本屋さんと私

『探偵! ナイトスクープ』の放送作家を勤めながら、50歳で小説家デビューした百田尚樹氏。
インタビュー後編では、一作ごとにまったく異なるジャンルの作品が、どんな読書経験から生み出されてきたのか伺いました。

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(取材・文 大越裕)

第46回 本の価値は、無限大

2010.08.26更新

古典を読みふけった日々

―― 百田さんの小説を読んでいると、非常にドラマのつくり方が上手で、物語に引き込まれます。また同時に、人物の造形が見事で、「人間というのはこういうものだよな」と感じます。そうしたドラマを生み出せるようになった源は、いったい何なのでしょうか。

百田うーん、自分でもはっきりとはわかりませんが、僕の小説に何かが影響を与えているとしたら、20代のときにすごく沢山、古典小説を読んだことかもしれません。それがどんな影響かは、自分でもよくわからないんですが。僕は昔から、あんまり現代小説を読まなかったんですよ。今もほとんど読まないんですけどね。
当時、金がなかったので、文庫本ばかり買っていたんですね。30何年前だと、文庫っちゅうのは今みたいに沢山出てませんから、古典がけっこう多かったんですよ。

僕が本を、本格的に読み始めたのは、大学を中退して放送作家になってからなんです。放送作家は、サラリーマンと違って朝から晩まで拘束されることはないんで、自由時間がめちゃくちゃあったんですね。そのときに、20代から30代にかけての10年間ぐらいで、すっごい量の本を読みました。それが初めての読書体験と言ってもいいぐらい。その頃は、年間に二百冊から三百冊ぐらい読んでましたね。

―― へえー。どんなジャンルの本を読まれていたんですか?

百田いやもう、色んなもんですよ。ノンフィクションから小説から。その頃は本を片手にふらっと喫茶店に行って、半日ぐらいがーっとひたすら小説を読んだりしてました。仕事のためとかではなくて、純粋に本を読むのが楽しかった。10代の頃にしっかり本を読まなかったという反動もあったかもしれませんが、本がとにかく新鮮でしたね。

―― 作家さんでいうと、誰が好みでしたか。

百田純文学をよく読みました。丸山健二さんがすごい好きでしたね。翻訳小説も、ドストエフスキーも読んだし、スタインベックの『怒りの葡萄』なんて今でも大好きです。それからマーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』や、ディケンズの『デイヴィッド・カッパーフィールド』、新しいところではソルジェニーツィンなんかもよく読みましたね。

生きる勇気と喜びを

―― 百田さんの小説は扱うテーマがばらばらですが、共通して、自分は犠牲になっても、より大きな、崇高な目的のために生きる人々、あ、スズメバチは虫ですが(笑)、そうした存在を描いているような気がします。

百田なるほどなるほど、自分では意識していなかったですが、そう言われると、たしかにそうかもしれないですね。

―― 最近の小説で、子どもや女性に対する虐待や暴力を、小説を面白くするための道具として使うことに、不快感を感じるとツイッターに書かれていましたね。

百田はい。そういう問題については、ノンフィクションライターの人々が、本当に深い取材をして、真摯な仕事をしています。それをひょいと借りて、娯楽小説の小道具に使って、ワイドショーを見てるような気分の読者に売ろうというのは、なんかセコイというか、いやらしい感じがしましてね。
小説というのは、やっぱり、読む人に「生きる勇気」と「生きる喜び」を与えなければ意味がないと思っているんです。確かに百年前ぐらいは、社会の不正や、人間の悪を小説家が描かなければならなかった時代があったと思うんですよ。そういう告発が、小説家の役目のひとつでもあったのかもしれません。
でも今は、新聞やテレビ、ネットがすごく発達して、そういう情報を常に全部すくいあげて、あらゆるメディアを通じて僕たちに提示してくれているわけです。だからあえて小説家が、そこを後追いする理由が、僕には見つからないんですね。

実際僕は10冊本を買っても、9冊は僕にはあわんと思って捨ててしまう。自分探し系の本もだめですね。読んでいて、「ああ、俺もがんばろう。生きているっていいよなあ」とそう思わせてくれる本がいいです。ひたすら沈み込んでしまうような、暗く落ち込んでいく本、うじうじと部屋に閉じこもっているような小説はまったく読みたくない。人間というのはこんなにひどいんや、こんなに悪なんや、こんなに醜い、社会はこんなにどろどろしているんだ、なんてことを小説で読みたくない。そんなものは、ネットに一杯転がっている。書くなら人間の素晴らしさを書いてくれ、と言いたい。

