本屋さんと私

第63回本屋さんと私 石井光太さん編

『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)

先月27日に発刊された『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)。「本屋さんと私」石井光太さん編では、本書を軸にお話を伺ってきました。

「来る日も来る日も被災地に広がる惨状を目の当たりにするにつれ、私ははたして日本人はこれから先どうやってこれだけの人々が惨死して横たわったという事実を受け入れていくのだろうと考えるようになった。震災後間もなく、メディアは示し合わせたかのように一斉に「復興」の狼煙を上げはじめた。

だが、現地にいる身としては、被災地にいる人々がこの数え切れないほどの死を認め、血肉化する覚悟を決めない限りそれはありえないと思っていた。復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。

 そのことをつよく感じたとき、私は震災直後から二カ月半の間、あの日以来もっとも悲惨な光景がくり広げられた遺体安置所で展開する光景を記録しようと心に決めた。そこに集まった人々を追うことで、彼らがどうやってこれほど死屍が無残に散乱する光景を受容し、大震災の傷跡から立ち直って生きていくのか追ってみようとしたのだ。」(『遺体――震災、津波の果てに』「取材を終えて」より)

最終回となる今回は、前回から続く現地での取材状況、そして、被災地から戻ったときに感じた都心とのギャップ(違い)についてお聞きしました。

(第1回)「震災直後の〈遺体安置所〉をめぐって
(第2回)「映画よりリアルな文字のちから
(第3回)「常に変わり続けて

(聞き手:松井真平・林萌、文:松井真平)

第65回 20年後、30年後にもう一度

2011.11.02更新

遺体安置所に車ごと突っ込んだ

石井ガソリンを積んでの運転はむちゃくちゃたいへんでした。そもそも被災したところは、道がないので、例えば仙台から石巻まで直線で行けないんですね。かなりジグザグ迂回しながら行くことになる。普通なら10リットルで行けるところ、30リットル使ったりしていました。

なので、現地で取材して、そのつど街まで帰ってるとガソリンがもったいないので、車で寝ることになる。だけど、車のなかは、さっき言ったように、ガソリンのガスだらけなんですよね。積んでいる食糧とか全部ガソリンくさくなります。食糧難だというのに・・・。

―― 悲しい。

石井悲しいですよ。で、ガソリンのにおいが染みこんだパンを「まじい」と思いながら食べていると、窓の外で被災者の方たちと目が合ったりしてね。みんな腹をすかせていましたから。しかし、ガソリンくさいパンをあげるのもはばかれる。「俺もつらいんだよ」とか心のなかで思いながらコソコソ食べるわけです。そういうようなかたちで取材をしていました。

―― そうだったんですね。

石井で、取材はいいんですけど、そんな状態だと体力的に持たないですよね。普通に考えて寝られるわけないですからね。ガソリンくさい車のなかで。でも、そのなかでサバイバルしていかなきゃいけない。そうすると、少し街のなかに入っただけで安心しちゃうんです。なんどか事故を起こして死にかけたこともありました。

そうそう、事故と言えば、4月になるのですが、遺体安置所の取材に行くとき、意識が半分ふっとんでいて、安置所の駐車場に車を停めようと思ったらバックしながら安置所に突っ込んだことがありました(笑)。

―― えぇー。

石井あの時も、後部座席にガソリン缶を積んでいましたね(笑)。爆発はしませんでしたけど、遺族はドン引きですよね。いきなり変な丸坊主の男が車で遺体安置所に突っ込んできたわけですから。その時は編集者も一緒で助手席に座っていたんですが、ぶつかった瞬間「あ! 人ひいた!」とかいうんです。青ざめましたよ。マスコミが遺体安置所で被災者をひき殺したら新聞に載りますからねぇ。ただ、幸い人間はひかなかった(笑)。

