本屋さんと私

1018-1.jpg

『移行期的混乱』(筑摩書房)

「文学者と詩人が、この世でいちばん偉いと思っていた」
そう語る平川克美さんは、ベンチャー企業の支援事業を営む「リナックスカフェ」や、著名人の音声コンテンツを企画販売する「ラジオカフェ」など、複数の会社を率いる、現役ばりばりの経営者だ。
30数年前、内田樹氏とともに翻訳会社を設立。以来、ビジネスの現場にどっぷりと漬かりながら、「仕事とは何か」「給与とは何か」といった根源的な問いを考え続けてきた。

この秋には「ビジネス論三部作」のまとめにあたる『移行期的混乱』(筑摩書房)を刊行。今の日本が置かれている状況を、文明史的な視点から読み解こうとする同書は、経済学者やエコノミストが語る経済論とはまったく違った説得力を持っている。
詩人になりたかった経営者、平川氏。その思索の源に迫った。
(聞き手:大越裕・松井真平、文:松井真平)。

第50回 「移行期的混乱」とは何か?(平川克美さん編)

2010.10.18更新

小説のようにビジネスを書く。「普遍経済学」への関心

1018-2.jpg

『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)

―― 平川さんの新刊、『移行期的混乱』(筑摩書房)を、非常に面白く読ませていただきました。
「まえがき」に、知人の女性編集者の弟さんで、会社員になってから引きこもりになってしまった人が、平川さんの最初の本、『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)を読んで、社会に復帰したとあります。実は、私自身、5年ほど前に『反戦略的ビジネスのすすめ』を読んで、「会社辞めよう」と思ったんです。

平川あれを読んで、会社を辞めたという人は結構多いみたいですね。『反戦略的ビジネスのすすめ』はもっと評価されていいよね。僕も自分の仕事の中では、あの本はずば抜けていると思っています(笑)。自分はビジネス書に興味がないから全然読まないんだけれど、まず、まったく類書がない。しかし、「これは絶対に書かなければならない」と思って、書いた本でした。

―― それまで自分は広告業界の隅っこにいたんですが、「どうがんばっても会社が求めるようなビジネスマンにはなれないなあ」と悩んでいたんです。それがあの本を読んで、「なんだ、マーケティングなんかより、文学の方が偉いんじゃないか」と気づかされました(笑)。それで「あ、会社辞めても別にいいんだ」と楽になった。その後同書は、『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社)というタイトルで、新書になりましたね。 

1018-4.jpg

『反解釈』(スーザン・ソンタグ、筑摩書房)

平川僕の中でのタイトルは今も、『反戦略的ビジネスのすすめ』なんですけどね。もともとは「反戦略」というタイトルにしたかったんです。スーザン・ソンタグの『反解釈』のパクリなんですけど。

―― そうなんですか。

平川本当は『反戦略』だけにしたかったんですが、それじゃあ売れない、ということで、『反戦略的ビジネスのすすめ』というタイトルになりました。
漢字だけのタイトルが好きなんですよ。今回の『移行期的混乱』というタイトルも、編集者には相当反対されました。

―― それで「経済成長神話の崩壊」、というサブタイトルがついたんですね。

平川そういうことです。私の場合、本に書く内容は、ほとんどタイトルから浮かぶんですね。今回も『移行期的混乱』というタイトルが浮かんだときから、書きはじめた。物を書くときは、タイトルから入るのが、とても大事ですね。

―― どういう意味だろう? と思うタイトルですよね。

平川「移行期的混乱」という言葉に対しては、高橋源一郎さんが反応してくれて、ウェブで批評を書いてくれました。
「いまぼくたちが置かれている状況を示すのに、これ以上ぴったりのことばはないんじゃないかと思えてきた」と言っていただいて、うれしかったですね。

―― 1000年以上に渡るスパンで、日本の人口動態を見てみる。そこから今の日本の経済を考えてみる。この本を読むと、なぜ他の経済学者、エコノミストの人たちからは、こういう長期的な視点の分析が出てこないのだろうか? と不思議に思います。

