本屋さんと私

「いいなぁ、と思っていたのは、じつはノイズのほうだった」。これこそ21世紀の発見ですよ、と前回、冗談めかしておっしゃった吉田篤弘さん。
だけど、これは冗談ではなく真実ではないかと思わずにいられません。吉田さんの小説『パロール・ジュレと紙屑の都』(角川書店)を読むといっそう・・・。
今回は、その最新作の話から「自著本の装幀はどうされているのですか?」ということについてまで、話が飛びました。
(聞き手:三島邦弘)

第43回 小さな声でも伝えておきたいもの

2010.07.22更新

世の中に追い越されちゃいました

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『パロール・ジュレと紙屑の都』(吉田篤弘、角川書店)

―― 『パロール・ジュレと紙屑の都』、発刊は今年の3月ですが、連載は2006年からですよね。けど、これを読んで驚きました。「ツイッター社会」を予言されていたのでは、と感じました。

 「人のつぶやきというものが――伝えようとして伝えられなかった言葉や遂に言えなかったこと、秘密、隠し事、弱音、本音、真実といったものが、人知れず凍結してこの世のどこかにあるという伝説。それは声の幽霊であり、いまはもう忘れられた遠い声である。それがなかなか訪れぬ春の陽によって遂に解凍されたとき、はたして解放された声はどんな声を発すのか」(p382より)

篤弘書きはじめたときは、まだツイッターというものがなかったので、この本が出るいまになって、世の中がつぶやきに満ちているのは、皮肉というかなんというか、不思議なことですね。

―― 先見されてたというか。

篤弘先見かどうかわかりませんが、ささやきとかつぶやきみたいなもの、独り言とか、誰にも届いてないはずの言葉は誰にもあると思うんですよ。

―― はい。

篤弘表現の手前にあるものですよね、つぶやきって。それがおもしろいと思って書きたかったんですけど、いまはそれがこんなにオープンになっている(笑)。誰も彼も、そこまで暴露しちゃうか、みたいなね。もう隠すものがなくなってますよね(笑)。

―― 本当にそうですよね。

篤弘ファンタジーとして書いたのに、世の中がフィクションに片足を突っ込んできたかのような、なんとも妙な気分です。

―― 逆に、いまの現象、ツイッターで表現されている言葉というのは、どういう効果というか、意味があると考えてらっしゃいますか。

篤弘さっきの「ノイズ」ということで言うと、ツイッターのつぶやきって世の中のノイズみたいなものだと思うんですね。そういう意味ではいいんじゃないかと思います。

もともとぼくは、本というメディア自体がノイズであるべきだと思っています。正史からこぼれたものを伝えるために本というものが発明されたんじゃないかと。「小さな声でも、ささやきでも、誰も聞いてくれないかもしれないけど書いておかなきゃ。伝えなきゃ、本当のことを」みたいなものが本の原点だと思うんですよ。

―― その通りだと思います。

篤弘小さな声でも伝えておきたいというもの。「これは自分が気づいた大事なことだと思うから」というのが本の役割だと思うんです。

この10年くらいのあいだに、小説が大きな小説から、日常の些細な出来事を描く小さな小説になってきた状況を見ると、「今度はいよいよつぶやきまで来たんだなぁ」それくらい小さなところまで来たんだなぁ、と感じます。

ただ、そこにあまりに多くの人が熱中し、それが力を持って大きくなっていったら本末転倒ですね。

―― そうですね。

篤弘いまはもう、小さな声はもっと別のところにあるのかもしれない、と思い始めています。ぼくは少なくともツイッターをやっていないし、やってない人というのがいるわけですから。

―― なるほど。また何か先がある。

篤弘世の中に追い越されちゃいましたから、何とか追いついて、もっと先を考えてみたい。

「面倒くさいからやらない」に人は罪悪感を覚える

篤弘いま、webちくまで「木挽町月光夜咄」というエッセイの連載をやってるんですけど、そこで「手で書く」ということについて書きました。

昔、雑誌の仕事で「中上健次特集」のデザインをしたとき、編集者が愛蔵していた中上健次さんの手書きの生原稿を見せてもらったことがあるんです。それはそれは芸術的な、イラストみたいな原稿なんですよ。いっさい改行がなくて。

