本のこぼれ話

『女、今日も仕事する』大瀧純子(ミシマ社)

 6月に発売となった『女、今日も仕事する』。おかげさまで、読んだ方々からたくさんの共感の声をいただき、静かなひろがりをみせています。
 今回のミシマガジン「本のこぼれ話」では、著者の大瀧純子さん、そして昨年発売となった『現代の超克』の著者でもある、大瀧さんのお仕事のパートナー、若松英輔さんのご対談を、お届けしたいと思います。
 本日はその前に、今回の書籍に大瀧さんが寄せてくださったエッセイを掲載し、明日からは連続3日間で、ご対談のダイジェストをお送りします。どうぞお楽しみください。

ワークとライフの織物

2015.08.10更新

 学生時代のアルバイトから数えて三十年近く仕事をしてきた。初めて就職した先では、社会で女性が働く厳しさを知り、また、子どもが生まれてからの再就職はまったくうまく行かなかった。保育園にも預けられず、元の職場にも戻れない。社会に私の居場所は与えられなかった。
 いったんは諦めたものの、仕事がしたい、という気持ちは、お腹がすけば食べ物を求める、というのと同じくらい、本能的とも思えるほどの強力な欲求となり、じりじりと焦りが募った。
 履歴書を送っても返事さえ返ってこないというなかで、途方に暮れた私は、新聞でふと目にとまった「ホームティーチャー募集」の連絡先に、藁をもつかむ気持ちで電話を掛けた。三カ月後、自宅で子供たちを相手に英語教室を開いた。

 それまで希望していたのは、元のシステムエンジニアとしての専門職での復職か、あるいは企業での事務職だった。そういう仕事しかできない、とも思っていた。実際、学生のときにはファミレスのバイトで、三カ月でクビになっている。不器用で、子どもの相手も苦手だった。それなのに、その求人広告を目にしたとき、SEとしてのキャリアも、これからの不安も忘れて飛びついた。ただ「仕事」の二文字を切望していたのだ。

 心のどこかに、「キャリアをおりた」という敗北感がなかったわけではない。収入も、はじめは月に二、三万円という心細さ。けれども、自分が一番大事にしてきた子どもとの生活、時間を犠牲にすることなくまた仕事を始められる、そのことで自分を納得させた。
 第二の仕事人生は思い通りのスタートではなかったが、新たな希望を感じていた。
 ところが、夫の転勤に伴う引っ越しがあって、一年で閉校することになってしまった。その二年後に、今度はひょんなことから、自宅六畳間で商品開発をすることに。
 まったくの素人が、何の予備知識もなく、相談できる相手もいない。「開発」が何をすることなのかも、途中まではよくわかっていなかったという頼りなさ。点をひたすら打っていくような日々。それでもいつしか点と点はつながって線となり、最後にぼんやりと絵が浮かび上がった。それを商品というかたちにした。

 求めて手に入れた仕事ではなかった。けれども、そこから私の仕事人生は大きくうねり始めたのだ。その商品を通じて出会った人が三年前に私を社長にした若松英輔さんだ。
 振り返れば、私が女性でなかったら、子どもがいなかったら、すんなり元の職場に戻れていたら、今とは違う仕事人生を歩んでいるのだろう。
 子どもがいたからこそ、たどり着いた想定外の場所。途中には、あきらめや迷い、苦しみも挫折もあった。けれども今はやっと、こんなふうに流れに任せてみるのも悪くない、と思える。

 二年前の夏、仕事に行き詰まりを感じて、京都に織物を習いに通った。週に一度、四カ月の穏やかな時間の中で、ようやく自分自身を取り戻した。
 「ライフ」を経糸に「ワーク」を緯糸に、織物は今も続いている。時間を掛けて、休み休みでも織り続け、人生の晩年には、私なりに美しい裂(きれ)が織り上がっているといい。そんな気持ちで、今日も仕事をしている。

大瀧純子


    

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大瀧 純子 (おおたき・じゅんこ)

(株)シナジーカンパニージャパン最高経営責任者。同社の創業メンバーの一人。オーガニックハーブ製品の開発者であり、企画プロデューサーでもある。1967年、埼玉県生まれ。学習院大学文学部心理学科卒。大学卒業後、システムエンジニアとして大手金融会社のシステム開発などに携わった後、出産、子育てのため家庭に入る。その後、在宅での商品開発やバイヤー職など、あらたなキャリアを積み重ねる。大学生の息子が一人。

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