本のこぼれ話

前作『遊牧夫婦』発刊から約1年。遊牧夫婦の第二弾『中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く』がついに本になりました。
タイのお寺で瞑想修行。タイとミャンマー国境の街で暮らす残留日本兵。吃音を克服した昆明での暮らし。そして上海へ。本書では約2年間の旅がまとめられています。

中国だから見えてくる、日本人のあり方や旅先での生活とは? 働き方とは?

発売当日、その出版を記念して「旅の本屋 のまど」さんでトークイベントが開催されました。ここでは、そのときの模様をダイジェストでお届けします。

(文:松井真平)

第15回本のこぼれ話

2011年10月21日@西荻窪・旅の本屋のまど

第15回 『中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く』発刊記念トークイベント

2011.11.11更新

「『お尻』入んなかったらダメでしょう」

第15回本のこぼれ話

司会本日はイベントにお越しいただきありがとうございます。発売したての『中国でお尻を手術。遊牧夫婦アジアを行く』(ミシマ社)。言うのが恥ずかしいというか笑ってしまう題名なんですけど、発刊を記念いたしまして、著者の近藤雄生さんをお招きして、中国のお話や5年間の旅のお話をしていただきたいと思います。近藤さんよろしくお願いします。

近藤今日はお越しいただきありがとうございます。近藤雄生と申します。まず、口に出すのが恥ずかしいタイトル。このタイトルが決まった経緯をお話ししますと、実を言うと僕はこのタイトルには非常に反対だったんですね。このタイトルを初めて聞いたとき「ありえねえ」と思っていました(笑)。

最初、出版社の三島さんが、僕の原稿を読んでる段階で「近藤さん。タイトル、いいの思いついたんですよ」と言うんですね。「え? なんですか?」と答えると「中国でお尻を手術」。

聞いた瞬間「ありえない」と思って、「何を言ってるんだろう? この人は。でも、最終的にこんなタイトルにならないだろう」とそのときは流してたんです。でも途中で三島さんのタイトルに対する思い入れが本気であることがわかってきた。三島さんはもう「お尻が入んなかったらダメでしょう」「お尻をださなかったらもう逃げですよ」ってそんな感じなんですね(笑)。そこで、「やばい、本気だ、どうしようこのタイトルになっちゃったら」と思って代案を考えたんですけど、なかなか思い浮かばず。

でも、そうこうしているうちに、著者がここまで反対しているタイトルをここまで押してくれる編集者ってすごいなと途中から思うようになりました。三島さんもそのリスクは相当覚悟して押してくださったんだろうというところもすごくあり、「ここまで言ってくれる編集者はいないだろう」とそこに賭けてみようと思うようになりました。

タイトルは、ほんとに「決まってしまった」という感じなんですけど、でも、決まってしまったら最後はタイトルにあうように書き足したりして、その結果だんだんしっくりきて、装幀もできてきた段階で「これでよかった」と思ってます。タイトルから、ちょっと全体をさらけ出した感を感じていただけたらと思います(笑)。

中国でお尻を手術。

第15回本のこぼれ話

それで、何が「お尻を手術」なのかというと、お尻といっても、若干お尻と違って大腸のポリープの手術です。

昆明で暮らしていたあるとき血便が止まらなくなって、途中で回虫も出てくるという、ひどいことになって病院に入院して手術をすることになりました。この本は手術の顛末から始まります。

で、驚いたんですけど、とにかく中国は基本的にすべて前払いなんですね。救急車も前払いで、救急車を呼んでも「お金を払えない人は悪いけど乗せられないよ」という世界。おそらく患者を乗せずに帰ってしまう。

手術の場合も同じで、はじめに大腸手術をするためにお金を払う。そこでレシートみたいなビラをもらって手術室の前に行くと、人がたくさんいる。たくさん人がいるなかでそのビラを持って、先生が出てきたときに「お金払ったよ。次、オレオレオレ」ってアピールしなきゃいけないんですね。

そこでめでたく先生に「じゃぁ、次、君ね」みたいな感じで指名してもらえると診察が始まる。しかも、カルテも何もない状態で始まるんです(笑)。そんな感じで検査を経て、ポリープがあったので手術をすることになりました。

