本屋さんと私

第14回 うかつな女にコストはかけない

2009.10.15更新

コラムニストは、どうでもいい記事ほど気になる

小田嶋本屋さんというか、「字」について思うのは、いまインターネットと印刷の活字が比べられて、一面的に活字の方が不利だという話になってると思うんですよね。

―― はい。そうですね。

小田嶋でも、最近、必ずしもそうじゃないなと思っていまして。

―― ほう。

小田嶋確かに、インターネットが絶対的に勝っているところは、「いつでも直せる」っていうことと「検索可能」っていうことですよね。

―― そうですね。

小田嶋でも、「いつでも直せる」ということで、証拠能力がなくなる部分ってあるんですよ。デジカメだと、修正できるからフィルムカメラじゃないとダメっていうときもあるでしょ。

―― はいはい。

小田嶋ウィキペディアのいつでも更新できる点なんかも、本になった百科事典より有効な面はあると思いますけど、情報って「ある時期にはこうだったんだ」っていう編集過程を残さなきゃいけない部分もあるんですよね。
『広辞苑』なら、第5版と第6版の間でこれだけ変わったんですよっていう話が事実として残ってるでしょ。それが残ってるほうがいい分野もあるんですよ。

―― なるほど。

小田嶋それと、もう一つは、これが一番大きいと思うんですけど、ブラウザビリティ(一覧性)に関して。この点に関しては、活字のほうが圧倒的に優れていますよね。

―― といいますと。

小田嶋例えば、新聞って畳一枚くらいの見開きの中に、一通り経済欄だったら世界経済が全部載ってるわけですよ。

―― はい。

小田嶋そこにはある程度重みがつけられてあって、右側の一番上の方に一番重要な記事があって、左の真ん中あたりにどうでもいい記事があったりして、見出しの大きさによっても情報の重みを分けてるわけでしょ。

―― そうですね。

小田嶋それをして、編集と呼ぶわけですよ。
新聞の一見開きにある文字数って、原稿用紙にすると何十枚分とあるんですね。それが一見開きの中でランク付けされて、読むべき情報と読まないでよい情報が一目で分かるようになっている。

新聞を読み慣れてると、例えば「小野伸二」とか注目している選手の名前っていうのは、小さくても飛び込んでくるんですね。気になってる記事で「オバマ」っていう文字があれば、ものすごいペースでめくってても飛び込んでくるじゃないですか。

―― はい。

小田嶋人間の目ってそういうグラフィック処理能力をもっていて、新聞は長い間にそういう作り方をしてきてるんですね。自分たちもそういう読み方をある程度してきたから、情報をざっとブラウズするなら新聞の方が圧倒的に速いんですよ。

―― 確かにそうですね。ネットでブラウズすることはないですね。

小田嶋ウェブの記事は階層上になっているから、ちゃんとブラウズできないんですね。一見グラフィカルにみえるけど、すごくリテラルなんですよ。文字を一つずつ追ってかないと読めないようになっている。液晶画面の中でも一応見出しがつかわれてますけど、一画面の情報量としては新聞の1/10くらいですからね。だから、見落としがすごくでてくる。

―― なるほど。

小田嶋 それに、思わぬ宝物って、社会面のどうでもいい記事の中にあったりするでしょ。「どうして3歳児を置いてパチンコに行くかねぇ」とか「おっと、この人まだ生きてたんだ」っていう人が思わぬことを書いてたり、そういう小さい記事の中で面白い世相があったり、思わぬ発見があったりするじゃないですか。

―― あります、あります。

小田嶋コラムニスト的にいうと、そういうのが大事だったりするんですよ。

ウェブの原稿は生煮えになりがち

本屋さんと私 小田嶋隆先生

小田嶋もう一つの意味でいうと、一覧した画面の中で完結してるってことも言えますね。

―― なるほど。

小田嶋我々が、新聞に原稿を書くときって、簡単に「クラウドコンピューティング」っていう言葉みたいなのは使わせてくれないんですよ。
難しい用語を使った場合は、必ず注釈をつけるか、用語ページが必要になるんですね。ちゃんと1ページ以内でおばあちゃんから、中学生くらいまで、誰が読んでもわかる用語で書かないといけない。新聞の紙面ってそうやってできてるわけです。書籍でも良心的な書籍はそうできていますよね。

