本のこぼれ話

2012年8月16 日、 7月にオープンした下北沢の本屋さんB&Bで『みんなの家』の著者、建築家の光嶋裕介さんとミシマ社三島が「出版と建築、ときどき合気道」をテーマに対談を行いました。「自分のセンサーを磨くこと」「常識を疑うこと」「無根拠な自信をもつこと」。独立し、それぞれ道を切り開いてきたふたりの言葉には、多くの共通点がありました。全2回でお届けします。

(文:大滝空、写真:林萌)

第23回 『みんなの家。』著者 光嶋裕介さん×三島邦弘(前編)

2012.10.09更新

建築家として、あまりに順調すぎるスタート

光嶋最初にお話すると、ぼくは昨年の11月神戸に完成した内田樹先生の自宅兼道場「凱風館」の設計をしました。その過程を半年間、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載しまして、アルテスパブリッシングの鈴木さんと、『みんなの家。』という本をつくりました。巻末の対談には、僕が高校時代から憧れていた井上雄彦さんにも登場してもらいました。

三島これにはかなりビックリしました(笑)。

光嶋本当に夢のようですよ。独立して初めての仕事は、内田先生の家づくりという夢のような仕事ですし、それを本にするというまた夢のような機会があって。そうこうしていたら、僕が学生時代から描き続けているドローイングを『幻想都市風景』という書籍として、羽鳥書店さんから出してもらうご縁もありました。

三島はい。

光嶋とにかく信じられないくらい、色々なものがつながっていきます。僕はいま33歳で、建築家としてのスタートを切りました。あまりに、順調なスタートなんですけど。

三島いやー、すごいスタートですよね。

光嶋いまの自分があるのは、いろんな人たちとの出会いがあってこそと思っています。いま33歳の建築家として自分ができることをこの2冊の本のなかに込めることができたので、これを機に刊行記念という名目で、僕の会いたい人たちに2冊をどんどん送って手紙を書いて、トークをしてくれませんかと、お願いしたんです。

三島すごいですね。

光嶋三島さんとは何度も会ったこともあるんですが、こうしてゆっくり話すというのは・・・。

三島そうですね、実は初めてです。お呼びいただいて、ありがとうございます。光嶋さんの『みんなの家。』を読まれた方って、どれくらいいらっしゃいます?

(観覧者が手を上げる)

三島この本ですね、すごいんですよ。光嶋さん、巻末では内田樹先生と井上雄彦先生と3人で、もう、10年来の友だちのように語り合っているんです。

光嶋ははは(笑)。井上さんとは、まったくの初対面でしたね。

「自分のセンサーにひっかかったものを、逃さない。」(光嶋)

三島こういうのは夢物語だろう、といわれるようなことが、すべて実現している。それはなんでかな、というのが、僕には興味深い。その一端がこの本のなかに現れています。この本には、凱風館がどうやってできるかが書かれているのですが、それ以外のところにも、惹かれるものがあるんです。たとえば、本のなかに出てくるのですが、光嶋さんがヴェネチアに行ったときにゴンドラに乗って「フォルコラ」というものに出会うんですね。あれは、なんですか?

光嶋ゴンドラ乗りは、オールでゴンドラをコントロールするのですが、「フォルコラ」というものがあって、そこにオールをひっかけることでボートが進みます。あんな複雑な運河を、まっすぐだけで漕げるわけがなくて、その場で停滞とか、旋回とか、右回りとか左回りとか、フォルコラとオールを使った7種類くらいの技があるんです。ゴンドラ乗りはいろいろな技で、オールをぐわあっと扱っている。それを見て、フォルコラのフォルムがすごいなあと。

三島ほおう。

光嶋気になってしょうがなくて。ストーカーのようにずっと追いかけていたら、ゴンドラ乗りが最後に仕事を終えて、ボートを止めるじゃないですか。そしたら、びっくり。フォルコラをすぽんっ、と抜いたんですよ。フォルコラはボートに穴があって、そこにぐさっと刺さっているだけなんです。仕事帰りに、すぽんと抜いて右手にフォルコラ、左手にオールを持って、彼は帰っていくんですよ。それでゴンドラ乗りについて行って「それ何?」って聞いて。

三島そこで声かけますか(笑)

光嶋へへへ。

三島これがポイントだなあと。あっさり書かれているんですけど、これは「ちょっと待て」と思ったんですよ。さらっと書かれすぎていて。「フォルコラが気になって、声をかけた」。いや声かけないやろって(笑)。そこから、光嶋裕介さんという人の誕生が積み重なっているんだろうな、と思ったんです。それで光嶋さんは、声をかけて実際にフォルコラをつくられている工場に行かれる。