第15回本のこぼれ話

部屋にはベッドがふたつあったんですけど、この隣には誰が寝てたかというと、妻が寝ていました。なんで妻が寝てるかというと、「病室が空いてるから、奥さんも寝てく?」とそういう感じで。しかも、手術直後のご飯が油ギトギトの中華。大腸の手術をしているのに関わらず、チンジャオロースとかが出てくる。

友だちも見舞いに来てくれていたんですけど、「友だちも一緒に食べて行きな」とギトギトの中華がガンガン出てきて、一緒に食べました。僕はその次の日から3日間、39℃くらいの熱を出して熱が止まらなくなったんですけど、多分何かに感染してたと思います(笑)。保険会社の人には「そんなところで絶対に手術しないでください!」なんて怒られた、という顛末がありました。

雲南省、昆明で一年暮らす

第15回本のこぼれ話

『中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く』(ミシマ社)

この本は、東南アジアから始まって中国の話がメインになっています。東南アジアの話はミシマガジンの連載では詳しく書いているのですが、本にするにあたっては若干割愛しました。

簡単に順路を説明すると、まずボルネオ島を旅して、マレーシアを終えて、タイに入ります。そしてタイを北上してバンコク、チェンマイ。僕らは結局タイに3カ月くらいいたんですけど、タイでは例えば残留日本兵の方たちに取材をしたり、お寺に入って瞑想の修行をしたりしていました。タイとビルマの国境沿いはすごくいろいろな物語や人がいておもしろいところでした。そのタイやビルマを回った後、中国の昆明までバスで行き、そこで一年暮らすことになります。

昆明の話はこの本のなかで肝になるので、今回は昆明の話をしようと思います。昆明についたのは、2004年の暮れ。そこで日本に一時帰国した後、2005年の1月に昆明に戻り、大学に通って中国語を勉強しながら一年住むことになりました。

昆明は中国、雲南省の西部でかなり田舎なんですが、人口は300万、400万人くらいの大都市なんですね。そこの人間模様がまたおもしろくて、本のなかでも詳しく書いています。例えば、この辺りはタイ・ミャンマー・ラオスの国境付近のゴールデントライアングルに近いので、麻薬がけっこう盛んなんですね。物価も安くて気候もすごくよいので、僕らみたいなバックパッカー上がりの有象無象な人たちが西洋人から東洋人までたくさん住んでいる。自分のパスポートを売ったお金で7年くらい住んでいるアメリカ人や、テロリストから脱北者を支援する人。年金ぐらしのエロじいさんなどたくさんいろいろな人がいました。

また昆明は、僕にとって大きな変化があったところで、この話は本のなかでも重要なテーマになっています。もともと僕が日本を出たきっかけというのは、「ライターとして生きていきたい」ということの他にもうひとつ「吃音」という大きな理由がありました。吃音は言葉が出てこなくなって、どもってしまう疾病なんですけど、このどもりが高校時代からすごく大きな悩みだったんですね。

人前でしゃべったらこんな感じで話せるんですけど、電話ができなかったり、自分の名前が言えなかったりと、社会生活にけっこう支障をきたしていました。結局この吃音があるせいで、「自分は就職できない」「組織に入って働いていくことはできない」と思ったんですね。ならば自分はフリーでやっていくしかない。そう思い、じゃぁ、どうやっていくかと考えたとき、旅と物書きとしてやっていこうという思いが重なった。

大学時代に妻と出会ったオーストラリアに旅行をしたのも、実は吃音がきっかけなんです。とにかく、僕の場合、何かをやるときの理由は全部吃音から始まっていました。いつも、「これをやったらワイルドになって吃音が治るんじゃないか」「一人旅をすればワイルドになって吃音が治るんじゃないか」という幻想を抱いていました。そして、やるたびに「治らない」とがっかりする。そういうパターンを繰り返していました。

自分は生き方的に見ると破天荒というか、好き勝手にやっていくように見えるかも知れないんですけど、タイプとしては真逆だと思うんですね。自分で言うのもあれですけど堅実というか、もともと破天荒な生き方をするタイプではなかったと思います。でも吃音があったせいで、日本を出なくてはいけないという切迫した理由が僕のなかに生まれた。いま思うと、自分のコンプレックスが最大のエネルギーになったし、このコンプレックスが僕の旅の原点になっていると思っています。

