本屋さんと私

今月の「本屋さんと私」は、ノンフィクション作家の石井光太さんにお話を伺います。

 「何かが起きた時、かならず『現場』と『隔たった場所』の違いはあります。僕がやりたいと思うノンフィクションの仕事は『隔たった場所』での議論を書くことではなく、ひたすら『現場』を見つめて、そこでくり広げられている光景を描くこと。僕はその思いを実行に移しただけであり、その結果が今回の震災の場合は『遺体』だったということです。」

今月27日に発刊される『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)。前回は、本書制作にまつわるお話を中心にお聞きしました。

今回は、石井さんがノンフィクション作家になるまでに辿った道のり、その原体験。また、事実を記録することと、それを作品化させること(作家性を持たせること)の違いについて伺いました。

(聞き手:松井真平・林萌、文:松井真平)

第63回 映画よりリアルな文字のちから

2011.10.19更新

生まれた時から思っていた

―― ここで少し話題を変えて、石井さんがノンフィクション作家になるに至った読書体験などを伺えたらと思います。

石井ノンフィクション作家になろうとした理由を簡単に、ガンっと言えば、もともと、生まれた時から自分は何かをつくる人間だと思っていました。それ以外は考えたことなかったですね。ただ、機械は苦手だったのでカメラマンはダメだったし、詩人というタイプじゃないしね。絵が下手なので絵描きもない。音痴だから音楽家もない。だけど、おそらく物語をつくっていく人間になるということは生まれた瞬間から思っていたと思います。

第63回本屋さんと私 石井光太さん編

『春琴抄』(谷崎潤一郎、新潮文庫)

そこで、映画か、小説か、ノンフィクションか、と考えていたときに、ひとつきっかけとしてあるのが、谷崎潤一郎の『春琴抄』です。物語のなかで、佐助という奉公人が、幼い頃から付き添いをしていた春琴という女性のために、自分で自分の目ん玉を針で両方潰すシーンがあるんですね。

あのシーンを読んだ時に、映画より100倍リアリティがあると思った。読んでいて吐き気を覚えて本から目をそらした記憶がある。中学生のときかな。それまで、映画で目を背けたことはなかったので、映像よりリアリティのある文章にショックを受けたんですね。

そして、もうひとり影響されたのが大江健三郎です。

第63回本屋さんと私 石井光太さん編

『死者の奢り・飼育』(大江健三郎、新潮文庫)

大江健三郎の小説を初めて読んだ時、文章は人間を丸裸にしてしまう力があるんだなと思った。例えば『飼育』のなかで、捕虜にされた黒人兵と村の男の子たちが、泉で水を掛けあって遊ぶシーンがあるんですね。映像にしてしまえば、黒人と子どもが裸できゃーきゃー叫んでるところなんて、ただのアホな場面なわけです。だけど、そのなんてことないシーンを、大江健三郎はものすごく美しく描くわけです。それと同時に、彼の他の小説でもそうですが、登場人物の瞬間瞬間の苦痛だとかプライドだとかが全部むき出しになっている。

例えば、僕がこうやって話しているなかでも、何かしらのプライドってあるでしょう。あなたのなかにも絶対にそれはある。そのプライドみたいなものがすべて浮かび上がって描かれていたり、人間をそんなふうに丸裸にしてしまうようなことができるんだったら、文章ってどんだけすごいんだろうと思った。それが高校生くらいのときだと思います。そのときには文章を書く方向に進みたいと思っていました。

民俗学と文学が好きだった

石井で、多分それだったら、「小説のほうがいいじゃん」って思うかも知れないですよね。僕も実際そう思っていた時期もあります。そこに変化を与えたのが、大学に入ったときに、生まれて初めて行った海外のパキスタンとアフガニスタンでした。なぜパキスタンとアフガニスタンに行ったかというと、仲の良いやつがインドに行ったからです。世界地図を見て、それなら自分はもっとすごいところに行ってやろうと思ってパキスタンに行った。で、パキスタンで会った変な男に騙されてアフガニスタンまで行っちゃったんですね。

そのときは、まだタリバンがカブールを制圧する前だったので、アフガニスタンは戦争中でした。そこで、初めて手足のない物乞いだとかが地平線まで見渡すかぎり並んでいる光景を目にすることになった。僕はどちらかというと世田谷の高級住宅街で育った坊ちゃんなんです。大学に入ったばかりの頃なんて、右も左も知らないただの馬鹿ですよ。そいつが、ちょっと芸術家気取りになって自分はすげえところに行ってやろうと日本を出たときに、そのときのアフガニスタンはこの世の地獄だったわけですけど、その落差を体験した。

その落差を体験したときに、なんていうのか、まず、手足のない物乞いがずらっと見渡すかぎり並んでいた世界を描きたいと思ったんですね。あるいは、意外とその人たちは普通に明るく日々を過ごしていたりするんですが、その日常を、大江健三郎的な人間をむき出しにしたような書き方で実際に取材して描いてみたいと思った。で、描いたら100%自分のなかでうまくいくと思った。これは直感でしょうね。うまくいかないわけがないと思ったんです。

で、その当時、同時にすごく勉強したのが人類学とか民族学でした。実は、ノンフィクションって嫌いだったんですよ。なんでかというと、偉そうだから。偉そうに大上段に描いて論じるところが大嫌いだった。反対に、現地の人間と一緒に暮らして、彼らの目線で書く人類学や民俗学が好きだし、すごいと思っていました。だったら民俗学の目線から、僕の大好きな文学のやり方で、にもかかわらず、ノンフィクションというかたちで文章を書いたら絶対おもしろくなると思った。100%思った。それでやり始めたというのが一番はじめですね。

