本のこぼれ話

なんと!
という書き出しはコラム的にはどうかとは思いますが、なんと(笑)、『小田嶋隆のコラム道』が発売2カ月にして3刷となりました。ご愛読いただきました皆さまには、御礼の申しようもないほど感謝の念にたえません。本当にありがとうございました。

今回、ミシマガでは本書をさらに多くの方々に知っていただこうと、紀伊國屋書店のすご腕書店員の方々と、「コラム道、ここがすごい!」というテーマで座談会をしました。

メンバーは、『THE BOOKS』にもご登場いただきましたお二人、本町店・高澤さんと梅田本店・高橋さん、そして泣く子も黙る「浪速の平積み王」百々課長に本を愛する気持ちは梅田1(?)の浅山さんです。司会は、編集担当の三島がつとめました。

第15回、第16回コラム道座談会、コラム道の読み方

(リード文:三島邦弘、本文:松井真平)

第22回 コラム道座談会 コラム道の読み方(後編)

2012.08.20更新

ラストの一文で「魔法の接続詞」を動員する

三島第七回「結末、結語、落ち、余韻、着地」2010年4月1日更新。一冬跨いで、もはや言い訳すらない(笑)。

百々でも、この回もめちゃくちゃいいですね。

三島うん。

百々というわけで行きますか。第七回。冒頭の何行かがこの章の本質をついていると思うんですが、

 構成がデタラメで、ミスが目立つ悲惨な内容の演技でも、クルリと回ってピタリと着地してみせると、素人はコロリとダマされる。

 着地は、だから、きちんと決めないといけない。あざといほどピタリと、思い切り素人向けに、わかりやすく。

から入って、でも「あまり技巧に走りすぎてはいけないこと」でも、「技巧に走らないと技巧は身につかないこと」と。

三島これもダブルバインドですよね。

百々そうそう。

 一方、失敗しないことは、成功の母ではない。
 挑戦しない者は、失敗も成功もできない。

小田嶋さんってすごく真面目な方なんですね。たぶん。

三島そうなんですよ。そのために、半年も空いているということだと思います。ここがまえがきで言ってた「沈みっぷり」のことですね。

 文章は、失敗が許される分野だ。どんな手ひどい失敗をしたところで、ダメなコラムで人が死ぬわけではない。会社の業績にアナがアクわけでもない。とすれば、コラムニストは、ビジネスマンよりもずっと失敗に対して大胆であらねばいけない。そういうことだ。

百々ふふふふふ(笑)。

三島「そういうことだ」って(笑)。

百々「美しく沈むコツ」というかね。

 必要なのは、落ちることではない。落とそうとしている努力を読者に見せることだ。

116pは読みどころですね。

高橋私この「魔法の接続詞」のところ好きです。

三島最後の一行のところですね。

 とっておきの一行が、とってつけたみたいに、あまりにも浮いていたら?
 そのときはそのとき。その一行が浮かないための工作を施しにかかる。具体的には、途中に伏線を張ったり、縁語をちりばめたり、魔法の接続詞(「ところで」のことだが)を動員する。

高橋「なんて頼もしいんだ」って。

三島「そんな接続詞あったんだ」って思いますよね。僕もこれで知りました(笑)。

打ち合わせでは盛り上がったはずなんだけど

三島第八回「コラムにメモはいらない」2011年8月3日更新。前、いつでしたっけ? 1年空いてる?

百々前回の更新は、2010年4月1日。夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、夏が来た(笑)。

三島で、メモについて突然書き出している。

百々ここでは、コラムニストのメモはジャーナリストのメモとは違うよ。あんまり細かく描写したりするものではないよ。というとこですかね。

高澤コラムニストのメモは「発想のモチーフ」としてのメモ。

百々そうそう。しかし、発想のモチーフにはなるけど、役に立つかわからない。この章での見所は、ミシマ社で打ち合わせているときのメモですね。

高澤「出川的名声」(笑)

三島メモいっぱい取ってたんです、この日。それで、「これでもう書けます」とおっしゃって、1年半経ったわけなんですよ。でも、その時取ったメモはまったく意味がなかったという話ですよね。

百々ははは(笑) 

 なんだこれは? 出川のどこに名声があるというんだ? あるのだとして、その不思議な名声の何がメモのとり方と関連しているんだ?

