本屋さんと私

鷲田清一さん

鷲田清一『おとなの背中』(角川学芸出版)

 「みんなのミシマガジン」紙版9月号の「はじめに」で私は、鷲田清一先生著『おとなの背中』から、長い引用をさせていただきました。
 「お一人の仕事が丁寧だと、以心伝心、メンバーが入れ替わった異分野の職人さんたちにもそれが感染していって、だれが指示したわけでもないのに佇まいが一定の感度にそろってくる。(略)将来、おなじ職工の眼にふれたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたいというのである。職人のこだわりはじつに未来の職人に宛てられていたのである」

(まえがき『おとなの背中』角川学芸出版)

 これを実践していくこと。
 このミシマガジンも、ミシマ社の本たちも、上記の「職人さん」のようでありたい。そう誓った私は、本書をご執筆された鷲田先生に、お話をどうしても直接うかがいたく研究室を訪れたのでした。
 仙台メディア・テークの館長もされている鷲田先生。超がつくご多忙にもかかわらず、これからの人生の指針となるべき大切なことをいっぱい教えてくださいました。
 3回に分けて、ミシマガ読者の皆さまへお届けいたします。
 最終回の今日は、「はやく若い人に任せよう」というお話です。どうぞ!

(構成・聞き手:三島邦弘)

第99回 はやく若い人に任せよう。 

2013.11.27更新

人文書の聖地・京都

―― 京都の本屋さんの移ろい、それから先生自身の本屋さんとの付き合い方の変遷はいかがですか?

鷲田京都は人文書がすごかったんよ~。聖地みたい。ぼくがやっぱり一番すごいなぁってあの頃思ったのが、「京都書院河原町店」の向かいの「京都書院イシズミ店」。京都書院河原町店いうのも人文書がものすごく充実しててね。詩の全集とか哲学の全集とか全部そろっていた。それが「イシズミ店」ってのを向かいに作ったんですよ。河原町の東側の地下に。詩集とか思想関係、哲学とかそんなマニアックなものばっかで、京都の人文書ではもうダントツでしたね。

―― へぇ~!

鷲田でもうちょっと行くと小さい一般書の店があって、「赤尾照文堂」があって、次の古本屋行くまでに「駸々堂」いうのがあったし。で東側は「丸善」があった。洋書は丸善という感じでね。まぁ大学時代は京都書院が突出してたね。この辺もすごかった。

―― おお!

鷲田北大路の「大垣書店」はふつうの町の本屋さん。北大路室町ちょっと西入ったとこに「聖文堂」ってのがあって、これが京都書院のミニ版みたいでした。

―― へ~室町に本屋さんが!?

鷲田あれが人文書のレベル高くって。それが画材屋さんみたいになってってね、最後消えてしまったんやけど。

―― ことごとくなくなってしまいましたねぇ。

鷲田ことごとくね。あの頃は本屋さんだけやなく、有名な喫茶店もいっぱいあったでしょ。「六曜社」や「築地」はまだあるけれどほかに「ミューズ」やら「るーちぇ」なんかもあった。「虫類図鑑」っていうジャズ喫茶もよく通ったなあ。それに映画館もいっぱいあった。映画と音楽喫茶と本、もう文系の人間は一カ所でその三つをはしごできんのやから一日いても退屈しなかった。

―― 天国みたいな。

鷲田そうそうそう!


古本屋さんにお金を借りに。

鷲田昔は古本屋さんがすごく近かったでしょう。そこにお金を借りにいくの。売るんやないの。「また買い戻しに来るし売らんといてな」っていうケース。質屋さんみたいに。

―― 古本屋でお金を貸すんですか?