―― そうですね。

小田嶋だけど、ウェブ上の文章だと、わかんなかったら「ググってくれ」とか、リンクを貼ってすましてしまうことができるでしょ。だから「ブラウザビリティ」という言葉にしても、「クラウドコンピューティング」にしても、どんどん書いちゃうわけ。むしろ、変に解説を入れると、知ったかぶりを責められたりしますしね。

―― そうですね。

小田嶋情報が一ページですまなくて、「これについてはこっちを参照してくれ」「これについてはこっちを参照してくれ」というようにたこ足配線みたいな文章になるんですね。それが、ウェブの文章の有利さだとも言われてるんですけど、実は有利なようで、ちゃんとページ内で完結してない、未消化な原稿ばかりでできてるんですよね。

―― 下手すると、リンク先からリンク先へと、どんどん飛んでいきますよね。

小田嶋それって、ある意味豊かなんですが、文章の技法上ちょっとあり得ない。専門用語をならべて書けばそれなりのことが書いてあるようにみえるけど、内容を噛み砕いて説明できてないという点では文章が下手なわけですから。

―― そっかぁー、それは文章が下手ということなんですね。

小田嶋そういう意味では文章が荒れてきている。写真も、デジカメでバァーと撮って、後で校正で直せばいいやという撮り方になるでしょ。

―― そうですね。「ざっくり撮っといてくれたらいいから」とかってなりますもんね。

小田嶋「まずかったら差し替えればいいから」っていうようなね。ウェブ上の情報ってみんなそうなんですよ。以前なら、「自分の初版本に載ってる手ひどい間違いっていうものは、一生涯さらし続けられるものだ」っていう緊張感が文章の水準を支えてた部分も少しあったわけですけど、ウェブの文章にはそれがない。

―― なるほど。

小田嶋それに、ウェブだと紙面から文字がはみ出すっていう概念がないでしょ。あっちこっち話が飛んで、ダラダラと話を続けられる。

―― そうですね、ミシマガジンでも気をつけます(笑)。

小田嶋またそれはそれでおもしろいんだけど、これまでの伝統的な10枚なら10枚で完結させないといけない話の流れで文章を書けなくなるんですね。一本道で余計なところにいかない文章が。

―― 確かに、そうですね。

小田嶋だから、本屋さんとウェブの一番の違いは、そこに集まっている情報が、雑然としたものであるのか、ある程度整理されたものなのかっていう違いがありますよね。

―― なるほど。

本屋さんは人間の叡智が集まる場所

小田嶋それに、出版物の場合は、お金をとる目的があるから、編集者や校閲の目が届いていて、ある水準以下のものは載せないようにしていますしね。
例えば、岩波書店の『世界』だったら、あまりおちゃらけた記事は載らないっていうコンセンサスが読者にも編集者にも書き手にもあるじゃないですか。

それゆえに、あるグレードとある雰囲気と、ある独自の世界を形成しているわけですよ。他の雑誌にしても必ずある一定の、水準、世界、趣味、といった何かの切り分けの中で、塊ができあがっているわけで。

―― はい。

小田嶋それに、出版物にまとまっているということは、けっこう手間がかかっていて、資金も随分かかっているわけですよね。もし売れなかったら、自分が損するっていう気持ちを込めて印刷されているわけだから。

―― まさにそうです。毎回、必死です(笑)。

小田嶋そこは本当に大事なところですよね。少なくとも「損を覚悟で印刷して紙にしてたくさん部数を刷ったんだよ」っていうそのハードルを乗り越えている点で、ウェブの文章とは全然ちがうものなんですね。ウェブの文章はいいものはあるけど、そのハードルを乗り越えていない。

