本屋さんと私

今月の「本屋さんと私」にご登場いただくのは、ノンフィクション作家の石井光太さんです。
石井さんはミシマガジン「戦争文化プロジェクト」でもおなじみですが、今回は、10月27日に発刊予定の『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)にまつわる話をお聞きしました。

石井さんが東日本大震災の取材を開始したのは、週が明けた3月14日。本書では、岩手県釜石市の遺体安置所をめぐる出来事を通して、3月11に起こった震災の一側面を描かれています。


 「釜石市を舞台にしたのは、町の半分が被災を免れて残っていたことが大きい。・・・・・・釜石では、死者・行方不明者千人以上を出したにもかかわらず、町の機能の半分が津波の直接的な被害を受けずに残ったことにより、同じ市内に暮らす人々が隣人たちの遺体を発見し、運び、調べ、保管することになった。私はそこにこそ、震災によって故郷が死骸だらけとなったという事実を背負って生きていこうとする人間の姿があるのではないかと考えた。遺体という生身のものを扱うことでそれはもっとはっきりしてくる。」(『遺体――震災、津波の果てに』「取材を終えて」より)


安置所に携わった関係者50名以上の方々に会い、一人ひとりから当時の体験談を聞いていった。それらの証言を構成することで、釜石市の安置所をめぐる3週間の出来事が浮かび上がっている。

石井さんはどのように現地の人たちと接し、何を見たのか。
渾身のルポルタージュ。制作の裏側をお聞きしました。

(聞き手:松井真平・林萌、文:松井真平)

第62回 震災直後の〈遺体安置所〉をめぐって(石井光太さん編)

2011.10.12更新

復興の原点に「遺体」がある

―― 一足先に、『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)を読ませていただきました。タイトル、内容ともにずっしりと重いものでした。まずは、この本を描かれるに至った経緯を伺えたらと思います。

石井確かに、軽くはないですよね(笑)。なぜこの本を書いたのか、と簡単に言ってしまえば、今回の津波は、亡くなられた方の数が圧倒的だったからです。これまで日本で起こった他の災害と比べて、今回、何が一番大きな出来事だったかというと「死体がこれだけ出た」ということなんですね。

現在、震災の津波で亡くなられた方は、行方不明者合わせて約2万人にのぼっています。一瞬のうちにこれだけの規模で死体が出るという状況は、日本では太平洋戦争における原爆以降ないんですね。天災では88年前の関東大震災以来の出来事です。戦争のレベルで言えば、半世紀、天災のレベルでは100年に一度の出来事です。そういった規模の災害に対して、現場の最前線にいる人間はどうやって立ち向かっていったのか。そこは、自分なりに描いておく必要があると思ったということがあります。

それと、現実的な問題として、まずこの遺体をどうにかしないかぎり、復興云々という話は存在しないんです。というのは、僕は震災が起きた直後の3月14日に現地に入ったんですが、その場でそこにある風景というのは、まず死体なんですよ。あちらこちらに散乱した死体しかない。こういった災害が起こった直後には、世間一般の人たちがいう「復旧だ」「復興だ」なんて、そういう綺麗な世界なんてどこにもないんですね。

例えば、テレビで見る瓦礫の山なんて、あれはある程度整備されて道ができた後の話であって、津波がひいた直後は道すらありませんからね。カメラが行けるところは、整備し終わったところなわけです。人の手が届いていない場所は、例えば3m、4mの瓦礫が延々つながっていて、そのなかに死体がゴロゴロ転がっている。木を見たら木の枝に死体がぶら下がっている。車が10台団子状に連なっていて、なかを覗けば死体が閉じ込められている。そのドアを開ければ、片っ端から死体が下に転がり落ちる。

あるいは、海を眺めれば死体に魚がくっついて人間を食っている。そんな状況なわけです。テレビや新聞の報道では捉えきれない場面は、それこそ無数に存在していました。それが2万人の人間が死ぬということなんです。津波の直後、現場に残された人たちが生きるということは、そういう世界のなかを生きるということだったんですね。

そして、現場でまずやらなくてはいけなかったことは、その膨大な数の遺体を救出し弔うことでした。ですから、この「遺体をどうするか」という現実を見逃して、この先の「復興バンザイ」なんていう話は絶対にあり得ないことなんですね。ならば、その根本的な問題を見ていこう。そういう理由があって、遺体安置所への取材を開始したのです。