それが、雲南省に住んでしばらくしたとき、最後の一週間くらいを境になぜか吃音がなくなっていったんですね。不思議なことに。「あれ? どうしたんだろう?」と、急にしゃべりやすくなった。「むしろ『近藤です。近藤です』と自己紹介したくてしょうがない」みたいな、そういう時期が突然訪れた。

なぜ治ったのか。いろんな出会いや経験がきっかけになっていると思いますが、理由はいまもよくわかりません。でも、治っていったということは、旅のなかですごく大きな出来事でした。

中国だから見えてくる、日本人のあり方、旅の出発点。

第15回本のこぼれ話

『深夜特急』(沢木耕太郎、新潮文庫)

自分が「旅を書く」ことになって、いろいろな紀行文を読みました。その際、僕が一番気にとめる部分というのは、「この人はどうして旅に出たんだろう?」というところです。そこは、僕にとって非常に興味のあるテーマで、もう少し言うと、その出発点にこそ、その人の旅の重要な個性が詰まっていると思うんですね。

例えば、沢木耕太郎さんの『深夜特急』(新潮社)であれば、「変わっているけど誰でもできるようなことをしたい」「本気で酔狂なことをする」という感じで旅に出たと基本的に本に書いてるんですが、あの人の場合だったら、仕事上の大きなミスをして物書きを辞めようかな、とそういう岐路に立ったときに旅に出た。そういう背景というのが旅のなかに少しずつにおってくる。

あと、僕が好きな本で最近のものでは『空白の五マイル』(集英社)という本があります。この本は僕と同い年の角幡唯介さんという方が書かれているんですが、第8回開高健ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をとったすごい作品で、チベットの辺境の話が書かれています。

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『空白の五マイル』(角幡唯介、集英社)

どのような話かというと、世界中のあらゆる場所が行きつくされて「冒険なんてない」「秘境なんてない」という時代にチベットのツアンポー峡谷というこの場所にだけは前人未到の空白の五マイルという場所がある。そこにはグランドキャニオンより大きな渓谷があって、ナイアガラの滝より大きいという伝説の滝がある。その「五マイル」にいろんな人が挑むんですが、みんな失敗して死んでいった。そういう場所に、彼は挑戦をする。

彼は2002年にツアンポー峡谷の空白の五マイルの踏査のほとんどに成功するんですが、やっぱり自分はあのときの冒険が忘れられないと、勤めていた新聞社を辞めて、2009年冬に再びツアンポー峡谷を目指すんですね。それで、彼が以前テレビで「生と死の境に行ってこそ自分が生きていることを実感できる」ということを語っていたんですね。

僕もそう思ったことがあって、僕が日本人であるということは、日本にいると実感しない。実感する必要は基本的にない。ただ、外国に出たときに、例えば、中国で暮らしたときはじめて自分が日本人であることを認識する。

この体験って、非常に重要なことだと思っていて、彼は「この社会、この世界のなかで生きていたら、自分は生きていることを実感できない」。生きていることを実感するためには死の際までいかなければならない。生と死の境まで行って「死」というものが見えたときに、はじめて自分が生きていることを実感できるという。彼はその実感を求めて旅に出る。

角幡さんの場合は本当に冒険なので、旅とはまた少し違うところがあると思うんですけど、先ほども言いましたが、「その人がなぜ旅に出たのか?」というところは、非常に重要なテーマであり紀行文にとっては一番欠かせないところだと思っています。旅の出発点にどれだけ熱量があるかで、本のおもしろさが決まってくるという思いがあります。吃音は僕にとって欠かせないテーマだったので、そのことは、この本のなかでも詳しく書いています。

この旅をしておれはどうやって生きていくんだろう?

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一巻目の『遊牧夫婦』は、帯に「無職、結婚、そのまま海外」とあるんですが、あまり吃音の話には触れていなくて、なんて言うんでしょうかね、旅の一年目は、とにかく楽しく旅をしました。

一年目はお金を稼ごうというプレッシャーも少なかったですし、「毎日楽しくやっていこう」そういう雰囲気でした。なので『遊牧夫婦』では、その雰囲気を出そうと文体も全面的にポップに楽しくやっている感じになっています。