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『リング』(PHP研究所)

あとは、僕らが日常生活で接しているような、そういう人物とはわざわざ小説でつきあいたくない。どうせなら、僕らが実生活で「こういう人間に出会ってみたい」と思うような、そんな人物に小説の中で出会いたい。

色んなテーマにチャレンジしたい

―― 最新作の『影法師』も読みながら何度も目頭が熱くなりました。百田さんの描かれる小説の人物は、『永遠の0』の宮部久蔵も、『影法師』の磯貝彦四郎も、まさに「こんな人間に会ってみたい」と思うような人物だと感じます。『リング』で描かれた日本のボクサー、ファイティング原田さんは実在の人物ですが、同様に「こんなにかっこいい男が、かつて実在したのか」と思いました。

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『影法師』(講談社)

百田そうですね。『リング』もそういう意味で、小説として書いた作品だといえるかもしれません。『影法師』は、編集者の方が「百田さんの描くかっこいい男が出てくる物語が読みたい」という、その一言から生まれました。最初から時代小説を書こうと思ったわけではなくて、かっこいい男の生き方とは何かを考えるうちに、これは時代小説でしか書けない、と思って生まれた作品です。

―― それまで時代小説を書いたことはなかったんですよね。

百田もちろんありません。それまで時代小説を沢山読んだこともありませんでしたから。これを書くために、集中して何十冊も読みましたけどね。

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『風の中のマリア』(講談社)

―― 他の作品についてもお聞きしたいのですが、『風の中のマリア』はオオスズメバチが主人公の小説です。スズメバチという人間から遠い存在が主人公なのに、その内面の描写や生き方に非常に共感できて、驚きました。

百田スズメバチが主人公の本は、本邦初じゃないかなと思いますね(笑)。昔テレビでオオスズメバチの特集番組を作ったときに、いろいろ調べてみて、これは面白いなあと感じたんです。
いつかはオオスズメバチのドキュメンタリーを撮りたいな、と思っていたんですが、その機会がないまま小説を書くようになって、「そうや、昔、ドキュメンタリーで撮りたかったオオスズメバチを、小説の世界で描いてみよう」と。この小説の中で描かれるオオスズメバチの科学的な生態は、すべて事実です。

―― 昔、小学生のときに、シートン動物記を読んで、わくわくしたときのことを思い出しました。

百田そうですね、『風の中のマリア』は、小学生の高学年ぐらいの子が読むと、はまるみたいですね。

―― 美容整形でまったく別人に生まれ変わる女性を描いた『モンスター』は、どんな経緯で生まれた作品なんでしょうか。

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『モンスター』(幻冬舎)

百田じつは『モンスター』は、3、4年前に書いた作品なんです。『永遠の0』を書き上げた直後に、執筆しました。テレビの世界で仕事をしてきて、女性のタレントやレポーター、モデルを何百人も見てきました。女性の美人コンテストの番組もつくったことがあります。テレビの世界で仕事をしていると、自然と女性の容姿というものを見るようになります。そのうちに、「美しいというのはどういうことなのか」「美しいことの意味は何なのか」とずっと考えるようになって、それを小説に描いてみようと思ったんです。

―― 『モンスター』を読んでから、街できれいな女性を見ても、「もしや・・・」と思うようになってしまいました(笑)。そういう自分のまったく知らない世界を非常に興味深く描いてくれるのが、百田さんの小説の面白さのひとつであると思います。これからは、どんなテーマを書きたいとお考えでしょうか。

百田いろんなテーマにチャレンジしたいんですね。テレビを昔からやっていたこともあって、同じことをやるのが嫌なんですよ。ルーティンワークみたいに同じことを繰り返すのが嫌いなので、常に新しいことをやってきた。それが体に染みついている性分なので、本を書くときも自分がこれまでに書いたことのないものを書きたいと思ってしまうんです。
ミステリー、ホラー、あるいは恋愛。ジャンルは問わずですね。自分はいま、どこまで書けるかわからないので、とにかく力を試してみたいところがあります。

テレビと小説の違い

―― 小説を執筆する上で、苦労することはありますか。

百田テレビというのはアイディア一発のところがあって、なかなかいいアイディアが出ぇへんな、と頭を2時間3時間悩ましたとしても、ひとつ良いアイディアが出たらその瞬間に一気に解決してしまうところがある。でも小説というのは、良いアイディアが浮かんだとして、これでいこうと決めたとしても、そのアイディアを形にするのに物理的な時間が何百時間といるんですよ。文字にして形にするのに。原稿用紙300枚、400枚書くのにはそれだけの時間がいりますからね。

