本のこぼれ話

なんと!
という書き出しはコラム的にはどうかとは思いますが、なんと(笑)、『小田嶋隆のコラム道』が発売2カ月にして3刷となりました。ご愛読いただきました皆さまには、御礼の申しようもないほど感謝の念にたえません。本当にありがとうございました。

今回、ミシマガでは本書をさらに多くの方々に知っていただこうと、紀伊國屋書店のすご腕書店員の方々と、「コラム道、ここがすごい!」というテーマで座談会をしました。

メンバーは、『THE BOOKS』にもご登場いただきましたお二人、本町店・高澤さんと梅田本店・高橋さん、そして泣く子も黙る「浪速の平積み王」百々課長に本を愛する気持ちは梅田1(?)の浅山さんです。司会は、編集担当の三島がつとめました。

第15回、第16回コラム道座談会、コラム道の読み方

(リード文:三島邦弘、本文:松井真平)

第21回 コラム道座談会 コラム道の読み方(前編)

2012.08.13更新

潔く沈むのも成功のうち

第15回、第16回コラム道座談会、コラム道の読み方

『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)

三島今日は紀伊國屋新ガッツ軍団にお集まりいただきました。よろしくお願いします。

一同よろしくお願いします。

百々各章ベストな一文を選ぶ。ということで、順番に行きましょう。

高橋私は2ページの最後ですね。
 

 本書で試みたのは「手探り」の結果を列挙することではない。「手探り」の方法について、そのメソッドやプロセスを公開することでもない。
 私が本書を通じて目指したのは、コラムが毎回はじめての経験であるということの楽しさを、読者とともに分かち合うところにある。

コラムのおもしろさを分かち合うために書いているとあって、そこから引き込まれました。

高澤私は、

 コラムが運んでいるのは「事実」や「研究結果」や「メッセージ」のような、「積荷」ではない。わたくしどもは、船そのものを運んでいる。つまるところ、コラムニストとは、積荷を運ぶために海を渡るのではなく、航海それ自体のために帆を上げる人間たちを指す言葉なのだ。

ここいいですよね。

百々僕も高澤さんが言いたかったことと一緒かもしれないけど、その続き、

 ということはつまり、空っぽの船であっても、そのフォルムが美しく、あるいは航跡が鮮烈ならば、でなくても、最低限沈みっぷりが見事であるのなら、それはコラムとして成功しているのである。

この「最低限沈みっぷりが見事であるのなら」という潔さっていうんですかね。

三島普通の人は言えませんよね(笑)。

百々沈んだらあかんと思うけど、「見事」だったらよろしいんですね(笑)。

変態に帰り道無し

三島ということで始まっていくわけですが、そして始まった航海。第一回「コラム道に至る隘路」どの辺りがよかったですか。

高澤私は、

 コラムは発見ではない。むしろ、発見のために用いる顕微鏡や望遠鏡に近い。視点の限定。拡大。あるいは目眩それ自体。

「なるほど」と思いましたね。あらためて「コラムとはなんぞや?」と。

三島すごく重要な一文ですよね。この一文で小田嶋さんがコラムをどう捉えているかがわかる。

百々一言一言いちいち面白いですよね。

 学問に王道無し、数学に近道無し、恋愛に迂回路無し、変態に帰り道無し・・・

最後の一文最後いらんしね(笑)。

 で、「コツ」をひとつずつコラム化して、それらのひな型を五〇個なり一〇〇個なり並べてみれば、案外コラム生産法のソルフェージュができあがるんではなかろうか――と、そう考えて始められたのが、当企画ということになる。
 見つからなかったら? 
「見つけようと努力することのうちにコラムが宿っている」とか言って逃げるのだよ。
 そういうときは。

三島まさに「沈みっぷり」の見事さを体現している一文。なるほど。

自分の仕事はなるべく素敵カタチで定義しておいたほうが良い

三島第一回でコラムについての考え方を表明し、いよいよ第二回「コラムとは何か」ですね。

百々第一回の2008年10月3日更新から第二回の更新は2008年10月21日。

 いきなりの休載失礼しました。
 休載と救済。
 あるいは魂の休載。

うまいですね。魂が休んでたんやぁって。救ってたんやぁ。前回、

 次回は、「コラムとは何か」について考察してみたい。乞うご期待。

と締めて、しばらく待たせているわけですね。

三島最初は毎週連載をうたってたんですが、いきなり3週間空いてるんです(笑)。

百々「乞うご期待」から3週間。

三島「コラム道どうなったんですか?」という問い合わせもあったんですよ。でも、「小田嶋さんが書いてなかったんだ」ということがこの第二回の更新をもって判明した。そんな感じでしたね。

