本のこぼれ話

『シェフを「つづける」ということ』井川直子(ミシマ社)

 ミシマ社合宿in沖縄の日程は2015年2月21日~23日。そして『シェフを「つづける」ということ』の見本が自由が丘オフィスに届いたのは、出発前日、20日の19時頃......。

 そんなできたてホヤッホヤの本をお届けすべく、そして本のこぼれ話をおうかがいすべく、向かったのは首里城のほど近くにある青木善行シェフのお店、「リストランテ ラビュー」

 本のなかで、青木シェフの奥様の、青木シェフの第一印象は「あ、武士みたいな人がいる」だったというエピソードが出てきますが、お会いしてみるとその言葉どおりでした。こちらをまっすぐに見て、迷いのない言葉で語られるお話に引き込まれるうち、あっという間に時間が経っていました。

 著者、井川直子さんとの出会いから、沖縄でイタリアンのリストランテをするということ、そして青木シェフにとっての「つづける」ということ......。どうぞお楽しみください。

(構成・写真:星野友里)

『シェフを「つづける」ということ』青木善行さんを訪ねて ~沖縄特集号~(前編)

2015.03.27更新


アパート見せてもらってもいいですか?

―― 井川さんと一番最初に出会ったときのことは覚えていらっしゃいますか?

青木『イタリアに行ってコックになる』(2003年刊、柴田書店)、の取材で井川さんがイタリアに来ていたときですね。僕は井川さんが日本を出発するときの取材予定メンバーには入っていなかったんです。でも時間ができたのか、井川さんが僕の働いていた店に直接電話してきたんですよ。「日本人いますか?」って。

―― ざっくりとした問合せですね・・・!

青木「お前に電話だよ」って言われて、「誰?」って聞いたら、「なんか日本人探してる」と。で、「会えますか?」という話になって、「別にいいですよ」って。お店の定休日に食事しながらの取材になりました。そういえばそのとき、井川さんが使っていたレコーダーをウェイターが携帯だと勘違いして、「何コレ? 日本にはこんなちっちゃい携帯があんのか!?」って驚いていました(笑)

―― なんだか目に浮かびます。

青木で、インタビューが終わって、僕が一人でアパートに住んでいるって言ったら、「見せてもらってもいいですか?」と。いやいや、僕も男だし、井川さんは女性だし「え? 僕の家来るの!? 今から? いやちょっと・・・」となりますよね。でも井川さんは全然気にしていなくて、まあ僕も見られて困るものはないし。で、結局アパートにも来て、前の本の出だしはそのときの様子から始まっています。

―― 井川さん・・・お会いするとフワッとした雰囲気ですが、取材はアグレッシブですね。


完全にイタリア人になりきっていた

―― 本の中で、イタリア時代はしんどかったという話がでてきます。

青木 15年間近くいましたけど、ずっとしんどかったです。そのしんどさにも波があるので、もうぶっ倒れそうなくらのしんどさと、しんどいけど頑張ろうっていうしんどさもある。でも正直楽しいという期間はなかったと思います。

―― そのしんどさというのは・・・。

青木 僕の場合、イタリアに行ってやるべきことは、完全にイタリア人になりきることでした。料理というよりももっと広い意味で、イタリアを染み込ませたかったというか。だからイタリア人が使う言葉をもちろん真似して使うし、リアクションとかツッコミとかボケも、同じことを真似する。たとえば、ちょっと足があたったときに、日本人は「いた」とか、沖縄では「あが」って言うんだけど、イタリアでは「ア~イヤー」って言うんですよ。そういうのも真似するわけ。

―― へー!

青木 たとえば、計算するときもです。イタリアでも日本でいう九九のようなものがあって、小学校で勉強するんです。僕はわざとそのイタリア語の九九で計算していました。完全に日本語を頭からはずしていましたね。だからそれを、身体のどこかが違うって言っていたのでしょうね。もしかしたら、別の自分をよそおっていたのかもしれないし。


誰も僕のことを知らない

―― その後、イタリアを出ることを決められたあとに、奥様と出会われて1週間後に結婚を決められて。沖縄へはどういう経緯で・・・?

青木沖縄に来たのは、相手の両親に会ったり、結婚式の準備をしたりするためで、最初はここでお店をやろうとはちっとも思っていなかったんですよ。そのころ慢性的に胃が痛くて、病院に行ったら「胃潰瘍と十二指腸潰瘍、両方やってる。ついでにピロリ菌もいる」と言われて、抗生物質飲みながら1カ月くらい通院しました。

―― 聞いているだけで痛そうです。

青木ちょうどいい機会だし、とりあえず一旦仕事から離れて、頭も身体も充電しようかなって。自分のやってる仕事が好きじゃなくなってたんで。とりあえず今、ここですぐ仕事を始めたらつづかないと思って。だから、沖縄に来て、半年くらい僕仕事してないんです。一応新婚ということで、僕は沖縄のこと全然知らないから彼女にいろいろとつれてってもらったり、とりあえず料理に関わらない期間を半年過ごしましたね。

―― その後、沖縄のホテルでシェフになるお話が途中でだめになったりもして、東京に戻るとか、ご出身の福岡に戻られるとか選択肢はいろいろあったと思うのですが、沖縄でやっぱりいこうと思われたのは、なぜですか?

青木いくつか理由があるのですが、まずイタリアを出ますというときに、嬉しいことに、東京と大阪、それ以外に何カ国か海外から「うちにこないか?」って声をかけていただいたんです。でも、イタリアでの僕は、みんなが求める外国人シェフを一生懸命演じてました。胃を痛くして、背伸びして、毎日ギリギリ立って、結局その違う自分がどんどん上へあがっていくんですよ。それを必死に追っかけてやってきて。そんなもう一人の自分のほうを見て、みんなは声をかけてきてくれる。これは行っちゃだめだと思った。沖縄に来たら誰も僕のことは知らないわけです。ここが、一番のポイントですかね。


沖縄とイタリアに共通する空気感

青木あとは、田舎の空気感というのもあります。イタリアに通じる、ゆっくりとした時間の流れというか、せかせかしてない。街を歩いても、歩くスピードが全然違う。僕なんか田舎者だからイタリアから帰国して成田について、羽田から福岡に移動するとき、人の流れについていけない。どんどん抜かれていくの。最初の東京は「なにここ」って感じでしたね。住んでみればそんなことないんだろうけど。



―― 私も今回沖縄にきてそれは感じました。

青木イタリアの田舎で過ごした時期と同じ空気感というか、居心地のよさというか、別に焦らなくてもいいんだって気持ちになれた。奥さんが沖縄出身で、来たくってきたわけじゃないけど、この場所に決めたのはそういった部分もあると思う。それもね、良くもあるし悪くもあると思うけど。沖縄は時間にルーズなところもあるし。店をやりだすと、予約の時間があるけどその時間に来ないお客さんもいるし。

―― それは料理的に大問題・・・。

青木普通に考えたら13時に予約して13時半到着になりそうな場合、電話いれるのが一般的じゃないですか。もちろんそういう方もいるんです。でも平気ですよ、遅れてもまったく悪気なし。お店に堂々と入ってきて。そういうの見ると、いきすぎも困るなって(笑)。

(つづく)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

ミシマ社編集チーム

バックナンバー