本屋さんと私

夏葉社・島田潤一郎さんのインタビューもついに最終回。

夏葉社ができるまでをお届けした第1回
夏葉社が世に送り出した本について伺った第2回
そして今回は、夏葉社のこれからと、島田さんの本屋さんと本への思いをお届けします。

(聞き手:大越裕・萱原正嗣、文:萱原正嗣)

第58回 夏葉社は、おじとおばと、まちの本屋さんとともに・・・

2011.01.25更新

夏葉社は、具体的な読者のために本をつくりたい

―― 夏葉社さんが掲げられている理念(*)がありますよね。本当に素晴らしい理念だと思いますが、実際に本をつくられるときに、具体的にどなたかをイメージされたんでしょうか?

 * 夏葉社さん理念:[夏葉社の本
 夏葉社は1万人、10万人の読者のためにではなく、
 具体的なひとりの読者のために、本を作っていきたいと考えています。
 マーケティングとかではなく。
 まだ見ぬ読者とかでもなく。
 いま生活をしている、都市の、海辺の、山間の、
 ひとりの読者が何度も読み返してくれるような本を
 作り続けていくことが、小社の目的です。

第58回本屋さんと私 夏葉社さん

島田高知県の室戸に住む、おじとおばに読んでほしいと思って本をつくりました。それには、ちょっと悲しい話ですが、背景があります。
私が夏葉社を立ち上げる前、勤めていた会社を2009年3月に辞めました(第1回参照)。その1カ月後、親友でもあった従兄を交通事故で亡くしました。そのときの、おじとおばの悲しむ姿が忘れられず、ふたりが少しでも元気になれるような本をつくりたいと思っています。
おじとおばは室戸で生活をしていて、本とは縁遠い生活をしています。そんなふたりでも気軽に手に取れる本をつくりたいという思いもあります。

『レンブラントの帽子』も『昔日の客』も、普段本を読まないふたりが気軽に手に取れるかというと、さすがにまだハードルは高いと思います。それでも、本をつくっているときは、常にふたりの顔を思い浮かべていました。

「まちのパン屋さんのような出版社でありたい」とお伝えしましたが(第2回参照)、読者は具体的な読者であってほしいんですね。どれだけ属性を並べ立てても、抽象的な読者に向けて本をつくったら、間違っちゃうと思うんです。単にマーケティングが性に合わないだけかもしれませんが・・・。
私は、おじとおばのために本をつくっていきたい。その思いは、一冊目も二冊目も、これからも変わりません。

活字は、本は、人を救う力があると信じています。19歳の私が『車輪の下』(ヘルマン・ヘッセ)や『三四郎』(夏目漱石)を読んで感じたような、本の力、言葉の力、活字の力というのがあると思うんです。具体的にどういう力というのはなかなか言葉にできませんし、その場ですぐどうこうなるような即効性があるものではありませんが、それでも、本には人を救う大きな力があると思っています。

本が持つその力を、おじとおばにも届けたいと思っています。特定の人に向けたそういう思いは、逆説的ですが、多くの人に届くんじゃないかと思っています。今後も、おじとおばという具体的な読者を見ながら、すべての人に開かれた本をつくっていきたいと思います。

アルバイトをしながらでも会社は続けられます

―― 同感です。ミシマ社も「一冊の力」を信じる、という思いで社員一同働いていますが、本当に、一冊の本には人を幸せにする力があると思います。マーケティングが苦手なところも夏葉社さんと共通しますね。
ところで、本づくりの方針は「これからも変わらない」というお話ですが、今後の展開はどのようにイメージされていますか?

島田本を出すペースとしては、年間三冊くらい出せればいいかな、と思っています。2カ月でつくって2カ月営業して、4カ月で一冊の本を届けるイメージです。
ただ、出したい本がなければ無理して出す必要はないと思っています。いい加減な本をつくったところで誰も得をしませんから。それぐらいならアルバイトをしようと思っています。それでも、会社は続けられます。これは、ひとり出版社の大きな大きな強みです。

そもそも、儲けようと思って出版社を始めたわけではありません。実際いまも、お給料はアルバイトをした方が稼げるぐらいの額しかありませんから。実家住まいとお金を使わない性分で助かっています。
とはいえ、お金の誘惑がまったくないと言ったら嘘になります。「こうしたらいい商売になるんじゃないか」と思うことはあります。

