本屋さんと私

この秋に、ビジネス論三部作の総まとめ、『移行期的混乱』(筑摩書房)を上梓した平川克美さん。
インタビューの2回目は、平川さんのビジネスと文学を結ぶ「語り口」についてお聞きしました。内田樹氏とともに会社をつくった頃の「何者でもない日々」の記憶、文学全集の思い出など、盛りだくさんの内容です。

前回「『移行期的混乱』とは何か?」はこちら

(取材・文:大越裕、松井真平)

第51回 「小商い」という商売のかたち

2010.10.21更新

人口減少をどう考えるか(言葉を鍛える)

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『移行期的混乱』(筑摩書房)

―― 『移行期的混乱』(筑摩書房)では、言葉の問題について書かれていますね。ビジネスの世界では、CSRだとか、コンプライアンスだとか、ウィンウィンだとか・・・、毎年のように新しい言葉が生まれてきますが、その多くが数年経てば、「そういえば、そんな言葉もあったよね」と、誰も使わなくなる。ビジネスを語るときの「言葉遣い」そのものを問題とする平川さんの指摘は、特に新鮮に感じました。


「百年に一度」というスパンの問題であるならば、その問題を考える言葉遣いもまた百年の時間スパンに耐えうるものでなされなければならない。しかし、いまなされている言葉遣いは、この十数年間に慣れ親しんできたものでしかないように思われた。たとえば株主利益とか、レバレッジとか、時価総額とか、経済成長戦略とか、少子化対策とか、高齢化対策といったタームであり、右肩上がりの経済を前提とした言葉遣いのことである。戦後六五年という短い時間の幅だけでみても、このような言葉遣いが社会に流通したのはつい最近のことでしかない。
(『移行期的混乱』より)


平川物事を考えるうえで、言葉を鍛えることは、すごく大事なことだと思いますね。じゃあ、どうすれば鍛えられるかというと、自分が日常使っている言葉が通じない相手と、それでもコミュニケーションしなければならない状況になったときに、鍛えられるわけです。自分の手持ちの言葉が通じないところに放り込まれない限り、言葉は鍛えられない。

例えば、いまの若い子たち同士だと、「うける~」とか「超きもい~」とか、私たちの世代が聞くと不思議な言葉やイントネーションが使われています。それだけでなんとなく通じてしまうわけですよね。これを「ジャーゴン」(仲間内のみに通じる言葉、専門用語)と言います。ジャーゴンというのは、仲間内の結束をすごく強める機能を持っている。と、同時に、ジャーゴンの通じない人たちを、排除する。彼女たちはジャーゴンを使うことで「この言葉が通じない人は、仲間じゃないよ」というメッセージを発信しているわけです。

しかし、ジャーゴンを使うのは若い子たちだけじゃありません。僕と内田樹だって、ふたりで話すときはジャーゴンで会話してますしね。僕と内田の会話を他の人が聞いても、あまりに中間が飛んじゃっているから、ほとんど意味不明なんじゃないかな。

―― なるほど。

平川だから、彼と講演をやるときは、意識して自分たちの言葉をもう一度解体するようにして、話しています。そうしないと通じませんから。同様に、会社のなかでは、内田と話しているときのような言葉遣いは絶対しない。空手の道場に行けば、また話し方がぜんぜん変わります。道場では、言葉より肉体言語の方が有効だから(笑)。 

「言葉が通じないところで、なおかつそれでも言葉を通じさせるためにはどうすればいいんだ?」と悩んだときに、そこで初めて「情理を尽くす」とか「語り口」という話になる。ものを書くときも、そういうことを考えるか、まったく考えないかで、ぜんぜん違ってくる。

さっきも言いましたけど、いろんな経済学者の人から批判をもらうんですが、彼らはほとんど「経済ジャーゴン」で喋っているんですよね。僕は、彼らが言っていることの意味はよくわかるんだけど、議論にならないから、正直答えようがない。

―― まったく違う次元のことを言っているわけですよね。

平川そうなんです。今、日本に起こっている事態を、経済ジャーゴンの水準で議論してもしょうがない。僕が書いたことについて、きちんと誰かが批判してくれることを待っているんです。けれど、ちゃんとした批判が今のところ、まったくないんですよね。