平川これは経済学ではないからね。中沢新一さんによれば、いまの経済学は「限定経済学」と呼ぶべきだそうです。市場や貨幣といった条件が整った、ある枠組みの中で物事を考えていく。それに対して、「普遍経済学」とはジョルジュ・バタイユが言った言葉ですが、これは、商品交換の起源だとか、地球上のエネルギーの配分だとか、あらゆることをひっくるめて、人間の活動総体として経済を考える。僕はそっちの方に興味がある。
だから、いまの経済システムの中の問題点をちょこちょこいじくって議論することには、まったく興味がないんですよ。

僕が本の中で「これからの日本は、経済成長しない蓋然性が高い」と書くと、すぐに「経済成長しなかったらとんでもないことになるぞ。だいたい利息というものがあるのに・・・」といった反論をしてくる人がいるんですが、ぼくはそんな次元の話をしているわけではないんです。
この本の中にも書きましたけど、生きていくことと働くことは同義である、と僕は考えている。経済的な角度から生きることを考えたら、どう見えるのか? ということに興味がある。
だから僕が書く本は、経済学やビジネスの本というよりは、どちらかというとエッセイなんですね。自分の作品、小説のつもりで書いています。

―― なるほど。だから平川さんがビジネスについて語るときの「語り口」が、他のいわゆる「ビジネス書」「経済書」の書き手とはまったく違うんでしょうね。

平川自分が実際に経験した、仕事の現場の中での問いが根本にあります。
例えば「給与とは何か?」「給与というのは誰が、何のために、何に対して支払っているのか?」という問いが浮かぶ。マルクス主義的に考えれば「労働に対する対価」ですし、成果主義的な考え方からすれば、「働いた結果得られた利益に対する報酬」です。しかし実際の仕事の現場感覚からすると、どちらの定義も、どうも言い表せた気がしない。もっと違う定義があるのではないか、という気がする。

あるいは、「役職とは何か?」「上司と部下のヒエラルキーはなぜ会社に必要なのか?」といったことも、わかるようでわからない。
そうしたビジネスに関する根本的な問いを、会社の行き帰りの車の中で、ずっと考えているわけです。それこそ何カ月もかけて。あるとき、それに対する答えが、ぱっと浮かんでくる。その答えを、書いていく。自分の中では、推理小説を書いているような気分ですね。

ビジネスは一回半ひねりのコミュニケーション

―― 最初の本を書くことになったきっかけは何だったんでしょうか。

平川実は、書き始める前に素材はすべて揃ってました。僕が昔やっていた「アーバン・トランスレーション」という翻訳会社は、当時社員5、60人だったんですが、変な会社だったんですね。
「何のために働くんですか?」とか「何で自分はこんな給料なんですか?」と社員が僕に聞いてくるんですよ。それで、一人ひとりに説明するのも面倒なので、そういう問いに「今年の宿題」というタイトルをつけて、毎年の年始に、社員に向けてのメッセージとして発表してたんです。そのときに書いた、「ビジネスは一回半ひねりのコミュニケーション」という文章を、洋泉社の編集者さんが見たんですね。
 

 わたしは、ビジネスは戦争であるという立場に与しないことはもちろんですが、単純に友好的なコミュニケーションであるといった素朴な信仰にも異議を唱えたいと思っているビジネスマンのひとりです。 
 また、「労働者は資本家に搾取されている」といった自虐的労働観も、労働とは本来面白いものだといった労働賛歌も、人がなぜ働くのかということに対して、指南力のある答えを提供できないと考えています。そして、あれこれ考えた挙句に出会った言葉のひとつが「ビジネスは一回半ひねりのコミュニケーション」です。  
(『反戦略的ビジネスのすすめ』より)


―― 「ビジネスは一回半ひねりのコミュニケーション」という言葉を、『反戦略的ビジネスのすすめ』で知って、まさにその通りだなと本当に腑に落ちました。

平川この言葉は、働いたことがない人にはわからない。ビジネスの現場を経験せずに、経済評論家や学者になってしまった人にとっては、「何言ってるんだこいつ? ただの形而上学的な言葉の遊びじゃないか」と思われるかもしれません。でも、働いたことのある人、顧客と現場で向かいあい、悩んだことのある人には、すごくわかる言葉ですよね。

