本屋さんと私

第20回 飛ぶように本が売れる?

2009.11.26更新

どさくさにまぎれていろいろなものが......

幸江さん昔は、2、3階に、お座敷やお勝手とそれぞれの部屋があって、1階は全部お店でした。地下室も1/3くらいは畳が敷いてあって、ちゃんと寝起きできたんですね。それで、あとの2/3は在庫を置いていました。で、これが井戸の跡です。

―― 当時は井戸水だったんですか。

本屋さんと私 山陽堂さん

昭和6年の山陽堂書店

幸江さん屋上にモーターと大きなタンクが置いてありまして、お水がなくなるとスイッチを入れて汲み上げていました。だから、お勝手には水道用と井戸水用、2つの蛇口がありました。

遠山さんここは地下のお水がとてもよかったらしいですよ。

幸江さんうちが昭和6年の12月に建てましたでしょ。その前はお豆腐屋さんだったそうです。

―― へぇー。それはおいしそうですね。いまも使ってらっしゃるんですか?

幸江さん使ってたのは、壊す前の建物の時までです。

―― そうですか。ところで、その昭和6年に建てられた店舗は、オリンピックの前年くらいまでこの写真のような感じだったのですか?

本屋さんと私 山陽堂さん

建て替え工事中の山陽堂書店

幸江さんいえ、昭和38年にはいまの建物ができていましたから、昭和36年の終わり頃には変わっていたと思いますね。

それで、その頃、義父が倒れてしまいましてね。今考えると、いろいろショックもあったと思います。半身不随になってしまい、建て替え工事がはじまった頃はもう歩けなくなっていました。それで、義母は看病でたいへんでした。わたしは乳呑み児の二女をおぶって、お昼のお弁当や夕飯をつくったりしていました。

遠山さんたいへんだったね。

幸江さんうちの家族は南青山に家を借りて、仮店舗はいまの青山通り沿いに借りていました。商売も続けていかなきゃいけないので、配達だけはしていました。

―― 店での販売はやらなかったわけですか。

幸江さん倉庫みたいに借りただけでしたので、売ることはしませんでした。なにしろあのときは二女をおぶって、この子(遠山さん)の手を引いて、食料の買い出しに行ったりしてもう何が何だかわかりませんでしたから(笑)。

遠山さん そんな状況だったので、初代が岡山からもって来た「万納屋」の看板とか、いろいろどこにいったかわからなくなったものけっこうあるよね。

幸江さんどさくさにまぎれて。

遠山さん店の窓の上のところがステンドグラスになっていて洒落ていたそうなんですね。伯母たちがとっておけばよかったねえ。といっていました。

幸江さん室内の彫刻も凝ってましてね。座敷なんかは、時代劇に出てくるような床の間や違い棚があって、本当によくできていました。欄間もとっておきたかったんですけど、おじいちゃんは倒れて寝たきりでしょう。主人は店のことにかかりきり。私は子供を背負って、店のことや食事の用意までしていたので、そこまで気が回らなかったんですね。でも今考えると、写真だけでも撮っておけば良かったなと思います。

―― なかなか難しいですよね。でも、写真の外観をみるだけでも、飛び抜けてかっこいいですね。

幸江さん瓦も青緑色をしていて、屋根から落ちても割れなかったそうです。

遠山さん落ちちゃうのも怖いですけどね(笑)。きっと工事中の話でしょうけど。それで、どこかの職人さんがどこでつくった瓦か教えてくれとたずねてきたそうです。

―― よっぽど、特殊な瓦を使ってたんですね。

本が飛ぶように売れた?

―― 当時としては、けっこう広い本屋だったんじゃないですか?

幸江さん今の3倍くらいの広さでしたから、21、2坪くらいですかね。専門書から児童書まで種類はたくさん置いていたと聞いています。専門書は天井まで積み上がって、脚立がいつも置いてありましたから。

―― 天井までって相当な高さですね。2m以上ありますもんね。それが飛ぶように売れていたと。

幸江さんそう、書籍がね。特に全集は本当によく売れました。戦争中は活字に飢えていた方が多かったでしょ。それに、あのころは全集を揃えること自体に心をくすぐられるところがあったんですね。