 打ち合わせは、盛り上がっていた。
 「この線でイケるでしょう」
 などと、大いに納得しながらメモを書き飛ばしていた記憶もある。
 が、いまメモを見ても、私には何もわからない。
 要するに、無意味だったということだ。

三島ほんと盛り上がったはずなんですけどね。何が言いたかったんだろう?

「矢沢」も一人称

三島第九回「文体と主語(その1)」2011年8月10日更新。これね、つまり、初めて翌週更新なんですよ。前回8月3日なので。

高橋やっと

百々すごいな。奇跡だ。

高澤さらっと本題に入ってますね。

百々よっぽど、発信したいものがあったんでしょうね。その1、その2と続くことから考えると。

三島そうですね。ここ重要なこと書いてありましたね。

高橋最初の、

 ・・・とっさに出てくるレスポンスが、その人間の身体性であり、人は天性から外に出ることはできないわけだから。

第一回で書いている、文章の書き方は、その人の人生やものの考え方を含んでいるというのと通じてますね。「人は天性から外に出ることはできない」。それが138pにつながって、

 「文体」は、「文章のスタイル」というふうに、日常の言葉に開いてしまえば、なんのことはない、それだけのものだ。
 (中略)
 自分自身に対して誠実でありさえすれば、知らず知らずのうちに身についている、そういうものだ。

さらに文体が主語によって決まってくるという箇所。

 私は、個人的には、文体の問題は、半ば以上は主語の問題であるというふうに考えている。すなわち、主語をどうするかによって、文体はおのずと決定するもので、逆にいえば、主語が定まらないと文体は定着することができないということだ。

主語の運営次第で文体は選択できると言っている。今後、読む文章の主語、気になってしまいそうです。

百々今回すごく真面目な回ですね。あまり笑って読むところではなく、久しぶりに正座しながら読まなあかんですね。(その2)も、より深いというか、より具体的に「主語」の話しへ。

高橋英語と日本語の主語の違いも面白いですね。それを受けて149p、

 が、コラムは、主語なしでは成立しない形式だ。

さらに引き込まれ、

 最後に、「おいら」「オデ」「おれっち」「ボキ」「わたくし」「女王様」「矢沢」など、一般的な一人称と離れた主語を使う書き手について一言述べておきたい。
 この種の、ひねくれた主語を使う書き手には、実は名文家が多い。
 (中略)
 にもかかわらず彼らが、あえて芝居がかった一人称を用いるのは、文章が、「芝居」である旨を告知するためだ。

芝居がかっていることを、その主語が発していると。

百々ハードルをあんなに下げておいて、主語と文体。ここの美しいまとめ方とか真剣さは、書く人にとってはすごく勉強になるというかね。

三島第九回、第十回は、ほぼ冗談なしですね。

「ということで、失礼する。先を急ぐので。」って・・・。

百々第十一回「推敲について」2011年8月26日。これも8月更新? 一週間?

三島お盆休みを挟んで、いいペースで上げていただきました。

百々いまお盆休みと聞いてきょとんとしたけどね。春休みも夏休みもあったのに(笑)。

三島このペースなので、このまま発刊いけると思ってたんですよ。でも甘かった・・・。ところで、この回はどうでした?

百々ここも割と真面目でしたよね。

 文章を「読む」ための「眼」は、公平で、常識的で、批評的で、理性的でないといけない。でないと正確な読解はできない。正しい評価もできない。
 一方、文章を「書く」ための「アタマ」は、ときに独善に至るほどに独走的であらねばならない。