例えば僕は、2006年から日本の人口が減り始めたことについて、「人口減少は、社会的・経済的な成長の帰結だ」と言っているわけです。だから、それに対して批判するならば、「経済成長や社会の発展と人口減少は関係がない。人口減少の原因は他にある」という説明をして欲しい。

ところが寄せられるのは、「経済成長しなかったら日本は大変じゃないか」「人口が減るのは由々しきことだ」「どうやってやってくんだ」っていう批判だけなんです。それは「これからも成長すればいいな」という希望に過ぎない。

―― なるほど。「日本がこれ以上、経済成長しないことは、悪いことなのか?」というような、そもそもの問いも、経済学・ビジネス界隈の人たちからはあまり聞かないですね。

平川ほとんど考えてもいないんじゃないかな。その理由はおそらく、これまで日本の経済成長がストップしたことが、一度もないからでしょう。しかしこんなにドラスティックにひとつの国の人口が減っていくのは、世界的にも初めての経験なんですよね。
その人類史上まったく初めてのことが日本で起きているにもかかわらず、誰もそこに注目しない。つまり、そのことの本当の意味を誰も探ろうとしないということに、びっくりするわけです。

日本の経済成長率の推移

―― この本で、戦後の日本の経済成長率が、3段階で下がっていったというグラフも初めて見たのですけど、あれにも本当に驚きました。

平川あのグラフには、高橋(源一郎)さんも驚かれてましたね。
面白いことに、約18年ごとに3段階に落ちていくんですよね。平均9%の高度成長が、オイルショックでがくんと落ちて、4%の安定成長になる。また18年経って、牛肉・オレンジなどの自由化、つまり経済のグローバル化によって、またがくっと落ちて、1%になる。そしてこの間のリーマンショックで、ついにマイナス成長となった。この先どうなるかは、誰にもわからない。

ここから先は本書でも慎重に書きましたが、過去に経済の失速が3回あったからといって、4回目があるとは誰にも言えない。逆に反転して、再び経済成長するかもしれません。だから今できることとして、過去に3回経済成長率が落ちた現象のなかに、どんな必然性があったのか、それをこの本で探ってみたわけです。

―― なるほど。その上で、予測は難しいと思いますが、これからの日本は、どんな国になっていくと思いますか?

平川どうだろうね。ちょっとわからないですね。でも、おそらく当分の間はこれからの日本は、かなり経済的に苦しくなっていくと思うんですよ。そのプロセスのなかで、価値観の変化が起こっていくだろうと思います。その苦しい時代をくぐり抜けないと、なかなか次のパラダイムは、出てこないような気がします。

少なくとも現在の、民主主義と資本主義が行き着くところまで行った社会で僕らが手に入れた価値観は、あまり品があるようには思えない。だからこの先には、もう少し落ち着いた、大人の価値観が持てる国になるといいな、という希望はありますね。

小商いのススメの持つ意味

―― 次回作として、『小商いのススメ』(仮)という本の構想を練られていると伺っています(小社より、来春刊行予定)。その本のキーワードは、「ヒューマンスケール」だとか。

平川「小商い」といっても、「マイクロビジネス」のことではないんです。規模は関係なく、社員が1000人いようが1万人いようが「小商い」という商売のかたちがあり、それについて書こうと考えています。なかなか書き進まないんだけどね(笑)。
「小商い」とは何かというと、「自分の手の届く距離、目で見える範囲、体温を感じる圏域でビジネスをしていく」ということです。そういう商売は、大儲けはできない。大儲けはできないけれど、ある種の確実な、ビジネスには絶対必要な、「取引の繰り返し」というものが確保できる。

この数十年間、ビジネスの世界で僕らがやってきたことは何なのか、ひとことで言えば「人間の限界をどれだけ超えられるか」ということでした。高速道路、携帯電話、インターネット・・・、すべて人間の限界を拡張するために生み出されたものです。
それがもっとも顕著に現れたのが、金融の世界で生み出された「レバレッジ」という概念です。レバレッジとは、「てこの原理」のことですが、本来は100万円しか借金できないところが、「レバレッジ」を効かせることで、10倍も100倍も借金できるようになった。