百々では、第二回。

浅山これは今後ずっと続く話なんですけど、コラムを書くにあたってのダブルバインドの話。

百々うん。そこやね。

浅山コラムは異端と常識のダブルバインドのなかに宿っている。

 コラムとて、文章である以上、最終的には、読み手を納得させ、感心させる部分を持っていたほうが良い。そのためには、コラムは、結局のところ、常識一辺倒であるかどうかはともかくとして、少なくとも枠組みの中においては完結している筋道立った独自の理路を持っていなければならない。
 飛距離とミート。コツンと当てつつフルスイングってやつだ。
 つまり、ダブルバインド。
 さよう。コラムはダブルバインド。

百々オレが好きなのはここやな。

 コラムとは、「特定の枠組の中で、言葉の小宇宙を形成する作業」であるというふうに定義することができる。うん、カッコ良すぎるが。でも、自分の仕事はなるべく素敵なカタチで定義しておいたほうが良い。そのほうが仕事がはかどるし。

これ重要ですよね(笑)。

三島いいメッセージですね。

百々そのほうが仕事がはかどる(笑)。

高橋小田嶋さんの生き方がまさにあらわれてそうですね(笑)。

百々めっちゃ波線引いてるやん。

三島ほんまや(笑)。

第15回、第16回コラム道座談会、コラム道の読み方

枠組みは、なんでもよろしい。

三島第三回「コラムと枠組み」。前回、

 では、また次回。

と終わって、次の更新は11月18日から。ほぼ1カ月後。

 またしても間があいてしまった。
 困ったことだ。

百々(笑)。

三島ここでも小田嶋さんは暴れ方を忘れてないですよね。

 コラムニストにとって「〆切」がいかにデッドなラインであるのかということについて、いつか一項立てねばならないだろう。生命線。あるいは死線だろうか。越えても生きているが。案外。

ここもいいですよね(笑)。

百々小田嶋コラム道ですねぇ。

 人をして原稿を書かしめるものは、アイディアでもなければ、衝動でもない。まして、宿命なんぞでは絶対にない。執筆のエンジンは、多くの場合、外部的な強制、だ。具体的には〆切。これは、漱石でも鴎外でも同じ。もちろんオダジマでも。

ここは言い訳のページですね(笑)。

三島枠組みについて語るはずがずっと言い訳(笑)。

百々「なんで〆切を抱えたままにしておきたいのか」ということですよね(笑)。

三島そうそう(笑)。

百々「さて、今回は、『枠組み』のいろいろについて、書くことになっている。」につながるまで4ページもつぶしてる(笑)。

自分を安全地帯に退避させる

百々第四回「会話はコラムの逃げ道か」。これはいいですね。

浅山僕もここが一番いいかもしれない。

百々「必ず詰まってしまう時に打破する荒技」=「会話」みたいな感じですね。42pの「最初にひとつ例をあげよう。」から45pまでの会話をしている二人。これくらい飛んでる会話なら、内容なくてもありなんだなと。

三島「アナリストってどういう意味だ?」から4ページ。狂っているとしか言いようがない(笑)。しかも、

 で、コラムニストは、会話に逃げる。
 というのも、会話文として書いた文章は、筆者の文責から離れるからだ。
 「架空の話者(←実際には書き手が捏造した架空人物なのだが)が、バカなことを言いました」ということにしておけば、書き手は、とりあえず安全地帯に退避していることができる

小田嶋が書いたんじゃない、と最後にまとめている(笑)。

百々「自分は無傷」みたいなね(笑)。すごいですよね。

高橋「困ったときは会話」なんですけど、

 魅力的な会話を成立させる能力と、マトモな文章を書くための能力が、まったくかけはなれている・・・

ここ新鮮でした。会話は瞬発力。一方、文章には根気が必要だと。しかも、その根気について、

 で、そのオレが若い人たちに向けて、根気を説いている。
 本当に人というのは、風上に立つと平気で嘘を言うようになるのだな。
 うん。
 撤回する。
 オレは意地悪を言っていた。
 文章を書くのに根気が必要なのは一面の事実だが、なあに一面の事実にすぎない。

すぐ撤回している。でも、ここでの「根気」は、「嫌なことに耐える能力」ではなくて、「石積み仕事を好きになる能力」ないしは、「他人には面倒に見える作業を嬉々としてこなすための心構え」がコラムニストたらしめると。

