本屋さんと私

『移行期的混乱』(筑摩書房)をこの秋に上梓した平川克美さんの連続インタビュー。

インタビュー1回目「移行期的混乱とは何か?」では、1000年以上に渡るスパンで、日本の人口動態を見てみる。そこから今の日本の経済を考えてみる。このような文明史的な視点から、現在の日本の置かれている状況を語っていただきました。 続く「『小商い』という商売のかたち」では、平川さんのビジネスと文学を結ぶ「語り口」、人間の持っている限界の意味、「ヒューマン・スケール」についての話から、平川さんの読書遍歴をお伺いしました。

さて、「本屋さんと私」平川克美さん編最終回。 インタビュー3回目は、平川さんが空手を始めたきっかけ、空手の基本、本屋さんとの思い出について伺いました。

(取材・文:大越裕、松井真平)

第52回 不合理なものの大切さ

2010.10.28更新

60歳でもできるのが技術

―― ところで、またがらっと話は変わるのですが、平川さんは、ときどきブログに空手のことを書かれていますが、どれぐらいやられてるんですか?

平川30年です。30歳になった年に入門したから、始めたのは遅いんですよ。

―― そうなんですか。じつはミシマ社には武道好きが多くて、三島と営業のクボタは合気道を、私とライターの松井くんもちょっと前に空手を始めまして・・・。うちは、あまり型はやらずに、組手(試合形式の練習)が中心なんですが。

平川そうなんだ(笑)。型はやったほうがいいよ。僕は組手と型、両方やってますけど、組手はルールによって、間合いがぜんぜん違うからね。間合いによって構えも変わってくるし。僕のところは町道場だから、外国人やいろいろな人が来るので、やむなくフルコン(直接打撃制の試合形式。ただし顔面への突きや投げは禁止)もやるけど、この歳になると本来の、ちゃんとした古武道としての空手が面白いですね。結局、技術はそこにしかないから。

―― なるほど。

平川技術のないパワー空手は、筋肉が衰えてスピードが落ちるとまったく歯が立たなくなりますからね。スピード空手、パワー空手って、20~30歳までの間に、本当に獣のように強くなるんだよ。僕もあるとき、自分が教えていた学生にメタメタにやられて、「何なんだこれは」と思ったことがある。

僕が教えていた大学生は、空手や日本拳法、極真なんかが集まって、学内で年に一回開催される学園祭の武道大会で、簡単に優勝してましたからね。。

―― いろんな流派がオープンで試合をやるんですか? そこで優勝するのはすごいですね。

平川それぐらい強かった。だけど、彼に技術があるかといったらまだまだ発展途上なんです。ぼくは今、60歳で大学生と殴り合いをやってますけど、やっぱり体が衰えても何とか対処できるというのが大事なんだよね。それが技術なんだよ。

―― 平川さんの道場は、松濤館流ですよね。

平川そう。もともと僕が行ってた道場は東急空手道場といって、東急電鉄が運営してました。そこは開設当時、日本で一番大きい空手道場で、門人が2万人もいた。初代の先生として東急が迎えようとしたのが松濤館流開祖の船越義珍先生だったんですけど、道場が始まるというときに亡くなってしまい、江上茂先生という方がいらして始まった、という道場です。
―― 江上先生も高名な武道家ですよね。しかしまたなぜ、空手を始めようと思われたのですか?

平川30歳になって、それまでやってないことをやろうと思ったんですよ。27歳で会社を始めて、3年間、仕事ばかりしていました。そのせいで身体がなまって、今でも鮮明に覚えてますが、あるとき東京駅の丸ビルに行って回転ドアを押したら、いくら押しても回らなかった(笑)。それぐらい疲れていた。

そこで、これは何か体を動かさないとダメだなと思って、家の近所をきょろきょろ探してみたら、空手道場があったんですね。そのとき30歳記念事業ということで、「空手を始める」「オートバイの免許をとる」「頭を坊主にする」この3つをやりました。いま、今度は60になったから60歳記念事業をやらなきゃいけないな。

―― そうだったんですね(笑)。

空手とは不合理なものである

平川僕はいま辛夷会道場というところに所属しているんですけど、そこは松濤館の支部のなかでも特別にきびしい道場だったんですよ。いつも稽古が終わると這うようにして帰るぐらい、くたくたになった。週2回、3時間の稽古でしたが、ほとんど基本ばかり。組手は一本組手くらいしかやりませんでした。でも、それがいまになって役に立っている。