自分の役割を探す

第62回本屋さんと私石井光太さん

『物乞う仏陀』(文藝春秋)

―― 石井さんは、これまで『物乞う仏陀』(文藝春秋)や『レンタルチャイルド』(新潮社)など、アジアの物乞いや障害者、世界の最貧困層の過酷な生活を取材されてきました。そこでお聞きしたいのは、そういった過酷な世界を生きざるを得ない人たちと接してきたからこそ、今回の「遺体」というテーマに取り組むことができたのでしょうか? というのも、自分は今回の震災について、この本を読むまで積極的に「遺体安置所」や「死体」に想像が働きませんでした。

石井それにはゴマンと理由はありますが、逆に質問をすると、なぜあなたは「死体」が思い浮かばないんですか?

―― 震災があった日の夜、仙台市の若林区で200〜300人の水死体が発見された、というニュースが流れました。300人という数でも信じられない状態でしたが、そのときに自分のなかで何かを遮断したといいますか、無意識に「死体」を自分から遠ざけたいという気持ちが働いた気がします。死体をこわがって、その先のことをなるべく考えないようにしてしまいました。

第62回本屋さんと私石井光太さん

『レンタルチャイルド――神に弄ばれる貧しき子供たち』(新潮社)

石井それはある意味、あなたが現実を遮断したわけですよね。ノンフィクションの仕事というのは、簡単に言うと「現実を見ること」なんですね。まず現場に行き、そこで起きていることを見る。人が遮断してしまっていることに目を向けることなのです。

あなたが死体を遠ざけたいと思うと思うまいと、まず現場に行った瞬間に見えてくるものって死体なんです。そして、死体を前にしている人が直面しているのも、やはり死体なんです。例えば目の前に自分の子どもの死体が埋まっていて、それを取り出せない。取り出せないで「誰かどうにかして」と泣き叫んでいる人が自分の目の前にいるわけです。嫌でも目に入ってきます。

逆に言えば、現場にいれば「300人」なんていう数字はどこにも入ってこない。「300人」なんて東京のマスコミが言ってる話でしょ。その後に沸き起こった「復興」とか「がんばれ」なんかもそう。
そんなことより目の前で泣き叫んでいるお母ちゃんをどうするか。あるいは、木にぶら下がっている死体をどうするか。ただそれだけなんですね。

何かが起きた時、かならず「現場」と「隔たった場所」の違いはあります。
僕がやりたいと思うノンフィクションの仕事は「隔たった場所」での議論を書くことではなく、ひたすら「現場」を見つめて、そこでくり広げられている光景を描くこと。
僕はその思いを実行に移しただけであり、その結果が今回の震災の場合は「遺体」だったということです。

人に会って会って会いまくる

―― この本のなかには、民生委員の千葉さん、歯科医師会の西郷さん、鈴木さん、釜石市職員の松岡さん等、様々な職業の人たちが登場し、それぞれの目線から、この膨大な死に直面した状況が描かれています。そこで印象的だったのは、皆、自分が与えられた役割に徹していたところでした。石井さんは、どうやって現地の人たちにアプローチし、ご自身の役割を共有されていったのですか?

石井まず、アプローチの仕方としては、ノンフィクションの場合「とにかく、当たってみる」ということです。まずは現場に行って状況を聞かないことには話が始まらないので、突撃するわけですよね。当然そのなかでは断られることもあります。でも、今回の災害と普通の事件の取材とで、大きく違った点があります。

一般的に普通の事件というのは、その場に10人の人がいるとしたら、被害者はひとりなんですよ。例えば、あなたの彼女が自殺してしまったとする。被害者はこのなかであなただけですよね。その場合、外部から人がやってきて、あなたに対して「死んだ彼女のことを聞かせてください」と言われても語りたくないですよね。自分が惨めになるじゃないですか。だけど、全員が同じ体験をしていたら語れるんです。それが災害と普通の殺人事件との違いです。

特にこれだけ大規模になってくると、まわりの人間もすべて誰かしら親族や知人を失っていたりするわけですよ。そうするとその喪失感を抱えていることが、当人たちにしてみれば、当たり前の世界になってくる。戦争もまったく同じです。そして、失った直後というのは高揚感があるんですね。皆、ものすごくアドレナリンが出ている。