―― 作家になられてから、テレビ番組をつくる仕事との違いを感じることはありますでしょうか。

百田一番大きいのは、さっきも言いましたけれど、テレビは大勢でつくるけれど、小説はひとりでつくるということです。会議に集まって、どうやこうや言いながらひとつの番組をつくっていくのも非常に面白い仕事です。他人は自分に持っていないものを必ず持っていますから、みんなの意見をもらうと本当に新しい、良いものが生まれます。

それに対して、作家の仕事は本当に孤独ですね。たったひとりでやらなあかんので。でも逆にそれがいいところでもあって、本当に自分の個性が如実にその作品に出てしまう。それが怖いところでもあり、魅力でもあります。

―― テレビの視聴者と、小説の読者。反響という点で違いはありますか。

百田そうですね、テレビは本当にマスメディアですから、一回放送すると一挙に沢山の人がどっと見てくれます。しかし、その反響は一日か二日しか続かない。非常に多くの人に見てもらっても一瞬で終わってしまう。
本というのは、テレビに比べると読者の数はぐっと少ないけれど、反響が非常に長く続きますね。何カ月も何年もかかって売れていく。その売れる理由も、大宣伝したからといって売れるものではなく、「あの本よかったよ」という人々の口コミが静かに広がっていってじんわりと売れていく。それは嬉しいですし、楽しいですね。

テレビの視聴率は1分おきに数字が出ますが、それを見ていると、本当にテレビを見ている人はチャンネルをパッパッ変えていることがわかります。またどうやって視聴者がその番組を見ているかも僕らにはわかりません。テレビゲームやパソコンしながらちらちら見ているのか、家族で夕食をとりながらただテレビを点けているのか。でも本は、そういうわけにはいかない。買ったけれど読まない、というのはあるかもしれませんが、読むときには本に向き合って集中しなければいけない。作品に対する接し方、というのはテレビとはまったく違いますね。

本の価値は無限大

―― 近所の書店で、『永遠の0』が書店員さんイチオシのPOPとともに、どーんと積んでありました。電子書籍など色んな変化が出版界にやってくると言われていますが、そういう時代だからこそ、書店と書店員さんの役割はますます大きくなってくるのではないかとも思います。書き手の立場から、書店さんに関して思われることは何かありますか?

百田都内の何千坪もあるような大型書店は、ほとんど全部の本が揃っていますが、それだけあるとお客さんも、何を買っていいかわからない。そうすると、無難に一番売れている本を買うようになる。

それに対して、大都市以外の中小規模の書店は、物理的に限られた本しか並べられないので、出てる本のうちどれを並べるかは、その書店で働いている書店員さんの個性が出ますよね。そうするとその書店は、オーバーに言えば、その街の文化を担っているところがあると思うんです。だからこれから、中規模の書店というのは、個性が重要になってくると思います。誰が行っても「そこに行けばいつでも良い本が見つかる」という書店が、これから重要になるのではないでしょうか。

―― ご自身の本が書店に並んで、売れていくのを見て何を感じられますか。

百田感謝以外の何物もないです。今の世の中で、本という商品の値段は、高いとも安いとも言えないところがありますよね。1500円で、本当に何万円出してもいいような価値がある本もありますし、逆に10円の価値もないような本もありますし。
本の値段というのは、編集費、印税、印刷代金、紙代、書店流通費、そういう計算で決まっていきますけど、実は内容に関しては、何万倍もの開きがありますよね。一生の宝物になるような、金には換算できないぐらいの価値がある本もあれば、本当にティッシュ一枚の価値もないような本もある。

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1500円、1600円という値段は、ちょっとしたご飯も食べられますし、安い服も買える。今の日本はそんなに裕福な人が多いわけではないですから、そういう中で身銭を切って本を買っていただくことには、本当に感謝しかないですね。
だから最低でも、そのお金を出していただいた分は、満足感を与えなければあかんと思います。少しでも「買ってよかった」と思ってもらえる本を、これからも書いていきたいですね。(了)


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百田尚樹(ひゃくた・なおき)

1956年、大阪生まれ。同志社大学中退。人気番組『探偵! ナイトスクープ』など放送作家として活躍。2006年『永遠の0』(太田出版)で作家デビュー。『聖夜の贈り物』『ボックス!』(太田出版)、『風の中のマリア』『影法師』(講談社)、『モンスター』(幻冬舎)、『リング』(PHP研究所)、などがある。

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