本屋さんと私

 2011年に放送された、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』。ファッションデザイナーとして活躍する、コシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの三姉妹を育てあげた小篠綾子の生涯を描いたこの作品は、放送されるやいなや、関西をはじめ全国で話題となりました。ドラマの舞台となったのは、だんじりの街・岸和田。特徴的な岸和田弁を覚えている方も多いのではないでしょうか。

本屋さんと私

『村上海賊の娘』和田竜(著)、新潮社

 一方、2013年10月に発刊された、和田竜さんによる4年ぶりの最新作『村上海賊の娘』。
瀬戸内海に実在した海賊、村上海賊の長・武吉の娘である景を主人公に、手に汗握る合戦が繰り広げられる歴史小説です。なかでも眞鍋七五三兵衛をはじめとする眞鍋海賊たちが話す、アクが強くてやたら勢いのある泉州弁が強烈! みるみる小説の世界に入っていってしまいます。

 じつはこの『カーネーション』と『村上海賊の娘』には、ふたつの共通点があります。
ひとつは、どちらも登場人物が関西弁(とくに岸和田弁などの泉州のことば)を話すこと。そしてもうひとつは......じつは、方言指導をされた方が同じなのです!
 今回は、この2作品の方言指導をされた、俳優・林英世さんにお話をうかがいました。大阪弁をはじめとする方言のはなしから、小説の話までじっくりどうぞ!

(聞き手:新居未希、寄谷菜穂 構成:新居未希)

第106回 活字を声に出して読むということ

2014.01.29更新

言葉は変わっていくもの

―― 歩いている人とかの言葉が気になったりはしますか?

気になります! 聞かなくてもいいのに、人の話聞いてる(笑)。どこどこ出身の人やな、というのもあるけれど、その人のしゃべり口調がぱっと耳についたり、「あの人なんでこんなに近くでしゃべってはるのにこんなに大きな声でしゃべってはるのかな」とか(笑)。若い子同士の「このやり取りはなにを交換してるんだろう」というような、不思議な会話とかね。

―― 言葉って、年代や相手によって本当に変わりますよね。出身は大阪だけれど今東京で働いている友人なんかは、いま自分が何弁を話しているのかがわからない、と言っていました。

言葉ってそんなふうにすごく変わっていくし、人間その辺りはすごく適応力があるんですよね。だから、知らず知らずのうちに音を変えていたり。関西弁も平板化する。それで標準語の音が落ちたりするんですよ。江戸弁に近い、語尾がきゅっきゅっと上がっていくものでないものが、だいぶ入ってきてる。それで関西弁もあいまいになって、語尾が落ちきらないで喋ることがずいぶん増えてるように思います。正しい正しくないではなくて、変わってきている。これだけいろんな音が入ってくると、中間を取ってくるように働いていく。イントネーションの平板化と一音の持っている特徴の関西と関東の融合があるような気がします。

―― なるほど。

これだけいろんな音が、テレビとかでまぜこぜに入ってきたら、どうしようもないですから。もったいないと思ったりもしますが、なかなか阻止できませんしね。どこかで保存するのは頑張らなきゃいけないかもしれないけど、変化は止められません。
 最近だと、大阪の北摂あたりのお母さんや子どもたちはほぼ標準語で喋ってます。もう、どの言葉がどこのだ、というのはどんどんなくなっていきそうですね。
 イギリスなんかだと言葉で地区や階級がわかるというけれど、イギリスで長く暮らした人に聞くと、ホントにわかるんだそうですよ。

―― ホントに、映画『My Fair Lady』のような世界なんですね。

イギリスで公共の場に立とうとすると、クリアしなければいけない英語の発音があるらしいんですね。友人はもう十何年もイギリスで暮らしているけれど、その発音ができないと言っていました。だから向こうの役者は、もっと繊細に細かくなまりを勉強するんですって。ちゃんとした英語もわかって当然。イギリスでは、言葉で地区がわかるとその人の階級や出自が読まれるんですよね。いやあ、音声言語はものすごく面白いですね。身体なので。


小説から、作家個人のにおいがしてくる。

―― 本屋さんについてもすこし伺っていいですか?