なので、現地に行くとまず向こうからしがみついてきて「話を聞いてくれ」と言ってくるくらいでした。本当にどんどんやってきて、ガツッと触られて、「どうにかしてくれ」「おれはこういう体験をしたんだ」「両親はここで死んだんだ」「ここでなんとか生活しているんだ」ということを話してくるんですね。

最初に現地に入ったときは、可能な限り大勢の被災者に会って話を聞くという体験をしました。とにかく人に会って会って会いまくる。今回の場合であれば、歯医者や医者、安置所の担当者、釜石市の職員等、関わりのある人たち全員と話しました。で、おもしろい人間というのはそのなかにいるわけです。自分の体験を分析・整理して、きちんと物語を持たせて話すことができる人や、その人自身に物語性があるような人です。

この本のなかに出てきた千葉さんもそうですし、歯医者の鈴木さん、医者なら小泉さん、あるいは坊さんなら芝崎恵應さん。そういう人たちは、ぱっと話した瞬間にストーリーテリングがあるのがわかる。そこで、「自分はこの人に密着して話を聞いたり、その経験を掘り下げていこう」と取材を進めていく。そうやって関係を深めながら、そこで起きている出来事を共有していきました。

―― 最初に高揚感のあるなかでいろいろな人と話をして、そのなかで、自分の選んだテーマにドンピシャの人に突き当たる。そこで、その人に集中して取材されていったんですね。

石井方法論としてはね。あとは、なんで釜石市の遺体安置所に関わった人たちは、その人なりの役割を果たしていったのかというところですけど、人間ってね、現実に直面すると自分の役割を果たすことしかできないんですよ。自分の役割を果たさなくてよい状況というのは、生ぬるいどうでもよい世界にいるからです。

いきなり目の前に死体が転がってみなさいよ。どんっと、ここに死体が20体くらい転がっていたときに何をやるか。自分にできないことはやらないでしょ。まず自分ができることをやるし、そのなかで自分のアイデンティティというものをつくっていくわけですよね。それは、自分がいままでやってきたことに根づいていくわけです。

1000人の死体を背負った人たちのドラマ

石井例えば、昔葬儀屋で働いていた千葉さんであれば、遺体の扱い方や遺体と対面した遺族に対する接し方を知っているわけです。廃校になった中学校の体育館が遺体安置所になったのですが、そこに常駐して、いつも遺体に話しかけてあげたり、死体をもんでほぐしてあげたり、死体に対して常に心を配っていました。そのようにして、歯医者であれば、歯医者に。医者だったら医者になっていく。

しかも、彼らは僕らほど若くないわけですよ。皆、60歳、70歳で、それだけ年季の入った人生を持っている。津波直後、町自体が滅びるかもしれないという極限状態においては、そこから搾り出されてくるものがあるわけですね。それこそ人生50年、60年かけてやってきたものを全力でぶつけて、町を支えていくしかないわけですから。

―― 本当にすごいことですよね。

石井それが人生の重みであり、その結晶体を僕は、ある種美しいものだと思うんです。この本にも書きましたが、ある坊さんが、この混乱にまぎれて他の寺の檀家の骨を奪って、自分の寺のものにしようとした話がありました。ニュースでは報じないけど、実際にはそういう人もゴマンといるわけです。銀行強盗も起きていますし、赤ちゃん背負ってる母ちゃんがコンビニぶっこわして金を取っていたりもする。

―― 東京にいると、そういう現実はなかなか実感として知ることができません。

石井そうですよね。そういう場面も彼らは全部見てきているわけですよ。そのなかで、「この釜石を潰してはいけない」「何とかして復興させるんだ」と懸命に自分の役割を遂行していく。その激動の1カ月を自分の人生をかけて支えていく。僕はその姿ってものすごく美しいと思うし、遺体安置所には死体がゴロゴロして暗くて重い空気が漂っていましたが、気持ち悪いとは思わないんですね。むしろある意味美しいと思っています。

少なくとも、そこらでちゃんちゃら合コンしてきゃーきゃー言ってる女の子よりずっと美しいですよ。僕は、そういう人間の美しさを描きたいんですね。あるいは、そういう人間の美しさが僕にとっては魅力なんですね。それ以外は魅力を感じない。そんなもんです。