―― 市場の取引金額が、この十数年で爆発的に増大したのも、レバレッジのおかげですよね。しかしそれが、リーマン・ショックで弾けた。

平川まさにレバレッジが象徴的ですが、文明の進展とは、人間が人間の持っている限界を超えようとする行為だったわけです。しかしもう、そういう価値観は、時代遅れなんじゃないか、という空気が出てきている。人間の持っている限界には、やっぱり意味があり、その限界の持つ意味を、もう一回掘り下げていく必要があるんじゃないか、と思う。

―― ほんとにそう思います。

平川例えば車や飛行機に乗れば、一日でいろいろなところに行って、帰ってこれる。歩いたら、人間はそんなに遠くまで行けません。でも、「歩いてはそんなに遠くまで行けないような存在」が、人間なんですよね。人間がヒョウのようには走れない、ということにはやっぱり意味がある、ということなんです。

人間には誰しも、肉体的、精神的にいろいろな限界がある。死ぬ、ということがその筆頭ですが、その意味をビジネスのなかで、もう一回ちゃんと見つめる、ということですね。「小商い」「ヒューマン・スケール」という言葉は、そういう意味です。
これまで、人間の限界を超えるようなサービスや商品を提供するのが、会社の役割であったことは間違いない。しかし、そのことで失われてしまったものが、無視できないぐらい大きくなっているのが、今の時代だと思うんです。

そのことの重大性は、みんな薄々はわかってるんですよ。大企業で働いていて、どんなに偉くて、すごい権限を持っていたとしても、定年になって辞めると普通の人になってしまうでしょう。会社を辞めれば、誰でもひとりの人間に立ち返らなければなりませんからね。

―― 社員の人数も、「10人ぐらいのときが、一番楽しい」とお話になられていますね。

平川そう、自分がつくった会社が、社員5人から10人になり、10人が50人になり、50人が100人になる、という体験をしてきた。そのなかで、一番充実して楽しかったのは、10人ぐらいのときなんですよね。

―― 以前、内田先生も、「仕事で一番楽しかったのは、アーバン・トランスレーション創立期に、バイトの子たちと単純作業をやっていたときだった」ということを書かれていました。

平川昔はコンピューターがなかったから、翻訳物の版下を、切ったり貼ったりしてつくってたんですが、それが楽しかった。あれはまさに、夢のような日々だよね。なんて言うんだろうね、あの楽しさは。
当時の内田にしても僕にしても、何者でもない存在で、どこにでもいる冴えない落ちこぼれの人間だった。そういう若者が、ある場所に、自分たちなりの空間を持って、自分たちでつくった商品でお金を稼いで、生活をしていくことが、できていた。

将来はどんどんよくなるだろう、という希望があったわけでもない。ただ働いていて、そこに流れている空気みたいなものが、しみじみと良かったんだよ(笑)。なんとも言えない楽しさがありましたね。

―― おいくつぐらいのときですか。

平川27歳のときに会社を設立してますから、28くらいのときですね。そのときに「ちゃんと会社をやろう」と決めたんです。これはやるに値するな、と思った。好きな詩や、考えていたことを書いたものが、ノートに30冊ぐらいあったんですが、「こんなことをやっててもしょうがねえ」と、全部燃やしちゃいました。今振り返ると、ちょっと惜しい気もするんだけどね。
燃やす前に、最後に一冊だけ、『絵画的精神』という本を、自費で100部つくりました。この『絵画的精神』に書いていることが、ほとんど今書いていることと、同じなんです。今でも読める内容になっている。

―― それは何について書かれているんですか?

平川主にジャコメッティ論なんですが、「絵画を見て、良い絵だ、と思うことはどういうことなのか?」とか、「絵画とは、どういうコミュニケーションの媒体なのか?」とか、そういうことについて書いています。絵が好きだったからね。

―― 平川さんにとっては、考える対象が、絵から会社に変わったということで、基本は昔も今も、同じということなんでしょうかね。

平川そう、基本は、同じですね。

全集をたくさん読みました

―― ではここから少し話題を変えて、平川さんの読書遍歴についてお伺いします。子どものときは、どんな本を読んでましたか? 