―― 平川さんのビジネス論の特徴は先に述べた「広いスパンで見ること」と同時に、「生活実感」と「身体性」に裏打ちされていることだと思うんですね。
08年、リーマン・ショックが起こった後で、いろいろな人がそれについて書いた物を読みましたが、もっとも納得のいったのは、平川さんと内田樹先生が書いた言葉でした。
サブ・プライムローンなんて、ふつうの生活者の常識で考えれば、「もともと金がない人に、数式をこねくり回して借金させたって、いつか破綻するに決まっているじゃないか」と思うんですが、なんでアメリカの経済学の博士号を持ってるような優秀な人々がこぞって突き進んだのか、つくづく不思議に思うんです。

平川あれは一種のゲーム、賭け事なんですよ。金融の世界のゲームを「生活実感」みたいなところで見てもわかりません。そこに問題があるんですけどね。今の金融資本主義では、ゲームと生活が完全に切り離されてしまっている。ゲームをやっている人たちにとって、金儲けやその失敗は、生活と関係がないんです。それを自分たちだけの閉じた世界でやっているならいいんですが、世界中の他人を巻き込むからやっかいなんですよね。

貧乏自慢をしなくなった日本人

―― 『移行期的混乱』(筑摩書房)は、『反戦略的ビジネスのすすめ』、『株式会社という病』(NTT出版)に続く、ビジネス三部作のまとめという位置づけです。本書が目指した到達点は何だったのでしょうか。

1018-5.jpg

『株式会社という病』(NTT出版)

平川最初の本は、働く個人の内面に焦点を当てました。仕事のモチベーションとは何か、会社の中で働いている自分というものをどう捉えればいいか、整理してみようと考えて書いた。
次の本では、ちょうど食品偽装や耐震偽装など、様々な会社を巡る問題が起こった時期でもあり、自分が働いている場である会社そのものをどう考えればいいのか、会社の存在自体が「病」を内包していることを考察してみました。
そして最後に、範囲をもう少し広げて、「会社というものの母体である社会が、一体どういう理屈で動いているのか」ということを考えてみたかったのが、この『移行期的混乱』です。

しかし書き始めてみて、当初は「会社と社会の関係」だけにフォーカスして考えていったのですが、どうも上手く書けない。それで、戦後日本の65年間に何が起こったのかを、もう一度点検する必要があるなと思いました。
『株式会社という病』でも少し書きましたが、日本人の価値観は戦後のあるとき大きく、それこそ180°変わっているんですね。そのことについて、これまで誰もちゃんと書いてないんです。

―― どんな変化が起こったのでしょうか?

平川どういうことかというと、1960年代、70年代は、一般的な日本人の感覚として、「金は不浄のもの」という考え方が非常に強くあったんです。仕事においても「金のことなんか言うな」という感覚や、若い人同士が「貧乏自慢」するような価値観が、明確にあった。
それがいつからか反転して、金がなかったら人間性まで見下されるような価値観が蔓延してきた。今では誰も貧乏自慢なんてしないでしょう。その転換は、日本人全体に一種の「改宗」が起こったともいえる。その「改宗」が一体何によってもたらされたのか、ということについては、誰もきっちり説明してないんです。

「改宗」について「金銭崇拝」と嘆いてみたり、あるいは「新自由主義の台頭が原因」といった説明がされることはありますが、そこにはある種の「必然」があったはずです。そうなっていく必然をもたらした動力(エンジン)があったはずなんです。
「それについて、ちゃんと考えてみよう」と書き始めて、ようやく自分なりに理解できたのが、今回の本だったわけです。

歴史の必然を描き出す

平川 そのことについて説明する前に、自分のブログにも書いたんですが、本書を書いてから、橋本治さんの三部作を読みました。

1018-6.jpg

『巡礼』(橋本治、新潮社)

