作品集が出されて、多くの人が著作に触れることができるようになりました。

そうこうしているうちに、「本について書きたい」という思いも芽生えてきました。岡崎の影響が大きかったと思います。岡崎が中心メンバーになって、『ブラケット』という会員制の同人誌をつくるときに、私にも声をかけてくれたんです。そこで書くチャンスをもらえましたが、いざ原稿用紙に向かうと書けない時期が続きました。

『ブラケット』が終わって、1990(平成2)年に岡崎がライターを志して上京します。近くに本の話ができる友人がいなくなったのは残念でしたが、電話ではよく話していました。そうしたら、あるとき「また雑誌をやろう」という展開になりました。『ブラケット』で一緒だった林哲夫という画家を巻き込んで、1994(平成6)年に『ARE』(アー)という雑誌を始めました。またしても本の雑誌です。4年間で10号まで続けて終刊しましたが、そのときの古本好きが集まって、1999(平成11)年に『sumus』を始めました。

 *『sumus』のサイト:http://www.geocities.jp/sumus_livres/
 『ブラケット』『ARE』『sumus』の歴史については、下記も参照。
  http://d.hatena.ne.jp/beniya/20090320
  http://www.geocities.jp/sumus_livres/sumus-chronicle.htm

京都ってどんなまちですか?

―― 最後に、山本さんにとって、京都はどんなまちかを伺わせてください。

本屋さんの遊び方善行堂さん

関西ジャズまるごと無料情報誌『way out west 4月号』。ジャズが好きな山本さんは、この4月号から「本の中の、ジャズの話」という連載を始めちゃいました。

山本こじんまりした小ささが気に入っています。まち全体がコンパクトだから、あちこち歩いていけるし、歩くのが楽しいまちだと思います。古書店も多いし、ジャズ喫茶も多い。私にとっては楽園のようなまちです。

私は散歩が好きで、京都のまちをぶらぶらと歩いていると、鴨川に出くわすことがあります。散歩をするのは古書店帰りのことが多いですが、鴨川でたたずんで本を読むのは最高の贅沢です。
場所柄、あちこちから人が訪ねてくるのも京都の魅力だと思っています。

この店にも、ありがたいことに全国各地から人が訪ねてきてくれます。先だっては、北海道からきた修学旅行の高校生が、善行堂を訪ねてくれました。それだけでも嬉しい話ですが、後日その生徒のお母さんからなんともありがたいメールをいただきました。「息子が、善行堂があるから、大学は京都に行くと言い出しました」と。

「一度ならず、大学に入ったらまた来てくれるのか」「その子が在学中にいろいろな本を読んでくれるのか」と思ったら、いまから心がそわそわしています。

本屋さんの遊び方 善行堂さん

京都に行けば、山本さんに会える。京都に行く楽しみがまたひとつ増えました。

さらには、お母さんまでもが「今度ツアーを組んでお店に行きます」と言ってくれるようになっています。「息子がそこまで気に入る本屋はどんな本屋だろうか?」と気になるんでしょうが、迎えるこちらとしては緊張しています。「がっかりされると行けないから、そのときぐらいは片付けてきれいにしておいた方がいいのかな?」なんてことを思う日々です。

こんな風に、人の輪が広がっていくのも、京都のまちの魅力だと思います。
今後は、善行堂で雑誌を出すなり、どんどん発信をしていきたいと思っています。「あそこは面白いことをやっている」と、京都のみならず全国から人が覗きにくるような店にしていきたい。そんな野望を抱いています。

―― 私もこちらにまた遊びにくるのが楽しみです。今日はどうもありがとうございました。

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