本屋さんと私

 デビュー作『太陽の塔』で話題をかっさらい、『有頂天家族』『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』など、続々と話題作を生み出している作家・森見登美彦さん。

 その、ちょっと古風で真面目かと思いきやぶはっと笑わせてくれる文章、他にはない森見さんならではの不思議さに、一度読んだらやみつきになる人も多いのではないでしょうか。また森見さんの作品には京都を舞台にしたものも多く、京都・三条烏丸にもオフィスを構えるミシマ社一同は、一方的に親近感を感じていたのでした。

第84回 小説は、「内なる虎」との共作である。

『聖なる怠け者の冒険』(森見登美彦 著、朝日新聞出版)


 そしてついに2013年5月21日、森見さんの3年ぶりの新作長編となる『聖なる怠け者の冒険』(朝日新聞出版)が発刊されました。
 これまた舞台は京都、しかも六角堂に、烏丸、三条、スマート珈琲店...出てくる出てくる会社の近所(毎日通っていますとも!)。

 自転車に乗って森見さんの事務所にうかがい、とっておきの話を聞いてきました。

 それでは、2日目をお届けします!

(聞き手:三島邦弘、構成:新居未希)


第84回 小説は、「内なる虎」との共作である。

2013.06.11更新


「ええから」という理不尽さ

――『聖なる怠け者の冒険』に出てくる八兵衛明神の近くに、バッキー井上さんという、酒場ライターの方がいらっしゃるんです。『Meets Regional』創刊時からずっとコラムを書いている方であり、錦市場の漬け物屋の主人であり、百練という居酒屋の主人でもある方なんですが。そのバッキ―さんが、いつもお願いしていることがあります。「なんで?」って何かの理由を聞かれたら「なんでも」「ええから」って答えよう、と。それを、世の中にもっと広めてほしいっておっしゃるんです。

第84回 小説は、「内なる虎」との共作である。

『宵山万華鏡』(集英社文庫)

 『宵山万華鏡』のなかにも、「ええから」って言っている女の子が出てきていたので驚きました。

森見えっ、そうですか?

――はい。ここ(文庫版の39頁)です。

「どこ行くん?」
 彼女が足を止めて訊ねると、手を引いていた女の子は「ええから」と微笑み、(略)彼女は頭が痺れたようで、されるがままになっていた。

 「なんでも」「ええから」って科学的説明の真逆にある回答だと思います。けどそれが、「そういうもん」だと、子どものころからずっと言われ続けないと、「ええから」って言われたときに「あ、そうか〜」「されるがまま」にはならないですよね。
 森見さんも、「ええから」「なんでも」的なカルチャーで育ったのですか。

森見そういう意味では、逆かもしれないです。うちの親はわりとちゃんと説明するタイプでしたね。あんまり子どもに対して、理不尽に「こうだ!」っていうことはなかったです。
 だから父親は、「子どものころもっと理不尽なめにあわせるべきだった」って言うてます。それはそれでちょっと、あんまりやりすぎると歪むんじゃないかと思いますけども(笑)。父親は、「子どもをもっと理不尽な目にあわせて、世の中の理不尽さをもっと教えておけば、強い子に育ったかもしれない」って言ってました。僕わりと、世の中の理不尽さに弱いから(笑)。

――そうなんですね(笑)。小説には、「ええから」的なカルチャーが土台になっているのがまた面白いところです。

第84回 小説は、「内なる虎」との共作である。

森見小説を書いていると、理屈じゃすまないところがいっぱい出てくる。たとえばこの『聖なる怠け者の冒険』なら、「怠け者である」ということと「怠け者ではない」ということがぐちゃぐちゃになる世界です。「こうだからこう」でしょ、という説明の世界を超えたところに、到達できたらすばらしいなあと、これを書くときにすごく思っていました。それこそ、「ええから」という感じですよね。

――なるほど。小説にはある程度の理屈が必要だけれども、理屈を超えた「ええから」の世界にまで行かないといけない、と。

森見僕もモヤっと考えているだけで、本当かどうかわからないんだけども、「理屈で説明できないものを説明する」のが物語のような気がします。世界の成り立ちみたいなもの、「自分には世界がこう見えている」とか、そういうものについて誰かに伝えようとした場合、片方では「仕組みと構造」を説明する仕方があり、もう片方に「こういう物語を体験してください」というやり方があると思います。
 難しいのは、あんまりどちらかに特化しすぎると、それはそれでわけのわからないものになるということです。「物語が成り立っているからいいでしょ」というだけになりすぎると、今度は読者を振り切って遠くにいってしまうので。本来飛べないところ、本来理屈がつかないところを飛び越えるのが物語のよさであって、そこはどうするべきかっていうのが、悩むべきところではありますね。

――うう~ん。深い

森見『聖なる怠け者の冒険』も途中結構とんでいるところがあって、変なところで繋がったりだとかしています。不安になると、理屈をつけたくなるんですよね。ここはこういう理屈だから矛盾してないでしょ、なんてことを説明したくなるんですけれども、説明すればするほどボロが出てきて、世界が壊れていく。だからできるだけ説明を削っていくんですけども、「これは本当に大丈夫なのか」と思えてくる。それで、何回か山田さん(担当編集者)と相談しました。「理屈で説明する」ということと、「物語で説明する」ということは結構これを書いているときに考えたことですね。

――この本を読んでいて思ったのは、「理屈で説明する」東京の人は、『聖なる怠け者の冒険』を、ファンタジー、空想の話と捉えるのに対して、京都の街中の飲んだくれて生きている人たちなんかは、「日常の話」と捉えるのではないかということです。登場人物のいろんなひとたちを、そんなに遠くのものではなく、実感のあるものとして、普段の延長として捉えられるんじゃないかな、と。森見さん自身はどちらですか?