私、そんなにめちゃくちゃたくさん本を読む方ではないんです。たぶんすごく偏りがある。
 私は、「ひとり語り」を15年くらい続けています。「ひとり語り」で読むものを選ぶために、短編小説をずいぶん読みました。松本清張や山本周五郎の短編集を片っ端から読みましたね。

―― なるほど!

とにかく文庫本1ページ2分が目処で、約1時間で読めるような30ページくらいの短編を探す。松本清張ぶわーーっ、藤沢周平ぶわーーーっみたいに(笑)。それで松本清張や藤沢周平、山本周五郎、向田邦子、芥川龍之介や太宰治、坂口安吾と......。どうしてもそういう作品が好きなんです。これをやっていると言葉の中から作家が見えてくるというか。聞いてくれる人にわかるように読もうとするので、作家の目線になっているんですね。言葉の選択を追っていくと、作家の感覚に同化するというか。そのときに、作家個人のにおいがしてくる作品はすごく面白いんです。

―― そういう目線で小説を読んだことはなかったです。

声に出すと、すっごくよくわかるんですよ。声に出すとき、言葉のニュアンスを決定していかなければいけないですよね。肯定的なのか否定的なのか、どんなふうに場面を見ているのかというのを想像すると、同じ言葉が並んでいても、目線が違うと違う響きをするんです。山本周五郎と藤沢周平だと、同じ桜でも違う見方をしている。そうすると、その作家が世界と付き合う角度みたいものがあるんだということを感じるんです。

―― それ、すっごいおもしろいですね!

作家に会うような気がするのね。そういう作品が好きなんです。


個人の血肉から書いているものを読みたい

明治の小説家は一般的に映像を共有することがないから、ものすごく言葉を連ねて何かを書こうとする。映画ができてからは、ある種映画のような情景を誰もが切り取れるのでそういう表現になり、テレビが出るとテレビドラマの切り取り方になる。たとえば向田邦子さんは、放送作家でもあるし、テレビドラマのカットの切り方ですよね。そしてマンガが出てくると、そのコマ割りみたいな小説が出てきて、今はゲームのような小説。

―― たしかに。

マンガくらいまではなんとかついていけましたけど、ゲームになると私にはあまり面白くないんです。できれば、昔のテレビドラマくらいまで。それが言葉で世界を見ていく楽しみを持たせてくれるところです。あとは戯曲。いまは俳優指導もするので、演劇教育論とかもよく読みますよ。
 そう思うと今の人たちって、本読まへん読まへんって言われるわりには、みんなけっこう読んでるような気がしますね。

―― たださっきおっしゃたような、映像が浮かぶような読みやすいものがもてはやされがちではありますよね。

ものすごく失礼なことを言うと、最近人気の作家さん方は小説家としてすっごくうまいと思うけど、芥川や太宰、坂口安吾のような個人というのがあまり見えないですよね。個人の血肉の中からものを書いている感じが、あまり感じられない。
 坂口安吾や芥川、向田さんを「ひとり語り」で読むときは、格闘技みたいになるんですね。これを言葉にして何とか伝えたい、なんとか自分の見いだしたものを見てもらいたい、と。読めば簡単にわかってしまうのは、なんだか物足りないんです。

―― なるほど。

「ひとり語り」で読むと、それを聞いた方が「あれ、これってこんな小説やった?」って言うんですね。「私はそういうふうに読めたんです」「へぇ~」みたいな、表面の物語だけでないもっと深い何かが隠れている。そういうものが好きですね。

―― すっごく、「ひとり語り」に行きたくなりました...!


そんな林英世さんの「ひとり語り」、春先にはツアーも行われるそう。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」を語られるというこのツアー、
い、行きたい・・・! と、ミシマガ編集部もスケジュールを必死で調整中です。

<坂口安吾「桜の森の満開の下」ツアー>
4月19日(土) 仙台・緑水庵 
4月23日(水) 三重・塔世山 四天王寺 本堂 
4月24日(木) 東京・暮らしの工房&ギャラリー無垢里 
4月26日(土) 京都・尊陽院 
5月11日(日) 大阪・カフェ+ギャラリー can tutku
5月17日(土) 札幌・よりどこオノベカ

詳細は「ひとり語り」Facebookページブログに発表します、とのことで、気になった方は要チェックです!


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