最初の話に戻れば、現地でいろいろな人たちと話していくうちに、釜石を背負って人生をかけている人たちの姿が見えた。そこから、遺体安置所、あるいは釜石という町と、この町で1000人ぐらいの死体を背負った人たちのドラマを描いて記録したいと思った。それもこの本を書く動機ですよね。

震災後を生きるということ

―― 遺体は、被災地で被害にあわれた方たちの死生観に、さまざまな影響を与えたと思います。このような経験によって人は強くなるものでしょうか。

石井人によるでしょうね。ああいう体験をしたことで、異常心理が発達して殺人者になる人もいるかもしれませんし。わからないですけど。

ただやっぱり、歴史を見れば当然のことなんですけど、これだけ大きな出来事があれば、そこからいろいろなものが生まれてくるわけです。そのなかには、いいものも悪いものも絶対にある。で、それは、僕たちが定義できるものではないと思うんですね。

例えば戦争中を考えてみてくださいよ。戦争を体験したことで自殺した人もいれば、ダイエーの社長みたいに大企業をつくった人もいます。あるいはそこから生まれた殺人者もいますよ。それは、その体験によって、その人間のもともと持っているものがどう膨らんでいったか、どの部分が膨らんでいったかということですからね。人間がもともともっていたものが、大きな災害や事件によってさらに膨らむということはよくあることなのです。

それがヤクザや宗教というかたちで膨らんでいく場合もある。廃墟のなかでできることが暴力だけだと思ったら、強さを膨らませてそこからはい上がっていくでしょう。頭のよい人であれば、知識や知恵を膨らませていくかもしれません。かならずしも全員がいい方向へいくわけでもなければ、悪い方向へいくわけでもない。いろんなものが生み出されるのです。

逆に言うと、これだけ大きな出来事、クライシスを体験するということは、単純に、死体が上がった、あるいは復興した、建物が建った、バンザイ。ということではなくて、その後に、もしかしたら生まれてくるかもしれない天才、大企業家、宗教者、犯罪者、そういったものすべてを受け入れることでもあるんですよね。それもまた、震災後を生きていくということでもあるんだと思います。

いまがそのときだ

石井で、その根本にあるものが、さっきも言ったように遺体だと思うんですね。あるいは、すべてがなくなった廃墟だと思うんですよ。僕は、そこを直視しない限りはどうしようもないと思っています。

例えば、後々10年後、20年後に何か突拍子もないやつが出てきて、何かやらかしたとき、その根本を問い詰めて考えていくとしたならば、その人の原体験まで遡らなければいけないわけです。10年後に、いま10歳の男の子がある遺体安置所でトラウマを抱えて悲惨な殺人事件を起こしたとしますよね。そうしたら、10年後に僕らが見なくちゃいけないことは、10年前、つまり、いま彼が遺体安置所で何を見たかということです。

見たくなければ見なくていい世界も当然ありますが、死者の数が2万人という単位になると、見たくない人も巻き込んで、見ざるを得ない状況が生まれたんですね。それを否定するということは逆に、津波や災害という現実を無視することになるわけです。

もちろん全員が全員、死体を見て嬉しいと思うわけはありません。それでいいと思います。例えば、この本を読むことで不愉快になる人だってゴマンといるでしょう。よかったと思う人もいるでしょう。それは何の本だってそうなので、それでいいと思います。だけど、見たくなくても見なくちゃいけないときもあるものです。

第62回本屋さんと私石井光太さん

僕は、全員が見る必要はないけど、「見る」という選択肢はなければならないと思っています。原爆資料館だって見たくない人は、見なくていいと思います。だけど、資料館はなきゃいけない。

今回の震災における遺体も同じです。見たくないなら見なくてもいい。しかし、「見る」という選択肢だけはつくっておかなければならないんです。それはこの震災や津波がどういったものだったかという記録に他ならないわけですから。


次回に続きます)

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石井光太(いしい・こうた)

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。 海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。 また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。 主な作品に、 『神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く』(新潮社) 『物乞う仏陀』(文藝春秋) 『絶対貧困−世界最貧民の目線』(光文社)、『感染宣告』(講談社)『レンタルチャイルド』(新潮社)。 その他、共著に『ベストエッセー2007 老いたるいたち』(光村図書)などがある。 ペンネームでの著書は多数。

石井光太公式サイト【コウタイズム】

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