森見僕は、小説を書いていることによってその境地に到達しているだけで、現実の自分はもうちょっと東京寄りやと思います(笑)。小説を書くときにようやくそこの境地に入って行けるというか。小説を書いてないときは、もう少し理屈で考えがちですね。
 僕の小説を読んで、「これを書いてる人はどういう人だろう」と思う人も多いかもしれませんが、多くの人が思っているほど、僕は小説そのままの世界観を生きているわけではないんです。そこに到達したいと思い小説を書いているとき、僕の「内なる虎」が目覚めているときにそこに迫るんだけれども、書き終わってその虎が眠ってしまうと、もうわりと普通に戻るというか。

――虎を現実世界に連れ込むことはほぼない?

森見ほとんどないですね。そこはもしかしたら、父親が理不尽に育てなかったからかもしれないです。やっぱり、激しく「こういう世界を作りたい」とか「そこを作り出して体験したい」とかいうのは、自分がそうじゃないからそこに辿り着きたいっていう動きが発生して、その動きの過程で小説ができ、そしてそれが僕に対して収入をもたらすというはたらきになっているんですよね。もし僕が完全にこの世界観を持った人間になってしまったら、僕は小説を書けないんじゃないかな、と思います。


虎を飼いならせ!

――内なる虎に飲み込まれて、そうやって現実に生きている人たちにアドバイスはありますか

森見それは・・・大変だなあ(笑)。僕はもともと、自分の「内なる虎」がどこにいるのかわからないんです。そいつを引っぱり出すにはどうしたらいいかというのがそもそも僕の仕事。そこをなんとか目覚めさせて、つきあってもらわないといけないわけです。
 だからむしろその人たちは、どうやってその人たちの虎はずっとそこにいるの!? って思いますね。その人たちはその人たちなりの苦労があるんだろうけども。

――『山月記』の世界そのものですよね。完全に虎と化している人が、吉田山の周りなんかに特にいっぱいいると思うんです。

森見虎を飼いならさないと大変ですよね。けれども、虎を殺してしまうと何にもできない。それこそ僕は虎が目覚めてくれないと、人に読ませられるようなものは書けないんですよ。虎には目覚めてもらわないと困る。けれども、全部を虎に任せてしまうと、わけのわからないものができる。だから手綱を引き、虎と上手におつきあいをすることがどうしても必要です。
 具体的にアドバイスはなんにもできないですけどね...あんまり虎が育ちすぎないうちに手をうつほうがいいでしょうね、としか(笑)。
虎とのお付き合いは難しいです。

――たしかに、子犬でも扱うのが難しいのに、ましてや虎ですしね!

第84回 小説は、「内なる虎」との共作である。

『四畳半王国見聞録』(新潮社)

森見そう(笑)。ここぞというときだけ虎をつかって、他のときはまあまあと抑えておくっていうのは、駆け引きですよね。自分との駆け引き。
 小説を書いていくっていうことは、虎が書いたものを「ここまでは許すけどここは許さん」みたいなものだと思うんですよ。虎に頼って書いているくせに、虎が目離したすきに適当に直すとか、そういうことの繰り返しです。それでバランスをとっていって、読者の人に読んでもらえる形、妥協点を探す。虎との妥協点を(笑)。
 「よくこんなもん書いたな」って思うためには虎をつかわないと無理だけども、読者の人に読んでもらえるものになるかどうかを考える場合は虎を黙らせないと書けない。
 けど、ときどきぶっ飛ぶことがあります。正直、『四畳半王国見聞録』を書いたときとかはやりすぎたと思っていて(笑)。あれは結構虎が暴走したなあと。そういうときもありますね。




*「内なる虎」を飼いならす・・・そう考えると、京都のまちは虎になりやすいまちなのではないかなあとも思います(虎になってしまっている学生、たくさんいます)。明日は、新刊『聖なる怠け者の冒険』にぐぐっと迫ってみたいと思います! お楽しみに〜

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森見登美彦(もりみ・とみひこ)

1979年奈良県生まれ。京都大学農学部卒、同大学院修士課程修了。2003年『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、小説家デビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞、10年『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞。その他の著書に『四畳半神話大系』『きつねのはなし』『有頂天家族』『恋文の技術』『宵山万華鏡』『四畳半王国見聞録』などがある。今年は作家生活10年目にあたる。

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