ただ、安置所に勤めている人たちはみんな警官なので、一瞬で捕まった。警察に取り囲まれてさ、「車開けろ」とか言われて開けるとさ、なかにあるのは遺体安置所の資料とか、死亡者リストとか、ガソリン缶だらけじゃないですか。むちゃくちゃ怪しいですよね(笑)。これがアフガニスタンだったら米兵にテロリストだと間違えられて撃ち殺されてますよ(笑)。

―― 文字通り、体当たりの取材ですね。

石井現地の暮らしといえば、食料とかは基本的にいっさい現地にはありませんでした。3月の22、23、24日くらいになってようやく届いた感じです。なので、僕は全部新潟で仕入れたものを食べていました。毎日カップラーメンです。朝昼晩カップラーメンでした。きついよね。しかも怒りに燃えてるからさ。

―― 怒り?

石井「なんでカップラーメン食わなきゃいけねーんだ」っていう。

―― そういう怒り。

石井なんでかというと、しんどい取材をしていると「せめておいしいものを食いたい」あるいは、「腹一杯に食いたい」という気持ちになるんです。それしか楽しみがないんですから。特に僕は食べるのが何よりも好きだから、それが一番の楽しみなんです。そのときにカップラーメン一個なんてわびしいことを言ってられなくて、つい貧乏根性が出てきてカップラーメンをありったけ買いまくるわけです。それで全部食ってやろうと3つ4ついっぺんに食べてさ。

―― えー。

石井許してよ。それしか楽しみがないしさ。

―― 体壊しませんでしたか。

石井体壊しました・・・。ひとりで、「おえー」って吐いたりして。だんだんムカついてきて、今度は新潟で買ってきた焼酎をがぶ飲みしてまた「おえー」とやる。被災地でカップラーメンを何個も食べてひとりで吐いているんだから罰あたりなものです。きっと地獄に落ちるでしょうね。

都会と地方の違い

―― 被災地で取材を続けられている間に、何度か東京にも戻られてますよね。

石井そうですね。3月の終わりに一度戻ってきています。1日だけ。あとは、4月の上旬とゴールデンウイークの間かな。

―― 現地を知ってから戻ってきたときのギャップは何かありましたか。

石井飛行機で帰ってきたとき、羽田から都心の方にくると、東京湾の海岸線を通りますよね。あれを見て瓦礫が置いてないのが不思議でした。あれはフラッシュバックします。いまでもそうですけど、海辺に行って、瓦礫が浮いていない海があることに驚きます。「え?」って見返してしまう。

あとは、ブルーシートを見ると死体に見えるのもそうなんですけど、死体の染みがついてないか探してしまうとかね。基本的に死んだ人間はある程度時間が経つと体から液体が漏れてきますから、ブルーシートに汚れとにおいがついちゃうんです。いま東京で歩いていて工事現場にブルーシートがあったりすると、無意識に息を止めてしまうこともあります。

―― 例えば、同じことが都心で起きたら、どういう違いがあると思いますか? コミュニティや人のつながり方は地方と都心で大きく違いますよね。

石井それは、違うでしょうね。結局、『遺体』という本を書けたのは、地元の人の横のつながりがあったからなんですよ。地元の人たちは「何で?」と思うくらい絶対に誰かとつながっている。人口がものすごく少ないから、みんな友だちなんですよ。あるいは、自分は直接知らなくても、妻が絡んでいたり、子どもが絡んでいる。そのつながりがあるから、遺体安置所の管理人である千葉さんも、直接市長のところに行って「私に安置所の管理を任せてもらえないか」とか言えるんです。

―― そうですね。

石井あるいは、医者の小泉さんが歯医者の鈴木さんに難しい頼みごとができるわけです。でも、東京にはそれがない。これは決定的に違うところだと思います。

田舎というのは、過疎化して、本当は経済を成り立たせるのもままならない世界ですけど、横のつながりでなんとかやっている。例えば消防団がそうですよね。消防団なんて基本的に東京には存在しない。あるところはいまでもありますが、そんな感じですから、今回のような災害が起きたら、東京の人間はやりようがないと思うんですよ。

