本のこぼれ話

2012年8月16 日、7月にオープンした下北沢の本屋さんB&Bで『みんなの家。』の著者、建築家の光嶋祐介さんとミシマ社三島が「出版と建築、ときどき合気道」をテーマに対談を行いました。後編の今回は、「合気道」がふたりに与えた影響などをお届けします。
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(文:大滝空、写真:林萌)

第24回 『みんなの家。』著者 光嶋裕介さん×三島邦弘(後編)

2012.10.10更新

「『作る・送る・届ける』過程にある思いを、共有したい」(光嶋)

第24回 本のこぼれ話 光嶋裕介さん

光嶋先ほど三島さんに、凱風館には思いが宿っている、天国のようだと言ってもらいました。 女になったつもりで、赤ちゃんがお腹に十月十日おるのが設計と建築です。産み落とした瞬間、もうそこからは建築が生きていくんです。助産婦としてとりあげるところまでは、設計者という建築家の仕事だけど、建築をお客さんにお渡しして、そこで僕の仕事は終わります。

凱風館は僕の処女作なので、すべてが初めての経験でした。それを経て、あまりに寂しくなった。「うわ、これで終わりや」と。内田先生の合気道の先生で、三島さんが通っている道場の師範でもある多田先生という方が、凱風館の道場開きをやってくださいました。それを見ながら、建築が自分の手から離れていくのを感じた。 だから、自分が産み落とした凱風館という建築を、ハイこれ完成ですよ、おさらば。というふうには到底できなかった。そこで、合気道をはじめました。

三島すごい。そういう意味で一貫されていますよね。本も同じだと思うんです。つくって本にするまでは、関わっている編集者と著者、僕たち出版社であれば、そこにいる営業のメンバーで共有されている。でも一冊がかたちとなって本屋さんに置かれた瞬間、完全に自分たちから離れていくんです。読者のものになっていく。

光嶋そう。出版でいうと、「作る・送る・届ける」ですよね。この「届ける」というところ以降は、なにもできないじゃないですか。「 作る・送る・届ける」というすべての行程に、いろんな人たちの思いがあることを共有したい。

三島ほんとそうです。

光嶋いろんな要素があって、メッセージが届くわけじゃないですか。「届ける」ってところはどうなんですか? ないがしろにされてるんですか?

三島いや、そんなことはないと思うんですけども。

光嶋ミシマ社から先日ちょうど『THE BOOKS 』という本が出ましたよね。

三島そうなんです。企画したのは僕たちですが、沖縄から北海道まで全国の書店員さん365人に、おすすめの一冊を選んでもらいました。僕たちミシマ社は日ごろ、書店さんに直接卸しているんですよ。ふつう「取次」といわれる仲介業者があるんです。出版社が取次に卸したら、取次がバーッと全国津々浦々の書店さんにまいてくれる。確かに効率はいいのですが、1個介するぶん、本の熱量は落ちてしまうんじゃないかな、というのがずっとありました。

本屋さんは読者さんと日々接して、この人たちに届けたいという思いが明確にあるわけです。本屋さんたちと直接つながることで、よりダイレクトに本当に、この本が欲しいと思っている人たちに、届ける。そこを最短ルートでやっていきたい、という思いで、取次を通さない直取引というかたちをとっているんです。

光嶋これが、革命なんですよね。

三島全然そんなことないですよ。それはね、自分たちが「こういうふうにやりたい」っていうことを、それを実現していくためにはそれが合っている、というわけで。「自分たちにはぴったり」とだけ思っているんです。やりたい出版のかたちによって、その届け方も当然違ってくる。届け方の部分ばかりが、フューチャーされがちなのですが。

光嶋なんとなく、ミシマ社といえば直取引だよねみたいな。

三島直取引自体には、本当に意味はないと思うんです。そこは形でしかない。逆なんですよ。「この本!」っていうのができたときに、この本を届けるにはこうだろ、というやり方が、自然に出てくる。僕たちの場合は、「直取引」というやり方だった。

本屋さんと2人3脚で一緒になって届けていきたいので、このスタイルをとっているんです。出版社がいっぱいできて、それぞれに合ったスタイルが、もっと多様になっていってほしいと思います。

