本のこぼれ話

 昨年8月に発刊となったコーヒーと一冊、『たもんのインドだもん』(矢萩多聞著)。生活者たちの飾らないインドを描いた、これまでにない味わいのインド本として、好評をいただいています。
 そして、昨年の11月にポプラ社から発売となった『晴れたら空に骨まいて』(川内有緒著)。親しい家族や友人を失って見送り、世界のどこかに遺骨を撒いたり、撒こうかなと考えている、5組の方々の語りをまとめたノンフィクションである本書の第5章には、矢萩多聞さんがご登場されています。鮮やかな空の絵が印象的な本書の装丁も、多聞さんによるもの。
 著者の川内有緒さんは、『バウルの歌を探しに』(幻冬舎文庫)という著書で、インドのお隣、バングラデシュについて書かれたこともあります。
 色々とご縁の深いお二人が、この2冊で伝えたかったことや制作秘話を語った、書店B&Bでのイベントの様子を、前後編でお届けします。

(構成・写真:星野友里)

矢萩多聞×川内有緒――死者を見送ること、インドで暮らして見えたこと(1)

2017.01.23更新

この世知辛い世の中で、お友だちを看取るということ


矢萩この本、最初は、自分の章が一番おもしろいと思ってたんですけど(笑)他の人の話もぜんぶおもしろかったです。

川内ハハハハハハ!(笑)ありがとう。

矢萩読みものとしておもしろいし、人の死について書いたものだから、気持ちが暗くなっちゃう本かなぁと思ったらそんなこともない。むしろ明るい気持ちになるような。

川内うんうん。

矢萩笑うシーンもいっぱいあるし。いい本だなと思いました。

川内私の北海道在住の友人が、「この本の感想を伝えたい」と言ってわざわざ会いに来てくれたんですけど、「僕の中では、この最後の章の矢萩家というのがすごく衝撃的だ」と。「それまで自分が持っていた友だちとかそういうものの常識がこれですべて覆された」くらいの(笑)

矢萩ハハハハハ(笑)!

川内本の中には多聞さん一家が、インドで出会ったお友だちを看取って、散骨するという物語が描かれているわけですが、この世知辛い世の中で、お友だちを看取るというのは大変なことのように思うんです。でもお二人(多聞さんとお母さんのあかねさん)と話しているとそれが、ごくごく自然のことのように思えてきて。それってやっぱりインドに住んでいたことと関係あるんですかねぇ。

矢萩もちろん、ぼくの両親や、自分自身のキャラクターも関係あると思うんですけど、基本的にインドの人ってお節介焼きの人が多いですから。『たもんのインドだもん』の中でもひたすらそんな話ばかり書いてる。知り合いになると家にすぐ人を招くし、なにか困ったことがあったらなんとか助けようとする。道を訊くと親切なんだけど、みんな違うことを教えてくれるとかね(笑)。教えてくれてる人はすごく真剣なんですよ。

川内わかります(笑)

矢萩そこから先、本当かどうかは自分で確かめなきゃいけない(笑)でもそれって嬉しいじゃないですか。そういう中で暮らしていたからというのはあるかもしれませんね。

川内うんうん。

矢萩日本もそんな時代があったのかなぁ。かなり敷居が低い付き合いを、無意識にやっていた。いいことだからとか、善人ぶるわけではなくて、当たり前の感覚としてインドの社会の中に根付いているんじゃないですかね。


「自然にそれがやってくる」という感覚

矢萩インドには中動態の言葉が多くあるという話もしましたね。

川内能動態と受動態の間で、中動態なんですよね。

矢萩たとえば日本語では「私はヒンディー語を話せる」と言うでしょう。だけどインドの言語では「ヒンディー語が私の中にやってきた」と言う。自分以外のところから「生じた」みたいな、外から来たというような言い方をするんです。

川内うんうん。

矢萩だからインド映画にでてくる歌詩でも、「愛」というものが、どこからかやってきた、もたらされたものとして歌われる。「私が誰かを愛する」ではなくて、誰かのせいで心をかき乱されて、「愛が生まれてしまった」みたいな表現がたくさんあるんです。ぼくらの場合も友だちが癌になってしまって、「どうしよう」とか「いいことだから」とか考えるひまもなく、「そうなっちゃった」という。

川内うーん! それを聞いてると多聞さん一家とお友だちの関係も、「そういうことだったのか!」とすごくしっくりきます。やっぱり普通は「どうして、友だちのためにそこまでできたのか」と考えちゃうんですよね。でもそうやって、「自然にそれがやってきたんだよ」と言われると、「そういうこともあるよね」と。そしてそれって、この本の他の章にも言えることだったので、それを聞いたときに「あっ、多聞さんの章でまとまる」というか、これが全部をまとめてくれるくらいの力のある素敵なものになったなと、すごく嬉しかったですね。


亡くなった人たちの物語を引き継ぐ

川内「見送る」というのがこの本の最大のテーマなんですけど。

矢萩そうですね。亡くなったあとの話。

川内結局それは、どう、その亡くなった人たちを生かし続けてあげられるかということだと思うんですけど。やっぱり亡くなってそこでバン! と途切れるんじゃなくて、残された人がその人たちの物語をどう引き継いであげるのかみたいな。その人らしく、どう生かしてあげるのかというのは考えてもいいのかなぁと。日本だと、亡くなった人の話を、いつまでもしてはいけないんじゃないかみたいな考えがあると思うんですね。

矢萩「もう、そんなこと言って。いつまでも引きずって...」みたいなね。

川内そういった考え方ももちろんあると思うし。でもその一方でもう少し積極的な引きずり方として、ただ家に閉じこもって泣いているだけではなく、この本の最初の章に出てくる畠中さんみたいに、自分なりの行動で、世界に骨を撒く旅に出たり、故人と生き続ける方法を探すべきなんだというのを、この本を書き終えて思いました。この本を書く以前は、その方法が自分にはわからなかったというか。

矢萩この本を作っていたタイミングで、ぼくのおばあちゃんが亡くなったんです。実家の横浜に向かう新幹線に飛び乗る前にお弁当を買ったんですよ。それを車内で開けたら、ちくわの磯辺揚げが入っていて、パーっと思い出がよみがえってきた。
 小学生だった頃、うちはタバコ屋でけっこう忙しい日はお昼にぼくが近所のお弁当屋さんに行って、おばあちゃんの分も買って帰って来る。そんな時、よくおばあちゃんがちくわの磯辺揚げをくれたな、って思い出したんですよね。「あっ、そうか」と、思わずそのちくわの磯辺揚げを娘にあげたんですよ(笑)

川内フフフ(笑)

矢萩暮らしのなかには、そういう本当に些細なことなんだけど、なにかがピューっとつながって、針の穴を物語の糸が通っていくような瞬間があるんだなぁ。はたから聞いたらぼんやりした話ですけどね。
 死者を思う、ってことは、さっき言ってたようなクヨクヨひきずるのとは違う。それによって、亡くなった人と一緒に生きてきた時間と、さらにその先に続く時間がつながっていく瞬間が生まれる。それがいいなぁと思って。
 死者が重なっていくとか、引き受けて引き継いでいくということだと思います。

 

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