本屋さんと私

今月から「ミシマ社5周年記念企画」の本が続々と刊行されます。
そのラインナップのなかで、ひときわ異彩を放つ本が!
なんとミシマ社初となる詩集を刊行します。

本屋さんと私 谷郁雄さん

『思春期』(詩:谷郁雄、写真:青山裕企、ピエブックス)

タイトルは『透明人間』。
いったい、どんな本になるのでしょう。

この本は、『思春期』(ピエブックス)でコラボレーションした、何気ない日常の輝きをみずみずしい言葉で綴る詩人・谷郁雄さんと「スクールガール・コンプレックス」などで今話題の写真家・青山裕企さんによる写真詩集です。

今月の「本屋さんと私」は谷郁雄さんをお迎えし、前回は谷さんの本屋さんとの付き合い方について伺いました。今回は、谷さんが詩人になるまでの道のりや今までの本づくりのお話に加えて、只今、鋭意制作中の最新作『透明人間』についてもちらっとご紹介します。

(聞き手:足立綾子・林萌、文:足立綾子)

第60回 「人生、途中下車」がおもしろい

2011.09.20更新

自作の詩集と寝袋を携え、いざ東京へ

―― 詩人になるまでの道のりを伺いたいのですが、学生時代から詩を書かれていたのでしょうか。

大学のときまで、詩にいっさい興味がなかったんです。高校生のときに、当時、高校生のよく読むような雑誌にペンパル募集コーナーっていうのがあって。

―― ペンパル! 今となっては見かけないですよね。

僕、三重の高校に通っていたんだけど、そのコーナーで知り合った東京の小石川高校の女子高生と文通するようになって。何回目かの文通で女の子の手紙の最後に詩が書かれていて、「神々のベールが~」とかなんとかではじまる詩を送ってきて、「続きを書いてね」って書いてあったの。それで「詩なんて書いてられるか!」って思って、文通をやめちゃったぐらい詩に興味がなかった。

―― そんな谷さんが最初に詩を書いたのは、なにがきっかけだったんですか?

いきなり詩を書くっていうよりも、高校生の頃からビートルズが好きで、歌詞を日本語に訳してはいたのね。大学の2年か3年くらいまでは写真に熱中して、本気で写真家になるつもりでいた。でも、あきらめました。いろんな詩集を読むようになりましたね。そして20歳のときはじめて詩を書いたんだけど、きっかけとしては、詩人の吉増剛造さんにお会いしたことが大きかった。

京都の同志社大学に通っていたころ、友達が吉増さんの朗読会を企画して、僕が京都駅に吉増さんを迎えに行ったの。「パッと見てわかりやすいから、おまえが迎えに行け」って言われて。その頃の僕は、70年代特有のファッションをしていて、髪の毛も長くて、ヒッピーみたいな恰好をして、下駄履いていたのね。駅に行ったら、「おー!」ってすぐ見つけてくれて。生身の詩人にはじめて会ったのがものすごく大きくて、それから手に入る詩は全部読みましたね。そのあと、23歳で自作の詩集と寝袋だけもって東京へ行くんだけど・・・。

―― それはまた、いきなりですね。京都での活動は考えなかったのですか?

本屋さんと私 谷郁雄さん

京都はもともと住んでいる地元の人と学生の町だから、世界が閉じられている気がして、東京に行かなきゃと思ったんだよね。東京に友人がいなかったので、同志社の後輩に早稲田の友達を紹介してもらって、上京をした日にその人と待ち合わせをしていたんだけど、会う前に東中野で途中下車しちゃって。

―― それは、なんでまた・・・。

電車の窓から不動産屋さんを見つけて、電車を降りちゃったんだよね。「今日から住める場所を探しているんです」って言って、不動産屋さんと一緒に自転車で都内を回って、家を見つけましたね。

―― 先ほどの本屋さんでの話に通ずるところがありますね。途中でつかまっちゃうという。

そうそう。「人生、途中下車」というか。大学も途中下車だし(笑)。そこからいろんなアルバイトをしつつも「詩人になるんだ」という覚悟を持っていました。東京に来て2年で結婚するんだけど、その後編集プロダクションなどで働きはじめました。今も詩人の仕事以外に編集の仕事もしているんですよ。

身近なところに、きらっと光るものがある

―― 「詩人になりたいんですけど・・・」って、若い人から相談受けたりしますか?