―― 『巡礼』『橋』『リア家の人々』ですね。

平川これにはちょっと参ったんですよ。僕が今回この本でやろうと試みたことを、橋本さんは見事に小説というかたちで、この三部作に描いていた。

この三部作に出てくる「普通の人」は、みんな普通に生活していくうちに、なぜか少しずつ歯車が狂っていく。そしていつの間にか、『橋』で描かれているような犯罪を起こしたり、『巡礼』ではゴミ屋敷の主人になっていたり、あるいは元官僚の主人公がリア王のように孤立していってしまう。それぞれが普通に生きているだけなのに、時代の中で半ば「必然的」に、社会から押し出されていくわけですね。

1018-7.jpg

『橋』(橋本治、文藝春秋)

しかも、彼らは皆、自分からそうなろうと思ってなったわけではない。もっと「他のもの」になろうと思っていたにもかかわらず、だんだん「終着点」に向かってしまう。戦後の日本社会に住む人間の、ある種の歴史的な「必然の道筋」を、橋本さんは書いたわけです。
この小説には非常にリアリティがあった。そういう歴史的な必然を描くということを、ぼくも『移行期的混乱』でやりたかったわけです。

―― 『巡礼』はミシマ社でも話題になりました。実際、たまにニュースで「ゴミ屋敷」のことが報道されますが、それはあくまで「結果」であって、「なぜそういう事態になったのか」というプロセスはまったく知らされません。『巡礼』を読むと、普通の人が、どういう経路で「ゴミ屋敷の住人」になっていくのか、非常によくわかります。

1018-8.jpg

『リア家の人々』(橋本治、新潮社)

平川『巡礼』に出てきたおじいさんは、荒物屋の2代目ですが、荒物屋というのは、鍋やヤカン、瓦やレンガなど、いろいろなものを並べて売っているわけです。最近ではホームセンターで買えるから、街で荒物屋を見ることは少なくなりましたけどね。店の軒先に重ねて置いてある瓦なんかは、主人にとっては商品でも、風雨にさらされ続ければ、他人にとってはゴミ以外の何物でもなくなるでしょう。

昔は、鋳掛屋という鍋や釜を修繕する商売がありました。だけど、いまは修繕するよりも買った方が安いから、商売が成り立たないわけです。壊れた鍋釜を「いつか直せば使えるから」と思ってとっておくような人が、やがてゴミ屋敷の住人になってしまう。それは、戦後日本の価値観が、180°変わっていったこととも、大いに関係しているんです。

先ほどの話に戻ると、日本人に「改宗」をもたらした、時代の価値観を変える「動力」となったものについて、僕は『移行期的混乱』 の中で3つあげました。
ひとつは、「週休二日制」です。週に二日の休みを得たことで、日本人はそれまでの労働を重視する価値観から、「消費」を価値あるものとする考えへ、大きく舵を切りました。日本人にとって長らく「何を仕事にしている人なのか」というのは、その人間の根幹に関わる重要な事項だった。しかし週休二日制の導入をきっかけに、「仕事は余暇を楽しむためにするもの」という考え方がスタンダードになっていったのです。

もうひとつは「コンビニエンスストア」の誕生と隆盛です。1970年代に国内で初めて開業したコンビニは、今では全国に4万店以上を数え、百貨店の年間売上高を抜きました。これだけの短期間に、ここまで業績を伸ばした小売業は存在しません。コンビニが登場したことで、日本人のライフスタイルは大きく変わった。小銭を持っていれば、好きなときに一人分の食事を買うことができるようになり、家の近くにコンビニがあれば、生活に関する一通りのことが済んでしまうようになった。それまで「家族」が果たしてきた機能を、コンビニが代わって行なうようになったのです。ひとことで言えば、「家族の崩壊」をもたらした。

それからもうひとつの変化は、「派遣法」です。それまで禁じられていた製造業への派遣が、経営者側と労働者側、双方の思惑の一致から解禁されて、「好きなときに、好きなだけ働く」という新しい働き方が生まれました。これが日本人の労働観に、非常に大きな変化をもたらしました。
そして最後に、今回の本では書きませんでしたが、日本人を変えた最大要因のひとつに、「携帯電話」の普及が挙げられるでしょう。