例えば、『昔日の客』は、旧仮名遣いを現代仮名遣いに改めて復刊しました。そのことについて、筋金入りの古書好きの方からいくつか批判を頂戴しました。
私は、この本をひとりでも多くの人に届けたいと思って仮名遣いを改めましたが、商売のことだけを考えたら、古書好きにターゲットを絞って、刷り部数も限定して高い値をつけた方が、よっぽど手堅いと思います。

でも、それをしても読者は広がりません。本と読者の新たな出会いも生まれません。予想通りの人が予想通り本を買って、それで終わりです。
私はそういうことをしたいわけではありません。心からいいと思える本を、心中してもいいと思える本を、すべての人に開かれた形でつくっていきたいと思います。

―― お話を伺っていて、宮大工を思い出しました。宮大工は、いつもいつも仕事があるものではなくて、どんなに腕のある人でも、長い間仕事がないこともあるそうです。宮大工の腕があれば、民家をつくるくらいのことはわけなくて、それをすればお金は入ってきます。でも、宮大工と家をつくる大工は、仕事のやり方がまったく違う。家をつくることに慣れてしまうと宮大工としての腕が鈍ってしまう。だから、宮大工は民家をつくらない。じゃあその間の生活はどうするかというと、自分で畑を耕して、食べ物に困らないようにするんだそうです。島田さんの本づくりへの思いは、まさに宮大工そのものだと思いました。

「まちの本屋さん」の本をつくりたい

―― ところで、次はどんな本を出そうとお考えでしょうか?

第58回本屋さんと私 夏葉社さん

『Death is nothing at all』(Canon Henry Scott Holland、Souvenir Pr Ltd)

島田次に何を出すかはまだ決まっていませんが、形にしたい本はいくつかあります。

ひとつは、『Death is nothing at all』というイギリスの一篇の詩です。邦訳すれば「死はなんてことはない」というタイトルで、大切な人の死の悲しみを和らげてくれる詩です。

『千の風になって』のイギリス版というとイメージしやすいと思います。詩の内容もとても素晴らしいですし、この詩の訳者さんが息子さんを事故で亡くされていて、おじとおばに重なりました。それで、この詩にはすごく思い入れがあります。訳文をおじとおばに送ったら喜んでくれました。同じ悲しみを抱える人に、この詩を届けたいと思っています。3,000部刷るとして、それをどうやって読者に届けられるか・・・。それをいま考えているところです。

もうひとつは、本屋さんの本をつくりたいと思っています。まちにある普通の本屋さんを題材に、本をつくれないかなと、思っています。

―― まちの本屋さんの本というと、具体的にはどういうイメージでしょうか?

島田まだまだイメージしきれていないんですが、まちの本屋さんの棚に、どういう本が並んでいるかをまとめたら、面白いんじゃないかなと思っています。おしゃれで個性的な本屋さんではなくて、広さは10坪ぐらい、マンガがあって、雑誌があって、参考書があって、文庫コーナーがある。そんな普通の本屋さんの本をつくりたいと思っています。

青春18切符を使って電車で営業回りをしていると、車中の時間つぶしに読む本がほしくなります。そんなときに見知らぬ駅前の本屋さんで本を選ぶのが、私の大好きな時間です。普段なら絶対見ないような棚まで隈なく見て、思わぬ発見があって、とても楽しめます。

それに、まちの本屋さんは、子どもにとって、本との出会いをもたらしてくれる貴重な原体験の場だと思っています。私自身は、本を読まない子ども時代を過ごしましたが、まちの本屋さんの大きさは、世の中にどういう本があるのかを実感するのにちょうどいいサイズです。小さい頃はナントカ大百科に始まって、マンガを手に取るようになって、少し大きくなったら雑誌やエッチな本も見て、文庫で文学にも触れて・・・。子どもが本と触れるきっかけになる場所として、そのサイズの本屋さんが必要です。

大型書店も大好きですが、子どもがひとりで行って楽しめる場所かというと、そうではないと思います。本の探し方を知っている人が自分の好きな本を買いに行く場所です。大型書店とネット書店に押されて、まちの書店が元気をなくしているような気がして、気がかりでなりません。
おじとおばが暮らす室戸には、まちの本屋さんしかありません。日本中には同じようなまちが多いと思います。そういうまちでも、身近に本に触れられる場所があるということがとても大切な事だと思っています。

夏葉社の本も、いずれはまちの本屋さんで手に取ってもらえるようにしたいと思っています。そういう意味では、これまでの二冊はまだまだ硬派だと思いますが、まちの本屋さんを通じて多くの人に届けられるようにしたいと思っています。
と、いろいろな思いが混ざり合って、まちの本屋さんを応援する意味で、まちの本屋さんの本をつくってみたいと思っています。

「いい本を選んでいるね」と言われたくて難しい本を買っていました

―― 島田さんが19歳で文学と出会われたということでしたが(第1回参照)、それ以来、本屋さんとはどんなお付き合いをされてきましたか?

