本屋さんと私

 デビュー作『太陽の塔』で話題をかっさらい、『有頂天家族』『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』など、続々と話題作を生み出している作家・森見登美彦さん。

 その、ちょっと古風で真面目かと思いきやぶはっと笑わせてくれる文章、他にはない森見さんならではの不思議さに、一度読んだらやみつきになる人も多いのではないでしょうか。また森見さんの作品には京都を舞台にしたものも多く、京都・三条烏丸にもオフィスを構えるミシマ社一同は、一方的に親近感を感じていたのでした。

第84回 小説は、「内なる虎」との共作である。

『聖なる怠け者の冒険』(森見登美彦 著、朝日新聞出版)


 そしてついに2013年5月21日、森見さんの3年ぶりの新作長編となる『聖なる怠け者の冒険』(朝日新聞出版)が発刊されました。
 これまた舞台は京都、しかも六角堂に、烏丸、三条、スマート珈琲店...出てくる出てくる会社の近所(毎日通っていますとも!)。

 自転車に乗って森見さんの事務所にうかがい、とっておきの話を聞いてきました。

 それでは、内容たっぷり、濃いぃ〜3日目をお届けします!

(聞き手:三島邦弘、構成:新居未希)

第85回 主人公は動かない!――『聖なる怠け者の冒険』の「読み方」発見。

2013.06.12更新


あの簾の向こうに何かが!

――『聖なる怠け者の冒険』の鍵のひとつである、八兵衛明神との出会いについてお伺いできますか?

森見八兵衛明神をどうして見つけたのかは、僕もちゃんと覚えてません。

――えっ?

森見昔あの四条のあたりに住んでたんです。よく朝ご飯を喫茶店に食べにいったりするときに、ぶらぶら歩いていたので、その過程で見たんやろうと思いますね。なんか変なのがあるなあと。

第85回 主人公は動かない!

これが八兵衛明神!


 たしか、八兵衛明神を見つけたときはもう『有頂天家族』はほぼ書き終わっていたのかな。それで、今さら八兵衛明神を『有頂天家族』に出せないなぁと思ったことは覚えてます。しかもあの通り、いまは小綺麗になってますけど、前はもっと薄暗い感じで。
 あと僕、狭い横道というか、通りがかって「ん? これはどこに通じてんだ?」と好奇心をそそられるような道が好きなんです。

 「ここを通っていったら何か変なところに行くのでは」と思えるところにぐっときます。
 横道もそうですが、坂道と、二階にかかっている簾。京都の街中を歩いていると、二階に簾がかかっているのが見えるじゃないですか。その簾の隙間からちょっと部屋なんかが見えてると・・・もうあれが気になってしょうがない(笑)。あの簾のむこうに何かが・・・! という感じがたまりません。あとは屋上かな。そういう、そそられるポイントみたいなものがいくつかあります。

――たしかに、そういう「そそられ」ポイントが『聖なる怠け者の冒険』のなかにもふんだんに盛り込まれてますね。

森見そうですね。八兵衛明神は、その要素をかぎりなく満たしているというか。
 柳小路の狭さ、行き止まりっぽいけど、なんか抜けられそうな感じ。その時点で、これはおもしろいなあと思ったんですが、入って行ったらものの見事に八兵衛明神という変な神様がいる。しかも狸。
 京都を何回も舞台にしていると、狭い京都の範囲のなかで、そんなにしょっちゅう面白いもんを見つけられるわけではありません。ですから、柳小路で珍しく変なもの見つけたときは、「使いたいなぁ」と思ったんですね。

――八兵衛明神が見つかって、ほんと良かったですね。

森見柳小路の八兵衛明神と、正義の味方があらわれるというのは、最初は別々に考えていました。けれども正義の味方をゼロから作るより、正義の味方にバックがあるほうが「正義の味方ですよ」と説明しやすい、と思ったんです。
 ○○仮面というのが現れたとして、そいつが自分独自の定義を持っていたとしたらすごく書きにくい。そこが「八兵衛明神の使いだと自称している」というだけで、「ああ、ありだな」という感じになる。じゃあ、狸の神様の使いなんだから「ぽんぽこ仮面」にしよう、というふうにつくりました。


神様レベルの怠け者を

――『聖なる怠け者の冒険』は、朝日新聞での連載をそうとう書き直したそうですね。

森見書き直しにも紆余曲折がありました。怠け者が怠け者のままに冒険をするというか、怠け者であることが冒険に変わる、そういう小説にできたら小説として書く意味があるだろうと思いついてようやく書き直しが軌道に乗りました。
 けれども、そのためにはおそらく、小和田くんが最後にこの世の通常の論理をこえた向こう側にいって帰ってくる、という構造にしないといけない。でないと、小和田くんが特別な聖なる怠け者であるということを証明することができない。だから八兵衛明神を最後に出さないとこの話はおちない、と思ったんです。

第85回 主人公は動かない!


 小和田くんが現実の世界のなかだけで「彼は怠け者だけれどもみんなの役にたつよ」、というようなことを言っている、そういうレベルの話で終わると「役に立つ・立つない」の論理に回収されてしまう。それはすごく嫌でした。なんとか向こう側まで行かせなきゃと。「この人は神様レベルの怠け者なのである」ということを示したかった。


 でも、イチから八兵衛明神をつくっている余裕はなかったので、『宵山万華鏡』にちょこっとだけ出てきた金太郎っぽい格好の男の子とか、宵山さまとかを出しました。けどもう本当に、八兵衛明神には助けられました。八兵衛明神がいなかったら終わってなかったです。


「静なる」主人公による「聖なる」冒険!