―― なるほど。

平川こうした変化が、いったいなぜ起こったのか? と考えてみると、要するにこれらはすべて、「民主主義の進展」の結果なんですね。
日本の民主主義というのは、かつての封建的世界観から人々を解放していくかたちではじまるわけです。封建的な世界観がもっとも凝縮されたのが戦時中の軍事体制だった。敗戦を契機として、その封建的な圧力から個人を解放していくプロセスが始まり、その中で例えば、週休二日制が起こり、男女雇用機会均等法が出てくるわけです。

そして、その行き着く先として必然的に、封建制そのものであった「家族」というものが崩壊していく。封建制度を支えていた家族や地縁、血縁といった共同体を解体していった結果、最終的な価値観のよりどころが、お金しかなくなっていった。それが日本の民主主義のプロセスだったんです。
共同体が解体されて、人々の共通の尺度というものがお金しかなくなってしまう。これがまさに、「民主主義が発展していくことによって、民主主義を破壊する」ということにつながっていくんですね。個人が解放されることによって最終的にバラバラになり、解放されすぎたことが自分の首を絞める結果になる。「自己責任」という言葉も、そこから生まれてきたわけです。

フランスはなぜ出生率を戻したのか

平川同書を書く上でもうひとつ、非常に大きな参考になったのが、エマニュエル・トッドの著作でした。「民主主義や文明が進み、都市化が進展することにより、人口が減っていく」ということが書いてあった。これは、目から鱗でした。日本のメディアでは「人口が減ってしまって大変だ」という人がほとんどですが、我々がずっと求めていた「豊かさ」や「民主主義」を得た結果として、人口が減り始めた、そうトッドは書いているわけです。

―― 『移行期的混乱』の中に書かれていますが、「識字率が高い国ほど少子化が進む」というトッドの指摘も、驚きました。

平川国が文明化するに従い、昔は小学校しか行っていなかった女性たちが中学、高校に行くようになって、やがてほぼ全員が高等教育を受けるという時代がやってくる。
それに従って、一人ひとりの女性が自分だけのオリジナルな人生を生きたいと願うようになった。それで何が起こるかというと、結婚年齢がどんどん上がっていった。さらに女性が働くことが普通になって、「結婚しない」という選択肢も出てきた。日本の出生率が減っているのは、「将来の不安があるから」といった理由で説明されることが多いのですが、実はそうではなくて、端的に言えば「性的なコミュニケーションが減っているから」なんですね。

しかし一方、フランスでは出生率が2.0に戻っています。なぜかというと、国が政策として、婚外子の権利を保護することを決めたことで、「結婚しなくても、子どもを産んでいい」という価値観が社会的に一般化したからです。
これは日本の伝統からすれば、ウルトラC級の価値観といっていい。僕はもう一度、日本社会は家族制度を復権させた方がいいと思っていますが、フランスでは「家族はつくらなくてもいいから、とにかく子どもをつくれ」と言ってるわけですね(笑)。

―― なるほど。すごいですね。それで実際に、出生率が伸びてるんですものね。

1018-9.jpg

平川フランスが出生率を戻したことについて、ちゃんと調べたら面白いと思いますね。他の先進国は、ほとんど軒並み落としていますから。中でも、韓国が一番激しいですね。前世代的な封建制が強く残っていて、なおかつ工業化が急速に発展した国は、出生率がどこもかなり落ちるんです。日本もそれに近いですね。

(次回に続きます)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。1975年早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とする株式会社アーバン・トランスレーションを設立、代表取締役となる。1999年シリコンバレーのインキュベーションカンパニーであるBusiness Cafe, Inc. 設立に参加。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。著書に『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)、『株式会社という病』(NTT出版)、『移行期的混乱』(筑摩書房)、『経済成長という病』(講談社現代新書)、『会社は株主のものではない』共著(洋泉社)、『九条どうでしょう』共著(毎日新聞社)、『東京ファイティングキッズ』共著(柏書房)、『東京ファイティングキッズ・リターン』共著(バジリコ出版)などがある。

1021-1.jpg

バックナンバー