「制約をいかにプラスに反転させるか」(光嶋)

三島ミシマ社は2006年10月に自由が丘にオフィスをつくって、2011年4月から京都の城陽という場所でもやっているんですよ。京都と奈良のちょうど真ん中。五里と五里の距離。名産は「ごりごり芋」。

光嶋今月末に、イベントで行かせてもらいます。

三島その街で、「出版活動をやろう」と思いました。京都市内に行ったら、文化的なインフラが整っていて、何かを生みやすいんです。でも、そうじゃない場所でやる。それがこれからは重要かなと。つまり、東京を中心とした出版メディアのあり方に、ちょっと行き詰まり感がある。少なくとも新しい一手を打たなければならない。それが、自分が出版社をつくってわかってきたことです。

理屈としてわかっていたけれど、自分たちもできていない。やったほうがいいですよ、ってこういうところで言ったり、 イベントをやったりはしてきたのですが、自分たち自身も、そういうところに身を置いてやらんとあかん。言ってるだけで実践してないのは、だめだ、と思いました。そこで、僕はこの4月30日、城陽に引っ越して城陽市民になったんです。

光嶋そういうことなんですね。僕がヨーロッパに住んで思ったのが、建築って、時間やと思うんです。ベルリンに4年間住んでいたのですが、街中がなんだかミルフィーユのようなんです。積み重なってきたいろんなものが見えるんですよ。銃弾の跡だったり、ベルリンの壁がなくなっても、道のレンガに「Berlin Mauer」って書いてあるんですよ。いろいろなものが積層している。時間が建築のもっとも大切な要素のひとつだと思っているのに、自分が産み落としてバイバイってちょっとおかしいじゃないですか。建築がこれから育つんだから、育っていくのも見届けるべき。

三島はあー、すごいな。

光嶋さっき建築って時間がとても大事、と言いましたが、それだけじゃなくて「お金」という大事な要素があります。それと「技術」だと思う。「技術・お金・時間」という三本柱があって、この3つを無視しては、いかなるプロジェクトも成り立たない。そのバランスを、いかにうまくやるか。さらに細かい話になっていくんですよね。

そういうときに、ある常識を破る。常識的に考えすぎると、なかなか突破口は生まれないですよね。常識のなかには、あんまり面白さを感じないので、これ面白いことになりそうやという自分のセンサーを信じる。そのあらゆる複合体の、ひとつひとつの選択が重ねられた結果、ある建築が生まれるんです。

僕には、こういう建築が健全で良い、という漠然とした考えはあっても、この3つが決まらないと、計画にできない。さらに具体的に言うと、僕は設計者なので、クライアントと作り手が決まらないと、何も決まらない。

三島そうですよね。

光嶋でも具体的になった瞬間に、パズルのピースが揃ってきて、ウゥーンとエンジンがかかったら、もう、バッていきます。だから、エンジンをかけるためのいろんなスイッチを、いろんなところで探している。

三島そのアンテナがすごいですよね。

光嶋「やらない後悔」っていうのが一番イヤだったんですよね。やって失敗していいと思うんですよ。大学院卒業する間際に、「・・・ゆうすけ、将来どうすんの?」「おれ、やっぱヨーロッパで働きたいと思う。好きな建築家に手紙書くわ」「いや、そんなムリやぞ」と。「おまえちゃんと奨学金とかとって、確実に決めてから行ったほうがいいって」「いいや、そんなんわからんやん。行けるんちゃうかなー」って思ったわけです。

それで5人に手紙を書いて、第2希望で決まったんです。もし仮に、国内のどっかに就職していたら、一生後悔していたと思う。やらなかったことに対する後悔をしたくなかったんです。常にどっかに無根拠な自信がある。ちゃんと嘘つかずに真面目に、人と人と接していけば、いけるんちゃうかなーって。