百々小田嶋さん、基本は堅実ですよね。ほんとはね。で、その「根気」を長続きさせるために、

 次回の話題は、「モチベーション」ということにしよう。
 カネとは言わない。意地でも(笑)。

と。

そういう人で、私はありたい

百々第五回「モチベーションこそ才能なり」どうですか、第四回から第五回に移り変わる時って。

三島ここはね、ほんとに大きな転換点なんですよ。まさに、第五回、

 状況を説明する。

で、始まるんですけど、私から状況を説明させていただくと、第四回の更新日2008年12月2日。第五回の更新日2009年3月5日(笑)。

百々冬、飛んでますもんね(笑)。

三島3カ月ですよ。3カ月以上見事に飛んでいる。

百々春・夏・秋・春になってるやん(笑)。週刊連載なのに。

三島「次回の話題は『モチベーション』にしよう」と言った著者が、モチベーションの回に3カ月空けた。

一同(笑)。

三島そして、こう始まります。

 状況を説明する。
 私はモチベーションを喪失していたのではない。
 私が見失っていたのはモメント(きっかけ)であってモラール(士気)ではない。

百々ここも読みごたえありますよね。

三島ひとつだけ挙げると、苦しんでいたと。

 罪悪感もだ。のど元までこみ上げていた。実際、吐きそうだった。

一同ははははは(笑)。

三島そこまで苦しんでたんだったら、書こうよと(笑)。

 にもかかわらず、この三カ月の間、私はただの一行も当欄のための文字をタイプしなかった。それも、「モチベーションについて書く」と、前回のテキストの末尾で予告を打った、その、モチベーションの保ち方についての論考を、である。
 何が足りなかったのだろうか?
 モチベーション?
 まさか。

一同(爆笑)

三島まさかの出だしでした。

百々で、モチベーションについて書いているにも関わらず、その後ですけどね、

 ・・・答えが、このテキストの中で見つかれば良いのだが。
 私自身、知りたいし。

一同はははははは(笑)。

百々「モチベーションについて書く」と言っていながらね、「わかってなかったの?」って(笑)。

浅山毎回どういう言い訳をするかも読みどころですよね。

三島この回は長く書いてありますね。3カ月充電していただけのことはある。 

百々「モチベーション」という単語自体は多いけど、テーマとしてはモチベーションだけに絞られてはないんですね。

三島ほとんどモチベーションについて語られてないとも言えますね。

高澤でも、終わり方格好いいですね。だから今度は「次回の予告はしない」と。

 淡々と、粛々と、なにごともなかったように、毎週登場する、そういう人で、私はありたい。

浅山宮沢賢治みたい。

百々そうそう、宮沢賢治みたい。

三島宮沢賢治ですよね。これは。

書き出しより結末が大切。

三島2009年3月5日が第五回「モチベーションこそ才能なり」。そして、第六回「書き出しについてのあれこれ」、2009年10月28日更新。もはや、週刊連載とは思えないです(笑)。

百々春・夏・秋・春・秋やな(笑)。

三島夏、丸ごと飛ばしましたね(笑)。

百々でも、この回もいいですよね。実際に文章を書いてみたくなる。

 今回は「書き出し」について書く。
 と、あえて芸のない書き出しを採用してみた。
 どうだろうか?
 これといって不満はあるまい。

ま、どうでもええ、ということですね。

三島そうそう。これ、かなり大きいですよね。

 さよう。書き出しはどうであってもたいした問題ではないのだ。

 つまり、結論を先に述べるなら、書き出しに芸は要らないのである。

と、芸にこだわる小田嶋さんが言っているのは、なかなか大きいと思いますね。

 いずれにしても、書き手がこだわっているほど重要な要素ではないのだ。

高橋 92pに並んでる書き出し例もいいですしね。

 「今回は書き出しについて書こうと思う」

とか。

 「書き出しについて書き出すときの書き出しはどうすべきなのだろうか」

とか。

百々この、

 「余談だが」

っていうのもいいですね。

三島「それ書き出しでできたんだ」って思いますよね。一行目ですよ(笑)。

百々画期的ですね。 

 「最初に言っておく。オレは書き出しにはこだわらない」

三島ここらへんにキラリと光るセンスがありますよね。

百々「余談だが」でもオッケーだったらもうなんでもええんやね。

高澤そう言っておいて、最後に、

 書き出しに比べて、結末の一言はとても大切だ。

と言って次につなげるこの流れ、ぜひ楽しんでもらいたいですね(笑)。

第15回、第16回コラム道座談会、コラム道の読み方

*次回、「小田嶋流書き出し」の話題から、爆笑座談会はつづきます。

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