光嶋はい。そこで、フォルコラはどこでつくってるの? と聞いて、もちろんヴェネツィアだよ、と。じゃあ、連れてってくれとお願いしました(笑)。そこへ行ったら、ひとりの青年がカリカリカリカリ、とフォルコラをつくっていました。2日間くらい通って作業行程を見せてもらったり、写真を撮らしてもらったりしました。

三島それを現実にしてしまうのがすごいなと。それ、普通の旅だったわけですよね。

光嶋そうです。「ヴェネツィアビエンナーレ」というものを観に行く旅だったんですけど全然覚えてなくて、フォルコラを発見した旅、としか覚えてないですね。それぐらい衝撃でした。

そのときは、僕がまだ建築家として働きはじめてすぐやったので、自分の価値観にまだ自信がなくて。「なんでこの建築が正解なんや」って答えを見つけるのが、難しい。でも、フォルコラを見ていたら、単純に形が美しいので、なんでこんなカタチしてるの? と聞いたら、この部位はきちんと旋回する為になってるんやと、機能と美しさがリンクしてる。建築家として何かを設計する場合は、「なんでこの建築がいいか」ということを、言葉にする責任があるのではないかと、フォルコラは教えてくれました。

三島そこが、光嶋さんの魅力だなと思います。欲していたのでしょうね。何かヒントがありそうなものを。

光嶋見てるというか、何かを探しているわけではないのですけど、ドラゴンボールのスカウターのようにセンサーがピピピピピピーとなる瞬間があるんですよね。それは建築的なものであったり、家具だったりします。いろんなセンサーにひっかかったときに、自分の反応したものを頼りにする。

三島で、それを逃さないと。

光嶋そうですね。僕は、まさにフォルコラの発見のように「何かを吸収したい」という気持ちが常にあるんです。そのセンサーがいちばん反応するのが、同世代の異分野の人たちですね。自分の知らない世界、知らないことだらけの世界で、ぐいぐいやられていると。

三島僕も同じです。同世代の建築家がどういうふうに考えて生きているのか興味があって。出版も、大きな変化のちょうど過渡期にあると思っています。 僕自身、大学卒業後出版社に勤めて、31歳のときにミシマ社という会社をつくりました。振り返ってみると、最初の出版社にいたときに「編集者として生きる」という生き方が、会社にいると「出世」というひとつの道しかないと思わされた。でも僕は、出世がしたいわけじゃない。 出世がしたくて編集者になったわけじゃない。面白い本をとにかくつくりたいし、つくり続けたい。そういう道はないんですか、と人事の人に聞いて、いろいろ考えて。会社もこんな風に柔軟な形でやったらいいんです。どうですか? ってプランを出しました。

光嶋自社に対して。

三島はい。で、人事のえらいひとに提出したら「・・・斬新やなあ!」って(笑)。

(会場爆笑)

光嶋他人ごと。

三島ええ。会社って、組織を変えたいとなかなか思わないし、そこで生まれるロスやマイナスを、避けたいと思うんです。そうすると、どんどん組織が硬直化していってしまう。だから本質的にいい本、面白い本をつくり続けようと思ったら、自分で場をつくるという選択肢以外なかったなと。

光嶋そうですね。

「自分の愛するものを、より多くの人にも愛してもらいたい」(三島)

三島ところで、建築家として生きるということ、これからなにか「未来を見据えたかたち」でやっていくといったときに、光嶋さんは今、どのように考えていらっしゃいますか?

光嶋今回三島さんに会う前に『計画と無計画のあいだ』を読み直したんです。出版の世界で 制約や組織に対して闘っている姿、 いろんなことを苦労してつくっていく三島さんの姿は、僕に似ていると思ったんです。

「編集」を「設計」に、「出版」を「建築」にワーディングを替えたら、この本は、僕の物語として読めてしまうくらい共感しました。一番共感したのは「本の面白さを伝えたい」というところでした。「本そのものがとにかくいい」「本に囲まれて生活したい」という人を、その絶対数を増やしたいと言う。

僕はその「本」の部分を「建築」に変えて、「建築好きやなあ」「この空間すばらしいなあ」とか「数値化できない空間の魅力」というものをどうやって伝えられるか、そして「建築って面白い!」と思ってもらえる人の絶対数をどうやって増やせるか、ということを考えています。

三島そうなんですよね。自分が愛するものに、共感してくださる方が増えるという状態。作り手の自己満足で留まったら、広がりが出ないと思っていて、僕自身はそうじゃないところに居続けたいんです。自分たちがやっていることは、僕たちだけじゃなく、本と関わっている人たち全体が盛り上がっていって「それがいい」って感じる人が、どんどん増えていくということが重要です。

