本屋さんと私

『優雅なのかどうか、わからない』松家仁之(マガジンハウス)

 ミシマ社では、メンバーがそれぞれに同時多発的に同じ本を買って読んでいる、ということが時々起こるのですが、今回ご登場くださる松家仁之さんが書かれた『火山のふもとで』や『沈むフランシス』もそんな本たちでした。

 松家さんの小説を読んでいると、描かれている建物や風景が、手に触れられそうなくらいに具体的に想起されて、その世界に没入することができるのです。
 伊丹十三、沢木耕太郎、星野道夫......。編集者として、そんな錚々たる方々とお仕事をされ、雑誌『考える人』の創刊編集長、『芸術新潮』の編集長などを歴任されてきた松家さんは、2010年に新潮社を退社され、2012年には長編『火山のふもとで』で、小説家としてデビューされました。
 今年8月末に発刊された3作目『優雅なのかどうか、わからない』のお話を中心に、創刊準備されている雑誌のお話、好きな本屋さんのお話、盛りだくさんでうかがいました。お楽しみください。

(聞き手・構成:星野友里、写真:高橋賢治郎、構成補助:松重鮎子)

第127回 書いてみないと、ストーリーはわからない(松家仁之さん編)

2014.10.22更新

プロットは決めずに書く

『火山のふもとで』松家仁之(新潮社)

―― 1冊目の『火山のふもとで』は構想を10年くらい考えられていたそうですが、2冊目以降もけっこう長く温められたのでしょうか?

松家いえ、あんまり温めてないです(笑)。デビュー作の『火山のふもとで』の主人公が建築事務所に入った1982年という年は、僕が新潮社に入ったのと同じ年なんです。だから、もちろん書き手とは別人なのですけれど、彼が何をどんなふうに感じたり考えたりするかということに想像が及びやすかったんですね。

―― なるほど。

2作目の『沈むフランシス』松家仁之(新潮社)

松家2作目は、北海道を舞台にするということと、女性を主人公にして書くということをやってみたかった。どのような物語にするかもさることながら、人称を変えることでどう小説が変わっていくのかとか、さまざまなことを実際に書きながら考えてみたいということがありました。僕は基本的に、最初から最後までプロットを決めたり、先に登場人物を設定してから書き出したりということはしていなくて、書きながら考えるんです。

―― そうなのですね、緻密に計算されているのかと......。

松家ただ、最新刊の『優雅なのかどうか、わからない』は月刊誌(マガジンハウス『Casa BRUTUS』)の連載だったので、否応無しに締切が来るわけです。前の2冊も、ある程度締切の約束はしていましたけど、後ろに延びたりすることもあって(笑)。でも、今回の連載の場合は始まったらもう穴を開けるわけにはいかないので、こんなにも苦しいものか、という感じでしたね。

―― 今回の主人公の匡さんは、松家さんご自身よりも年齢が7、8歳若いですね。

松家最初に『Casa BRUTUS』の人たちと相談したときに、古い一軒家をめぐってさまざまなディテールを考えてゆくような、エッセーの要素もある小説にしましょうか、という話をしたんです。エッセーのような小説ということは、主人公は自分と同一人物ではないけど、自分が思ったことは書けるような器にしたい。あと、家というのは、どんな日常生活を送るかということとセットじゃないですか。僕は編集者として生きたことしかないので、編集者だったらまあわかるかなと漠然と思って。でも、自分と同じ年齢にすると同一人物と思われてしまいそうで嫌だし、なにより生々しい(笑)。自分よりかなり若い人にすれば、距離が置けるかなということですね。


登場人物の真意は測りかねる

―― 実はちょうど昨日、『優雅なのかどうか、わからない』の作中に出てきた『ジョンとメリー』を観たところなんです。

松家どうでした? 古くさかったですか?

―― それがあまりにもリアルすぎて、男女のすれ違い方とか、相手の疑い方とか、卑怯さ加減とか、今も昔も全然変わらないのだなと思って。この映画は、作品を書かれる前から意識されていたのですか?

松家いや、それはなかったんです。僕の記憶としては、そもそも男女の話を書くつもりではなくて。少し年を取って一人暮らししている男性の主人公が、方丈記じゃないけど、世の中から置いていかれたように淡々と日常を生きていく、というようなつもりだったのですけど、途中で佳奈が現れたんです(笑)。

―― 準主役すら、途中で出てくるものなのですね...!