鷲田貸すというか、いちおう買ってくれんのやけど、「また買い戻しにくるからちょっとまだ棚に載せんといてやって」と頼んでる友だちはいっぱいいたね。みんな貧しかったから。ようごやっかいになりましたわ。

―― そうですか。

鷲田別の本を買うために質に入れるっていうか。

―― その共存関係があったわけですね。今それがすごく欠けているなって思います。読者って全然消費者じゃないわけですよね。この子らがいつか自分たちを支えることになる。それは、未来への投資という概念でなく、当然のこととしてそれが成り立っていたわけですよね?

鷲田そうそう。

―― 今だったら投資とリターンっていうしがないくくりでしか捉えないですが・・・。

鷲田お世話になってる感覚。

―― そうすると、いつか恩返ししたいって気持ちが自然と残りますよね。

鷲田そうそう。下宿した経験のある人って、京都で卒業してもみんなよそに行くじゃないですか。で、新婚旅行に必ず来て、おれここに下宿してたとか、ここの中華料理でお世話になってたんやと言って案内する。要するにただで広報活動してもらってるようなもんです。出張で来たらそこのお店に連れて行く。けどそれもだんだん細くなってるよ、京都も。


早いとこ若い人たちに任せよう

―― そういう共存関係みたいなものこそ継承していかないといけないと思います。でも潜在的には若い子たちもそういうのを求めていると思っていて、けっこう良くなっていく可能性はあるんじゃないかなと感じてます。

鷲田うん、今の子ちょっとそういう感覚はあるような気がする。

―― そうですよね。逆に言ったら消費社会の頂点のような、記号だけ消費みたいなのにはほとんど反応しない。もう少し自分らの手触りのあるところでって。

鷲田一種のサイズ感覚みたいなんね、友だち関係のサイズとか消費のサイズとかをちゃんと持っているよね。だから地産地消といったことを、若い人たちがやるようになってきた。服を選ぶときでも有名なブランドではないけれどもなかなか手触り良かったんで、あそこで買おうかな、という。だから先に言った「職住を近づける」というのは至難の業だけど、若い人は感覚としてだんだん持ってきている。

―― そうですよねぇ。

鷲田だから全然悪くないと思う、今の若い人たち。ちゅうよりできるだけ早いこと若い人に任せることです。

―― なるほど!

鷲田だって任せないと、一から作っていけないじゃないですか。いつも一部しかやらせてもらえない。任せるというのは、これは任せるし、いうたらゼロから全部やらなんし普段接触のない人とじわりじわりとコネとか自分で作っていかなあかんし。そのときサイズ感がきわめて健全やとぼくは思ってるから、あとは任せるいうことをできるだけしていったらもう大丈夫。

―― 私もそう思います。どこもかしこも、そうなっていかないといけないですねえ。

鷲田でも今の大企業なんて任せる文化ではない。

―― そこです、大企業のそこが一番問題かと・・・

鷲田チェックは入るしね。ミスしたら成績に響くし。ひょっとしたら今社長までそうなってるんちゃう。

―― 株主にさらされて・・・。一見任せているようで全然任されてない。

鷲田そういう意味では好きじゃないけど、お伊勢さんの式年遷宮、そして再来年の上賀茂神社、あれは育てるシステムがよくできています。式年遷宮というのは、上等で精密な建物を親方が若いやつの目の前で作って、それを手伝わせる。そんで次の遷宮はおまえらがやって次に伝えろよ、という思いを託す。あんな上等で金かけた建物などしょっちゅう作れませんからね。式年遷宮というルール化をしないかぎりは。だから完全にあれは職人さんの技術伝承のシステム。それで日本一の人が集まってやるわけです。

―― なるほど。変なところをシステム化してがちがちになるのではなく、本質的なところをシステム化することなんですね。

鷲田人材育成とはまさにそういうこと。会社はそれ一番できてない。

―― 伝承のところこそ一番大事なシステム。今残ってる限りのものはどんどんやらないといけませんね。
 お話尽きずもっともっとうかがってたいですが、先生、今日は本当にありがとうございました!

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ミシマ社編集チーム

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