それに僕やっぱり「本ってすごい」と思っているんですよ。本はまさに血肉となるものですし、それがなかったら、と思うとぞっとする。「どの本があったから人生が変わったのですか?」ってよく聞かれるんですけど、どの一冊でも欠けていたら「いまの自分」というのは絶対になかったと思います。

光嶋そうですね。僕ちょうどいま池袋のリブロというところで「光嶋裕介を作った30冊」という、『みんなの家。』にまつわる30冊を選ばしてもらったんです。まったく三島さんのおっしゃるとおりで、 僕が30冊を選んでわかったことは、その30冊の30分の1にたどり着くために、5冊、6冊、10冊と読んでいるということでした。そうやってたどりついた一冊ずつなので、僕はおススメしておきながら内心「いきなり読まんほうがいいぞ」と。

三島たしかにね。

光嶋自分で九鬼周造の『「いき」の構造』にたどり着くのと、光嶋が読んでたんやと思って本屋で手に取るのと、おんなじ本をおんなじふうに読むのでも、違うと思う。建築もまさにそう。いろんな空間を僕は体験することで、その空間たちを僕のなかにどんどんストックしている。だから単純に、「光嶋さん、いちばんよかった旅はどこですか」って言われるのが、いちばん嫌いなんですよ。おまえ、おいしいとこだけもっていこうとするなと(笑)。

三島旅って、ゴールがわからないから楽しいんですよね。

光嶋それでね、何度も行くから面白いんですよ。ヴェネツィアでフォルコラを発見したのも、僕は3度目か4度目ですから。

三島ほおー。でもね、その一瞬を逃さないのがすごいです。

「無根拠な自信がスタートだから、もう必死」(光嶋)

三島本の最初の方に出てきますが、なんでそもそも内田先生の家を、家を一軒もつくったことのない人がやることになったのか。・・・これね、麻雀なんですよ。麻雀の席で、内田先生が「いつか、道場をつくりたいと思っている」とぼそっと。

光嶋ぼそっと言ったんです。しかも、それは4時間くらい一緒にいたうちの最後の方で、そのときずっと負けまくっていたんです。でもよかったんです。内田先生に出会えているだけで。で、負けているときに「道場建てたい」ってぼそっと、「え? いまなんて言いましたか?」って、僕。

三島そこ聞き逃さないところ、すごいですよね!

光嶋絶対逃さないですよ。ありえないですよ。

三島これがね、光嶋さんのすごいところなんですよ。そこで勝負ですよ。その一瞬で、「僕にやらしてください!」と。

光嶋やらしてくれと。そういうときってポンって! はじけて。無根拠な自信が溢れ出てくるんですよ。「おれしかいない」と。

三島すごいですね。

光嶋勘違い論ですよ。基本的に僕の人生、勘違い論なんで。子どもの頃から「ゆうちゃん、絵うまい」ってことを言われ続けて。

三島いや、めちゃくちゃうまいですよ。

光嶋小学校とか中学校の絵とか見るとね、へったくそなんですよ。

三島そうなんですか?

光嶋けど、親はそのとき褒めてくれたんですよ。その褒められていたのが、いまの僕になっているっていうのはあります。ある種の無根拠の自信というのは、そこにあるのではないかと。思い続けっぱなしでいままで来てるんで。それが、うまくしてくれたと思いますね。褒められると、上手い下手とかでなくて、好きになりますからね。これが継続する秘訣ですよね。

三島でも、そうなんですよね。僕も出版社つくるって内田先生に言ったときに、先生は「それがいいよ」って第一声でおっしゃってくださったんですけど、そのときは、やるということを決めただけでした。でも決めたときは、本当にこう内から力が溢れ出てきて、いろんなものと回路がつながった感じで、「これだ」っていう心持ちがしました。そういう一瞬の勝負というのがみんなにもあって。光嶋さんの場合その一瞬が凱風館に。

光嶋つながってね。それでやらしてくれっていうところから、僕もその時点では「え、道場ってなんやねん・・・?」道場建築って調べようにも、ないんですよ。だからもう、必死ですよ。でも、あの無根拠な自信からスタートしたけれども、もう与えられた。原稿用紙を与えられた、もう、書くしかない。というその瞬間に、すっ、と出てくるんじゃないかと。

三島そうですよね。これやる! と決まったら出てきますよね。

光嶋だから、実はぼく、何やりたいかとか、建築とはこうあるべきやとかは、特別ないんですよ。つねに乾いたスポンジの状態で、そのセンサーを磨いているから、それは一概にはない。

食っていけるかなんて、わらかん

三島そもそも、いま建築家としてやっていくっていうのは、どうなんですか? どういう状況なんですか?