―― なるほど。

小田嶋本屋さんって、そうやって見ると、人間の叡智みたいなものが集まっている、というのは言い過ぎだけど、そういう場所ではあるでしょ。

―― その通りだと思います。かけがえのない場所だと。

小田嶋編集者なり、出版社なり、書き手なりが、金と時間とリスクを冒して出版してることは、決して軽く見ていいことではないですよね。
それでみんな損してるわけですから(笑)。

―― ははは(笑)。

小田嶋でも、売れない本があるっていうのも福音ですよね。単なる評判が悪くて心が傷つくだけじゃなくて、ちゃんと経済的に傷も受けてるっていうところが立派なところでね(笑)。

―― その違いは大きいですね。

小田嶋以前、私がよく知ってる女の子が、「私たちはお金が欲しくておごってほしいわけじゃないのよ」っていうことを言ってましてね。

―― はい。

小田嶋おごってくれる男のことを好きなのは、別に金目当てなんじゃなくて、「私にいくらつかうのかっていうところで、私たちは評価しているのよ」と。

―― はい(笑)。

小田嶋別に彼女たちも高いイタ飯を食べたいだけじゃなくて、見栄でも無駄遣いでも、座ったら2万円のディナーに連れてってくれる男がいたりすると、その男が金持ちか金持ちじゃないのか、それとも貧乏なのにそんなところに連れて行く、ただの経済観念のないバカなのか。そういうところで判断することもできるし、「この人はこれだけのコストを私にかけてるんだ」という評価も可能でしょ。

―― 可能ですね。

小田嶋やっぱりそこは見てるんですよ。我々も、うかつな女にはコストをかけんでしょ。「じゃぁラーメンでも食うか」みたいな感じでしょ(笑)。
だから、出版って、そういう痛みとコストをかけてやってるものだから、そこをちゃんと見ないといけないぞ、ということは言いたいですね。

―― 確かに。すごく飛躍したような気もしますが、そう思います。

本はプロダクツではありません

―― 最近本がどんどん廉価になっていってる気がするんですけど、あれはあまりよくないのではと思うんですよね。

小田嶋それはあると思う。
ユニクロがファッションを滅ぼすと言う人もいるけど、その論にちょっと一利あると思うのは、ファッションというのは気どることも含んでるんですよね。

―― はい。

小田嶋単純にコストだけでできてるわけじゃなくて、デザインや買う側の見栄なんかも含んでファッションってできてるじゃないですか。だけど、ユニクロができて以来、「品質」と「出来」と「コスト」っていう点だけが強調されてしまって、着るものが消しゴムとか工業製品と同じ値づけで判断されるようになりつつありますよね。それは違うんじゃないかなって思いますね。

―― そう思います。

小田嶋本にとってはもっとそういうところがあって、やっぱり「本は高くないと自分の首を絞めるよ」って思います。
工業製品と同じような見方で、「パソコンが1/10になったんだから、本も1/10になってくれないと」っていう期待のされかたをしてたりするのはきついところですね。

―― 本って人間が作っている物ですからね。

小田嶋そうそう。人間の労働力を投入してて、執筆者が手をつかって書いているわけで、だから、どう頑張ったって1/2までしか落ちないでしょ。
それに、文化や教養、情報といったものに、工業製品(プロダクツ)の値段をつけられてはちょっとかなわないですよね。

―― ほんとに、それはすごく思いますね。


(次週、『なくしたものは、もう戻らない』につづきます!)

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小田嶋隆(おだじま・たかし)

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。著書に、『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』『1984年のビーンボール』(以上、駒草出版)、『人生2割がちょうどいい』(共著、講談社)などがある。日経ビジネスオンラインで「ア・ピース・オブ・警句」を人気連載中!

本屋さんと私 小田嶋隆先生

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