本のこぼれ話

『エピジェネティクス』仲野徹(岩波新書)

 ある日、ミシマ社内で『エピジェネティクス』という本が話題になっていました。
「え、エピジェネ......?」
「ハリー・ポッターに出てくる魔法......?」
「いや、どうやら生命科学のことばらしいで」
 みんなでワイワイ話していたところ、その場に居合わせたデッチ(学生のお手伝いさん)のコバヤシくんが興味津々に。すぐに本屋さんに走り、読んでみました。
 すると、おもしろいのだけれど果たしてこれはちゃんと自分は「わかって」いるのか? ええ、ここって、どういうこと? 頭で考えがちな学生代表・コバヤシくんは、そんな疑問で頭がいっぱいになってしまいました。

 そこで! 著者である仲野徹先生のところへ伺い、生命科学の基礎的な部分から、最新のホットな話題まで、直接教えていただいてきました。

(構成:小林翔太・新居未希、写真:新居未希)

第40回 教えて、先生! 『エピジェネティクス』仲野徹先生

2014.09.22更新


エピジェネティクスって?

―― つまづきながらも、『エピジェネティクス』たのしく拝読させていただきました!

仲野おお、読めました?(笑) 何も知らない人でも、頭から読んだらわかってもらえる、というのをひとつのテーマにして『エピジェネティクス』は書きました。かなり丁寧に書いているつもりなんです。まぁ難しいと言えば難しいけど、「それぐらい、これからは知っとかなあかんで」という感じでもありますね。

―― な、なるほど。

仲野塩基配列の変化を伴わない、遺伝子発現制御のことをエピジェネティクスと言いますが、エピジェネティクスという概念は、ワディントンという人が受精卵の全能性を説明するために考えついたんです。僕らの体は精子と卵子が一緒になった一個の細胞から生れます。一般的に人の体は60兆個の細胞でできていて、まあ誰も数えてないわりにはどの本見ても60兆個って書いてんねんけど(笑)、細胞の種類は200種類くらいって言われています。これも本当は誰も数えたことないねんけどね。

―― (笑)。

仲野どんな数え方をするかにもよるけれども、だいたい200から300種類のいろんな種類の細胞が、たったひとつの全能性の細胞からどうやってできてくるのか。それを説明するときに思いついたのが、エピジェネティクスの概念なんです。


iPS細胞はエピジェネティクス?

―― あの、万能細胞と言われているiPS細胞は、エピジェネティクスと言えるのでしょうか?

仲野ほんまは、万能という言葉ではなくて、多能性細胞といわなあかんねん。
 人間というのはまず、全能性の状態(編集部註:どんな細胞にも分化できる状態)の細胞が、いろんな種類の細胞に分化していくんですが、分化した細胞が全能性の状態に戻るということは普通ありえへんねん。分化したあとに、ほかの細胞になることも普通はできない。

―― iPS細胞はそれをしてしまう、ということですか?

仲野iPS細胞というのは、分化した後の細胞をもう一遍、多能性の状態にもどしてやることやね。全能性と言いたいところやけど、iPS細胞は胎盤の細胞になられへんから、全能やなくて多能と言うんです。エピジェネティクスでいうと、分化した細胞のエピジェネティクスの状態を逆戻りさしてやるというのがiPS細胞を作るときの考え方なんです。だからエピジェネティクスがものすごく大事な要因になるんですよ。
 もう一つ考えてみたら、精子も卵子も分化した細胞なんやね。筋肉とか血液とかと同じ、分化した先の細胞やけど、受精したとたんに元へ戻るわけよ。

―― ...あっそうか、どの細胞になるかわからない状態に。

仲野iPS細胞というのは、エピジェネティクスでいうと、分化した細胞に、山中4因子という4つの遺伝子を入れて、むりやり元の全能性の状態に戻してやるのね。
 受精というのはそうではなくて、精子と卵子、一番手前同士の細胞が一緒になったとたんに元の状態へポンと行く。

―― 精子と卵子がくっついて、どういう過程を経て元に戻るかっていうのは、ものすごい複雑なことなんですね...! これは、どういうふうにこうなっているのか、わかっていることなんですか?

仲野ある程度わかってるけど、完全にはわかってない。っていうくらい複雑なんですよ。考えてみたら不思議よね。iPS細胞の場合は特殊な遺伝子を入れてるわけやけど、受精ということによって自然に起こるんやから。リプログラミングという言い方を僕らはするんやけど、受精によるリプログラミングは、ものすごく複雑な現象なんです。

―― それは、エピジェネティックな変化ということですか?

仲野そうそう。これは別にDNAの塩基配列が変わるんじゃないからね。ゲノムが変わるわけではないから。

―― ゲノムは変わらないけれど、何かが起こって変わっている変化のことを、エピジェネティクスというんですね。あの、エピジェネティクスは、西周がphilosophyを「哲学」と訳したように、和製生命科学用語には訳せないのでしょうか。

仲野訳せないんです。エピジェネティクスを訳そうという気分がないね。エピ遺伝学とか言っても、なんのことかわからへん(笑)。
 遺伝子というのはすごく好きな言葉でね、画期的な翻訳だと思います。エピジェネティクスも明治くらいならうまいこと訳したかもしれへんけどね。エピジェネティクスはいつまでもエピジェネティクスですわ。


遺伝子、DNA、ゲノムってなに?

―― あの、僕はDNAと遺伝子は同じものだと思っていたのですが、違うのでしょうか?