光嶋建築家としてやっていくことを、設計を志望している全員に、やっていけばいい、とは、言えないですよね。やってほしいですけど。そのとき絶対言われるんですよ。「食っていけんのか」と。で、まずそこなんでね。それがなかなか難しいので・・・。

三島難しいんですか?

光嶋簡単ではないでしょうね。とにかく、いろんなところにタネをまいて、根を張って、強靭なネットワークをつくらないと。 でも、いまの学生って「この会社に入ったら年収いくらですか」。なんだか、「等価交換」なんですよね。

三島そうそう、だから僕、こういう質問自体成り立っていないと思うんですよ。

光嶋食っていけるか、なんて・・・。

三島・・・わからん。どうなっていくかわからないっていうのが、「生きる」っていうこと。だから、「生きる」っていうことに対して、真っ正面から向き合って、それを楽しんでいくということしかないと思うんです。

光嶋そういう意味で「建築」という仕事が素晴らしいと思うのは、何が仕事かわからない。建築家って、いろんなところでいろんな人に会って、いろんな話をする。そうすると「ちょっと光嶋、今度こんな仕事あんねんけど」と声をかけられる。 そのアンテナの張り方は、建築家の楽しさですよね。あらゆる他者との出逢いの連続ですね。

「同化する」と、合気道も仕事も気持ちいい

三島『みんなの家。』を読んで、建築家というものがちょっとだけわかりましたね。指揮者という表現をされていたんですけど。凱風館をご覧になられた方、いらっしゃいますか?

(観覧者が手を挙げる)

三島本当に素晴らしい道場です。 凱風館には、琉球畳が敷いてあります。
凱風館で初めて稽古したとき、天国にいるみたいでした。ふわふわやーん! って。受け身気持ちよすぎるー! って。

光嶋これね、よく言われます。本当に、最高ですよね。

三島そうした場をつくると、関わっている人たちがみんなその場が好きなんで、一生懸命、場をどんどんよくしていこうとするんです。 凱風館のオープンから8カ月経った先週の金曜日に、また稽古に行ったんです。みんなのエネルギーを吸って「凱風館」という場がどんどん育っているんですよね。仕事で疲れてくたびれた状態で稽古に行ったんですけど、パァーンと力が。

光嶋力がね。

三島はい、ほんとうに元気が出ます。ちょっと仕事に引きつけて言うと、合気道から学んだことのひとつはやっぱり「同化する」ということですね。合気道のうまい人って、受けもすごくうまい。それは技をかけている人と見事に「同化」してくれているからです。逆に、うまい人がかけてくれると、こっちもうまく受けられる。もう、すべて相手に任すと、本当に気持ちいい。いっぱいそういうふうに投げられると、逆に自分がかけるときに、うまくなっているんですよね。

光嶋受けを通して、あ、取りがこうやったらこう感じるんや。みたいなのがわかる。

三島編集の仕事っていうのは、著者と向き合うことですけど、著者と編集者の関係というのは、合気道における取りと受けの関係に、すごく似ているんです。書き手の方が発する何かを、どれだけしっかり受け止められるか。そのときに 。

光嶋一緒ですよ。建築も。だから「俺がつくったんや」という自己満足にならないためには、みんなとつくればいんですよ。

三島そうそう。

光嶋いろんな人と考えてものをつくっていく。 小さなリテールを、どうやって見つけていくかというのは、常に考え続けていることだけれども、「みんなの意見を取り入れる」のがいちばんいいんですよ。そうしたら「俺が俺が」じゃなくて、客観的な評価につながるっていう。

三島本当にそうです。たぶんね、編集者の究極の形は、「ただそこにいるだけ。」

光嶋ほほほ(笑)。

三島何もしゃべらない。けど、そこから生まれるものは、やたら素晴らしいっていう。僕は、それが理想形です。

光嶋なるほど。

三島まあそういうことを思いつつ、後半にいきましょうか。


後編に続きます!

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光嶋裕介(こうしま・ゆうすけ)

1979年、米ニュージャージー州に生まれ、トロント、マンチェスターで少年期を過ごす。早稲田大学理工学部建築科で石山修武に師事。大学院修了後、独ベルリンの建築事務所ザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツに4年間勤務。2008年に帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。桑沢デザイン研究所非常勤講師、2012年より首都大学東京助教。凱風館の設計によりSD REVIEW 2011に入選。ドローイング集『幻想都市風景』(羽鳥書店)を2012年に上梓。

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