本屋さんと私

第19回 山陽堂書店、誕生秘話

2009.11.19更新

単身、21歳で上京(初代の話)

―― もともと初代は岡山で書店をやっていらしたんですか?

遠山さん初代はですね、諸問屋といって、いろいろなものを扱う問屋をやっていたそうです。実は、私が高校のとき「我が家の祖先とその歴史」というレポートが出たんですね。そのとき「我が家は岡山で紙や畳表を扱う問屋をやっていた」と聞いてたんですよ。

なんとなくずっと気にはなっていたんです。インターネットがつながるようになって、「岡山 船着町」と入力してみたら船着町の町会があるじゃないですか。それで、本当に岡山で商売をしていたのか確かめたくて5年前に調べに行きました。

―― それはおもしろそうですね。

遠山さんそこで、岡山の歴史に詳しい知人が『岡山市史』の分厚い本の中から「船着町 万納屋」の文字をみつけてくれました。そして遅くとも天明8年(1788年)には岡山で商売をしているのがわかったのです。綿・焼き物・畳表・紙などを扱っていました。

―― すごいですね。

遠山さんそこから、いろいろ派生して、親戚たどって、先祖のお墓を探しに行ったりもしました。

幸江さんいいの? こんな話で。

―― たいへん気になるところです(笑)。

遠山さん話すといろいろ長くなるのですが、初代は、幼い時に母親が亡くなり、明治16年に父親を亡くしそして同じ年に祖父も亡くしてしまうんですね。それが16歳のときです。そこで、一人息子で未成年のためか、妹尾というところに一度嫁いだおばさんがもう一度、万納家に戻ってきます。それで除籍簿をみると、そのおばさんは初代が21歳になったとき、また妹尾に戻っていくんですね。

初代はそのときに除籍になっているので、それをきっかけに東京に出てきたんじゃないかなと思います。こういうことは、過去帳や初代の除籍簿を調べてわかったことなんですけどね。

―― 初代は21歳で、単身東京に出てきたんですか。

遠山さんそうだと思います。だから、除籍簿は明治21年になっています。まず、東京の芝に出ています。そこで新聞販売などをして、その後、明治24年にここ青山で山陽堂を始めたんですね。3月5日が創業日なんですよ。

―― 明治24年の3月5日が創業なんですか。

贅沢なのは初代まで(?)

幸江さん資金はどうしたんだろう?

遠山さん財産はあったと思います。実は、昭和5年から12年間山陽堂で働いてくれた方が93歳でお元気で、その方にも話を聞きに行ったんですけどね。

―― はいはい。

遠山さん晩年の初代を実際に知ってるわけですね。初代は「うちは岡山で代々続く旧家だった。」といっていたそうで、岡山にお墓参りにいくと、お土産に古代布やお菓子をもらったといっていました。

―― そうなんですか。

遠山さんそれで、初代の実家は岡山の船着町という通運に便利な河口にあったんですね。当時の船着町を調べてみると今でいう固定資産税が高い場所なんです。
だからきっと、遺産を相続したときのお金があったんじゃないかなと。

―― なるほど。

遠山さんしかも、初代は自転車を買って東京に上京したそうなんですね。今でこそ自転車ってたいして高くありませんが、その頃の自転車はとても高価なものだったそうです。

幸江さんそうそうそう。高価だった。

遠山さんしかも、上京する途中の大阪であまりお金を持ってるものだから、おまわりさんに捕まったという話も聞きましてね。そのときは、大阪に嫁いだおばさんのところに引き取ってもらったと聞いています(笑)。

―― 波乱万丈というか、豪快な方ですね。

遠山さん一人息子だったしねえ。お金は持ってたんじゃないかと。

―― おじいさんお父さんから続く財産がそのまま入ったわけですね。

遠山さんたぶん。でも、今となっては本当のところはわかりませんけど......。また、その初代っていうのは、私の伯母がいうには近寄りがたい存在だったそうなんです。ですから、そういう話をあまり聞いてないんですよ〜。

幸江さん晩年は本当に雲の上の人みたいに、お座敷で骨董を趣味にしていたそうですね。

遠山さんそれに、食事もおつくりとか仕出しをたのむことが多かったようで。
だから、そういう生活から、初代の先祖も同じような生活をしていたのではないかと想像したり。

幸江さんそういう名残はすごく聞いてます。初代はもう本当にね。
着物をつくるときは、呉服屋にたくさん反物をもってこさせて、娘たちにも選ばせたりしていたそうですから(笑)。

遠山さんいまの私たちからは全く想像できないよね。

幸江さんそういう贅沢は、初代で終わりですね。2代目からはがらりと変わりました。

―― 初代のおじいさまとはまったく接点はなかったんですか?