松家僕の場合、その登場人物の背格好とかをある程度リアルに自分の頭の中で考えて人物をつくっていかないと、その人が動いてくれないんですよ。書いているうちに、今この人は久しぶりに会ってロングヘアだけど、昔はショートヘアだったな、というふうに思えてきて、そうすると『ジョンとメリー』のミア・ファローだろうと。あの映画は1969年の公開ですが、あのころのミア・ファローがもともと大好きだったので(笑)。

―― ミア・ファローは、映画を見て「これは反則だな」と思うほどの可愛さでした。

松家女性が観てもそう思いますか? ちょっと脱線すると、1968年にビートルズが『ホワイト・アルバム』という2枚組のレコード出した前後に、インドへ行っているんです。そこになぜか、ミア・ファローの妹のプルーデンス・ファローも合流して、一緒にインドを旅したんだそうです。ミアもいたのかな。でも、妹のプルーデンスが途中で引きこもりみたいになってしまって、そのときに、ビートルズが彼女に「外へ出ておいでよ」とつくった歌が、『ホワイト・アルバム』の中に入っている『Dear Prudence』という曲なんです。

―― へえー、すごい世界ですね! ミア・ファローも、フランク・シナトラとか大物たちと結婚して。

松家 そうなんですよ。シナトラとアンドレ・プレヴィンとウディ・アレン、この3人と結婚したことがあるなんて、とんでもない人ですよね(笑)。

―― それを知ってこのカバーを改めて見ると、何か象徴されているようですね。すごく魅力的だけど、ある意味ひどい一面もあるような(笑)。

松家 要するに、今回の小説の佳奈さんという人も、実際どういう人で何を考えていて、これから何をするのか、わからないんですよ。僕は書いていても、彼女の真意を測りかねる。


年寄りの話が、一番面白い

―― 今までの3作ともに、主人公を導いてくれるような老人、賢者としてのお年寄りが出てくるのが印象的です。

松家僕にとっては、それぞれの小説に出てくるような身近な形でああいう老人がいるわけではないんです。でも、編集者時代にいろいろな人たちのインタビューや取材をしてきて思ったのは、お年寄りの話というのは圧倒的に面白いなと。やっぱり、人生経験を積んできた人たちは、広い意味での経験や知識、知恵のようなものを持っている。それに、それぞれ仕事を何十年もつづけていくことで、日々そのなかから学び続けられている。当たり前のことなのですけれど、お年寄りというのはたいしたものだと思うことが多かったので、気がつくと老人が出てきてしまう。これも意図していたわけでは全然ないんです。

―― 一方で今回初めて、介護という形でかかわる老人についても書かれていますが、それも最初から考えていたわけではなく...?

松家まったく考えてないです(笑)。介護に関して言うと、僕自身、父親が去年の3月に心臓病で倒れて、入退院が続いてどんどん認知症が進んで、6月に亡くなったんです。あと、今もおばたち、父の姉や妹が認知症で、母親のほうはまだ元気なのですけど、でも、全員介護認定を受けているんですよ。そんな年寄りが周りに3人もいるので。あと、フリーになって平日に町を歩いていると老人ばっかりなんです。

―― 平日の昼間はそうかもしれないですね。

松家ええ、もうリアルに高齢化社会に入っている気がして。小説で社会問題をどうこうするつもりはさらさらないのですけど、家のことを書いていると、老人がいたら家の中でどんな不便があるだろうかとかつい考えてしまって、じゃあせっかくだから老人に登場してもらおうか、という順番なんです。主人公が佳奈とたまたま再会して近所に住んでいるとわかった時点では、彼女が一人暮らしなのか、それとも今のボーイフレンドと暮らしているのか、私にも全くわかっていなかったんですよ。

―― ストーリーの先の読めなさは、書き手の松家さんも読者と同じくらいなのですね。

松家締切りがきて、「さあ今回は、佳奈が家で誰と一緒に暮らしているのか考えなくちゃ」ということで、書いているうちに、じゃあお父さんにしようと思って、そこから介護問題が出てきちゃったんです。

―― そうやってこの物語が編まれたと思うとあらためてすごいです...!

松家いい加減ですよねえ(笑)。


   

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松家仁之(まついえ・まさし)

1958年生まれ。大学卒業後、新潮社に勤務し、海外文学シリーズの新潮クレスト・ブックス、季刊誌「考える人」を創刊。2012年、長編『火山のふもとで』で小説家としてデビュー、同作で読売文学賞受賞。第2作は北海道を舞台にした『沈むフランシス』、第3作は『優雅なのかどうか、わからない』。2014年10月、編集制作として携わる雑誌『つるとはな』を創刊。

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