―― はい。

幸江さんそれで、配達の男の子たちが4~5人いても、毎日、朝から夕方までずっと配達してました。一方、主人はオートバイで一日おきに日販の店売と神田村です。ほとんどが書籍の仕入れで、日販にないものは神田村まで回って仕入れるという感じでしたね。

―― 4~5人いて毎日注文があるってすごい注文数ですね。

幸江さんそうですよね。みなさんよく本を読まれたんですね。
もう谷崎潤一郎、松本清張は、新刊が出れば即売れました。それから、日本文学、世界、古典とか美術全集、豪華本から、簡単なムックまで本当によく売れました。

全集のお客様控えをみながら、こんなに積み上げたりしてね。だから、あの頃は住み込みの店員さんも必要だったわけです。

―― 一度もそういったことを体験したことがないのですごくおもしろいです。僕が出版社に入った頃というのは、出版不況っていわれはじめた頃だったので。

幸江さんいまは、テレビとかゲームとか情報量が多いから、一生懸命本を読むっていうのがあんまりないんですかね。

遠山さんでも、20年くらい前までは、お昼休みになると本を見に来る人でお店が一杯になっちゃったということもあったよね。

幸江さん買う買わないは別にして、お昼食べた後必ずうちに寄ってくれる顔なじみさんがいたりしてね。棚を眺めて「いい本がありますね」なんて言ってくれたりする人もいましたね。

店員のほうが多いときも

幸江さんでも随分変わりましたね。今は家族だけで雑誌の配達くらいで書籍の配達はしていません。

―― そうですか。客足はどんな感じで変わっていったのですか。急でしたか、それとも、じわりじわりと減って行った印象ですか?

幸江さんそうね、でもこの話をするまで忘れてましたからね。いつ頃までだったんだろ。主人が亡くなってからも書籍の仕入れは私がやってましたからね。

遠山さんそうだよね。だから、1980年代末くらいまでは忙しかったかな。

幸江さんそれが、90年代になってからですかね。そんなに忙しくなくなったのは。

遠山さんそうそう、94年のワールドカップの頃。あのころを境にお客さんがぐんと減ったような気がする。その頃から、お昼休みにお客さんが入ってこなくなったんですよ。配本もPOSレジのデータを使うようになったのか、書籍が入荷してこなくて困りました。

(POSとはPoint Of Salesの略。バーコードなどを用いて、
コンピューターと自動読み取りレジスターをつなぎ、販売時点・単品ごとに販売情報を収集して分析するシステムのことをいいます。売れ筋商品や、その商品の客層を分析し、陳列商品を改善していく目的で使われます

それで、雑誌の種類も増えて並べきれなくなってもいたので、思い切り書籍を減らして雑誌用の棚につくり変えました。そしたらとても残念がっていたお客様もいらして・・・。

―― そうですか。

幸江さん23年前に主人が亡くなって、しばらくは私が仕入れに行ってました。全部で6巻まである『勝海舟』(子母沢寛、新潮文庫)。これはいつも10冊くらいずつ仕入れてました。

―― 売れるから仕入れて。

幸江さんそう。売れるから仕入れて。で、わたしは車の運転ができないから電車に乗って仕入れに行くんですよ。

―― 大変ですね。

幸江さんでも、日販さんだと、たくさんあると翌日には郵送してくれるから。ない本は神田村を歩いて、一冊でもお客さんの本を仕入れてね。あのころは、まだ書籍がよく売れたんですよね。

遠山さんいまはもう飛ぶように売れるってこともないですけどね。

―― ないですね。

幸江さん出して下さい。

―― 飛ぶように売れる本を(笑)。

幸江さん前は、「いい本ないかな」と思って探しに来てくれる人で、いつもお店に15、6人はいました。でも、いまは店員のほうが多いっていう(笑)。

―― でも、お客さんはけっこう入ってらっしゃいますよね。

幸江さん出入りは多いですね。

―― 表参道の一番角っこなので、みんなぱっと見てらっしゃるなっていうのは思いました。

遠山さんそれを、いかに本にまで近づいてもらうかっていうのがね、まだ努力の足りなさで。

―― いやいや。でも、ここにくると楽しいと思うんですよね。「表参道に来たらここにくる」っていう場所がひとつでも増えると、またちょっと街の見え方も変わってくるのではと思います。

今日は本当にありがとうございました。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

ミシマ社編集チーム

バックナンバー