今は、そんなにないですね。才能についてはよくわからないけど、継続は大切だと思う。無名の頃、手作りの詩集を読んでほしい作家さんや出版社に定期的に送り続けるっていうのを何年もやっていましたね。たまにお返事をいただいたりすると、あと数年は頑張ろうっていう糧になるんですよ。

―― 影響を受けたり、好きな詩人の方はいらっしゃいますか?

詩を書くきっかけを与えてくれたのは吉増剛造さん。吉増さんは70年代の現代詩の最先端を疾走していたと思いますね。あとは、田村隆一さん、谷川俊太郎さん、長田弘さんなどの詩集は全部目を通していますね。やはり、谷川俊太郎さんの詩からはいろいろ影響を受けていますよ。主語がおばあさんになったり、OLになったり、谷川さんは自在に手法を使い分けている。あらゆる手法を谷川さんはやりつくしてくれたから、そこから学んだことは大きいですね。

―― ご自分の詩のスタイルが確立したな、と思われた時期はいつぐらいでしょうか。

本屋さんと私 谷郁雄さん

『自分にふさわしい場所』(谷郁雄、ホンマタカシ、理論社)

確立したなというより、変わりようがないんだなって気づいて、それを自分で受け入れるという感じだけど。『自分にふさわしい場所』を出したあたり、はじめて詩集の専門出版社じゃないところから本を出すときに、不特定多数の読者を意識するようになってから、詩の書き方が自然に見えてきたような気がしますね。

やはり500部と5000部では、自分のスタンスや詩の書き方も自ずと変わっていくんだろうな。良くも悪くも。失われていくものもあるだろうし。

詩作を続けていくと、行き詰まりを感じることとか、あるよね。新しいことって簡単にできるもんじゃない。昔のやり方の再発見とか、もう一度原点に戻ったりとか、新しさって試行錯誤や創意工夫のことだよね。

―― そうですね。

プラスアルファで新しさが積み上げられていくものじゃなくて、シンプルなことに気づきなおしていくこと。それを自分が楽しめているかどうかが大切なんじゃないかな。編集もさ、新しいものばかり追い求めていくと息苦しくなってこない? 意外に身近なところにきらっと光るものがあったりするのが、いちばんいい気がするな。

毎日、机に向かって詩を書き続ける

―― 先ほど、詩を書くようになる前に、ビートルズの歌詞を訳されていたっておっしゃっていましたが、詩を英語で書かれたりもしますか?

それはないですね。そこまでの英語力はないからなー。僕の詩を英語に訳してくれた人はいるんですけどね。僕らの世代にすごく人気があったラングストン・ヒューズっていう黒人の詩人がいて、彼の詩の日本語訳をずっと手がけていたことで有名な木島始(きじまはじめ)さんという方がいたんです。

晩年の木島さんを取材したときに、自分の詩集を渡して。自己宣伝を兼ねて、取材で会う人に自分の詩集をよく渡していたの。そうしたら、気に入った詩があったみたいで、木島さんが英訳して詩の雑誌に載せてくださったことがありましたね。

いちばん最初の詩集が思潮社から出たときから、相手の様子を窺いつつ、本当におもいきって、怒られるのを覚悟でいろんな人に自分の詩集を渡していましたね。人との出会いはおもしろいよねー。恥かいたり、よくない結果に終わることもあるかもしれないけど、それはそれとして、なるべく自分に正直に行動するのがいいような気がしますね。・・・なんか本屋さんの話じゃなくて、いいのかな?

―― 全然だいじょうぶです! 歌詞もまた詩だと考えると、最近の音楽の歌詞でいいなと思うものはありますか?