空手は、腰を落として後屈立ちで構えるのが基本のひとつなんだけど、相手の突きや攻撃をさばくのも、動いて受け流すのも、この基本が身についていないとできないですからね。後屈で動けるようになるのに三~四年かかる。
腰の使い方も、ボクシング的な動きとは正反対です。ボクシングの場合は、腰の回転でパンチを打つでしょう。前に出るときも、一旦後ろ足に重心を移動して、後ろ足で地面を蹴って出る。伝統的な空手の動きはぜんぜんそれとは違って、前足に重心を乗せたままで、体さばきで動く。仮想の重心を前方に置いたまま動く。この基本が一番大切で、奥が深い。一回、リナックスカフェに来てくれたら僕が教えてあげます。

―― そうですか(笑)。それはぜひ一度教わりたいです。

平川それができるようになると、だいぶ違いますよ。そんなに力を使わなくてもやれるようになる。結局スポーツ空手だと、30代、40代くらいで引退じゃない。武道はそういうものではないんだよね。

それに、空手というのは「なんでこんなに不合理なことばっかりやるんだ」というくらい不自然な動きを強いる。要するに、合理性を全部否定している。不合理であるが故に、人間が普段使わない筋肉を使ったり、ふつうはできない動き方を身につけられる。後屈立ちの姿勢なんて不自然極まりないからね。

 *船越義珍:沖縄県出身の空手家。初めて空手(当時は唐手)を本土に紹介したひとりであり、松濤館流の事実上の開祖

これからの本屋さんは・・・

―― ここで話を戻しまして、最後に少し本屋さんについての思い出をお聞きしたいと思います。 

平川本屋の思い出はね・・・うーん。あんまりないですね・・・。

―― ないですか(笑)。では、いま、本屋さんに対して思うことなどは。

平川本来、やっぱり本は本屋で買いたいんですよね。でも、今も本屋には行きますけど、出版点数が多すぎて、何が買うべき本なのかよくわからない。
昔の「世界文学全集」の時代は、せいぜい40巻ぐらいのなかで、例えばバルザックからはじまって、だいたいの読むべき作家を収めていたわけですよね。でも、最近は全集というものを編むのが不可能になるぐらい、本が多くなっているわけですよね。

―― そういえば、全集が力を失ってますね。

平川全集ビジネスがもう成り立たないんですよ。だから何というか、「本屋」というビジネスモデル自体も、過渡期ですよね。現状ではなかなか立ち行かなくなってきている。あり得るとすれば、本屋自体がひとつの編集者みたいな感じで自分の趣味というか個性で選んで並べている本屋。「ここに行けばあれがあるな」という特徴のある本屋のあり方はあるだろうなと思います。

僕は、さっきも言いましたけど、昔、詩にずいぶん入れこんだので、中村書店という古本屋にはよく行きましたね。

―― どこにあるんですか?

平川渋谷の宮益坂を上って246号にぶつかるあたり。詩の専門書店でしたそこに、清水昶の『少年』なんていう詩集があった。表紙に銅版が嵌め込んである美しい詩集でした。昔は、しょっちゅう行ってましたけどね。古本屋街を歩いたりするのも好きだったけど、最近はあまり行かなくなりました。本はどうなりますかね? 

―― 個人的には、意味のある本だけが残って読まれていくような気がしてますね。最近は本の数が多すぎて、どれを読んだらいいかわからないので、結局売れてる本だけが売れる、という状況になっていますが。

平川売れてる本がいい本じゃないっていうのは、昔からそうなんですけどね。読みたい物がなくなってきている、というのもあるな。

1028-13.jpg

―― 出版社として、残る本、読みたいと思われる本をつくっていくようがんばります。ビジネスから空手、文学の話までいろいろと伺いまして、今日は本当にありがとうございました。

平川こちらこそ、こんな話でよかったかな、と思っていますが。今度、リナックス・カフェにも遊びに来てください。空手やりましょう。

―― はい。ぜひ。


お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。1975年早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とする株式会社アーバン・トランスレーションを設立、代表取締役となる。1999年シリコンバレーのインキュベーションカンパニーであるBusiness Cafe, Inc. 設立に参加。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。著書に『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)、『株式会社という病』(NTT出版)、『移行期的混乱』(筑摩書房)、『経済成長という病』(講談社現代新書)、『会社は株主のものではない』共著(洋泉社)、『九条どうでしょう』共著(毎日新聞社)、『東京ファイティングキッズ』共著(柏書房)、『東京ファイティングキッズ・リターン』共著(バジリコ出版)などがある。

1021-1.jpg

バックナンバー