一方、『中国でお尻を手術。』では、帯が「年収30万円の三十路ライター、人生に迷う」となっていて、旅も2年目に入り、徐々に自分の内面に焦点が向かっていきます。始めは旅をしていることが、非日常でおもしろいんですけど、長く旅をしていくと旅自体がだんだん日常になってくる。そうすると「おれはこの旅で何をしてるんだろう?」とか、「この旅をしておれはどうやって生きていくんだろう?」ということを非常に真剣に考えるようになる。「物書きとしてちゃんと稼げるのかどうか」というところがすごいシビアになってくる。

『遊牧夫婦』と『中国でお尻を手術。』では、文体も意識的に変えてあるので、だいぶ雰囲気は変わりました。旅が長くなると心境の変化がいろいろあります。その辺を本を通じて感じていただけたらと思っています。

「あのおっさんどうしてるかな?」と思えること

旅をしていてひとつ思うことは、それぞれの国に、具体的な顔を思い浮かべることができる人がひとりでもいるということは、それだけで意味のあることだなということです。例えば、自分が旅をしてきた国はイランであったり、グルジアであったり、トルコでも、どこでもそうですけど、何か大きな事件や政治的な問題があったときでも、「あのおっさんどうしてるかな?」と思える人がいるかいないかで、その国に対する印象がすごく変わってくる。

ただ単にデータや情報としてその国を見るのではなくて、例えば、中国に具体的に思い浮かべられる人物がいるだけで、すごく大きなことなんだなと。

中国は本当に、日本と真逆なくらい常識も習慣も違い、インチキやめちゃくちゃなことがたくさんあります。だけど、実際に現地の人たちと接してみると、そこがまた中国の愛すべきところでもあるなと思えるようにもなる。

中国の人たちは人間関係の距離感も近くて、あったかい人たちで、すぐ助けてくれる。日本人は、「自分が干渉しないぶん、干渉もされたくない」という人たちだと思うんですけど、中国の人たちは「自分も干渉するけれど、何かあったら助けるよ」というのがひしひしと伝わってくる。

そのへんの距離感が嫌いな人はあわなかったりすると思いますが、好きな人は本当にあうところだと思います。実際に仕事を一緒にしたりすると「本当に感覚が違う、とても一緒にやっていけない」と、最終的には中国が大嫌いになる人もたくさんいるので、そのあたりは非常に難しいところだと思いますが。

ただ、見た目が似ているから同じようなものを求めてしまうところもたぶんある。「まったく違う」ということを前提として接すると本当にあったかい人だなということを感じました。だから僕にとって中国は、また行きたい国で、ぐちゃぐちゃ感が非常に魅力で、本当に矛盾の固まりのような国だと思うんですけど、矛盾の固まりだからこそのエネルギーだとか、人のよさだとかをダイレクトに感じることができた。

病院もすべて前払いじゃないと受けつけてくれない世界ですし、「とにかく自分でやるしかない」という感じがあって、そのエネルギーというか、自分たちでなんとか生きていかなくてはいけないという必死さとかタフさとかは、やっぱり日本人の僕らにはないところだと思うし、非常に魅力的だなと思っています。『中国でお尻を手術。』では、そのへんのところを詳しく書いています。

旅の良さを実感する5年間だった

この本の話は上海での生活までなんですけど、この『中国でお尻を手術。』の後に、もう一冊出させていただく予定があります。その最後の一巻は、ユーラシア大陸を横断するという話で、楽しい時期を一巻で経て、悩んだ時期、凹んだ時期を乗り越えていくのが二巻。次の本ではユーラシアを一年間かけて横断する移動移動の日々を描いていく予定です。

上海を出たのは2007年で日本を出たときから4年程経っていました。もともとこの旅は3年か4年の旅と思っていて、そのころには自分は31歳になっていました。当時は、このあたりで旅を終えることも意識していたときでしたが、「最後にユーラシアを陸路で横断しよう」と決めて入っていった旅になります。

これから、ユーラシア大陸横断の旅をミシマガジンで連載していきますので、こちらもぜひよろしくお願いします。

最後に少しお金の話をすると、ノンフィクション作家になりたいと日本を出たこの5年間で使ったお金は400〜500万円です。日本で暮らしていたら極貧も極貧ですよね。だけど、昆明では年収30万円でやっていけたりと、コストパフォーマンスが非常に高い旅でした。日本を出たときは文章の能力もほぼゼロでしたし、そこから文章でなんとかやっていけるようになって、写真や言葉、英語と中国語を学ぶことができました。