三島それをほんとうに、貫いているというのが、いいですよね。

光嶋いろんな制約があるわけじゃないですか。制約は苦しいですよ。でも、できるんですよ、絶対。名作は制約の壁を越えてこそ生まれますからね。

三島なるほど。

第24回 本のこぼれ話 光嶋裕介さん

光嶋むしろ制約が、プラスになる瞬間。いろんなことを考えるのは、制約があるからこそで、制約をいかに反転させるか、というのは、出版編集の世界も一緒なんかなと思います。

三島そういうのあればあるほど、やりやすいですよね。

光嶋楽しめるじゃないですか。その制約を。「うわー、やばいやばい。これもやばい。予算もない時間もない」みたいに、テンパっちゃダメやて思うんですよね。

三島素晴らしいですね。それは僕ちょっと見習いたい。

光嶋いや、ぼくテンパるんですよ。テンパるんですけど、テンパらないテンパらないと言うことで、テンパらないようにしようと(笑)。

「いまの出版社の運営において、合気道は本当に欠かせない」(三島)

三島僕が合気道はじめた理由って、まさにそこなんですよ。会社つくって3年目か4年目に、自由が丘道場に入門するんですけど、そのころ、僕はめちゃめちゃテンパってたんですよ。

光嶋テンパってた(笑)。

第24回 本のこぼれ話 光嶋裕介さん

三島社員も増えてきて、これまでの自分の解決法じゃ済まないことが出てきたんですね。いままでは編集者として頑張っていれば、いろんなことが動いていった。自分の腕を磨いて、面白いものをつくっていけば。そうすればなんとか、いろんなものは開けていったという感じがあったんです。会社をつくり、数人だったのが4人5人6人と、ひとりずつ増えてきました。うち、出版素人のメンバーが結構いるので、まあ、日々とんちんかんなことをするわけです。

光嶋ほぉー。

三島そりゃスゴいですよ。そのとんちんかんぶり。 これ、そうじゃなくて、こうこうこうやで、と言ったら、素人なのに強いんですよ。「いや、三島さんが違うとおもいます!」って。「あ、僕がちがう?」って。

光嶋なるほどなるほど。

三島この子たちに、「言語を届ける」にはどうしたらいいか、ということにテンパってたんです。

光嶋それって、僕がクライアントにやっていることと一緒ですよ。

三島なるほど。

光嶋僕にとってのクライアントは、みんな設計の素人ではある。だって建築のプロが僕に頼むとかおかしいじゃないですか。自分で設計しろって話だから。だからそういう意味では、僕は別に素人のことをバカにしないですよ。僕は設計のプロなんで、闘う。そしたら、いろんな人がむちゃくちゃ言いよるんですよ。それをどうやって、優しく否定してあげるか。それを認めてくれるかは、僕の美学とか、いろんなことが試される。だから、編集の素人が事務所にいるって、いいことですよ。

三島すごくいいことなんですよ。素人が多数派なんで。僕が少数派なわけなんですよ。それで僕が「こうだと思う」と言うと「いやちがう」と。

光嶋それで、イラっとしないんですか?

三島いや、最初よく意味がわからなくて、「ちがうのかなー?」と思いました。僕もよう、自分とんちんかんかな、とか間違ってるかなと思ったり。そうして好き放題やっていると・・・やっぱりおかしなことになっていく(笑)。

光嶋その、テンパった時期というのが3年前くらい?

三島そうです。そういうことが日々あって。僕もさすがに「どうしたものか」と。でも 「こうだ!」って恫喝してしまったら、おしまいだなと。それはイヤだなあと思いました。じゃあ、どのようにしてこの子たちが動いたり育っていくのか、ということは、編集の技術をあげていくのとは、ちょっと違うものがあった。 どうしたらいいかと。というときに、正月に内田先生が「自由が丘道場、三島君近いんだから行ってみたら?」とおっしゃったんですよ。「多田先生に直々に教えてもらえるんだからさ」って。

光嶋いいんでない? って。

三島ほぉ、と思って、1月4日にその話を聞いて、1月 17日の火曜18時半くらいに、パァーっと見学に行きました。その週の日曜日に多田先生がいらっしゃいますよ、と聞いて、ほー! と思って。日曜日にも行きました。行ったらもうなんていうか、すごかったです。こんな人類がいるのか、というぐらいの衝撃を受けて。