幸江さん昭和18年に亡くなってますから、まったくありません。ただ話だけは、本当に贅沢な人だったと聞いています。

―― そうですね。いかにも昔の商人っていう感じで。

幸江さんそうそう。風呂上りに頭に手拭いをのせて店番していて「客に対して失礼じゃないか」って言われても、「なにが失礼か」と言って店番しているような、そういう話を聞きます。

遠山さんそれで、伯母は「子ども心にもあれはおじいちゃんが悪いと思った」って(笑)。

幸江さんははは。 そういう初代でしたね。

百年前はそんなに遠い話じゃない

本屋さんと私 山陽堂さん

昭和6年の山陽堂書店

―― 少し創業当時の話に戻るんですが、明治24年に創業されて、その後、昭和6年に今の店舗を作られているということですよね。

遠山さんそうです。それまでは転々としていたそうです。
そういえば、先日、この写真にある旗を見つけたんです。大売出しかなにかの旗かと思って、これは捨ててもいいかなとひろげてみたら、この旗だったんですよ。

朱に白抜きでこうやって染めてあるの。それで、「山陽堂」って右側から書いてあります。

―― なるほど。むかしは読みが反対なんですよね。

本屋さんと私 山陽堂さん

昭和6年時の山陽堂書店の旗

遠山さん私、この写真を見るたびに「この旗どういう旗なんだろう?」と思っていたんですけど、ついに見つかったんですよ。ほんとに埃まみれになって残ってました。

幸江さん他にも出てくるかもしれないね。

遠山さん店の窓にはステンドグラスもはめこまれてたみたいです。

―― その当時はどれくらいの規模だったんですか? 

遠山さん当時の駒場農科大学(現・東京大学農学部)の教科書を取り扱ったり、明治40年くらいまでは新聞販売業もしてました。晩年は贅沢でしたが、若い頃の初代は猛烈商売人でよく働いて、太腿の大きいのは一杯ペダルを踏んだ証拠だといってたようです。

―― 昔は、本屋さんってすごく貴重でしたよね。今は大型書店とかいろいろありますけど、昔はそんなに本屋がなかったと聞きますから。

遠山さんうちに、大正元年の東京書店組合の本があるんですけど、それを見ると面白いですよ。

幸江さん100年位前のね。

―― おもしろそう。

幸江さんおもしろいですよ。「生国は備前岡山にして......」とかね。そういう文章で書かれています。
仏壇の引き出しに入ってて、何だろうと思ってみたら大正元年の書店組合の本だったんです。

遠山さんそれで、仏様の裏をみたら天明4年て書いてあって。きっと岡山から持ってきたものだと思います。

幸江さんやっぱり、筆で書いてあるから消えないんですよね。それで、義姉に聞いたら、「そんなものがあるとは知らなかった」って。
だから、いま孫たちにも「年取った人の話はよく聞いておいた方がいいわよ」と言ってます。

遠山さん私の場合は、中学生のときに出た「年配の方から戦争の話を聞きなさい」という課題や、高校生のときの「我が家の祖先とその歴史」という課題があったから、そういう興味がわいたんですね。

でも、そういうきっかけがないと、なかなか聞けないものですよね。聞いといてよかったなと思います。

―― そうですよね。聞いていかないと残らないですもんね。伝えていかないと。

遠山さんそうなんですよ。
じゃないと、わからなくなってしまいます。母(幸江さん)なんかは明治生まれのおばあちゃんと3世代で育っていますよね。明治生まれのおばあちゃんは、江戸時代を生きてきた人たちを知っているわけです。だから、おばあちゃんの話や立ち居振る舞いを見たりすることで、江戸時代を想像できるわけじゃないですか。

―― 確かに。

遠山さんそうやって続いて行くものだと思うわけですよ。

―― ほんとうにそう思います。

幸江さん考えてみると、百年二百年ってそんなに前の話じゃないんですよね。私なんか、明治5年生まれのおばあちゃんに育てられたから、「あぁ、そのころはまだ篤姫様は生きてたんだ」とかね。西郷隆盛も生きてたんだと思うとそんなに昔のことじゃないですよね(笑)

―― ほんとですね。

幸江さん私のおばあちゃんは、お歯黒でしたからね。

―― そうですか!

幸江さんそれで、「ちょんまげ結って歩いてたよ」っていう話を聞いていたので、そういうおばあちゃんと続いてると思うとね、そんな古い話じゃない。

―― そうですね。

幸江さんだからね、今のうちに聞いておきなさいと言ってるんですね。

遠山さんそうやって母から聞いたことを私が孫たちに話せば、どんどん繋がって行くわけじゃないですか。

―― そうしていかないとですよね。

遠山さんですよね〜。

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