あと自分にとって一番大きかったことは吃音が治ったことです。そこらへんが本当に僕にとって大きな転機だったし、このコストパフォーマンスの高さを見ると収入が低くても生活できればなんとかなるな、という感覚をつかむことができました。本当に旅の良さを実感する5年間だったと思います。

〜〜〜

質疑応答編

◯旅をする前と旅をした後で、ものの考え方や捉え方で変わったところはありますか。

近藤そうですね。例えば吃音だとかなんだとかを抜きにして、一番変わったところは「とにかく行ってしまえばなんとなる」ということを実感できたところですね。日本を出る前はすべてが未知だったわけです。200、300万円持って3、4年後どうなるかなんて一切わからなかった。でも、やってみて、なんとかなることを実感しました。

「行くか行かないか」が一番のハードルだと思います。そこが一番難しい。行けば、それなりに自分でやらなきゃいけないことはあるので、絶対なんとかなる。そして、この「やればなんとかなる」という感覚は仕事をする上でもすごく大きなことだと思っています。

必ずしも実践できてるわけではないですけど、例えば取材をするときでも「とりあえず会おう。とりあえず会えば何か展開するし」という感覚になれた。それは一番大きいかもしれないですね。

日本にいて、「これから長期の旅をしようかな」と思うと、冷静に考えたら「絶対にムリだ」ということになるわけですよね。冷静に考えたら、行く方は全部未知ですし、リスクを考えたらキリがありません。結局「旅をやめるしかねえな」となる。

考えちゃうと絶対に出られなくなるので、とにかく出ちゃう。「出られるか出られないか」そこが大きな分かれ道だなと思います。その感覚が自分にとって大きなものになっています。


◯都内の大学に通う学生ですが、私はまだ旅というものをしたことがありません。今日の話を聞いて、「やっぱり行かなきゃダメだ」と思ったのですが、旅に出るにあたって「これは必要だ」というようなものってありますか? 

近藤とにかく「何もない状態がベスト」というか、荷物は少なければ少ないほどいいと思います。ものは持たなければ持たないほどいい。旅をして知り合った人で、4年も海外で旅をしているのに、ほんとに小さなリュックひとつと、たまにコンビニ袋みたいなものだけで旅をしている人がいました。

彼はたまに持っているものを全部盗まれるんですよ。カバンごとまるまる盗まれる。だけど、もともと何もないから、すぐに復活する。当然パスポートとお金だけは別に分けてちゃんと持っていますけど、本当にパスポートとお金があれば、いまはカードでなんとかなる。

ぶっちゃけ、パスポートもそんなに重要なものでもないですからね。強盗に「パスポート出せ」と言われたら別に出せばいいんです。大使館に行けば再発行してもらえるので。だから、パスポートもそんなに命かけて守るようなものでもない。それに、4年間ずっと旅をしている知人は、4年間で使ったお金は50万円と言っていました。結局そう考えると何もいらないかもしれません。

僕は、「ものを書こう」という目的があったので、始めは、カメラ二台とパソコンとその周辺機器がぶわっとあり、持ち物の半分くらいを電子機器が占めていたんですね。それが本当にバカバカしくなってきて、途中で僕もこれ全部盗まれたら気楽でいいんだろうなと思うことが何度もありました。だから、とにかくものは少なくしていくのがいいと思います。

人が住んでいるところなら、生きて行くために必要なものはありますから。現地に行って買うことができる。

でも、例えば旅をしていて役立つ物として具体的な話をすると、ビーチサンダルは役立つとか、そういう細かい話はあります。女性なら、妻もいつも持ってたんですけど大きな布。大きな布を持ってると、例えば中国のトイレはついたてがなくて外から丸見えだったりするので、布で巻いたり、布で隠すとか、そういう小技はいろいろあります。そういう最低限必要なものは、やっていくうちに、それぞれ見えてくるので、それ以外は本当にとにかく減らす。捨てる。ということじゃないかなと思います。

司会まだまだ話は尽きませんが、そろそろ終了の時間がやってまいりました。今日は、長い時間、ありがとうございました。

近藤ありがとうございました。

第15回本のこぼれ話

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。著書に『旅に出よう』(岩波ジュニア新書)、『遊牧夫婦』(ミシマ社)がある。

YUKI KONDO

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