光嶋ねえ、そうですよね。

三島はい。僕は14年くらい編集者やって、いろんな方々と本をつくってきましたけど、多田宏先生という方は、凄まじい人です。稽古の時に発するひとつの言葉が全部真上から降りてくるんですよ。パァーンッ! っとくるんですよ。ああ、こういう言葉の降り方を体感するのは、ほんと生まれて初めてやって。その場で泣いてしまうようなくらい、感動して。ああ、これは出会いだって。すぐその場で入門をしたんです 。

光嶋会社がもうえらいこっちゃになっているタイミングで。

三島みんなが刀を、型のない型で振り回しているんですよ。危険でしかたがない。さすがに僕『計画と無計画のあいだ』で、無計画いいよって言ってますけど、ここまではあかんと。自由で個性的であっていいけれども、でもある型にもちゃんと収まって、秩序も保たれている。まさに「計画と無計画のあいだ」にメンバーをおさめるにはどうしたらいいか、そのやり方を合気道を通して日々学んでいる。

光嶋したら、「出版と建築、ときどき合気道」どころじゃないじゃないですか。合気道、めちゃくちゃ大事やないですか。ときどきじゃだめじゃないですか。もうベースにあると。

三島そうです。いまの出版社の運営において、合気道は本当に欠かせない。

光嶋それくらい合気道って、人の心を鷲掴みにするんやっていうのを、いますごく感じましたし、今日これだけ話してても、やっぱ出版と建築の話をしてても、合気道の話をブレンドできるくらい、お互い、ね、ハマってるんですよ。

三島めちゃめちゃハマってるんです。

「絶滅しそうなちいさな声を、掬い上げて代弁していく」(三島)

光嶋最後に、1個聞きたいんですけど、三島さんが城陽に行ったと聞いて、何か大事なことをしている実感があったんです。 京都の、文化的じゃないというところに、出版社をたてることで杭をさしたっていうのが、まちづくりにどういう変化をもたらすと思いますか?

三島僕は旅が好きで、できれば日本中いろんな街がいろんな顔を持っていてほしいなと思っています。それがどんどん平板化してしまっていると聞いて、すごくさみしい。僕はまちづくりの人じゃないですけど「出版メディアに身を置きながらできること」、そして「出版全体が、ひとりでも多くの人に触れてもらう」という、そのふたつをしっかりと満たしていく。そのためには、地方に出版社がいっぱいできてくるのが、まず必要なんです。

光嶋それがより健全、より多様性があると。

三島そうですね。作り手の個性がしっかりと見えた本づくりで、それが多様である方が、読者にとって絶対幸せに決まっているんです。大きなメディアでは拾いきれないような声を掬いあげることが、出版のひとつの役目です。その声を拾い上げるところは日本中に点在している方がいいし、そこでしか拾えないものも絶対あるはず。でも全体の大きな流れで見ると、いま出版は東京に来ないとできない、という方向になってきています。

光嶋みんながこうタッグを組んでいって、強い人たちだけが生き残るスタイルみたい。

三島東京に来たらできるのかと言ったら、東京に来ても、できにくくなっています。門がどんどん狭くなっているのが、現状です。自分は本が好きだし、出版が少しでもよくなっていってほしいと思っている。それは、ただ自社が発展するということだけじゃなくて、やっていかないといけない。というより、やらなかったら自社もじり貧になっていく。地方でもできる状態を、急速につくっていく。その手を本当に1分でも早く打っていかないと。

光嶋それはもうひとつの背中としてね。

三島大きな船はいま、じわりじわりと沈みつつある。その船は、正直言うと、むちゃくちゃよくできていたと思います。でも、この船が沈みきる前に、ちゃんと小舟がバァーっと浮かんでいる状態をつくっておかないといけない。本づくりもそうですけど、伝承していかないといけないものもある。そういうものも含めて、どんどん手を打っていかないと、とは、ずっと言ってました。