仲野そう、違うんですよ。DNAはね、デオキシリボ核酸という物質の略称(deoxyribonucleic acid)なんです。細胞の核の中にある、二重らせん構造をしている物質のことね。遺伝子は、またそれとは違うねん。

―― 遺伝子は、物質ではない......?

仲野遺伝子というのは、定義が歴史に従って変わってるんです。「エンドウの実験」で有名なメンデルという人が「遺伝子」と言っていたときは、親から子へ受け継がれる性質のことをいう、「概念的」な言葉やったんですね。実態がまったくわからなかった。今はそこからいろいろわかってきた。簡単に言うと、「DNAがRNA(リボ核酸)になって、その後あるタンパク質になる、そのユニット」を遺伝子というんです。

―― ゆ、ユニット......。

仲野意外とね、難しいのよ。難しくて、一般の人はそこらへんの区別を厳密にしていないのよね。我々研究者も、普段会話するときはっきり区別してないんです。厳密にはまったく違う概念なんだけども、なんとなく遺伝子DNAと言ったりもするし。

―― なるほど〜。では、ゲノムというのは何なのでしょう?

仲野ゲノムも難しいねんけど、ゲノムっていうのは「全遺伝情報」のことをいうのね。DNAの中には4種類の塩基(アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T))がたくさん並んでいて、その並び方によってDNAの情報は決定されてるねん。せやから、DNAの中の塩基配列が、だいたい60億塩基くらいあるんやけど、それがどうやって並んでるいるか、がゲノムなんです。

―― その全体の情報のことをゲノムというんですね。


ゲノムを読んでわかること

『1000ドルゲノム』ケヴィン・デイヴィーズ(創元社)

仲野そう言えば最近出た『1000ドルゲノム』という本があって、この本面白かったよ。ヒトのゲノムは近々1000ドルくらいで読める、つまり塩基配列を決定できるようになる、ということが書かれてるねん。

―― ええっ。

仲野次世代シークェンサーというやつが出てくるんやね。シークェンサーというのは、DNAの塩基配列を決定する機械のことです。第1世代は1日に1万塩基くらい読めて、第2世代ができてすごく速くなったって言っていて、いま第3世代になっている。次、第4世代になったら、画期的な安さになって、一番小さいシークェンサーはスマートフォンサイズくらいになるという話なんです。それに自分のDNAをパッって入れたら、DNAの塩基配列が読めるようになるっていう。

―― DNAの最初から最後まで、こういうふうに並んでますよ、というのがですか?

仲野そう、その並びが読めるようになるんです。ほんまにそこまでいくのかは知らんけどね。今のところ、人ひとり分のゲノムを読むのに数百万円かそれくらいかかると思います。数千万はかからへんかな。それで個人のゲノムを読む人が増えてきていて、膨大な量のデータが蓄積されることで、また新しいことがわかるんじゃないか、と言われてます。

―― 自分のゲノムを知ることができたら、「自分はこんな病気になるかもしれない」「ここを治したらいい」ということがわかるのでしょうか。

仲野ある程度のなりやすさはわかります。以前はね、ゲノムを読んだらとてもわかると思われていてん。この病気にものすごいなりやすい、とか。でも意外とそんなことはなくて、2割くらいなりやすいとか、4割くらいなりやすいとか、そういう感じなんや。

―― おお〜、そんな感じなんですね。

仲野そやから、どこまでわかるかっていうのは難しいね。「糖尿病になる確率が2割増えていますよ」って言われても、「はぁ?」っていう感じやろ(笑)。でもアルツハイマーになりやすい遺伝子だけはよくわかるから、それは知っといたほうがええかもしれんなぁ。数倍も病気になる率が上がるのがわかってるのは、その一つだけなんですよ。

―― なるほど。アルツハイマーだけなんですね。

仲野でも、遺伝子の異常を知ったところで、予防できるものと予防できないものがある。それがゲノムを読むときに非常に大きな問題だと言われていて、「予防できへん遺伝子の異常を知ってどないするんや」っていうのがひとつの大きな問題やね。それもやし、さっき言ったように2割から4割なりやすいって言われても......どう?(笑)

―― う~ん。なんか、微妙な感じがします。

仲野それやったら何も知らずに、ただ単に節制したほうがいいんじゃないですか、という話もあるねん。何百万円もかかるならDNA読もうと思わへんけど、10万円くらいなら読んでみようかな、と思う人は増えると思う。それを読んでどう解釈するのかというのは、ものすごく難しい。楽観的な人も、悲観的な人もいるやろうし、個人によるよね。

―― ゲノム情報を全部読んでもらうとすると、そこから異常がどこかにあるか調べないといけないですよね?

仲野それは人ではできないから、コンピューターでするんです。でも、それすら今の段階ではそれほど良くなくて。結局、まだヒトのゲノムの情報がそれほど蓄積してないんです。ゲノムの情報には、そのゲノムを持ってる人がどういう病気になったかというデータもいるわけなんですよ。ゲノムだけわかっても、何にもわからへん。たとえば人種、先祖がどこから来たとかはわかるけど、そうじゃなくて、病気のなりやすさのデータとリンクしないとあかん。けどそれはすっごい個人情報になるんですね。


   

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仲野徹(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。1981年大阪大学医学部卒業。内科医としての勤務、大阪大学医学部助手、ヨーロッパ分子生物学研究所研究員、京都大学医学部講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て、現在大阪大学大学院医学系研究科・生命機能研究科教授。専攻はエピジェネティクス、幹細胞学。著書に『カラーイラストでよくわかる 幹細胞とクローン』(羊土社)、『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』(学研メディカル秀潤社)。

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