――本当に、「役に立つ・立たない」というレベルではないところにいっていると思います。

森見けど、やりながら「むずかし〜〜っ」って悶えていました。どうあがいても「役に立つ・立たない」っていう話になってしまう。それなら「聖なる怠け者」ではあるまい! という思いがあって。
 それは説明できることではないし、お話としてなんとか納得してもらわなければいけない。でも通常のお話だと、主人公が何かを成し遂げたり、役にたったり、問題が解決したり、何かがあったところで「お話が終わった」という感触を読者は持つわけです。
 その方法をできるだけ塞いだ上で、あたかもお話が終わったかのように読者に錯覚してもらう。そこはもう、四苦八苦しましたね。なんとか小和田くんが、主体的になにかを成さないままに物語が終わるというふうにもっていきたくて。

――主人公が主体的になにかを成さないままに物語が終わる・・・

森見そうです。それができたら小説になる。そう思って書き直しを始めたにもかかわらず、何回も山田さん(担当編集者)に「こんなのものは物語の定義に反してる」「主人公が何事もなさないということを物語にするなんて無理だ」ということを話していました。自分で、「こういう小説であれば小説たりうる」と思ったにもかかわらず・・・。すごい変な狭間におちちゃった感じで、どうしたらいいかわからなくなりました。でも、この『聖なる怠け者の冒険』をわざわざ書く意味のあるお話にするというのが、他の方法ですと、全然思い浮かばなかったんです。

――一章だけ書いてやっぱりうまくいかなくて、一章だけ書いてまたそれを破棄してゼロにする、ということを4・5回繰り返したそうですね。

森見一章まるまる書いて捨てたのは一回だけなんですけど、こういうお話であるべきだという話は山田さんと何回もしました。いろんな方法を探ったのですが、「怠け者であることが冒険になる」というコンセプトが見つかるまではものすごく迷走しました。膨大なバージョンがあり、お互いにどのバージョンの話をしているのかわからなくなり、大混乱でした(笑)。
 結局その模索で一年間ぐらいかかりました。「これは怠け者のお話なんです」という決心がつくまで進まなかったですね。

――でもほんとうに画期的で、物語の定義を変えたと思います。

森見いやー、でも身体に悪いというか、あんまり物語の定義に挑むべきではないと思いましたね(笑)。もし小説のコンセプトがこうでなければ、もっと書きようがあったとも思います。
 つまりなにか、世界をつくってそこの中に物語を通して、書き手もその世界を体験していくし、読者も体験していくというものが小説だとしたら、物語というものは有効に活用すればそれでいい。別にそんなに激しく物語の定義に反するようなことをガリガリがんばることもないのでは、と途中で思ったんですけど(笑)。けども、書き始めたからもう最後までなんとか行こうと。これはたまたまそういうふうなコンセプトを選んでしまったので、ものすごい苦労になってしまったということです。今後はもう少し素直に書きたいと思います(笑)。素直でいいじゃないか、と思えたんです。
 たしかにコンセプトを思いついたときは「これをやれたらすごい」と思ったんだけど、一回やれば十分だな...とも思いましたね。

――けれどもこの主人公だからこそ、この聖なる風のようなものが吹き出たというのはありますよね。動いている人だと、こういう風の吹き方ではなかったんじゃないかと思います。読者として、こういう風が味わえるというのは、とても貴重で嬉しいことだなと感じました。

森見あ~、たしかに。自分で走って風を起こしているのではなく、立っているところにふっと風が吹いてくるということですね。そう言われると、おもしろいなあ。と自分でも思えてきました(笑)。




*主人公・小和田くんは、動きません。じっとしたまま動きません。けれど、ちゃんと「役に立つ・立たない」の向こう側まで、読む者を連れて行ってくれます。私たちが普段立つ「現実」の世界と、そこだけに収まらない「向こう側」。小和田くんが媒介となることで、私たち読み手は、その「向こう」をのぞき見ることができるのです。

 主人公の動かない動きを注視すると、彼が「静なる動的な存在」であることがわかります。つまり、「静=聖」! とも言えるのでは? と、この取材中に「大発見
しました。「役に立つ・立たない」の次元とは違う、もう一段階高い次元で、本当に(それはきっと、霊的や聖的なレベルで)役立つ世界が描かれている。もちろん「そう」だとは読者がまったく気づかない形で。森見作品、恐るべしです・・・。その意味でも、『聖なる怠け者の冒険』は、現代人の必読書だと思います。
ぜひ、「静なる、聖なる風」を感じてみてください。

 明日はいよいよ最終回。「森見さんと本屋さん」のお話です。

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森見登美彦(もりみ・とみひこ)

1979年奈良県生まれ。京都大学農学部卒、同大学院修士課程修了。2003年『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、小説家デビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞、10年『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞。その他の著書に『四畳半神話大系』『きつねのはなし』『有頂天家族』『恋文の技術』『宵山万華鏡』『四畳半王国見聞録』などがある。今年は作家生活10年目にあたる。

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