「読む」ときと「書く」ときのアタマの使い方のバランス。それと、僕が小田嶋さんのことをすごく好きになったのは、

 ・・・天才の存在を認めるわけにはいかない。

ここ。

 「天才はボールなんて見なくてもホームランを打てる」
 みたいな話は、全力をあげてこれを退けなければならない。冗談じゃない。

とかね。

浅山「才能ないから書けへんわ」というハードルをガシャンとつぶしてくれるのはいいですよね。

高橋書いてみたいという人を励ます言葉ですね。

高澤そう言いつつ、「推敲」の回では、実際に文章にしていく難しさを体現してくれていて、両方勉強できるというか。

高橋でも、最終的には結局「〆切」に左右されてますよね(笑)。

百々そうやねんなぁ。第四回で、ライターが文章を書くのは「カネとは言わない。意地でも(笑)」と言っておきながら、

 われわれはカネを憎んでいながらカネを愛している。カネを支配しようと試みながらカネに支配されている。

三島ちゃんとオチをつけてるところが素晴らしい。

百々ほんと(笑)、

 推敲について書いているはずの原稿の結論が、どうして〆切についての言葉で締めくくられているのであろうか。
 答えは・・・。

172p、ラスト2行の逃げ方とか(笑)。

三島見事ですよね。「『推敲について』で、こういうふうに終わるんだぁ」って。

 答えは、現在私がひどい〆切に追われて(自ら招いた事態だ。わかっている)いて、推敲しているヒマがないからだ。

 ということで、失礼する。先を急ぐので。
 次回は落ち着いて書きたいと思っている。

百々「先を急ぐので。」って(笑)。

三島と言った後、ここで、「ミシマガジン」での連載は終わってしまいます(笑)。

健闘を祈る。

百々では、第十二回「すべては要約からはじまる」。コラム道PART2(『R25college』連載分)からですね。

浅山学校での作文の授業のつまらなさ、について書かれてますね。

 生徒は、「オリジナルの感想を思い浮かべること」と、「思い浮かべた感想を正しく書き写すこと」の両方を求められる。
 これは、初心者にはとてもキツい課題だ。
 しかも、不幸な場合(というよりも、多くの場合かもしれない)、
 「つまんねえ本だな」
 とか、
 「いけ好かない主人公だと思いました」
 とか、
 「まったく意味がわかりませんでした」
みたいな、教師受けの良くない「本当の感想」を抑圧して、
 「ゴーシュの気持ちがとてもよくわかりました」
 式のニセの感想を捏造しなければならない。

 ということはつまり、学校の作文は「自分の思想や感想を思うさまに吐露する」という、文章を書く上での最も原初的な楽しみをあらかじめ奪ったところから出発しているわけで、こんなことで、子どもたちが文章を好きになるはずはないのである。

三島ほんとにここすごく本質的なこと書いてますよね。

 技巧は、機械的に身につけるものだ。
 創造的に身につけるものではない。
 大切なことなのでもう一度書く。
 技巧は、機械的に身につけるものだ。
 そして、その機械のように正確な技巧が、繊細な創造のための道を開くのである。

この一文は見逃しちゃいけないですね。
そのために、他人の文章を要約することが大事だと。ここ読むと、小田嶋さんはすごく地道なことをやってたんだなと。

百々そうそう。描写力と創造力は別とかね。でも、

 でもまあ、頭の中身が練れてくるかどうかは、今後の生き方と放射能次第だ。
健闘を祈る。

って(笑)。

三島これ、すごい落とし方しましたよね。いまこれを言えるのは日本に小田嶋さん以外いないです。「要約」の話で「放射能」出てこないですよ。

百々ええ。要約の話で「検討を祈る」ってこの締め方ないですよ。でも、言いたいことは全部言った感はありますね(笑)。

三島すごい投げ方ですもんね。

 あとはたくさん読んでたくさん書けば、いやでも文章は練れてくる。
 でもまあ、・・・

って(笑)。すごいなぁ。放射能のところは小田嶋節ですけど、実は、「今後の生き方が大切だよ」ということを言ってるんですよね。

百々でも照れ屋だから。

窪田・・・と、ここまでが、この座談会が決まったときにできていた『小田嶋隆のコラム道』の原稿で、皆様にはこの後白紙が続いています。本書にはこの後、巻末に内田樹先生との対談が収録されています。

百々特別対談から読むのもよいですよね。では最後に、全体を通しての感想を一言。

三島世の中に文章読本というものは数多くあります。名文家と言われてきた谷崎潤一郎、三島由紀夫、みなさん書いていますが、この『小田嶋隆のコラム道』ほど、実践的な本はないんじゃないかと思っています。

最低でも10カ所は笑える。プッと吹き出しているはずです。笑いと実践。その両方をまさにダブルバインドで満たしている一冊になったのではないかと。

百々でも帯の「なんだかわからないけどめちゃめちゃおもしろい」これは、ちょっと雑でしたね。

三島これ雑でしたか(笑)。もうね、やぶれかぶれですよ、最後は。
*この帯コピーの理由については、「日経ビジネスオンライン」の「禁じ手を使いたくなるほど『めちゃめちゃおもしろい』本」をご覧ください。

一同ははははは(笑)。

三島今日は本当にありがとうございました。

第15回、第16回コラム道座談会、コラム道の読み方

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