―― へー。

篤弘非常に繊細な、力づくで書いているようなものじゃないんです。あれを見てしまったら、パソコンでパチパチやっても、どこにも到達できないって思ってしまいました。理屈じゃないんです。

もしかすると、本当は手書きの方がいいってことは多くの人が気づいているのかもしれないけれど、いまさら「冷蔵庫があるのにわざわざ氷で冷やす」みたいなところに戻るのはね・・・。

―― なるほど。

篤弘氷で冷やす情緒みたいなものを楽しめないとできないと思うんですよ。手で書いたほうがきっといい、本当は手で書くべきなんだよと気づいていても、ついパソコンをつかってしまう。

浩美字がへただとか、漢字が思い出せないとか、そういうところで使っていたりね。

―― そうなんですよね。

篤弘世の中って本来、面倒くさいんですよね。こんな複雑な人間というものが集まってごちゃごちゃやってるんだから、面倒くさいに決まってるんです。
でも、なんとか面倒くさくしないように、いろいろ発明してきたわけでしょ。

―― 本当にそうですよね(笑)

浩美昔は字を書くために練習をしたり、漢字の練習をしたりしましたけど、ワープロを使うようになったら、もう面倒くさいですよね(笑)

篤弘でも、面倒くさいからやらない自分に、みんな密かに罪悪感をもっていると思うんですよ。そこを面倒くさがってると何かあとでしっぺ返しがくるんじゃないかなって、みんな薄ぼんやりと気づいてる。

―― はい、気づいています(笑)。

篤弘でも、やらないんですよね。

―― その間にどんどん道具だけは進化していくみたいな。

篤弘本当に面倒くさいこともあるので(笑)、なにもかも大昔に戻ろうっていうのはナンセンスだと思います。でも、例えば、自分は字を書くのが好きだ、文字がわからなかったら辞書をひくのも好きだ。好きならやろうよって、それだけです。

文明の利器から離れるのは、それはそれでナンセンスだと思います。それに、あまりにも「エコ」っぽくなっていくのもやりすぎな気がします。でも、例えば、「自分は自転車に乗ることが好きだ、惰性で電車に乗ってたけど別に自転車で行ってもいいんだ」と思ったら、好きなほうでやろうよって思うんですよね。

って、ぜんぜんデザインの話じゃなくてすみません(笑)。

―― いえいえ、けどほんとそうですね。それって、忘れてしまいがちですよね。

全部自分でやりたいわけではないんです

―― デザインの話に戻して、自著を装幀するときに何かこだわることはありますか?

篤弘いえ。「自分はデザイナーだから文字はこれにこだわって」というのが前面に立っちゃうと嫌らしいでしょ。だから、ぼくは本当を言うと、自分の本は鈴木成一さんに装幀してほしい(笑)。いや、これは冗談じゃなく。

―― あ、そうなんですか。

篤弘以前にも、新潮社装幀室に頼んだんですけど、「ご自分でやってください」と言われて。
でも、「お願いしたい」というときは、そうしたいです。夢ですね、本当に。

―― へー。そうなんですね。

篤弘といっても、うちはふたりでやっているので、ぼくの本については、すべて相方に託しているので、そういう意味では自分でやっているとはいえ自分でやってないところはあります。

―― なるほど。基本的には装幀は浩美さんが。

篤弘ものによって「これは全部自分でやろう」という場合と「これは一歩離れよう」という場合とあります。なんか、つまらないじゃないですか、本ができたときに仕上がりを、あらかじめ全部知ってたら驚きがなくて。

―― そうですよね(笑)

浩美驚きたいんですよ。

篤弘驚きたい。普通、著者は、みんなそうでしょ。

浩美その気持ちを味わいたいんですけど、いままで一度も味わったことがない。

―― あ、でも「モンキービジネス」の箱号でしたら一応トータルデザインは鈴木さんでしたよね。

篤弘あれも、うちのページだけ自分たちでやりましたから(笑)

―― そうでしたね(笑)。以前、このコーナーで柴田先生にお話を聞いたとき、そうおっしゃってて。

篤弘そうなんですよ。ぼくらとしては鈴木成一さんがデザインしてくださると思って、楽しみにしてたんです。

―― そうですか(笑)。へー、なるほど。

篤弘まわりの人たちが思ってるほど、「何もかも自分たちで」というわけじゃないんです。

―― なるほど。

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