メロディーにのっている言葉は好きですね。ぞくっとするというか。最近だとハナレグミが結構好きですね。「サヨナラCOLOR」とか、「光と影」とか、声もいいしね。歌とともにいい言葉を届けてくれる人っていいですよね。あとは、星野源さんも気になっています。森山直太朗の詩を書いている御徒町凧は、友達です。

そうそう、本屋さんといえば、昔、京都の本屋さんで荒井由実の「ひこうき雲」が流れたとき、ものすごく感動しましたね。井上陽水の「氷の世界」とかもよくて、僕が青春をおくった70年代は名曲もいっぱい生まれていて、すべてに勢いがあっておもしろかったんですよ。そのときの感じが染みついていて、いい歌を聴いたりすると70年代ぽいなあとか、そういう若い頃の感覚を失いたくないなと思っていますね。

―― 谷さんは、どういうときに詩を書かれていますか? パッとイメージがわいたら書く、という感じでしょうか。

いいフレーズが浮かんだらとりあえずメモをする、という人もいるけれど、僕の場合はちゃんと机に向かって、毎日詩を書いていますね。

本屋さんと私 谷郁雄さん

―― 今回、手書きの原稿をいただきましたが、谷さんの字ってあじわいがありますよね。いつも手書きですか?

そう、コピー用紙に鉛筆で書いていますね。朝一番で書けることもあるし、夕方、その日一日のいろいろなことを思い出しながら書く場合もありますね。

―― 毎日詩を書くとストックがかなりありそうですね。

書きためた詩をまとめて本になればと思って書いていますけど、どこかのタイミングで選別したりすることもありますね。

毎回異なる写真家とのコラボレーション

―― コラボしたいと思う写真家さんに、共通点はありますか?

いい写真家はたくさんいますけど、自分の気持ちのうえでの必然性がないと。写真展だけで活動するようなアート寄りの人より、ちょっと下世話なものへの目配りがある人が好きですね。下世話なものっていうと変だけど、俗世間と渡り合えるようなアンテナをもっているような人が好きですね。

―― その感覚を持っているかいないかで、その後の広がりが全然ちがってきそうですしね。

本屋さんと私 谷郁雄さん

アートに特化していくと、写真はいいのかもしれないけど、個人的に弱いんだよね。ノイズがある方が好きだなー、写真も人間も。受け入れてくれる人がいいよね。おもしろがってアイデア出してくれたり、そういう人がいいですね。海外の写真家で日本を撮った人はいないかなーというのは漠然と思ったりはします。日本をたまたま訪れていて、その人たちがどう日本を撮るのかなっていうのは興味がありますね。

あとは、僕よりも若い世代の方。世代がちがうとノイズがあって、お互いおもしろいコミュニケーションが生まれる。浅田政志さんや青山裕企さんは、僕と子どもぐらいの年齢差がありますしね。彼らとのコラボは、若い人たちにもう一回バドンを渡すような、若い世代とクロスする場所みたいな感じですね。

―― 錚々たる写真家さんとコラボされていますよね。

みんなそれぞれアプローチの仕方がちがうんですよ。『自分にふさわしい場所』のホンマタカシさんは、カバー写真も帯コピーもこれがいいって、びしっと言ってきて、実際に彼が選んだものがいちばんいいんですよ。『日々はそれでも輝いて』の佐内正史さんは、家の近所を一緒に歩いて、何気なく散歩している後ろ姿を撮ったり。『定員オーバー』の長島有里枝さんは、詩はいっさい読まずに写真を撮っていましたね。

―― 詩を事前に読まないこともあるんですね。

そうですね。『実況中継』の浅田政志さんとは同郷で、僕が松阪出身で彼が津出身なんです。僕との何気ない会話から通っていた小学校や当時住んでいた実家のあたりがわかったようで、故郷の街を撮影してきてくれましたね。これには感動しました!!


次回はいよいよ、ミシマ社刊の『透明人間』の内容に迫ります!

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