―― 原体験に、アフガニスタンの風景があったんですね。

作家性をつくりあげる

第63回本屋さんと私 石井光太さん編

『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)

―― また少し『遺体』に話はもどるのですが、本書は、視点を三人称にして描かれています。登場人物それぞれの行動や心理描写が小説のように描かれています。素朴な疑問なのですが、ノンフィクションでありながら、なんでその人の内面にまで入り込んで物語が描けるのかなと。

石井インタビューして聞けばわかるでしょ? ただ、作品の構成の仕方というのは、作家によって違いますし、作品によっても違いますよね。
当たり前のことですが、作品をつくるにあたって、聞いた言葉をそのまま文章にしても本にはなりません。ホームビデオがドキュメンタリー映画にならないのと同じです。ドキュメンタリー映画をつくるには、事実を作品化しなければならない。

構成、テーマ、撮影技法、アングル、ナレーション、BGMなど様々なことを駆使して事実を作品化するのです。それではじめて人がお金を払ってみる作品になる。それは、活字のノンフィクションにおいてもまったく同じで、作品化という作業が必要になります。この作品化の方法論こそが、作家の個性であり、その作家の作品たらしめるものになるのです。

僕の場合、最初にいったように人類学の視点で極限まで取材対象に近づいて、作品を文学化するという方法を得意としています。風景描写をふんだんに盛り込んで、登場人物の内面と絡めていく。テーマや視点はまったく違いますが、文学化という意味では、どちらかといえば沢木耕太郎さんに近いかもしれません。

一方、佐野眞一さんなんかもものすごく個性のある書き方をしますが、あの方の場合は風景描写によって文学化するというより、内面を掘り起こして仮説を立てて、それを大きな昭和という時代に結び付けて語っていくという方法ですよね。ダイエーの創業者の中内功を書いた『カリスマ』なんかはまさしくそれで、中内功の戦争体験と昭和という激動の時代を絡めて、昭和が生み出した怪物というような形で作品化していきます。

もちろん、それぞれその書き方について賛否両論ありますが、癖があるからこそ、その人の作品をもう一度読みたいと思うわけで、逆に言えば癖がなければその人の作品である必要性はなくなってしまいます。それが、作家が求められて、新聞社や雑誌のライターが求められない部分だと思います。

これは映像でも同じですよね。アメリカにマイケル・ムーアという監督がいます。『ボウリング・フォー・ コロンバイン』や『 華氏911』を撮った監督。彼の作品は一目見れば彼の作品だとわかるでしょう。だから、賛否両論あっても、ムーアの作品を見に行こうと思ってお客さんがはいる。

しかし、他のアメリカのドキュメンタリー監督の名前をご存知ですか? ほとんど知りませんよね。それは特徴がないからです。だからこそ、その監督が別の作品をつくったとしても、その人の作品を見に行こうと思って見に行く人は少ない。ゆえにお客さんが入らない・・・。

作家の「特徴」って批判を受ける所ではありますが、しかし絶対になければならないものなのです。この個性が千人の読者しかつかなかったら話になりませんが、もし一万人つけばコンスタントに作品を出し続けられるし、数万人いたらベストセラー作家になっちゃうわけです。本屋さんにお客さまをひっぱる力にもなる。

しかし、出版業界はなかなかこれを重要視しない。コンスタントに本を出し続けなければならないので、「無難な形で無難に部数を刷ろう」として編集も、校閲も、個性を消していくことがあります。たしかにそれをすれば数千は堅いかもしれないけど、誰もその人の二作目を読まないし、先細りになるだけです。もちろん、ちゃんとした出版社や実力のある編集者はそうしたことをわかっていて、その作家の特徴を最大限に生かそうとしますが、そうじゃない編集者や出版社はそうしたことをなかなか考えない。これは、非常に嘆かわしいことですね。

―― 石井さんはそうした特徴をつけるためにどういうことをしたんですか。

石井いやー、とにかく勉強しまくりましたよ。
例えば、十代の終わりから、一日3冊本を読んで、一週間で一個小説を模写し、1カ月に100枚か200枚の原稿を書くって決めてたんですよ。ずっと。だから、隣に住んでいたじいちゃんの葬式にも出なかったし、正月に親戚の家に言っても一滴も酒を飲まないで別の部屋で本を読んでいた。

付き合っていた女性とも一度もふたりで酒を飲んだことありませんよ。女性とは「一週間に一回、30分しか会わねえ」と決めて、30分だけアパートにいってセックスして終わりです。あとは、全部文章修業(笑)。クリスマス、誕生日、バレンタインデーなんかはすべて図書券にしてもらっていました。

―― えぇ〜

第63回本屋さんと私 石井光太さん編

石井よくそれで関係が持ったなって感じですけど(笑)。

でもそうやって、小説の作法だとか、民俗学の作法というものは身についていくわけで、それは話を聞いていると、他の作家だって多かれ少なかれやっていますよ。それをやらなければプロにはなれないし、なっても一作か二作で消えていきます。

野球選手だって、ピアニストだって同じでしょ。作家だってまったく同じなんですよ。やっぱり、吸収できるときに何をやってたか、ということがその人の個性になってくるわけですから。


次回に続きます)

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石井光太(いしい・こうた)

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。 海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。 また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。 主な作品に、 『神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く』(新潮社) 『物乞う仏陀』(文藝春秋) 『絶対貧困−世界最貧民の目線』(光文社)、『感染宣告』(講談社)『レンタルチャイルド』(新潮社)。 その他、共著に『ベストエッセー2007 老いたるいたち』(光村図書)などがある。 ペンネームでの著書は多数。

石井光太公式サイト【コウタイズム】

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