島田私の場合はもっぱら古書店でした。古書店の店主に「きみはいい本を選んでいるね」と褒めてもらいたいためだけに、難しい本を選んでいるところがありました。古書店で軟派な本を買ったら、絶対覚えられてしまう、という恐怖感がありました。

内田樹さんが、『街場のメディア論』のなかで、本棚は将来なりたい自分像だ、という主旨のことを仰っていましたが、そういう感覚に近いと思います。私の場合は半分見栄みたいなところもますが、「こういう本を理解できる人間になりたい」と思える本を買って読んでいました。とても読みこなせやしないんですが、辛抱強く読み続けたおかげで、少しずつ読む力がついたと思っています。

―― 具体的には、そのころどんな本を買われていたんですか?

島田いろいろありますが、いま思い出したところで言うと、『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト)、『ユリシーズ』(ジェイムズ・ジョイス)、『言葉と物』(ミシェル・フーコー)といったところです。

―― まさしく文学・哲学の世界ですね。

島田当時は読んでも全然面白くなかったんですが、今でも不思議とその内容を思い出すことが多いんです。それに、私は本を読むのがすごく遅いんです。一冊読むのに1週間かかってしまうこともあります。それでも最後まで読み進めるのが大事だと思っています。

本を読むのは、運動と同じだと思っています。運動が好きで運動が楽しいって言う人も、運動している最中はしんどいことの方が多いはずです。「もうやめようか」と弱気になりながらも最後まで走りきるから達成感が味わえるし、走る力がついていきます。

本も、読んでいる間はわからないことだらけで、つらいことの方が多いです。それでも頑張って最後まで読むと達成感がありますし、そういう経験を繰り返すと、少しずつ「読める」ような気になってきます。

―― 「あと何ページかな」って残りを確認せずにはいられないですよね。

島田走るときも、あと何周とか何キロとか、意識しながら走ります。それと同じことだと思います。

―― 読んでいくから力がつくというのは、実感としてすごくよくわかります。たとえば、『レンブラントの帽子』収録の「引き出しの中の人間」(*)は、その典型のような短編ですよね。物語の流れをつかむには、背景についてのさまざまな知識が必要です。知らないことがたくさん出てくると、途中で諦めたくなってしまいますが、本をきっかけに知らなかったことを調べたり、読書を重ねることで知識がついてきたり・・・。本を読むっていうのはそういうことだなと、改めて思いました。

 * 「引き出しの中の人間」:ユダヤ系アメリカ人フリーライターがソ連に旅をして、ユダヤ系ソ連人作家と出会い、アメリカで作品を出版してほしいと依頼される物語。米ソの冷戦やソ連の共産党独裁、ソ連におけるユダヤ人の差別という社会的・歴史的背景の中で、人間の葛藤や心の交流を描いている。なお、著者のマラマッドもユダヤ系アメリカ人である。

島田面白い本があります。毎日新聞が出している『読書世論調査』という本です。1949年からの読書率をまとめています。最近は、本離れ、活字離れということが言われていますが、この調査を見る限り、ここ60年では書籍を読む人は確実に増えています

この調査を鵜呑みにするつもりはありませんし、細かく見ていくといろいろな変化もあるんでしょうが、私自身の実感と照らし合わせても、本を読む人の裾野は広がっていると思います。
こういう時代だからこそ、届けられる本があると思っています。これからも開かれた本づくりをして、多くの人に本の力を届けていきたいと思っています。

第58回本屋さんと私 夏葉社さん

従兄と島田さん

―― 最後にひとつ、伺いたかったことを。夏葉社さんの社名の由来、社名に込めた思いを教えてください。

島田高知県は、84%を森林が占めています。おじとおばが暮らす室戸もほとんどが森林です。夏になると、木々の葉っぱの緑がギラギラと存在感を放ちます。室戸と言えば、その光景を思い出します。おじとおばに本を届けるという思いを込めて、「夏の葉っぱ」としました。

加えて、文学好きでもありますので、そこに夏目漱石と樋口一葉もかけています。Wネーミングです。
社名を名乗るときに間違われないので便利です。「夏の葉っぱの会社で夏葉社です」と言えば100%通じますから。

(了)

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島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう)

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