光嶋そのひとつの具体例が、京都の城陽という。

三島そうです。たまたま城陽に知り合いが空き家を持っていて、行きました。ここで勝負をかけられなかったら、いつかはないなって。自由が丘の出版社のほうが、もっともっと経営的に安定してからとか言っていたら、たぶん、それは来ないと思いましたし、口だけに終わってしまうなと思って。

光嶋経済合理主義で言うと、合理的でないことがたくさん出てきたりすることもあるけれど、そうじゃないところでの、正当性というものを探している。これからの人口減少型、少子高齢化社会には、新しいルールがありそうですね。

三島そうですね。それが始めた一個の大きな動機で、で、やってみてよかったことは、あまりにもなにもないということ。あまりにも、なにもない。

光嶋東京での常識が全然通用しないと。

三島ええ。そして、さみしいんですよ。このさみしさは、人を強くする。
基本的に修行好きなので、いまの環境は、すごくいいですね。東京でみんなが華々しく活躍しているような感じが伝わってくる。でも僕はいま東京にいないし、そこに参加することもできない。こう、城陽で古墳を、ぼぉ〜っと見てる。

光嶋古墳がある?

三島古墳だらけなんですね。この瞬間競争原理から言ったら、僕、負けているわけですよ。ああ、トップクリエイターたちはいま東京で勝負しているのに、俺は古墳を見てる。何をしてんねん、という思いも多少はやっぱりあるわけです。でも、「あ、そうか。これをするために俺はここに来たんだ」と。自分で選択したんだと。

光嶋んむ〜。なるほどね。大きな振れ幅、今までとは違ったベクトルの思考や生活の質みたいなものを手に入れたんですね。

三島それで、さっきのイベントとかも思いつくわけです。

光嶋そうですね。

三島東京で寺子屋ミシマ社とか、いろいろやってきた。これくらいの企画したら、まあ、結構人が来てくださっていた。でも城陽に人が・・・。

光嶋・・・来るんか?

三島そうです。たいへんですよ。そこに来てもらおうと思ったら、東京で企画する3倍はハードルを上げていかないと。それが、本当によかった。

光嶋そのハードルが。

三島いままで、これぐらいで行けるかなって思ってたものや、寄り方とか見せ方とか、角度の取り方とか、どんどん僕のなかで変わっていくだろうなあと思っていて。それが一番よかったなと感じています。

光嶋ぼく、本のなかに林業の話を少し書いているんですけど、林業において、小林直人さんという方が闘っているんです。大手の人たちがばんばん木を切って、ばんばん工場に入れて、そうすれば利益がとれるけれど、ひとりの、いわゆる木こりさんという方たちは、もう食べていけない。

三島ほんと大きな問題なんですよ。

光嶋30年前は潤沢に食べていけたんですよ。でも社会が変わってきてしまった。聞こえなくなってしまって、絶滅しそうな声があるというのを、ぼくが設計者として代弁するというのは、三島さんが京都に行ったことと通ずるのではないかと。

三島ほんとうにそう。そういうことをやっていかないと。そして、このごろ切羽詰まっているじゃないですか。とにかくいま、全産業において新しい一手を打ち続ける必要がある。

光嶋パラダイムシフトですね。出版もこれから人口が下がって、増えていかない。どんどんベストセラーが生まれるっていうことはないと。でも、それを求めていたら、絶望するしかないから、そうじゃない道を三島さんがつくっていけばいいし、僕も建築家として、そういう建築のあり方をね、やっていきたいなあっていう。

三島そうですよね。

光嶋うまく、締まりましたな。ぜひ一緒に革命しましょう。

三島いいっすねえ。ホント、その通りですよね。

光嶋今日はありがとうございました。

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光嶋裕介(こうしま・ゆうすけ)

1979年、米ニュージャージー州に生まれ、トロント、マンチェスターで少年期を過ごす。早稲田大学理工学部建築科で石山修武に師事。大学院修了後、独ベルリンの建築事務所ザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツに4年間勤務。2008年に帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。桑沢デザイン研究所非常勤講師、2012年より首都大学東京助教。凱風館の設計によりSD REVIEW 2011に入選。ドローイング集『幻想都市風景』(羽鳥書店)を2012年に上梓。

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