平川一番最初に面白いと思った本は、芥川龍之介ですね。近所のお兄さんが「面白いぞ」と短編をいろいろ持ってきてくれて読んで聞かせてくれたんです。それが小学校5、6年生くらい。芥川をいろいろ読んで、こういう世界があるんだということを知り、それから小説を読むようになった。

最初に買った全集は太宰治です。中学生くらいのときですね。一時期は、太宰に惚れ込んでいた。高校生になって、吉本隆明さんの全集を読み、浪人中から大学にかけては、全然勉強せずに、ドストエフスキーばかり読んでた。小林秀雄の影響ですかね。
浪人中に、画家の友達がいたんですが、そいつがあるとき川崎のソープ通いをし始めた。それで「金を貸してくれ」というので、借金のカタに、小林秀雄全集をそいつから手に入れました。

―― (笑)。

平川大学に入ってから、学生運動をやっていた友達が、あるとき逮捕されてしまったんですね。彼とは獄中にいるときから手紙をやりとりしていて、彼の両親も励ましていたんですが、出所するときに、彼のお母さんが「何かお礼をしたい」と言ってくれまして。そのときに、梶井基次郎の全集をもらいました。

ちょうどその頃、チェーホフの全集を自由が丘で買ったことも覚えている。だから、僕の読書は、全集が多いんですよね。好きな作家の全集を何度も読むだけで、広くはぜんぜん読んでいないんです。

―― 文学を中心に読まれてきたんですね。

平川そうですね。だから、ビジネスのことを書くときも、何となく影響されてしまいますね。文学というものは、100年前の作品でも、今も古びずに読めるでしょ。そういうものでないと、書くのも読むのも、意味がないような気がしています。

詩人になろうと思っていました

―― そんなふうに、文学にひかれていた平川さんが、ビジネスの世界に身を投じようと思われたきっかけはなんだったのですか?

平川その前にちょっと言っておかなければいけないんですけど、浪人から大学にかけて、ぼくは詩の世界に入ったんですね。現代詩に出会って、それからものすごく詩を読みました。好きな詩をノートに書き留めたりしてね。吉本(隆明)さんにも、思想家としてではなく、詩人として出会った。

荒地派の詩人たちの詩を読んで「あ、これなら俺にもできるな」と思ってしまったんですよね。思い違いでしたが・・・。そのときからしばらく、詩人で暮らしていこうと思っていました。でも、あとにも先にも、詩人という職業で食っている人は、谷川俊太郎ひとりしかいないんですよね。それがわかるのはずっと後で、そのときは詩人でいける、と思っていた。それで大学を出ても、学生運動をやってたこともあり、就職できなかったんです。

だから、別にビジネスマンになろうとしてなったわけじゃなく、しょうがないから自分でやろう、という感じで始めたんですね。でも、やってみたらビジネスマンというのが、なんか性にあわなくてね。いまでもあわないんだが(笑)。

 *荒地派:1947年〜1948年にかけて刊行された、現代詩の同人誌「荒地」に属した詩人。鮎川信夫、北村太郎、中桐雅夫、加島祥造、三好豊一郎、黒田三郎、高野喜久雄、田村隆一、野田理一、吉本隆明らの詩人を主に荒地派という。

(次回に続きます)

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。1975年早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とする株式会社アーバン・トランスレーションを設立、代表取締役となる。1999年シリコンバレーのインキュベーションカンパニーであるBusiness Cafe, Inc. 設立に参加。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。著書に『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)、『株式会社という病』(NTT出版)、『移行期的混乱』(筑摩書房)、『経済成長という病』(講談社現代新書)、『会社は株主のものではない』共著(洋泉社)、『九条どうでしょう』共著(毎日新聞社)、『東京ファイティングキッズ』共著(柏書房)、『東京ファイティングキッズ・リターン』共著(バジリコ出版)などがある。

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