死体を運ぶにも「死体運んで」と簡単に言われても運ばないでしょ。「嫌だよ。業者に頼めよ」って言うと思いますし。そりゃ、震災後1日、2日だったらみんな興奮してるからやるでしょうが、5日経ったらおそらく誰もやらないですよね。そこが一番大きな問題になってくると思いますね。

関東大震災がまさしくそうでした。関東大震災で10万人前後の人間が亡くなったときは、遺体を焼く人がいなかった。市の人間にも人が足りないし、やらない。そこでどうしたかというと、結局被災者に金でほっぺたを叩くようにして強引に作業させることになった。夏の終わり頃でしたから、気温も高くてすぐに腐敗がはじまっている。どうしようもなくなって結局まとめて焼くしかなかった。ガソリンをかけて一気に焼いていた。まわりも手伝わず、人数が足りなければ、そうするしかない。

だから、今回の釜石に関していうと、ある種、死体にとっては優しい環境、というと変ですが、そうだったと思います。まわりの助け合いもあったし、冬で雪が降っていましたから、腐敗が進行するまでの時間が長かったということもあります。あと、やっぱり、沿岸線ということもあって、そもそも住んでいる人間が少なかったということもありますよね。

そういった意味でいうと、今回のことは逆に、東京と比べるのであれば、非常に良いケースと考えたほうがよいかもしれません。本当にみんな地元の愛で働いた。地元愛、地元つながりでみんなが自発的に動いていましたから。

ただ、この地元のつながりは、よい面と悪い面の両方を含んでいる話ですよね。逆に言うと、このつながりの強さが嫌でみんな地元を離れて外に出て行くわけですから。

―― そうですね。たしかに。

石井何やってもバレちゃうし、噂されるし、だからもう「うんざり」とかいって逃げるわけでしょ。どんどん過疎化してしまうし、あるいは犯罪が起きてもみんなで隠してしまったりする。あるいは、これが談合になるわけでしょ。そういう世界なので、非常に微妙。

―― 近しい人の死体をそんなに見るのも、つらいことです。

石井そうですよね。

老後の楽しみが増えた

―― 今回、この地域に住まわれている方と非常に深く関わっていらっしゃいますが、これだけ人間関係ができてしまうと、もう取材とか関係なく継続的に気になってしまいませんか。

石井確かに、一度取材したところは、他の国でも日本でも個人でもそうですけど特別な思いはきっとあります。だけど、ノンフィクションの仕事は、人に会うのが仕事なので、例えばここが終わったら、また次の人たちに会わなくてはいけません。常にそうやって回転しているので、逆に思い入れはそんなに持たないようにしているのか、あるいは、そういうケースがあまりにも多くて持ちきれないというのもあります。いま引きずってもしょうがないと割り切らざるを得ないところもある。

でも、これは海外でも日本のエイズ患者でもそうですけど、20、30年後に会いたいというのはありますね。20年、30年後に、東南アジアのスラムや今回の釜石もそうですが、その後どうやって変わっていったか、というのは見ていきたいですね。たぶんそれが唯一の老後の楽しみだと思います。自分が10年、20年、30年仕事をやってきて、いつか歳をとったとき、取材してきたところをもう一度回って死にたいなというのはあります。なので、釜石も20年後くらいに、もう一度回ってみたいです。

―― 今日はお忙しいなか、本当にありがとうございました。

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石井光太(いしい・こうた)

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。 海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。 また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。 主な作品に、 『神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く』(新潮社) 『物乞う仏陀』(文藝春秋) 『絶対貧困−世界最貧民の目線』(光文社)、『感染宣告』(講談社)『レンタルチャイルド』(新潮社)。 その他、共著に『ベストエッセー2007 老いたるいたち』(光村図書)などがある。 ペンネームでの著書は多数。

石井光太公式サイト【コウタイズム】

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